身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2002年6月1日〜6月30日

●ガイナックスのこだわり●ストレスたまる運転●ナメられた「国民」●ためると大変!●「ヒカルの碁」第17巻●反省しきり…●惰眠●余韻●「余録」●疑われる「国民」●カルチャーショック●民主主義の否定●なごみ系の大会●玉転がし?●弱い意思●思考回路が独特●のどかな抗議電話●取り調べと自白●お調子者●ヘンな法廷●予定稿●灰谷健次郎「海になみだはいらない」●もっと裁判官に関心を●テレビアニメ「水色時代」感想●●●ほか


6月1日(土曜日) 筋肉痛

 軟弱を絵に描いたかのように、普段は重いものを運ぶなんてことはほとんどしないのだが、今週は滅多に使わない筋肉を使ったので腕や肩が痛い。自分の新刊本をデイパックに詰め込んで市民集会に持参したり、2リットルのペットボトル麦茶2本を遠くの店から抱えて帰ったりしたからである。本や水というのはマジでとっても重い。途中で何回もどこかに捨てたくなってしまった。本は買ってもらえると確実に荷物が軽くなるけど、買ったばかりの飲料水は自宅の冷蔵庫に入れるまで重さは変わらない。むしろ、一足ごとに重く感じるばかりだ。そんなわけで、情けないけど筋肉痛である。


6月2日(日曜日) ガイナックスのこだわり

 スタジオジブリ「耳をすませば」(近藤喜文監督)のDVDと、林原めぐみのシングルCD「Treat or Goblins」を買う。林原めぐみのCDには、ガイナックスのテレビアニメ「アベノ橋魔法☆商店街」の主題歌が収録されている。ケーブルテレビのキッズステーションやテレビ神奈川などのマイナー局で放送中のアニメは、はっきり言ってあんまり面白くないが、林原が歌うオープニングとエンディングはなかなかの力作だ。オープニングはCDタイトルと同名で、アップテンポのリズミカルなノリは思わず楽しくなってくる。一方のエンディングは、中山千夏が歌っていた「あなたの心に」をそっくりカバーしている。1960年代の名曲だ。アニメ「アベノ橋魔法☆商店街」でも、終戦直後から大阪万国博覧会のころまで、高度経済成長に乗って活気付く大阪の街の風景をモノクロ写真で映し出しながら、バックにしっとりと「あなたの心に」が流されるという作りになっていて、制作者の思い入れを感じさせる。

 そう言えばガイナックスは、こうした1960年〜70年代の風景や音楽に対するこだわりが、かなり強く作品に反映しているところがある。音楽で言えば、庵野秀明監督のテレビアニメ「彼氏彼女の事情」のエンディングは「夢の中へ」(井上陽水)だったし、さらに映画の方も「ラブ&ポップ」のエンディングには「あの素晴しい愛をもう一度」(北山修/加藤和彦)が使われていたりする。たぶんみんな、この年代に多感な少年期を過ごしたことによる幼児体験的なこだわりが強烈にあって、そうしたものがぐっと外に引っ張り出されてくるのだろう。なんとなく分かるような気がするなあ。


6月3日(月曜日) ストレスたまる運転

 僕のストレス解消法と言うか、気分転換法の一つに深夜のドライブがある。夜中に愛車で環状線や国道などの幹線道路を、行き当たりばったり適当に走り回るのだ。午前零時を過ぎると交通量が格段に少なくなるので、すいすい運転できてとっても気持ちいい。2時間ほど車を走らせれば気分爽快になる。ところが最近は、深夜の運転が怖いなあと思うことに、しばしば出くわすので困っている。

 青信号の交差点を通過しようと飛ばしていたら、反対車線から急に車がゆっくりUターンしてきて、片側2車線を堂々とふさいでしまうという出来事がついこの間あった。緩いカーブで見通しがよくない交差点だというのに、いくら何でもそりゃないだろう。ほかの車も五十メートルほど手前で気付いて、慌ててブレーキをかけたからよかったが、下手したらそのまま突っ込んで大事故になったかもしれないっつーの。ところがその車は悪びれる様子もなく、その先の交差点をウインカーも出さずに左折するのだった。

 きょうはきょうで、赤信号で止まっていたら、黒塗りの車が平然と信号無視して走り去るし…。いや、こんなのは普通か。前はそうでもなかったんだけど、最近はそういう無茶をする連中が多いんだよな。特に週末の深夜が危ない。モラルもへったくれもまるでなしの無法地帯だ。無法ドライバーは逆ギレすることもあって、マジで物騒なのだ。気分転換の運転のはずなのに、これじゃあ、かえってストレスがたまってしまうよ。警察官のプライドと職業意識がすり減っていて、しかも不祥事に対して世間からボロクソ言われ、取り締まり意欲が失せているのが背景にあるのかもしれない。


6月4日(火曜日) ナメられた「国民」

 防衛庁が情報公開請求者の身元や思想を調べ上げて、個人情報リストにまとめる作業は、間違いなく組織ぐるみでやっていたのだろうし、たぶん防衛庁だけがやっていたのではなくて、たまたまバレてしまったということだろう。現に自民党の防衛部会では「リスト作成のどこが悪い、情報が漏れたのが問題だ」と、身元調査が露見したことの方を問題視しているそうだ。そうかと思うと一方で、国是である「非核三原則」を見直すかのような発言を、官房長官が平然と言ってのけるとくれば、もう何でもありなんだなあと思わずにはいられない。身元調査にしても核武装発言にしても、どちらもまともな頭では出てこない代物だ。

 有事関連法案や個人情報保護法案を抱え、インドとパキスタンで核戦争の危険があって、日韓友好のW杯サッカーが開幕したばかりだというのに、どうしてそんな時期にと常識的に考えれば疑問に思う。でもそんな時期だからこそあえて、とんでもない言動をわざわざぶつけてきたのかもしれない。国の中枢にいる優秀な人たちのことだから、きっと確信犯なんだろう。つまり完全に「国民」はナメられているのだ。はっきり言ってバカにされている。

 きょうのテレビニュースは、W杯サッカーの話題一色だった。確かにサッカーファンでなくても、手に汗握る感動的な試合だったと思う。しかしたった今、サッカー特集番組で延々と流したばかりの映像と解説を、ただでさえ放送時間が短縮されたニュース番組で再び繰り返すだなんて…(TBSのことです)。同じ映像と解説を何回も何回も放送して、ニュースの時間の大半を使ってしまうのは、ジャーナリズムの在り方としてどう考えればいいのだろう。防衛庁幹部も官房長官も小泉首相も、にっこり笑いながら舌を出しているに違いない。政府の目論見通りかそれ以上の展開に、メディアは見事に協力している。


6月5日(水曜日) ためると大変!

 きのうときょうの2日間かけて、放ったらかしにしていた取材経費の計算を一気に片付けた。新聞のスクラップと同じで、その都度きちんと整理すればなんてことないのだが、ため込んでしまうと収拾が付かなくなってしまう。たまればたまるほど面倒くさくてやる気が失せてしまい、さらにまたたまって…と悪循環に陥るのだ。しかし新聞のスクラップと違って、これは仕事としてどうしても片付けなければならない。放置していたツケが回って、まるまる2日間もかかってしまったのだった。ふう〜、まじで疲れた。

 「ヒカルの碁」第17巻 きょう発売の「ヒカルの碁」原作コミックス第17巻を読んだ。平安の天才棋士で背後霊の佐為が消えてしまい、すっかり元気をなくしていたヒカルだったが、自分の打つ碁の中に佐為は生きていると気付いて、再び棋士の道を歩き出すという場面から物語はスタート。塔矢アキラとの対局が2年4カ月ぶりに実現し、互いが生涯のライバルであることを再認識するという展開だ。この巻の最後に用意されているエピソードには、思わずほろりとさせられて胸がぐっと詰まった。ここで最終回となってもいいような持って行き方だけど、たぶんまだまだこれから物語は盛り上がるはず。なかなか読み応えのある巻だった。それにしても本当に佐為は、もうヒカルの前に出てこないのだろうか。雑誌連載は読んでいないので、次のコミックス発売を楽しみにしている。ちなみに「ヒカルの碁」は韓国の囲碁界でも人気なんだそうだ。


6月6日(木曜日) 反省しきり…

 神戸からフォトジャーナリストのU氏が取材のために上京して来ているので、横浜市内で久しぶりに会う。あざみ野の喫茶店で4時間も話し込んだ。取材活動はもちろんのこと、営業活動も精力的に展開しているU氏の話に圧倒される。ただでさえ海外取材なんてお金がかかるというのに、次々に企画を立て、経費捻出のための営業努力を惜しまない姿勢に脱帽する。それに比べて僕って本当に怠け者だよなあと内心焦るとともに、ひたすら反省するばかりである。

 M紙の編集委員から「裁判官Who's Who」の本について電話取材。司法の問題点や本書のポイントなどについて聞かれる。この間は法律専門紙の記者から取材を受けたが、質問の仕方や内容によって、その記者の理解度や書かれる記事の方向性がある程度は推測できるもんだなあと改めて感じる。もちろん僕自身が取材している時には、取材相手から同じようにあれこれ推測されているのだろう。いやはや、きょうは初心に戻って勉強させられることが多い。


6月7日(金曜日) どっと疲れる

 朝早く家を出て夕方まで都内。精神的にぐったり疲れる。横浜に戻って市民グループの集会に顔を出す。話の内容は論理の飛躍がありすぎて、これじゃあ仲間内にしか通用しないんじゃないかと思えてならない。せめてもう少し議論でもすれば、多様性な視点が出てくるのに。横浜駅前のいたるところに警察車両と警察官の姿…。かなり異様な雰囲気だ。いったい何から何を守って、何のために警戒するのだろう。帰宅してネットにつなぐと、まるで話がかみ合わないメールが届いていた。話を一つ一つ確認して積み重ねていくという作業が、根本的にできないのかもしれない。思い込みと独善だけで、呆れ果ててしまうばかり。なんだかとっても疲れる一日だ。


6月8日(土曜日) 惰眠

 睡眠不足と冷房による寝冷えが原因だろうと思うが、風邪っぽいので午後からの予定を取り止めにして、夕方までぐだぐだと惰眠をむさぼる。ようやく起き出して、ぼーっとした頭でテレビの「クレヨンしんちゃん」などを見て大笑い。実に怠惰な過ごし方をしているなあと思わないでもないが、実際に怠惰なんだから仕方がない。…などと開き直ってみたりして。

 「クレヨンしんちゃん」と言えば、きのう深夜放送の「虎ノ門」(テレビ朝日系)のビデオコーナーで「クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」が紹介されていて、これを見たコーナー担当役の美保純が感動して泣いていた。美保純の採点は星5つの満点。大絶賛である。彼女の作品を見る目と批評は確かだから、そうだそうだと思わず拍手したくなった。


6月9日(日曜日) 余韻

 全巻を読んではいるが、第12巻以降しか持っていない「ヒカルの碁」のコミックス第1巻を買った。もう一度読み直してみたいのと、手元に持っておきたいという気持ちが強くなったからだ。それだけ、先日発売された最新巻の第17巻はインパクトが強かったということなんだろう。胸を打った言葉やシーンが、心の中に残されたままになっているということでもある。そんなわけで、ついでに「キャラクターズガイド」も買ってしまった。すべての登場人物の背景が説明されているだけでなく、これまでの名場面集にもなっている。巻末にはおまけの描きおろし漫画も。まあ、感動的だった作品の余韻に浸るために、ちょうどいい一冊かもしれない。

 たまっていたメールの返事を書いて、だーっと送信する。懸案事項が解消されたような感じで、気分がすっきり。経費計算も片付けたことだし、そろそろ真面目に取材体制を整えなければ。


6月10日(月曜日) 「余録」

 あと一口で昼食を食べ終わるというところで、女性編集者から携帯に電話がかかってきた。この人はなぜかいつも、こういう「絶妙のタイミング」で電話をしてくる。それはさておき…。

 「きょうの毎日新聞、もう見た?」「いや、まだ見てない」

 「『裁判官Who's Who』の記事が出てるよ」「本当?どこ?」

 「1面に載ってる」「え、1面って…?」

 あれって1面に載るような大層な話だっけ。ひょっとして最高裁から怒りのクレームでも届いて、国会で問題にされるとでもいうのかな(まさかね)。そもそも、きょうの紙面は一般紙もスポーツ紙もどこもみんな、W杯サッカーで日本がロシアに勝利した記事で大展開してるんじゃないのか。そんなことを瞬時にあれこれ考えていたら、毎日新聞の「余録」に出ているというのだった。「余録」というのは朝刊1面の最下段に常時掲載されているコラムで、他紙だと朝日新聞の「天声人語」が同じような記事にあたる。

 「それにしてもなんでまた、日本中がサッカーで一色になっているこんな日の朝刊に…」などと思っていたら、オチの部分でちゃんと裁判官とサッカーの審判の判定とを結び付けていた。なるほど。まあ、本書は言ってみれば、裁判官の現状に対して正面から異議を申し立てている本なので、こういうふうに毎日新聞が好意的に取り上げてくれたのは、かなり心強い援護射撃である。最高裁にしてみれば、きっと苦々しく思っているだろうから。感謝します。


6月11日(火曜日) 疑われる「国民」

 情報公開請求者の個人情報リスト作成問題について、防衛庁が調査報告書を発表した。この期に及んでも、防衛庁サイドはあれこれ言い逃れやゴマカシや隠蔽工作をしようと懸命だったそうだ。そもそも公僕である役人の業務内容を把握するために、市民が「知る権利」を行使するのは至極正当な行為だと思うのだが、防衛庁にとって「国民」というものは、疑って監視して思想調査まですべき対象なんだろう。もちろん「国民」は守る対象などでは決してない。伝統的な日本軍の本音と本質がとても素直に現れていて、微笑ましいと言えば微笑ましい。だけどこれって防衛庁だけでなく、日本のほとんどのお役所とお役人も同じような体質ではないのかと、お人好しの「日本国民」もさすがに気が付き始めているはずだ。だからこそ「個人情報保護法」だとか「有事法制」などといった怪しげな法律に対して、疑問の声が広がりつつあるのだと思いたい。「どっちを向いて仕事をしているんだ」と首を絞めたくなる相手が、残念ながらそこらじゅうにいるから始末に負えない。


6月12日(水曜日) カルチャーショック

 お世話になっている弁護士さんから、『裁判官Who's Who』の記事がきのう発売の「日刊ゲンダイ」に出ていたよと連絡をいただいた。寝耳に水の話なので「そんなところにまで」と驚く。忙しいところわざわざファクスしてくださった紙面を見ると、記事は2面に掲載されていてかなり大きな扱いだ。面白おかしく書かれているが、事実関係や方向性はおおむね間違っていないと思う。いろんな人に本の存在を知ってもらえて宣伝にもなるから、とにかく紹介してもらえるのはとてもありがたい。

 しかし、執筆者に取材しないでここまで書けるというのは、ある意味ですごいもんだと妙に感心する。「売れているか」という簡単な問い合わせみたいなものは出版社にあったらしいが、関係者にきちんと話を聞いてから記事を書く、というのが記者の基本だと信じて疑わなかった僕としては、これはちょっとしたカルチャーショックだった。いや、もちろんうわさではそれくらいは常識として知っているけど、自分自身が当事者となって目のあたりにするとやっぱりね…。オーソドックスな新聞記者の取材スタイルとは対照的だ。系列の週刊誌も同じ手法で書いた記事を来週号に載せると聞いて、さらに複雑な気持ちにさせられた。


6月13日(木曜日) 民主主義の否定

 横浜市議会の「日の丸」掲揚問題について。僕の基本的な考え方は、5月30日付の「身辺雑記」で書いた通りだが、その後、掲揚に反対する女性市議2人が本会議開催日の6月5日に、議長席を「占拠」するなどの「実力行使」をした。2人の市議について懲罰動議が出され、懲罰特別委員会で審議される事態になった。簡単な解説と個人的見解を記しておく。

 議長席を約6時間にわたって「占拠」したのは「市民の党」所属の女性市議2人。2市議は「議長に公開質問状を出したのに回答がない」として実力行使に出た。これに対し、各会派からは「議会制民主主義を否定するものだ」など批判の声が相次いだ。「日の丸」掲揚に賛成した自民党や民主党だけでなく、掲揚反対の立場の共産党(10人)と地域政党の「神奈川ネットワーク運動」(10人)の2会派も、議長席の「占拠」という行動は民主主義のルールを否定するとして、「市民の党」とは一線を画した。議場への「日の丸」の一方的な持ち込みに反対を訴えていた段階と、議場に持ち込まれてからの「実力行使による阻止」以降とで、反対会派の中でも立場に変化が生じたと考えられる。

 ただし、共産党と神奈川ネットの2会派には少なくとも議会運営委員会での発言権があるが、少数会派の「市民の党」の2人にはない。だから発言の機会を与えてほしいという主張になるわけで、発言の機会を与えず、一方的に「日の丸」掲揚を決定したという背景を無視して、やむなく実力行使に出た女性市議2人を責めるのはおかしいではないか、という考え方もある。また、普通なら即座に強制排除するはずなのに、6時間も議長席を「占拠」させたまま放置したのは不自然で、2人が「民主主義を否定するとんでもないことをした」ということを見せつけるためとしか考えられない。これは自民党などによる「わな」にはめられたのではないか、などという分析をする人もいる。

 少数意見を言わせる機会すら与えず、一方的に「日の丸」を持ち込む手法に対しての異議申し立てなんだという、その気持ちはよく分かる。しかしこのような「方法」で、果たして広く市民から共感が得られるのだろうか。突っ走った行動が自民党などにうまく利用され、確かに「はめられた」のかもしれないが、でも残念ながらそうした「実力行使」によって、共産党や神奈川ネットが一線を画すことにつながったのは否定できない現実だろう。発言し行動し広く訴えていく場所は、議会運営委員会だけでなく議場の内外にたくさんあるはずだ。民主主義を否定するような議会運営が行われ、一方的に議場に「日の丸」が持ち込まれたことのおかしさを、街頭演説なりビラなりで市民に訴えてほしい。民主主義を否定する行為に対しては、やはり言論をもって主張すべきだと思う。(一方的に実力行使をするなどという)相手と同じことをするならば、それはまさに民主主義の敗北ではないだろうか。

 言っていることは正しくても、やっていることは必ずしも正しくないということもある。どんなことでも方法論・手法・立場・路線などの違いというのはあるから、どのように考えるか判断は分かれるだろうし、なかなか難しい問題だ。しかしほとんどの「普通の市民」の目には、前段の自民党などによる「民主主義の手続き無視」と、後段の実力行使による「『民主主義の手続き無視』に対する意義申し立てのための民主主義の否定」はたぶんごっちゃになって見えているに違いない。「過激でわがままな非国民」による乱暴狼藉があった、というふうに理解されているのだろう。いやそもそも、多くの市民はこんなことには関心がないかもしれないよな。


6月14日(金曜日) どこも一緒?

 横浜ベイシェラトンホテルで昼食を食べながら、英字紙の記者から取材を受ける。「裁判官Who's Who」の本の取材を通して感じたことは何か、裁判官のどこがどう問題だと考えるかなど、2時間ほど質問された。組織や人事のシステムに問題があるのはもちろんなんだけど、その一方で個人の資質や、上司の評価や出世ばかり気にして自己規制する生き方、さらには信念を貫こうとする姿勢に欠ける、などといった問題点も大きい。しかしそれは裁判官だけでなく、新聞記者の世界だって全く同じだよねというところで意見が一致した。「何のために裁判官(記者、教師…)になったんだ」と、突っ込みを入れたくなる人ってどこにもたくさんいると思う。

 ところで、日本中いたるところサッカーで大騒ぎ…していましたかね。ちょうど日本戦のテレビ放送がある時間帯は、横浜市内のデパートや街なかを歩いていたんだけど、まるで無関心な人は当然のように徹底して無関心だった。買い物客も店員もみんな淡々と行動していたし、テレビ売り場なんかも閑散としていた。でも、そういう場面はテレビにも新聞にも決して登場しないんだよな。まあ、交通量はいつもより少ない感じだったけど。そう言えば「きょうは社員全員でテレビ観戦して日本を応援します」なんて社内放送してる会社って、かなり気持ち悪くないですか。それって、サッカーに興味のない社員も観戦を強要されるっつーことなんだよね。「俺は関心ないから外回りに行ってきます」とは、さすがにちょっと言いにくいだろうな。サラリーマンは辛い。ご愁傷様です。

 いや、もちろんサッカーが好きな人は他人に迷惑をかけない範囲で、大いに騒いでくださって結構なんです。医療制度改革法案を与党が強行採決しようが、ムネオ代議士の収賄容疑が固まろうが、北京の韓国大使館から亡命男性が連行されようが、きっとそんなことはどーでもいいんだもんね。NHKの午後7時のニュースなんて、サッカー以外はまともに取り上げていないんだからさっ(1時間の放送枠のうち冒頭から約50分がサッカーのニュースだった)。


6月15日(土曜日) なごみ系の大会

 千葉県内の独立系の教職員組合から誘われたので、定期大会に顔を出す。少人数組合なのでこじんまりと、和気あいあいとした雰囲気で、取り組みや今後の課題について討議が進む。まるで職場集会や分会の会議みたいな印象だ。市民や主婦が招かれて報告しているのも意外だった。こういう大会を見せてもらったのは初めてだったから、ある意味とても新鮮な感じがした。終わってから駅前の居酒屋で懇親会。何だかほのぼのと和んだ気持ちになる。


6月16日(日曜日) 爆睡

 完全休養日。ひたすら爆睡する。


6月17日(月曜日) いろいろ

 朝から都内。夕方から秋葉原を散策。マニアックな店をいくつかのぞいて、掘り出しものはないかと探してみたりする。横浜に戻ってきたらパラパラと小雨が降り始める。大した降り方ではないから何ということはないのだが、図書館が午後5時で閉館になっていたのにはあてが外れてがっかり。そう言えば、土曜や日曜と同じく月曜は早く終わるのだった。僕のほかにも、女子高生らが閉館表示を見て仕方なく引き返していく姿が見られた。特別休館日以外は、曜日に関係なく午後8時半まで開館してほしい。


6月18日(火曜日) 玉転がし?

 午後4時過ぎに、取材のため市内の某事務所に電話した。

 「大岡ですが、◯◯さんいらっしゃいますか」

 「やあどうも。いるんだけどね、今ちょっと出られない…」

 「あ、会議中ですか」

 「いや、そうじゃなくて、別室で見てるんだよ」

 「え、見てるって?」

 「(言いにくそうに)ほらあの、玉転がし」

 「玉転がし…? ボーリングですか?」

 「いやいや、ワールドカップ」

 「あー、あれって今やってるんだ。先生は見ないんですか?」

 「うん、オレは全く関心ないから」

 「僕もそうなんですよ。一緒ですね」

 「もうすぐ終わると思うから、そのころもう一度かけてよ」

 そんなわけで、試合が終わったころに再び電話して、相手とは無事に話ができた。しかし、それにしても「玉転がし…? ボーリングですか?」という僕の台詞は、いくら興味がないとは言え、何ともはや間抜けな受け答えだな。だって昼間のこの時間にサッカー放送をやってるなんて、マジで知らなかったんだもの。この前あった試合はたまたま知っていたけど。それに「玉転がし」と言えばやっぱりボーリングだよな。サッカーは「玉蹴り」なんじゃないの。まあ、どーでもいいんだけどさ。ちなみに、ついでみたいで申し訳ないけど韓国チーム、次の対戦も頑張ってください。


6月19日(水曜日) 弱い意思

 ついつい、夜遅くにラーメンなんかを食べてしまう悪い癖があるのだが、きょうこそは絶対にそんな悪習は断ち切るのだと、固く決意して愛車で帰路についていたら、ラジオから全国ラーメン巡りの本の朗読が流れてきた。うまいチャーシューがどうしたとか、メンマは隠れた名脇役だとか、これでもかこれでもかというふうに、食欲をそそる描写が続く。せっかく寸前まで誘惑に打ち勝っていたというのに、気がつくと自宅のすぐそばでUターンして、環状道路沿いのラーメン屋に向かっていたのだった。あー、情けない。なんて意思の弱い人間なんだろ。また、夜中に食べてしまった。

 思考回路が独特 鈴木宗男議員の逮捕直前のインタビューを聞いていて、この人の本質がよく出ているなあと感じる応答があったので、思わず笑ってしまった。「後援企業から500万円を受け取ったでしょう」との質問に対し、鈴木議員は「いいえ、そんな金は一切受け取っていません」と自信満々に答えるのだ。そして「本当にもらっていないんですか」との再度の質問に、鈴木議員は胸を張ってきっぱりとこう答えるのだった。「私がもらったのは400万円ですから」。500万円でも400万円でも、どっちにしたっていかがわしい金を受け取ったことに変わりはないだろうに、どうしてそんなに堂々と勝ち誇って大見得を切れるのかなあ。実に不思議な発想だが、たぶんこの人の頭の中では「自分は正しい」という思い込みがすべてに優先していて、その回路から少しでもずれている事実は一切排除されてしまうのだろう。言ってみれば確信犯だから、迷うことなく嘘がつけるし、世間では通用しないような非常識な自己正当化も平然とできるのだ。一種の心のビョーキではないか。


6月20日(木曜日) のどかな抗議電話

 TBS系の人気番組「学校へ行こう!」に、ニワトリのトサカみたいな頭をした生徒や、フンドシ姿の生徒がやたらに登場して放送されたら、学校に抗議や苦情の電話が殺到して困った、という話をある公立高校の先生から聞いた。都内の有名な右翼団体からも電話がかかってきて、「あんたんところの学校はどうなっとるんじゃ。わしらに子どもを預けたらもっといい教育をしてやるぞ」と啖呵を切られた時には、電話を受けた校長もさすがに返す言葉がなかったという。校長だって困るよなあ。「どんな教育をするんだよ」って突っ込むわけにもいかないだろうし。ちょうど「日の丸・君が代」の扱いをめぐって揉めていた時だったので、それに絡めての抗議かと一時は職員室に緊張が走ったらしいが、右翼のオジサンは「そういう学校」だということには気付かず、「日の丸・君が代」の話題には一切触れなかったそうだ。それにしても番組を見てわざわざ電話してくるなんて、右翼のオジサンも暇なんだね。なんとものどかで平和なお話だ。


6月21日(金曜日) 片付け

 電話の応対とか雑用とか昼寝(笑)とか…。のんべんだらりとした一日。そのほか部屋の片付けなども。ただでさえ取材資料や書類が多くて、油断しているとすぐに部屋が雑然としてくるので、要らないものを廃棄する算段をした。とは言うものの、なかなか捨てられないんだけど…。少しだけすっきりしたかも。


6月22日(土曜日) 取り調べと自白

 東京・飯田橋で、浜田寿美男さんの講演を聞く。浜田さんは「自白の心理学」(岩波新書)の著者で、同書については2001年8月8日付の「身辺雑記」でも感想を書いたが、うその自白をしてしまう心理を筋道立てて分析した名著だ。この日も、冤罪は決して珍しいものではないことを説明したうえで、現在のような捜査や取り調べが行われている限り、いつでもどこでもだれでも、簡単に自白させられて犯人に仕立て上げられてしまう実態があることを、具体的な事件(袴田事件など)をもとに分かりやすく解説した。

 ポイントは4つだ。まずは「証拠とは何なのか」ということ。刑事訴訟法には「事実の認定は証拠による」とあって、一見すると形式的には整った本人調書や証人調書が「証拠」として提出されてくるが、どういう質問や対応をして供述を引き出したのか、証拠形成の経緯をしっかり踏まえておかなければ、事実認定を誤る危険性がある。だからこそ、取り調べの過程をテープやビデオで記録しておくべきだと浜田さんは訴える。2番目は、捜査員は「犯人はこいつしかいない」という絶対的な確信と信念を持って取り調べをしていること。「シロかもしれない」などと疑問を抱いてはいけない。真実発見が目的ではないのだ。そんな勢いで延々と取り調べを続けられたら、たいていの人は自白してしまうだろう。

 3番目は、自白証拠が無罪証拠にもなるということ。「任意性が認められない自白」は、普通なら証拠能力がないとして裁判では排除される(採用されない)べきだが、逆にそれが「うその自白」を形成した過程を示す重要な証拠にもなるではないかとの発想だ。形式的には整っているように見える調書の矛盾を、でたらめな取り調べの過程が逆に暴くことになるだろう。4番目は、裁判の途中で降参する検察官はまず絶対にいないということ。個人的には「被告はシロかもしれない」と思ったとしても、最後まで突っ走るのが検察官の仕事で、組織としていったん決めたら後戻りや変更はもうできない。最初に決めた通りの結論を徹底して「正当化」するというのだ。レトリック(屁理屈)万能・優先の思考パターンであって、法律家の情けないところでもある。…以上、どれもこれも納得する鋭い指摘ばかりである。勉強になった。


6月23日(日曜日) お調子者

 髪の毛をやや短くカットする。美容院に行くと美容師さんと雑談になるものだけど、やっぱりサッカーの話題になってしまった。日本が勝っていた時は盛り上がったが、負けたら急に関心がなくなったとか、日本戦がある日は客が来なくて店が暇で仕方なかったなどと、いろいろ話をしてくれる。それだけでなくて、審判が韓国に甘いって非難されてますよねとか、各国のサポーターは気合いが違いますよねとか、当然のように僕にもネタを振ってくるのだが、どんな質問が飛んできても、それなりに受け答えできてしまうのが何と言うか…って感じである。新聞もテレビもW杯一色なので嫌でも耳目に入ってくるし、いくつかの試合はどんなものかと思ってテレビで見た。これでも一応は記者なので、話題や情報があれば何でも把握してしまうのが、ほとんど習性みたいになっているのだ。それにしても、少しサッカーに関心を持ったにわかファンってふうに、調子よく会話を合わせている自分がちょっと情けない。


6月24日(月曜日) ヘンな法廷

 午後から横浜地裁へ。女性団体主催の戦争責任を考える集会の妨害などをしたとして、威力業務妨害や脅迫の罪に問われた右翼の男3人の第2回公判を傍聴取材。この日は、女性団体の会長が証言した。前回もそうだったけど、恐ろしく小さな法廷に被告3人と刑務官4人、検察官2人、弁護士5人も詰め込むといった環境での審理に対して、だれも文句を言わないことに驚かされる。もちろん傍聴席も二十席ほどしかない。しかもきょうなんて、加害者の右翼の男3人と1メートルも離れていないところで、被害者側の証人が証言していた。屈強な刑務官が被告の横に付いているとは言っても、普通なら心理的圧迫や威圧感を覚えると思うのだが、証言した本人は違和感はなかったそうだ。う〜ん、ちょっと信じられないなあ。事件の内容うんぬんとか以前の問題だと思うんだけど。まあ、当事者や関係者がそれでいいと言うなら別にいいです。

 公判の報告集会に顔を出してから、別件で市民グループの人たちと関内駅前の喫茶店で雑談。議長席を「占拠」するなどした2人の横浜市議の懲罰問題について、1時間半ほど意見交換する。あすの本会議で、2議員の除名処分が決まる可能性が高い。話を聞いた主婦たちは「市民に選ばれた議員を除名するのは賛成できないが、2議員の実力行使のような方法は通用しないし、かえってマイナスになる。一緒にはやっていけない」との見解だった。なるほど。帰宅してからも、この件で議員や関係者らに電話をかけまくって、深夜まで情報収集した。


6月25日(火曜日) 予定稿

 横浜市議の懲罰の原稿を速報で突っ込むように頼まれたので、急いで予定稿を作成する。きょうの夕方がぎりぎりの締め切りラインだから、除名成立と不成立の両パターンの原稿をあらかじめ用意しておくのである。こうしておけば市議会本会議での採決が終了してから、展開に応じて部分差し替えだけをすればいい。もしもぎりぎりの時間になっても、何とか原稿が間に合うというわけだ。

 そんなわけで、朝から横浜市議会の本会議を傍聴取材。除名処分に対する反対と賛成の討論など、淡々と議事が進んでいく。同じようなことを機械的に繰り返すのが議会進行の常だが、それがいわゆる「適正手続き」というものだから、形式的で退屈だけど仕方がない。それにしても保守系議員と除名に抗議する傍聴者の双方からの野次が、実にうるさくてみっともない。「人の話を聞かない」ということではどっちも同じだろう。てゆーか、迷惑なんだっつーの。議場での発言が聞き取れないんだから。結果は、記名投票で除名に必要な出席議員の四分の三以上の賛成があり、事前に収集した情報通り2議員の除名が決まった。細かい点を本人や議会事務局などに確認して、前もって送信しておいた原稿の手直し部分を編集者に伝えて無事に業務終了。

 元同僚記者と1時間ほど近況報告や雑談。右翼の街宣車が「議会制民主主義を否定する横浜市議は…」などと、大音量でがなりたてながら走り回ってものすごくうるさい。あんたらには言われたくないよ。そんな突っ込みが、あっちこっちから聞こえてきたような気がしたんだけど、気のせいでしょうか。


6月26日(水曜日) 灰谷健次郎「海になみだはいらない」

 灰谷健次郎の「海になみだはいらない」を読む。表題作をはじめ計7作品を収録した短編小説集。「海になみだは…」は島で生まれ育った小学4年生の章太を主人公に、漁師のトクじじいや都会から転校してきた少女、高校生の兄の生き方を絡ませながら、農業や漁業の在り方を問いかける。「農業高校を普通高校にするってどういうことや」という率直な疑問が、重要なエピソードとして挿入されているのがいかにも灰谷作品らしい。「きみはダックス先生がきらいか」は、いい加減で頼りなくてカッコ悪い中年の教師が、実は子どもたち一人一人に目配りしているという話。決めたことを守らせる教師しか知らない子どもたちは、「それぞれが自分の考えで決めればいい」という型破りなダックス先生に戸惑い反発するが、人として本当に大切なことを遠回しに伝えようとする姿に、クラスは一つにまとまっていく。今の時代なら(小説発表は1981年)、先生の真意に子どもたちが気付く前に、こういう先生は父母からの抗議で「不適格教員」のレッテルを張られて、排除されてしまうかもしれないなあと思った。

 このほか、養護学校に通う女の子の日常、教室の空気を変えてしまった赤ん坊、内弁慶な妹を持つ兄の新たな発見、動物園にやって来る人間嫌いの少年、ドヤ街の子ども館を通して将来について考え始める子どもたち…といった内容の5作品を収録。いずれにも共通するのは、いろんな人のいろんな人生から、たくさんのことを知って成長していく子どもたちの姿だった。マイナスイメージや偏見の目でしか見られていない人たちからこそ、学ぶべき多くのものがあるという姿勢が、見事に貫かれている短編集だ。でもやはり、個人的には灰谷作品は短編よりも長編の方がいい。登場人物の説明に紙数が費やされ、すぐに話が終わってしまうから物足りなく感じる。

 ちなみに、これはある女性に教えてもらったのだが、「海になみだは…」に出てくる最初の方の描写は、「トトロ」のオープニングによく似ていると思った。主人公の章太が、お化け屋敷と呼ばれている転校生の佳与の家に赤飯の重箱を届けるところとか、ぶっきらぼうに「かあさんから」と言って帰るところなんて、「トトロ」のカンタそっくりだなあと笑いながら読んだ。さらに転校生の佳与はサツキみたいに芯が強いし、妹がメイのように利かん坊なところも同じ。「トトロ」は1988年の作品だから、宮崎駿監督がこの「海になみだは…」を読んでいて、部分的にイメージを参照した可能性もあるかもしれない。

 佳与のような芯の強い女の子は、灰谷健次郎や宮崎駿監督の作品に必ず出てくる重要なキャラクターだが、ちばてつやの漫画にもよく登場する。「海になみだは…」で描かれているように、都会から田舎に引っ越してきてたくましく成長するといった設定は、ちばてつやの名作「島っ子」にも似ていると思った。


6月27日(木曜日) 深夜バス

 夕方から東京・四谷の料理屋で、転職する編集者と印刷会社員の送別会。その後、出版社の社員と台湾料理の店へ。あっさり味の台湾ラーメンがとても新鮮。ラーメンを食べてすぐ帰るはずだったのに、油断して雑談したのが失敗だった。ほんの3分というタッチの差で品川からの電車に乗り遅れて、久しぶりに深夜バスで帰るはめになってしまった。あー、無駄な出費だ…。午前2時半帰宅。


6月28日(金曜日) もっと裁判官に関心を

 「裁判官Who's Who」の本がお陰様で評判になっている。新聞や雑誌などで好意的に紹介されていることもあって、出版社によると5月の発行から2カ月たらずで早々と3刷になったという。弁護士や裁判官など法曹関係者だけでなく、普通の市民も裁判に関心を持って読んでくれているようだ。日経ホームページを見たら「ビジネス書ランキング」の9位に入っていた(オンライン書店bk1調べ)。裁判官の素顔を広く知ってもらい、司法の在り方を考えてもらうのが本書の目的だから、この本がきっかけで議論が広まれば編著者としてこれほどうれしいことはない。「憲法と法律と良心のみに従って独立して公正に判断する」という当たり前の仕事を、裁判官がきちんと遂行しているか、もし遂行できていないならそれはなぜか、そういう議論をすることこそが本当の意味での司法改革だと思う。法曹人口を増やせばいいとか、ロースクールで大学法学部は生き残れるかとか、そんなことは枝葉末節であって本質的な問題ではない。大事なのは司法が正しく機能しているかどうかだ。

 新聞や雑誌で紹介された記事一覧は、近いうちに「大岡みなみの単行本」のページにまとめてアップします。


6月29日(土曜日) 「単行本のページ」を更新

 「裁判官Who's Who」について、新聞や雑誌で紹介された記事一覧を「大岡みなみの単行本」のページにアップしました。ルポルタージュや硬派記事など、「セカンドインパクト」に掲載すべきコンテンツのアップをサボっていて申し訳ないのですが、そっちもなるべく早く更新するように努力します。


6月30日(日曜日) テレビアニメ「水色時代」感想

 テレビアニメ「水色時代」のDVDボックス-2(第25話〜最終話まで収録)を、一昨日から3日間かけて見終わった。原作漫画もそうだったが、この作品の後半部分は、主人公の優子の言動やエピソードにかなりの思い込みや飛躍があって、せっかくの名作が色あせてしまうところがある。やっぱりこの作品は前半にこそ最大の魅力があるんじゃないかと痛感する。テレビアニメ版ではそうした無理や飛躍があるところを少しずつ修正して、物語の展開や構成をていねいに描いているので原作漫画より説得力が増したと思うけど、それでも3話分ほどは納得いかないし駄作だよなあと感じるものがあった。しかしそうは言っても、5月1日付の「身辺雑記」でも書いたように、テレビアニメ版は原作の足りない部分を十二分に補って、心にすっと響いてくる内容に仕上がっている。事実上の最終回である第38話の後に収録されていて、「アンコールアワー」と言える「思い出アルバム編」(全8話分)などは、原作漫画で描き切れなかった周辺人物の関係を補足して描写する意味でも、よくできたエピソードを集めていると思う。この作品全体を通じて感じるのは、優子の両親が大事な場面で何気なく適切なフォローを入れていることだ。こんなほのぼのした家庭環境で成長できるのは、子どもにとって何よりの幸せだろう。以上、テレビアニメ版「水色時代」全47話を見ての感想でした。


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