身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2005年1月1日〜1月31日

●プリンター不調●「書き初め」●ようやく投函●ことの重大さ●出ました花粉症●プリンター故障騒動●なぜ戦争はいけないのか●英国人冤罪裁判●NHK職員の内部告発を支持する●厳冬●「記者魂」を刺激●セルフ入力●貧乏性?●試験監督●NHK問題の矮小化●「ハウルの動く城」を観る●閑散社宅●4等3枚●エキサイティング&エンジョイ●「牛角キムチ」がオススメ●ウソも100回●成績●「セカンド」に記事追加●目標とやる気●共感●●●ほか


1月1日(土曜日) あけおめ

 あけましておめでとうございます。年賀状の裏面作成と住所録の整理がやっと終わった。ちゃちゃっと片付くかと思っていたら、年賀状ソフトの使い方をすっかり忘れてしまっていて、マニュアルをひっくり返しているうちに時間がどんどん経ってしまった。新年からなんとも間抜けな話だが、そんなこんなで後は印刷とコメント書きを残すのみだ。精いっぱい努力して3日の投函を目指したい。


1月3日(月曜日) プリンター不調

 年賀状の印刷終了。だがしかし。その直後にプリンターの調子が悪くなった。カラー部分がおかしい。インクがなくなったのかな。とりあえず年賀状の印刷は終わったからよかったが、ほかにも印刷しなければならないものが、いろいろあるんだけどなあ。新年早々から困ったものだ。


1月4日(火曜日) 「書き初め」

 今年最初の原稿を書いて送信。本当は年末締め切りで「昨年最後の原稿」のはずだったのが、「書き初め」になってしまった。学校新聞(主に高校新聞)をテーマにした唯一の専門誌「新聞と教育」に頼まれた原稿だ。僕自身が高校生だった時からかかわりのある雑誌で、高校卒業後に学生でありながら2年ほどコラムを書かせてもらったこともある。新聞部員(高校新聞の記者)に対して、「君たちは本物の記者と変わらない」と対等に扱ってくれる名物編集長は今も健在で、高校生の意欲や志を引き出すのが教師よりうまいのも相変わらずだ。

 今回執筆したのは原稿用紙3枚ほどの簡単なエッセイ。「高校新聞はジャーナリズムであるはずだ。生徒による言論・報道機関として、伝える作業を大切に続けてほしい」といったメッセージを、体験をもとに現役高校生に向けて書いた。僕の記者としてのベースの一端は、このへんにあるのかもしれないなとも思う。


1月5日(水曜日) ようやく投函

 努力目標に定めた1月3日から2日遅れたが、ようやくすべての年賀状を投函する。やはり三が日のうちに投函するのは無理だったか。喪中の方に出す寒中見舞いと合わせて全部で150枚。はがきの余白にちょこちょことコメントを書く作業も、結構時間がかかるものなのだ。そのほかにメールでの新年のご挨拶も送信。こちらはかなり厳選して送ったので、昨年よりもずっと少ない。さてと大掃除でもするかな。面倒だからいいか。って、時差があり過ぎだよ。


1月6日(木曜日) 小掃除

 面倒だから大掃除はもういいや…と思ったが、やはりそれは人としていかがなものかと考え直し、大掃除はパスしつつグレードを下げて「小掃除」をした。掃除機をかけてフローリングの床を拭いてなどと、まあごく通常の部屋の掃除なんだけど、このところずっと忙しかったから久々の掃除だったりする。やっぱり部屋がきれいになると気持ちがいい。仕事部屋は相変わらず資料だらけだが。


1月7日(金曜日) ことの重大さ

 午後から東京地裁へ。刑事事件の裁判を傍聴。その後、昨年末の「傍聴人のビラ閲覧規制」について地裁広報で話を聞く。事実関係についての回答はあったが、どうやら「表現の自由と憲法判断にかかわる問題」との認識が裁判所側にはなかったみたいだ。そこのところの見解を聞きたいのだと突っ込むと、ことの重大さにようやく気付いたようで、上層部と協議するので時間が欲しいという。こちらも原稿の締め切りがある旨を伝えて、場合によっては事実だけを報道することもあリ得るが、なるべく裁判所の言い分もきちんと掲載したいので、できれば早急に見解を示してほしいと要望した。

 東京・新橋の安売り金券ショップで、スタジオジブリの劇場アニメ「ハウルの動く城」のチケットが1300円で売られていたので、ほいほいと購入する。「千と千尋の神隠し」と同じように、今回も主役のキャラクターにあまり感情移入できそうにないなあという予感があって、どうしようか迷っていたのだが、格安チケットが手に入ったので見に行こうと思う。僕の好きなジブリ作品は「耳をすませば」までで、それ以降は評価対象からすっかり外れてしまっているのだった。一応その後も作品自体は全部見ているけど。まあこの値段だったらハズレの作品だったとしても許容範囲かな。


1月8日(土曜日) 出ました花粉症

 昨年12月26日付の「身辺雑記」に、「来年のスギ花粉の飛散量は過去最大級になりそうで、僕はまだ症状は出ていないけど、既に花粉症の症状を訴える患者が11月から急増している」と書いたのだが、今年に入って鼻がむずむずしてきた。どう考えてもこれは風邪ではなく花粉症の徴候だ。今のところ本格的な段階ではないが、ブレイクするのは時間の問題だろう。ニュースは正しかった。それにしても花粉飛散は早すぎるよ。早く始まって早く終わるのならそれもいいけど、悩ましい期間が長期化するだけだとしたら、悲しいものがあるよなあ。花粉症とは無縁のすっきりさわやかな気分で、桜の季節を迎えられるのが一番なんだけどな。


1月10日(月曜日) 寸劇

 午後から東京の日比谷公会堂へ。東京都教育委員会の学校現場へのさまざまな介入に対して、異義申し立てする市民集会を取材。都立高校の「日の丸・君が代」強制問題をきっかけに、疑問の声を上げ始めた保護者グループ主催の集会だ。シロウト市民による寸劇が面白かった。「戦前回帰の教育」を大真面目に指導する女性教師と生徒たちとのやり取りをコミカルに描いた寸劇だが、狂信的な右翼教師というような描写ではない。善意と熱意にあふれる教師が、一糸乱れず深く考えない生徒に教育しようとする姿がしっかりデフォルメされていて、大いに笑わせてもらった。笑うだけでなく、教師の「価値観の押し付け」についても考えさせられる。夕方、会場に来ていた記者仲間と新橋の居酒屋へ。味噌仕立てのカキ鍋とおじやがうまかった。カキ鍋はやっぱり味噌だな。


1月11日(火曜日) プリンター故障騒動

 プリンターの不調は決定的となった。ユーザーとして対応すべきことを全部やってもダメだったので、メーカーの相談窓口に電話で問い合わせたら、担当者に「修理センターにご持参いただくしかありません」とあっさり言われてしまった。あーあ。修理代って高くつくんだろうなあ。それに修理にもっていくのが面倒だよなあ。そもそも修理センターってどこにあるんだよ。おいおい、東京の日野市じゃんか(めちゃめちゃ遠い)。すると相談窓口の担当者に「ドアtoドアサービス」なるものを勧められた。製品の引き取りから梱包とその後の配達まで、すべての作業を税込み1575円でやってくれるという(修理代は別料金)。うーん、仕方ないなあ。背に腹は代えられないか。今週中にも引き取りに来てもらおう。

 それはさておき問題なのは、明日の授業で学生に配るレジュメの版下がプリントできないことである。レジュメそのものは書き上げてあるのだけど…、困ったなあ。某編集部に電話。これからレジュメのデータをメール送信するので、それを編集部でプリントアウトして、うちにファクスしてもらえないかとお願いする。忙しいところ快く引き受けてくれた。画質はかなり落ちるが、文字情報だからさほど問題はない。それにしても馬鹿みたいだ。全くカッコ悪い話だと思うけど、これでとりあえず版下は確保できた。

 「大学でプリントアウトできないの?」と編集部員。なるほど。そういう手もあったな。しかしデータをフロッピーにコピーして学校でプリントアウトするにしても、大学のパソコンはすべてウインドウズなんだよな(けしからん話だけど)。Macのデータは引き出せないはずだ。でも一応、念のために大学の教務部に電話で聞いてみた。やはりMacのデータは引き出せないとのことだが、「教務にメールでデータを送ってくれたら、プリントアウトして印刷もしておきます」と言ってくれた。おお、それはラッキーだ。願ったりかなったリである。早速、レジュメをPDFファイルにして送信した。助かった。…早くプリンターを修理しなければ。


1月12日(水曜日) なぜ戦争はいけないのか

 午後から大学。今年初めての授業だが、来週は試験なので本年度の授業はきょうが最後だ。まず前回の「戦争とジャーナリズム」の補足説明として、国(政府)と国民(有権者)との関係、市民が主体的に判断することの意味と情報の重要性、なぜ戦争をしてはいけないのか、なぜジャーナリズムは戦争に反対するのか、について説明する。これを受けて、いよいよ今回のテーマ「伝えること」に。「伝える」という行為は記者だけのものではなく、だれもがさまざまな場面で「伝えること」(表現活動)にかかわるわけで、自立した市民・公民として、物事を批判的に見る視点が大切なのだと強調した。そのためにはニュースや情報をうのみにするのではなく、自分で考えて判断する習慣を身に付ける必要がある。ニュースや情報の真偽を見極めるポイントを紹介して、授業を締めくくった。

 最後の回なのでそれこそ伝えたいことがたくさんあって、話をする方としてもついつい力が入ってしまったが、中でも「なぜ戦争をしてはいけないのか」についての説明は、かなり学生たちのツボにはまったようだった。「人を殺すから戦争はよくないというだけでない。戦争になればすべての私権・人権・財産・精神的自由・表現の自由が制限され、国や軍隊がすべてにおいて最優先となり、市民一人一人の幸せは根こそぎ奪われてしまう。だから絶対に戦争をしてはいけないし、ジャーナリズムは戦争に反対しなければならないのだ」などと力説したら、「感動しました」と授業が終わってから言いにきてくれたり、感想文に「とても納得できる説明だった」と書いてくれたりと相当な手ごたえがあって、すごくうれしかった。「なかなかいい仕事をしたかも」と自画自賛。


1月13日(木曜日) 英国人冤罪裁判

 午後から東京高裁へ。合成麻薬「密輸」事件で逮捕・起訴され、冤罪を主張している英国人男性の控訴審公判を傍聴取材。この日は本人尋問が行われ、「合成麻薬やコカインが入っていたスーツケースは一緒だった友人のもので、自分は中身を知らずに預かって成田空港の税関に並んでいただけだ」と述べて無実を訴えた。友人の男は同伴者を運び屋に仕立てて麻薬密輸をする常習犯で、ベルギー国家警察に麻薬密輸容疑で逮捕・起訴されているが、一審の千葉地裁は2003年6月、冤罪を主張する英国人男性に懲役14年、罰金500万円(求刑・懲役15年、罰金500万円)を言い渡した。

 この日の控訴審では、来日中の欧州の人権保護団体代表のドイツ人女性弁護士らが本人尋問の様子を傍聴し、公正な裁判が行われているかどうか熱心に視察した。閉廷後、ドイツ人弁護士に単独インタビュー。事件と控訴審の審理について、「日本警察の取り調べのプロセスや、最初から推定有罪の印象で行われた一審判決に対して私たちは批判的に見ている。日本の一般的な裁判については言及できないが、少なくとも今日の控訴審では長い時間をかけて審理されていて、きちんと本人の話を聞いて質問しているという印象だ。すべての証拠と捜査過程が明らかにされなければ公正な裁判の要素が反映されたことにはならない。その上で有罪判決が出るのであれば批判はできないだろう」と早口の英語で感想を述べた。

 ちなみにもちろん通訳付きだ。プロの知人が通訳してくれた。そのまま英語で話されても、僕には5%も理解できない。関係者に誘われて、夕方から外国人記者クラブの記者会見へ。こちらは通訳なしでほとんど英語でのやり取りだったので、何がなんやらさっぱりチンプンカンプンだ。先生の話がひとかけらほども理解できないにもかかわらず、教室で一日中ずっと自席に座っていなければならない生徒の苦痛がよく分かった。しかも意味不明だから眠くなってくるし。まじで英語の勉強しないとダメだよなあと思った(汗)。


1月14日(金曜日) NHK職員の内部告発を支持する

 旧日本軍の慰安婦問題を扱ったNHK番組の放送直前に、自民党の政治家から圧力がかけられ、番組内容が大幅に改変されて放送された4年前の事件は、NHK担当プロデューサーの内部告発で新たな局面を迎えようとしている。NHKの一連の不祥事と海老沢勝二会長の姿勢に強く反発する世論が背景にあったからこそ、事件から4年後の内部告発につながったのだろう。もちろん、市民団体や下請けの番組制作会社のディレクターらの告発は当初からあった。裁判にもなっている。だが、右翼団体や自民党政治家からの圧力と介入があった事実と、それを受けて実際に番組の改変を一方的に現場に命じたNHK幹部の動きを、内部のNHK職員が実名で告発する影響は計りしれない。番組が放送直前に改変された「事実」だけでなく、政治介入による改変の過程が明らかになったからだ。

 「独立した言論・報道機関」として外部からの圧力や介入をはね除け、「政治的に公正中立な立場」で番組を放送しているわけでは決してないNHKの実態が、ここにきてようやく広く知られることになった意味は大きい。これまでこの欄や「コラム風速計」などでも、NHKについて言及してきたが、番組制作費の着服だけが問題なのではない。「伝えるべき事実を伝えない」というNHKの姿勢こそが問題の本質であって、政治的な圧力と介入によって番組内容を平気で改変するNHK首脳陣の資質と、NHKの「ジャーナリズムのあり方」そのものが問われているのだ。

 にもかかわらず、NHKトップはこの期に及んでもまだ、政治家からの圧力や介入を否定し、「編集責任者が自主的な判断で編集して放送した」などと対外的に説明している。報道機関としての自由と独立が問われているというのに、この危機意識の欠如と現状認識の甘さはどうしたことだろう。にわかには信じ難いものがある。それとも、これこそが「みなさまのNHK」の実態そのものだということなのだろうか。「独立した言論・報道機関」などという考えは最初からなく、今後も政権与党べったりの「政府の広報機関」としてやっていきますと開き直っているのだろうか。

 一昨日の大学の授業では、もちろん「NHK番組改変問題」を取り上げた。内部告発をスクープしたこの日の朝日新聞の記事を、レジュメの裏にプリントして学生たちに配った。「NHKの政治的独立」はこれまでの授業で繰り返し触れてきた問題だ。右翼団体や自民党政治家の圧力と介入で、番組が改変されて放送されたことについても話をしている。実際に番組を制作した現場ディレクターは僕の知人で、自分の作った番組を一方的に改変されてしまったことに対する怒りや苦悩はとてもよく分かる。そういう意味では、本年度の授業の締めくくりで取り上げるのにふさわしいニュースだった。学生たちの反応は、各人の政治的スタンスや番組内容の是非はともかく、報道機関に政治家が圧力をかけ介入することへの嫌悪感や拒否感では一致していた。報道の自由と独立は絶対に守られなければならない。日本国憲法を持つ市民の常識だ。


1月15日(土曜日) 厳冬

 昨年末の時点では今年は暖冬かと思っていたが、このところぐっと寒さが厳しくなって、朝と日没後はとんでもなく冷え込む。そこで威力を発揮するのが布団乾燥器である。例年通りまたまた大活躍だ。布団はポカポカ&ホカホカに。さらに部屋も温まる。ああ、なんて働き者なんだろう。ちなみに、きょうの横浜は冷たい雨が降っていて凍えそう。大学センター試験の会場の一つとしてニュース画面に映し出された東京・八王子の大学なんて、雪が降っていたよ。受験生は大変だ。こういう日は外出しないに限るよな。


1月16日(日曜日) 「記者魂」を刺激

 某全国紙の地方支局の友人記者が、新年企画の連載記事をコピーして届けてくれた。「憲法」をテーマに、いろいろな現場に記者が「旅」をして、記者自身が思ったことや考えたことをストレートに伝えていくという企画だ。気の合った仲間でチームを組み、議論しながら一つの企画を練り上げる作業っていいよなあ。議論や取材を通して、若手記者も育っていくのだろうし。経済的に保障されていることを除けば、これこそが組織内記者の最大のメリットかもしれない。もちろん会社員だと組織や上司にいろいろと不満があるのは承知しているし、本当にやりたい仕事はなかなかできないだろうけど。まあ、地方支局だからこそ実現できた企画なのかなとも思う。さまざまな視点の記事を読ませてもらいながら、僕自身もいろいろ考えさせられて、とてもいい刺激になった。


1月17日(月曜日) セルフ入力

 短い原稿を2本書いたりメールの返事を書いたり…ということをしていると、いつの間にか朝になっている。おいおい徹夜だよ。でもここで寝ると午前中には起きられそうにないから、このまま寝ないで出撃しよう。そう思ってシャワーを浴びてすっきりしたら、逆にテンションが一気にダウンしてしまった。時間的にも間に合いそうにないし、これから都内まで出かけるのってカッタルイよなあ。というわけで外の予定をすべてやめにして、自宅でのデスクワークに切り替えた。組織外記者だからこそ可能な早業である。なんとも臨機応変と言うかいい加減と言うか(たぶん前者でしょう)。

 そういえば、あすが締め切りになっている来年度(2005年度)の大学のシラバス(授業計画)のことをすっかり忘れていた。危うく提出期限を過ぎてしまうところだった。今回から提出方法に大幅な変更が…。これまでは手書きの書類を教務に出していたが、今後は大学のウェブサイト画面に、教員がそれぞれ自分で入力するのだという。早い話が合理化・省力化の一環なんだろう。しかしやってみたら意外と簡単だった。授業内容が大きく変わるわけではないので、前年度のシラバスに多少の加筆修正をするだけだ。ちなみに成績評価基準は、期末試験の割合を引き下げて全体の半分にして、出席やレポートなど平常点を重視するパターンにシフトしてみた。


1月18日(火曜日) 貧乏性?

 ティッシュペーパーやトイレットペーパー、ボディーソープ、ハンドソープ、シャンプー、トイレや風呂場の電球、それからペットボトルのお茶…。こういう日常生活に不可欠な消耗品は、ある程度の買い置きがないと落ち着かないタイプである。「なくなりそうになったら買いに行けばいいじゃん」という人もいるだろうけど、僕は「なくなりそうになる前」に、少なくとも1個か2個のストックがないと嫌なのだ。買いだめするわけではないのだが、まあ、ある意味で貧乏性なのかもしれない。それに、なくなる寸前になって買いに走るよりは、余裕のあるうちに買っておけば安売りをゲットできるメリットもあるしね。原稿や雑用などは締め切りのギリギリにならないと動き出さないというのに、なぜか「買い置き」に関しては行動パターンが違うんだよなあ。自分でも不思議に思う。

 昨年末の「傍聴人のビラ閲覧規制」(1月7日付「身辺雑記」参照)について、ようやく東京地裁から正式見解が口頭で示された。取材窓口になってくれた担当職員は誠実に対応してくれた。ピントのずれまくった裁判所の見解の内容はともかく、上層部ではそれなりに時間をかけて討議したようなので(時間をかけ過ぎだとも思うが)、表現の自由について少しは認識を新たにした裁判官もいるかもしれない(いないかもしれないが)。いずれにしても裁判所の姿勢については、事実関係を含めてきちんと原稿にする予定だ。


1月19日(水曜日) 試験監督

 午後から学校。後期試験。自分が受験するわけでもないのに、試験の監督って緊張するんだよなあ。不正行為や所持品などについて注意事項を説明して、きっちり時間通りに始めて、学生証を一人ずつ点検して、問題用紙の枚数を点検して…って、もうそれだけで神経がすり減ってしまう。ちなみに、履修登録をしていながら試験に来ない学生が全体の2割ほど。最初から投げちゃってるんだな。今年は裏面にまでぎっしり答案を書く学生が結構多かった。試験終了後、講師控室で一気に採点作業を片付けてしまう。昨年度ほど学生の数が多くないからこそ可能な芸当である。やはり授業にちゃんと出ている学生は試験の出来もいい。逆に授業にはほとんど出ず、試験だけ顔を出した学生は出来がよくない。出席とレポートと試験を総合すると、成績はだいたい無難な結果に落ち着いた。


1月20日(木曜日) NHK問題の矮小化

 自民党政治家の圧力で、旧日本軍の慰安婦問題を扱ったNHK番組が大幅改変された問題は、番組プロデューサーの内部告発を報じた朝日新聞と、朝日の報道をデタラメだとするNHK(プラス自民党政治家)との対立の構図に問題が矮小(わいしょう)化されようとしている。それを懸命に進めているのが読売と産経と新潮だ。しかし、まぎれもなく問題の本質は、独立した報道機関であるはずのNHKと政府・自民党との距離にこそあるのだ。別の言い方をすれば、自民党政治家からの圧力や介入に簡単に屈してしまうNHK幹部の体質にこそ問題の本質がある。もちろん、政治家の意を汲んで自主規制するNHK幹部の情けない姿勢も含めての問題だ。慰安婦や戦犯法廷を扱ったこの番組だけでなく、多くの放送が自民党政治家の介入や圧力でねじ曲げられたのは事実なのだから。

 慰安婦問題を扱ったNHKの番組内容に問題があるとして、同じように、NHK幹部と自民党政治家との関係から話をそらそうとする動きも見逃せない。この際だからあえて言っておくが、実際に取材した経験も踏まえて、僕自身は「戦犯法廷」や「民衆法廷」の審理の進め方に対しては疑問を感じている(開催趣旨に疑問があるというわけではない)。しかし、仮に戦犯法廷そのものや番組での取り上げ方に批判的な意見があったとしても、それは放送を見てから意見を言えばいい話だろう。事前に外部から口を差し挟むのは「検閲」であり「介入」にほかならない。ましてや、国権の最高機関たる国会の議員(しかも政府与党)が放送前の番組内容に「意見」を言うなど、およそまともな民主主義国ではあり得ないことだ。「政治家は放送に対して自由に意見を言うこともできないのか」と問われれば、「まさにその通り」と答えるしかない。政治家にはそんな自由はない。政治家が事前に報道内容に意見することは、すなわち「圧力」「介入」「検閲」そのものなのだ。


1月21日(金曜日) 「ハウルの動く城」を観る

 「裁判傍聴人のビラ閲覧規制」の原稿を書いて送信。夕方から東京・日比谷のスカラ座で、スタジオジブリのアニメ「ハウルの動く城」を観る。最終上映回の劇場の観客は150人ほど。金曜日だから客入りはいいみたいだが、大きい劇場なのでゆったり観ることができた。自宅のテレビ画面と違って、でっかいスクリーンに映し出される映像は迫力満点だなあ。音響効果も抜群だ。重低音がお腹にズシンとくる。たっぷり20分はあった次回上映作品の予告編も、スクリーンで観るとなかなか楽しい。やっぱり映画は映画館で観るに限るよな(今さらそんな分かり切ったことを)。

 でもって、「ハウルの動く城」の話なんだけど、予想していたよりは面白かった。少なくとも「もののけ姫」や「猫の恩返し」よりは楽しめたかなあ(比較する対象がおかしい?)。魔法でおばあさんにされた少女ソフィーにも、予想に反して少なからず感情移入できたし。ただ、倍賞千恵子のソフィーの声は最後まで馴染めなかった。90歳のばあちゃん役はいいにしても、さすがに18歳の少女の声は別の人にやらせろよと言いたい。木村拓哉は普通。可もなく不可もなくって感じ。美輪明宏は偉そうな役よりも情けない役の方が好印象。そういう意味では本作の声はよかったんじゃないかなと思う。火の悪魔を演じた我修院達也の声が一番印象に残った。なぜか声の方にばかり感想が偏ってしまっているけど、まあ、つまり「時をかける少女」みたいな映画だったわけですね(謎)。もう1回、観てみたい気がしないでもない。


1月22日(土曜日) 閑散社宅

 自宅から最寄り駅までの途中に、有名企業の社宅が何棟も建っているのだが、これが景気低迷を象徴しているんじゃないかと思わせる様相を呈している。社宅の空室がこのところものすごく目立つのだ。ベランダに面した通りを歩いていると、カーテンや家具のないガランとした室内が目に飛び込んでくるので、居住者の有無は一目瞭然だ。例えば某飲料メーカーの社宅は、昨年春の時点で30室のうち半分の15室が空室だった。それが今年に入るとさらに3軒が空室になっていた。わざわざ数えたのかよと言われるかもしれないが、何でも事実を整理して把握しておこうとするのは、この仕事の習性みたいなものかもしれない。それにしても、お向かいの部屋がからっぽで、上下の階にも住人がいないところもあるわけで、近所がこういう虫食い状態では寂しいだろうなあと想像する。

 空室の背景としては、お金をためて自宅やマンションを購入し、窮屈な社宅を出たというケースももちろん考えられるが、今は家賃の安い社宅に住んでいる方がメリットは大きいだろう。そうするとここはやはり、雇用抑制やリストラで社員数の減少が進んでいると見るのが自然かなと思う。ほかの社宅に比べて空室数はやや多いみたいので、この会社の経営状態も関係しているのかもしれない。実際どうなっているのかは、関係者に話を聞いてみないと分からないけど(今のところそういう取材をする予定はない)。駅までの道を歩きながらガラガラの社宅を見上げるたびに、そんなことをいろいろ想像してしまうのだった。


1月23日(日曜日) 4等3枚

 なぜか、このところ週末になると寒さが厳しくなる。きょうの横浜はものすごく寒くて、しかも冷たい雨まで降るという念の入れようだ。昨年12月初めのぽかぽか陽気が懐かしい。

 それはさておき、お年玉付き年賀はがきの当選番号発表から1週間が経ったが、チェックしてみたところ、うちは相変わらず当たったのは4等のみ3枚だけだった。150枚ほどいただいて50分の1の確率かよ。4等の切手シートなんて100枚に3枚は当たりだというのに。毎年のことながら、見事なほど当たりの番号がずれているんだよなあ。日ごろの行いが悪いのか。ささやかに、3等のふるさと小包(地域の特産品小包)ほしかったなあ。「焼豚とスペアリブ詰め合わせ」(北海道)とか「豚ロース味噌漬け」(東北)とか、それに「一夜干し詰め合わせ」(信越)やら「魚卵(筋子・たらこ・数の子)セット」(同)などなど。うーん、おいしそうだ…。これに魚沼産コシヒカリのほかほかご飯があれば、もう何杯でもお代わりできそう。炊飯器がフル稼働すること間違いなしだよ。


1月24日(月曜日) エキサイティング&エンジョイ

 午後から東京地裁へ。殺人事件にかかわったとされる少女の公判を傍聴する。いろいろとお世話になっている知り合いの弁護士が弁護人を務めている事件で、弁護活動や法廷や裁判官の様子などを見ておきたかったというのが傍聴の目的だ。今すぐ記事にするための取材ではないのだが、強引な取り調べを証人がスルッと証言したりして、なかなかエキサイティングな法廷だ。見ていて飽きないしとにかく面白い。勉強にもなった。さて帰ろうと裁判所を出たところで、知り合いの小学校の先生とばったり。これから教員5人の処分取り消し訴訟の弁論があるというので、せっかくだからそれも傍聴しておこうと再び裁判所に戻る。こちらの法廷はえらく気さくな裁判官で、開閉廷時の起立は全然うるさくないし、しかも日本の法廷では許されない立ち見の傍聴まで黙認するという大らかさだ。いいなあ。こういう人が裁判所の主流になれば、日本の司法もかなり風通しがよくなるのにと心から思った。

 夕方から某出版社の編集部へ。NHKの番組改変問題などについて編集長と雑談。「担当のプロデューサーはせっかく内部告発したけど、政治介入があったことの根拠としていたNHK幹部が、恥も外聞もなくあっさり自分の発言を翻してしまったので、朝日新聞もプロデューサーもかなり苦しいね」というのが編集長の判断だ。確かに状況証拠から言えばだれが見ても、NHKに対する政治介入があったのは明白なのだが、決定的証拠や証言が出しづらい状況下では、残念ながら完全に自民党政治家とNHK幹部の側のペースだ。彼らの思惑通りに、問題の本質はうやむやにされてしまう可能性が大きい。ほとぼりが冷めたころには、内部告発者に対する不利益人事もあるだろう。その結果「もの言えば唇寒し」となるのが最悪の結末だ。そんなふうになったら本当に虚しいよなあ。

 そもそもNHKの問題に限らず、社会がおかしな方向に進んでいるというのに世論は動かない。教育とジャーナリズムの責任がきわめて大きいと思うが、「運動家は作ったけど、市民を作らなかったから」と編集長。なるほど。いろいろな集会にたくさん集まって来て大声で主張する運動家はいるけど、その声は仲間うちから外へは広がっていかない。たくさん集まっても見知った顔ばかり。自立して意識を持った市民(公民)は実は育っていない。だから世論として動かないというのだ。まったくその通りだよ。あと、「問題提起するだけでなく、ビジョンや行動指針を示さないと付いてこない」という指摘もなるほどと思った。僕自身の課題でもある。


1月25日(火曜日) 「牛角キムチ」がオススメ

 ナスやキュウリの浅漬け、ラッキョウ、福神漬といったあっさり系の漬け物が僕は大好きなのだが、日本の漬け物とはまるで対照的な味付けの韓国産キムチも結構好きだったりする。以前はあの辛さが苦手だったのに、ただ辛いだけじゃなくて、コクのある甘味を含んだまろやかなキムチを焼き肉屋で食べてからは、大のキムチファンになった。辛いから発汗作用がすごくて、汗をかきながらご飯をもりもり食べている。日本の漬け物は箸休めだし、梅干しでご飯を食べるのとも異質な感覚だ。いろんな種類の瓶詰めを買って試しているけれど、スーパーの食料品売り場で特売していた「牛角特製キムチ」は絶品だった。原材料は韓国から輸入しているようだが、ほかのキムチよりも甘味がやや強め。オリジナルのレシピで、日本人の口に合わせた味付けをしてあるのかもしれない。超オススメ。


1月26日(水曜日) ウソも100回

 北朝鮮政府が、「横田めぐみさんの遺骨は別人のもの」とした日本の鑑定結果は「ねつ造」と日本政府に正式回答したという。うーむ、どこかの国の「国営放送局」の番組に与党政治家が圧力をかけたという事実を報じた新聞社に対し、政治家と放送局幹部がそろって「虚偽報道」「事実をわい曲」などと反論しているのと、まるでそっくりの行動パターンだなあと思ってしまった。ほとんどあり得ないような強引さで事実を「なかったこと」にしようとする側に、だれもが首を傾げているのだけど、強引なウソやデタラメを何重にも塗り固めることで、そのままデタラメがまかり通ってしまうのが怖い。滑稽に思われていた「開き直り」が、いつの間にか滑稽でなくなってしまうのだ。「ウソも100回繰り返せば本当になる」というのは、ある意味で真理を突いている。


1月27日(木曜日) 無為

 電話で情報収集。資料整理をしながらスケジュール調整と取材準備。たまっていたニュースレターや冊子に目を通す。DVDを1本視聴。マンガ1冊を読んで、本を何冊か斜め読み。うぬぬ。達成感もへったくれもないなあ。しかも山積する雑用は何も片付いていないし。あしたこそはしっかりやろう。


1月28日(金曜日) 成績

 教務から依頼状が来たので追試験問題を作成。授業に出席していた学生はみんな既に試験を受けているはず。授業にほとんど出席せず、レポートも提出していない状況で試験を受けても、よい成績は期待できないと思うんだけどなあ。よしんば満点の答案が書けたとしても、平常点が低いとギリギリの成績評価で単位認定することになると思うけど。追試験はともかく、すべての受講生の現段階での成績を採点簿に記入。マークシートの用紙に評価をチェックして、さらに手書きでも評価を書き込んで、一枚ずつに担当者の印鑑を押していく。学生の名前と成績がずれると大変なことになるので何回も指差し確認。難しい作業ではないけど、結構神経を使う。


1月29日(土曜日) 「セカンド」に記事追加

 「セカンドインパクト」を更新。「ルポルタージュ」のページに、解説ルポ2本を掲載しました。1つは、都立高校の「日の丸・君が代」強制問題を扱ったシリーズで「『生徒の適正指導』を職務命令」という記事。もう1つは、昨年末からこの「身辺雑記」でも何回か触れている「東京地裁が傍聴人のビラ閲覧を禁止」という記事です。「ビラ閲覧禁止」はきのう発売の「週刊金曜日」(1月28日号)に掲載されていますが、「表現の自由や検閲など憲法にかかわる問題」との認識が裁判所に希薄なようなので、広く問題提起するために、雑誌掲載と同時にこのサイトでも紹介することにしました。「司法改革」のページからもリンクしています。

 あとついでに、「大岡みなみの単行本」の関連ページで、『裁判官Who's Who』の旧版(東京地裁・高裁編)の「紹介記事一覧」のページを一部修正しました。単行本を取り上げてくれた毎日新聞の1面コラム「余録」の過去記事リンク先が切れていたので、独自に参照ページを設けて、紹介記事が読めるようにしました。


1月30日(日曜日) 目標とやる気

 ダイエットを成功させるポイントは、「目標を立てて、集中力を高め、やる気を維持させる」ということだそうだ。なるほど。漫然とダラダラやっていても続かないし、モチベーションを高いレベルで保たせるのは難しい。具体的な期限や数値目標を設定するのは重要なことだ。これは仕事や勉強などで、何かを成し遂げようとする場合にも言える。そもそも締め切りがないとやらないんだけど(締め切りがあってもギリギリまで動かない)。それから、できるだけ楽しい気持ちで続けること。やっぱり楽しくなければやる気は持続しないよなあ。いろんな意味で名言なのでメモしておく(笑)。


1月31日(月曜日) 共感

 本格取材を始めるための予備取材など。ある都立高校の保護者の方々が、校長や教育委員会に要望書を提出するために、有志で賛同を呼びかける準備を進めているという。参考までにということで、関連文書や呼びかけ文などを事前に見せていただいたが、久々に温かくていい文章を読ませてもらった。保護者の中には当然のことながらいろんな人たちがいるが、できるだけ多くの人々に賛同してもらいたいとの思いが詰まったこの「呼びかけ」は、さまざまな政治的立場や思想を持った方々にも細かく配慮されていて、説得力のある言葉で書かれているなと思った。「自分たちは絶対正義だ」と顔を真っ赤にして、押し付けがましい主張を展開しても、不特定多数の人たちの共感を得ることは決してできない。仲間うちには受け入れらたとしても、それ以上に広がっていくことはないだろう。これは市民運動や政治的な宣伝活動だけでなく、日ごろの会話や会議などでの議論についても言えることだ。もちろん僕たち記者の取材活動や記事についても。「伝える」ことの奥深さと難しさを、今さらながら考えさせられる。

 シベリアからの寒気が日本列島に近付くため、関東地方にもこの冬一番の寒波襲来とのことだったが、横浜はそれほどの寒さでもなくて、日中は穏やかで過ごしやすかった。朝方や日没後はもちろん冷え込むけど、大雪が降り積もるわけでもない。寒冷地でないことを心から感謝している。寒いのは苦手(暑いのも嫌だけど)。


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