身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2011年1月1日〜1月31日

●寒中お見舞い●あれこれ雑用●集中して書くべし●内閣広報室のメールの違和感●政治家「動画サイト出演」の危険性●「それ町」サントラはお薦め●一周忌●ファクス受信の見落とし●日本のアニメの将来●伝える力●椅子が壊れた●「冤罪ファイル」2月号発売●仕事部屋の片付け着々と●新人記者の気分●とある地方選のスタート●試験監督●いきなりの受験は無茶だよ●白か黒かの問題じゃない●たぶん花粉が飛び始めた●「嫌悪されるメディア」を討論●柚子はちみつサワー●「ある新人教師の死」●「メディア批判」もいいけれど●心に響く意見陳述●「都教委通達」違憲判決を取り消し●東京高裁総務課に厳重抗議●中村屋のカレー●東京高裁総務課の「お上意識」●●●ほか


1月1日(土曜日) 寒中お見舞い

 喪中のため新年のご挨拶は失礼させていただきます。今年もよろしくお願いします。元旦に届いた年賀状は昨年と比べて5分の1以下の20通ほど。昨年12月に喪中はがきを出したので減るだろうなあと予想していたが、やっぱり正月に年賀状を頂戴するのはとてもうれしい。旧年中にも丁重なはがきやメールを何通かいただいたし、ありがたいことだなあとしみじみ思う。受け取った年賀状に返信するので、これから寒中お見舞いのはがきを作る予定だ。


1月2日(日曜日) あれこれ雑用

 きょうは日曜日なんだなあ。曜日の感覚がすっかりなくなっているよ。それにしてもカレンダーで確認するまでもなく、大学の講義は3日後の水曜日から始まるのだった。早過ぎるよなあ。もうすぐじゃないか。そんなわけで、とりあえず授業で配るレジュメを作成する。寒中見舞いのはがきも作成。ちなみに、喪中にいただいた年賀状に対して返信するのは、松が明けてから(1月7日過ぎ)ということらしいので、プリントはしないでしばらく寝かせておくことにした。なんだかんだとあれこれ雑用がある。

 【お知らせ】昨年12月25日付の「身辺雑記」で、「セカンドインパクト」を更新してルポルタージュ1本を掲載したと紹介しましたが、ルポを掲載したページに同日付「身辺雑記」から直接飛べるようにリンクを修正しました。「『道徳』を持て余す学校現場」/茨城・埼玉・神奈川の現状から」(=全文掲載しています)です。分かりにくい不親切なリンクの貼り方をしてすみません。


1月3日(月曜日) 集中して書くべし

 元旦付の朝日新聞の生活面で始まった5回シリーズの「教えて、長続き!」に、ああなるほどなあと思わずうなずいてしまう記事が掲載されていた。1回目の「長編小説、私も書きたい!」に登場する小説家の池井戸潤さんの言葉だ。「僕も机の前に座るまで、長い時間がかかりますよ。ゴルフのパターの練習なんかしたりして」。アマチュアの小説家に対してそう語る池井戸さんは、<登場人物を動かし、セリフを語らせるには、前日書いていたときのテンションまで持って行く必要がある。だが、物語の世界に入り込むには結構時間がかかる>として、毎日少しずつ書くよりも集中する方が効率がよく、休みの日に5時間続けて書くことを勧める、というふうに記事は続いていく。「書いているものを途中で読み返し、つまんないなと感じると気持ちが萎える」との言葉もあった。長めの記事や長編のルポを書く場合にも当てはまるよなあと、ついつい自分自身に置き換えて読んでしまった。エンジンをかけてテンションを上げるのが何よりも大切だからこそ、集中力を高めることが必要になってくるのは全く同じだ。僕だけじゃない悩みなんだなあと安心するとともに、だらだらやってちゃいけないな、集中すべき時には集中して一気呵成に書かなければ、と改めて反省した。


1月4日(火曜日) 内閣広報室のメールの違和感

 内閣広報室から菅首相の年頭記者会見のお知らせメールが送られてきたが、その中の文章がものすごく気になった。それは「NHKで生放送いたしますので是非ご覧下さい」という記述だ。発信した内閣広報室としてはもしかすると他意はないのかもしれないが、これではNHKのことを国営放送だと勘違いしているんじゃないかと思われても仕方ない。そんな書き方ではないか。正確に記述するのなら、「NHKで生放送されますので」あるいは「NHKが生放送しますので」とすべきだろう。NHKは独立した報道機関であり、政権与党におもねることなく超然と存在し、どのような圧力や介入も受けてはならない(はずだ)。細かいようだが、報道機関としてのNHKの立場をしっかり認識しているのであれば、主語と述語の関係にもっと気を配って書かなければならない。自民党の長期政権時代と民主党の意識も何ら変わっていないのかと、改めてがっかりさせられた。まあ何を今さらという気もしないでもないが。


1月5日(水曜日) 政治家「動画サイト出演」の危険性

 午後から授業。今年の1回目。「戦争と情報統制と国益」をテーマに、ジャーナリズムが政府と一体化せずに、権力から距離を保って中立の立場で事実を伝えることの意味と大切さを説明した。「わが国」「わが軍」という主語を使ってニュースを伝えてしまう危険性を考えるとともに、さらに「国益」「愛国心」「非国民」などの言葉から、そもそもこの場合の「国」とは何を指しているのかを考えてもらう。目からウロコという感じで理解してくれた学生が大半のようだったが、そうでもない学生もいたみたいだ。残念だけど、それはまあいつものことなので仕方ないか。

◇◇

 広島市長選の4選不出馬を表明した秋葉忠利市長が、退任理由などを語った映像を動画サイトの「ユーチューブ」に投稿した。報道機関の記者会見やインタビューは拒否しているという。説明責任を果たすべき権力者の姿勢として、これは全くおかしいと思う。ユーチューブの投稿動画では一方的に話すだけであって、まさに都合のいい主張だけが垂れ流されている状態だ。そこには批判的なコメントや都合の悪い質問が入り込む余地はない。本人にとって不都合な情報は一切排除されてしまう状態で、一方的なメッセージを発信して有権者に誠実に向き合ったと言えるのだろうか。都合の悪い質問や批判的な質問にさらされて、それに正面から向き合って答えてこそ、有権者である国民に対し政治家(公人)としての説明責任を果たしたことになるのではないのか。

 民主党の小沢一郎氏が「ニコニコ動画」に出演して、一方的に話をしている手法も全く同じだ。都合のいい主張を垂れ流しているだけだろう。既存メディアのあり方や記者クラブ制度の悪い面を批判し、だから編集の手が加わらないインターネットのサイトで話をするのだという姿勢は、一見するともっともなように思えるが、しかしそれとこれとは問題の質がまるで違う。問われるべきは政治家の説明責任のあり方と、政治家に対するジャーナリズムとしての姿勢である。事実は決してねじ曲げず、しかし批判すべきことは批判して、突っ込むべきところは突っ込んで質問してただすのが、ジャーナリズムのあるべき姿だ。それが、読者や視聴者に「判断材料」を伝えることになる。権力者の一方的で都合のいい話を無批判に垂れ流すのはジャーナリズムではない。それではジャーナリズムの役割と責任を果たしたことにはならない。ジャーナリズムは権力者の宣伝機関や広報機関とは違うし、そうであってはならないのだ。既存メディアの問題に話をすり替えて、インターネットを使って都合のいい主張を一方的に流すことで、政治家が説明責任を果たしたことにする手法は、民主主義にとってきわめて危険だと思う。


1月6日(木曜日) 「それ町」サントラはお薦め

 近所の家電量販店できのう買ったテレビアニメ「それでも町は廻っている」(それ町)のオリジナル・サウンド・トラックCD「GO ROUND &ROUND IN THE TOWN ! 」を聴いている。音楽担当は、北川勝利と伊藤利恵子の2人組ユニットROUND TABLE。「ARIA」「ちょびっツ」「N・H・Kにようこそ!」などの音楽を手がけてきたベテランだけあって、安心して耳を傾けていられる完成度の高さ。アニメを見ていない人でも十分に楽しめる内容になっている。EPOの名曲「DOWN TOWN」を坂本真綾がカバーした番組OPテーマのTVサイズ版と、EDテーマの「メイズ参上」のTVサイズ版を含めた全35曲を収録。お薦めの1枚だ。


1月7日(金曜日) 一周忌

 きょうも横浜は寒かった。昨日あたりから少し鼻水やくしゃみが出るようになったのだが、これは風邪気味なのか、それとも花粉症の季節が近付いているということなのか。今年の花粉の飛散量はかなり多いらしいから不安だ。父親の一周忌。幼少期から就職して実家を出るまで、父のことはあまり好きではなかったが、晩年はそれなりの関係になれたように思う。自宅でおとなしく雑用をこなしつつ、手を合わせて静かに冥福を祈る。寒中見舞いのはがきは、あす以降に投函する予定。


1月8日(土曜日) 雑務

 来年度のシラバスの登録を完了させる。来週で本年度最後となる講義のレジュメを作成。前年度のものを少し手直しする。取材予定の調整。取材資料の整理など。


1月9日(日曜日) ファクス受信の見落とし

 ファクスの受信画面が点滅してるのに気付いた。急いでプリントアウトしてみたら、な、なーんと昨年末の着信だった。まったく気が付かなかったなあ。届いた内容をチェックすると、「来週に都内でドキュメンタリー映画の試写会を開くので来て下さい」というご招待の連絡。危なかった。ギリギリセーフ。もう少しでスルーするところだった。しかしなんでずっと気付かなかったんだろう。というかどうして今ごろ、試写会の直前に気付いたんだ。偶然にしても見事なタイミング過ぎる。謎だ。


1月11日(火曜日) 日本のアニメの将来

 中学時代の同級生から連絡をもらって、東京・渋谷で久しぶりに会った。7年ぶりの再会だ。アニメーションの演出や作画監督などをやっているS君から、制作現場の劣悪な環境やデタラメな仕事ぶり、旧態依然の体質などについて話を聞いた。ある程度のことは知識として把握していたが、聞きしに勝る大変さだなあと改めて同情する。「日本の誇るべき文化」「ジャパンクール」などと国を挙げて持ち上げられているけれども、実態は実にお粗末なもので、これでは人材育成どころではなかろうにと将来が心配になる。そんなこんなで積もる話も含めて、待ち合わせた喫茶店でそのまま5時間も話し込んでしまった。秋葉原やお茶の水の学生相手の喫茶店じゃあるまいし、いくらなんでも粘り過ぎだよなあ(汗)。若いウエートレスさんはやさしくニコニコと気遣いしてくれてかえって恐縮したが、店長らしきマスターはかなり渋い顔をしていた(らしい)。僕はマスターの顔は見ていなかったので知らないが(おい)。


1月12日(水曜日) 伝える力

 午後から授業。本年度の「現代ジャーナリズム」は今回が最終講義となる。「伝えることと問題意識」というテーマを掲げ、伝える力が求められるのは記者だけの話じゃない、などと偉そうに演説して授業を締めくくる。9割以上の学生が、「この講義を受講してよかった」「情報を鵜呑みにせず取捨選択して、自分の意見や考えを分かりやすく伝えることの大切さが分かった」「メディアのあり方をいろいろな角度から知ることができて、ものの見方が変わった」「授業で聴いた話を自分自身の問題として、これからの生活に生かしていくつもりだ」などと感想を書いてくれた。講義を通して伝えたかったことがきちんと伝わったようで、ほっとした。あれやこれやと熱く語った甲斐があったというものだ。


1月13日(木曜日) 椅子が壊れた

 リビングの木製の椅子が壊れた。前からガタガタしているなあと不安に感じていたら、とうとうバキっと音を立ててご臨終あそばされてしまった。仕方がないのでリビングで必要になると、仕事部屋の椅子をえっちらおっちらと運んで使っている。ああ面倒くさいなあ。食事の時やテレビを見るたびに移動させるので、わずらわしいことこの上ない。早く新しいのを買いに行かなければと思っているのだが、ホームセンターは自宅からちょっと離れたところにあるので、出かけるのが面倒なんだよなあ。しかしそうも言ってはいられないか。このところほんの少し時間に余裕があるので、忙しくなる前にこういうのはさっさと片付けなければ。


1月14日(金曜日) 「冤罪ファイル」2月号発売

 雑誌「冤罪ファイル」2月号(通巻12号)が、全国書店できょう発売になった。僕が連載している「シリーズ・裁判官の品格」はちょうど10回目。今回は、「光市母子殺害事件」の差し戻し控訴審で元少年に死刑判決を言い渡し、「広島女児殺害事件」のペルー国籍の男の控訴審で、一審の無期懲役判決を破棄し、審理を地裁に差し戻したことで注目された楢崎康英裁判長(広島高裁から現在は山口家裁所長)を取り上げた。

 実は楢崎康英裁判長は、これまでに無罪判決や逆転無罪判決をいくつも言い渡している。一審判決を破棄して、審理のやり直しを命じた判決も多い。それだけに、「光市母子殺害事件」と「広島女児殺害事件」の広島高裁判決には違和感があったし、このところのいわゆる「厳罰化」の世論に乗って被告人を一刀両断するような人物には、少なくとも僕は思えなかった。そんな疑問と問題意識から取材してまとめたのが今回の記事だ。

 「シリーズ・裁判官の品格10/楢崎康英裁判長」の記事の後半部分から、一部を抜粋して紹介する。

 <こうして、これまでに楢崎裁判長が担当した事件の判決や決定を見ると、ていねいに証拠を吟味して事実認定し、どの法律が適用されるべきかしっかり判断しようとする一貫した姿勢が理解できる。控訴審では一審判決を細かく検証し、高裁のチェック機能を果たそうとしていることもよく分かる。広島高裁でいくつもの事件が、「審理を尽くしていない」と地裁に差し戻されているのは、事実認定があいまいだったり、証拠調べが不十分だったりするからだ。十分な審理がされていない判決には納得できない、という楢崎裁判長の考えが明確に現れている。>

 このあと、「最高裁から相当な圧力があったのではないか」と思われる声や事例などの紹介が続く。記事はたっぷり8ページあるので、ぜひ書店で手に取って読んでいただければと思う。


1月15日(土曜日) 検証

 午後から東京・新宿。ちょっと調べたいことがあって、このところアニメーション業界を取材している。作品そのものについて取材するというのではなく、事実の裏付けを取りながら事案の背景を検証していくのだけれども(謎)、それはそれでとても興味深い作業で記者魂が刺激される。きょうはアニメーターや演出家、声優など何人もの人に会う。業界団体の会議にもオブザーバーとして参加・傍聴させてもらった。いろいろ勉強になるなあ。


1月16日(日曜日) 仕事部屋の片付け着々と

 ものであふれ返っていた仕事部屋が、かなりすっきりしてきた。取材資料や郵便物や学生のレポートの束などが積み上げられ、文字通り足の踏み場もないほどの惨状を呈していたのだが、昨年末から少しずつ整理し処分してきた成果が出て、わずかながら光明が見えてきたといったところか。それでもまだ3分の1、ちょっと甘めに評価して半分くらい片付いただけなので、まだまだ先は長い。

 整理整頓して処分すると言っても、ただまるごと捨てればいいわけではない。必要なものと必要でないものを取捨選択して、選んだ末に決断しなければならないし、個人情報に関わるもの(特に郵便物や過去の学生のレポートなど)は、特定されないようにきちんと切り刻む作業が不可欠だ。処分するものの取捨選択と決断した後の作業は、意外と手間ひまがかかって面倒くさいのだった。しかし部屋がすっきりするのは気持ちがいいなあ。「仕事をしなければ!」という意欲も大いにわいてくるというものだ(ホントかよ)。


1月17日(月曜日) 新人記者の気分

 昨年に買ったままになっていたデジタル一眼レフカメラの使用説明書(ガイドブック)をひっくり返して、操作の手順を学習している。しばらく写真が必要ない取材が続いていたので、せっかく買ったというのに部屋に飾って置くだけの日々が続いていたが、いよいよ取材現場にデジタル一眼をデビューさせる日がやって来たのだ。分厚いガイドブックには複雑で膨大な説明が並んでいて、それらをちらっと見るだけでうんざりする。カメラ本体にやたらとたくさん付いているボタンの操作も、多機能すぎてなかなか把握できない。とはいうもののすべて覚えるのはたぶん無理だとしても、ある程度の使い方は習熟しておかないと現場で困るのは自分だから、しっかり理解しなくてはならない。でも結局は取材現場で実際に使ってみて、失敗しながら覚えていくしかないんだろうなあ。なんだか駆け出しの新人記者に戻ったみたいな気分だよ(とほほ)。とりあえずデジタル一眼の1号機(本格派の高価なカメラ)で取材して、様子を見ながらデジタル一眼の2号機(軽量版の少し安めのカメラ)も並行して現場に持参しようと思っている。長らくお世話になったコンパクトデジカメに引退していただくのも、そんなに遠くない日かもしれないな。


1月18日(火曜日) とある地方選のスタート

 夕方から神奈川・大和市へ。今年4月の市議選に出馬を予定している新人の後援会結成総会に顔を出す。立候補するのは県立高校の元教員の女性。以前から取材などで親しくしてもらっていたが、まさか選挙に出るなんて想像もしていなかったので、話を聞いた時は驚いた。しかし、米軍厚木基地を抱える大和市で、子どもの命や平和な環境を守ることの大切さを力強く訴えるのを見て、一貫した姿勢になるほどと納得。告示日まで公職選挙法に基づき選挙活動はできないが、政治活動をするのは自由なので、地域や駅頭などで政策をアピールする作業が続くという。市議選はかなりの激戦が予想される。大変だろうけど頑張ってほしいと思う。だからといって、何か応援するとかどうとかといったことは何もないんだけど。そもそも僕は横浜市民だから有権者でもないし。総会終了後、近くの焼き鳥屋で関係者らと懇親会。もちろん割り勘だ。ちなみにこの日、デジタル一眼レフカメラも無事に取材デビューを果たした。


1月19日(水曜日) 試験監督

 午後から試験監督。後期の定期試験だ。みんな緊張した面持ちで着席している。日ごろの講義をちゃんと聴いていれば、さほど難しくはない出題をしているはずなんだけど。でもまあ試験はどういうものでも緊張するものだ。試験は論述式であるということは事前に伝えてあるが、どんな問題が出されるか不安だろうし、講義を真面目に聴いている学生ばかりでもないだろうし。それにみんな完全にリラックスして、ヘラヘラした顔つきで試験に臨んでいたら、それはそれでかなり異様な光景で焦るだろう。

 毎年のことだけど、講義で見かけない学生が今年も何人かいた。試験の時だけやって来る学生が必ずいるが、そういう学生の答案はまず間違いなくまともには書けていない。講義を聴いていないのに書けるわけがない。残念ながらそういう学生は不合格なので、いさぎよくあきらめてもらうしかないなあ。まだざっとしか見ていないが、かなり的外れなことを書いている答案がある一方で、過不足なくしっかり書けているものもあって、相変わらず格差が相当あるなあといった感じだ。成績評価の際は出席カードやレポートも考慮して、今イチの答案もなるべくフォローしたいと思っているけど、出席もしていないしレポートも出していない学生に関しては、さすがにフォローし切れないので悪しからず。


1月20日(木曜日) いきなりの受験は無茶だよ

 ほとんど授業に出て来ない学生の答案が白紙に近いのは驚くことではないが、同じ大学で教えている若手の先生が、最近の学生についてこんなことを話していた。「私たちが学生のころも授業に出なくて試験だけ受けることはあったけど、どんな問題が出されそうか必死になって情報収集したり、友達からノートを集めたりして一夜漬けくらいしましたよね。でもこのごろは、そうやって情報を集める努力さえしないで、いきなりやって来て試験に臨む学生がすごく多い。シューカツ(就職活動)が厳しいって言われていますが、学生の準備不足や怠慢も原因なんじゃないでしょうか」

 一生懸命に努力して会社訪問を重ねても、なかなか就職先が決まらず、あるいはようやく出た内定を一方的に反故にされるなど、学生にとって大変な状況にあるのは事実だ。もちろん企業の側にもそれぞれ厳しい事情はあるだろうし、ミスマッチということもあるかもしれない。しかし確かに中には、シューカツそのものを甘く見て舐めている学生もいるかもしれないなあ。新聞も読まずニュースも知らず、さらには志望先の会社のことをろくに調べもせず、提出書類も適当に書いて、それで面接を受けに行っても空振り三振するのは目に見えている(よほどの大物は別にして)。

 指摘されたように、最近の傾向として、事前の情報収集といった努力さえしない学生が増えているのだとすれば、それも就職が決まらない原因の一つと言えるのかもしれない。本人の努力だけではなんともならない厳しい現実もあるが、まず最低限やるべき努力をしてから向き合うのは大前提だ。「なんとかなるだろう」で通じた時代もあったが、今はそうではないのだからなおさらだ。ぶっつけ本番で試験を受けるのはいくらなんでも無茶過ぎる。普通はそれくらい自分自身で気付くと思うんだけど、親や先生や先輩が言ってあげないと分からないのかなあ。


1月21日(金曜日) 白か黒かの問題じゃない

 午後から東京・新宿。ジャーナリスト仲間でつくる「越境ジャーナリストの会」の企画の打ち合わせ。明後日の討論会(ティーチイン)の進行などを確認する。「嫌悪されるメディア」をテーマに議論する予定。メディア(マスコミ)に問題や課題があふれているのはもちろん言うまでもないことだけど、既存メディアを全否定するのはどうかと思うし、取材現場の苦悩や実態から乖離した的外れな批判が展開されると思わず擁護したくもなるというものだ。これは記者クラブについても同じことが言える。記者クラブの現状に問題があるのはもちろんだが、記者クラブが諸悪の根源だと一方的に決め付けて、記者クラブさえボロクソに叩いて全否定すればすべて解決するかというと、そういう話でもないと思うんだよなあ。記者クラブには本来のあるべき姿として、記者が団結して権力側に情報開示や説明責任を迫るという役割があったはずで、運営の仕方には改善すべき点がたくさんあるのはその通りだが、記者クラブの存在そのものまで否定する意見には賛成できない。白か黒か、全否定か全肯定か、なんでも単純に二分化して片付けてしまう人が多過ぎるように思う。世の中そんなに単純じゃないだろう。少なくとも僕はそうしたスタンスを崩さずに発言するつもりだ。討論会にどんな立場の人たちが集まるのかよく分からないが、とりあえずその場の雰囲気や成り行きで、臨機応変に進めていこうということになった。そりゃまあそうだろうね(苦笑)。

 紀伊国屋書店とジュンク堂で2時間ほど立ち読み。実に充実した時間が過ごせた。やっぱりジュンク堂は日本一の書店だと思う。店の雰囲気も品揃えも見事としか言いようがない。たぶん書店員のみんなが本が大好きで、客の立場に立って書棚に本を並べて、誇りを持って接客しているのだろう。立ち読み客のために椅子をたくさん置いているとか、そういうことだけではない志の高さが、店内のそこかしこに漂っているように感じる。本当にいい店だ。


1月22日(土曜日) たぶん花粉が飛び始めた

 きのうからどうも鼻がむずむずして、くしゃみがすごーーく出やすくなっている。嫌な感じだ。これはもう明らかに花粉が飛んでいるなあ。間違いない。いよいよ来たか。今年の花粉の飛散量は昨年の10倍はあるというから、覚悟しておかなければなるまい。そろそろ鼻炎薬の服用を始めた方がいいかなあ。しかし飲むと眠くなったり、労働意欲が著しく減退したりするから、飲むにしてもなるべく時期を遅らせて分量も少なめに抑えたいんだけど、そういうわけにもいかないか。あーあ、憂鬱だ。


1月23日(日曜日) 「嫌悪されるメディア」を討論

 午後から東京・神保町。「越境するジャーナリストの会」の討論会(ティーチイン)。新聞記者やテレビマンや業界OB、大学生、市民ら約30人が参加して、「嫌悪されるメディア」をテーマに議論した。以下、いくつか気になった言葉・発言から。

 「日々の報道をしっかりやっていないから批判されると思うが、一概にやっていない現場ばかりではない。やることをやれば期待感や信頼は返ってくるはず」「本来あるべき姿に戻ってほしい。マスコミの自浄能力で回復するのだろうかというと、もう戻らないのではないかとの気持ちの方が強い」「在日韓国・朝鮮人の間では、もう30年前から日本のメディアには信頼も期待もない。自分たちに必要な情報を伝えていない、自分たちの関心や利益と関係ないことを報じているからだ。個人の人権を守る、日本のマスメディアは文化社会的な公共圏を支える存在ではない」「テレビはどのチャンネルも同じ映像を繰り返し流している。画一的でセンセーショナルな伝え方はやめてほしい」

 「真実を知らせたいという気持ちを抱いていたはずの記者が、国益のためと称して情報を出さなくなる。記者が政治をやっている気分になっている。ジャーナリストが政治家に変わる瞬間が問題だ」「テレビはほとんど見ない。私たちが知りたい情報はそういうことではない、といったひどいニュースが多過ぎる。記者も生活感を大切にしてほしい」「正義は百人百様でいろいろな意見がある。記者一人一人も意見が違う。対立する両方の意見をメディアはていねいに情報として伝えるべき。権力監視だとか弱者に寄り添うんだとかそういう青臭いことを、自信をなくしている中堅記者も堂々と口に出して言ってほしい」「ネットに流されるニュースは無料だが、それらは私たち記者がお金や労力をかけて、事実関係を確認して取ってきているということを理解してもらいたい。『読者の声』なるものに過敏になるあまりに、現場も会社も委縮している。『読者が望む紙面づくり』にがんじがらめになっている。鍛えられていない記者が権力に対しても委縮してしまっている」

 「メディアが変質したのはオウム事件からだ。裏付けのない情報を週刊誌がそのまま書いた。書けば売れるのでそれをテレビが後追いして、その後さらに新聞も続いた。裏を取らなくても書けるというメディアの退廃は、ここから始まったのではないか。そうしたメディアの実態がネットの中でさらされてばれてしまっている」「言葉を仕事に使っている人が、言葉を非常に粗雑に扱っている。言葉を大切にしないメディア。ヒーローやヒロインをつくって一方しか見ないメディア。そんなメディアの劣化を考えると、メディアへの批判が分かる気がする」

 会場には若手も。記者志望の大学生2人や、今春から在京キー局に就職が決まっている大学4年生2人も参加した。受け止め方はもちろんそれぞれあっていいわけで、これから「伝える現場」を一緒に担っていくことになる「後輩」たちが、この日のさまざまな意見を自分なりに消化して生かしてくれることを期待したい。終了後、近くの居酒屋で飲み会。大いに盛り上がる。


1月24日(月曜日) 柚子はちみつサワー

 午後から東京・秋葉原。取材の打ち合わせなどを3時間近くした後、夕方から、中学時代の同級生が連絡してくれて、小学校時代の同級生S君と会って飲む。S君とは卒業以来の再会だったが、性格や口調がまるで変わっていないので驚く。嫌な教師や懐かしい教師の思い出話、仕事の話などで盛り上がった。どういうわけか憲法論議(思想信条の自由について)も(笑)。予約なしで入った店は、秋葉原駅前のビル9階のしゃれた和風酒房の個室。田舎の古民家を模した造りの落ち着いた雰囲気で、料理の味もさほど悪くはないのだけど、メニューが少々上品すぎてちょっと物足りない。サッポロ生ビールと柚子はちみつサワーは文句なしに美味しかった。


1月25日(火曜日) 「ある新人教師の死」

 「セカンドインパクト」「ルポルタージュ」のページに、長編ルポ「ある新人教師の死/分断され孤立化する学校現場」を全文掲載しました。2006年に取材し、岩波書店の雑誌「世界」に発表したルポですが、学校現場の状況は当時も今もほとんど変わっていません。精神疾患などで休職・退職する教師は増加の一途で、むしろ状況は悪化していると言っていいかもしれません。

 なお、このルポルタージュは、単行本「教育の自由はどこへ/ルポ『管理と統制』進む学校現場」(現代人文社)に収録されています。

【記事のあらすじ】(記事前文から抜粋)↓

 <新採用の小学校教師が勤務校の教室で自殺した。赴任してわずか3週間だった。背景にはあまりにも忙し過ぎる職場環境がある。新任教師だけでなく、学校の教師の世界そのものが、増大する雑務と管理強化によって多忙をきわめている。自分のことで精いっぱいで、仲間や後輩の悩みに耳を傾けるだけの余裕がないのが実情だという。周辺取材から、分断され孤立化する教師たちの姿が浮かび上がってきた。>


1月26日(水曜日) 「メディア批判」もいいけれど

 「身辺雑記」で何回か書いている「記者クラブ」や「メディア批判」などの記事について、「身辺雑記」を読んでくださっているレイザルさんから、とても興味深くて示唆に富むメールをいただいたので、抜粋して紹介させていただきます(表記などの一部に手を入れさせてもらいました)。あわせて僕からの返信も掲載します。

◇◇

 時々「身辺雑記」を読んでます。近ごろの「記者クラブ」や「メディア批判」について、同感って思いました。なにかにつけて「既存メディアも…」って、最後はメディア批判でオチつけんのヤメてくれる?って思う。しかも「マスコミ」って言わず、「メディア」って言うことで、自分はさも中立で分別ある意見のように見せかけるのがいやらしい。

 「メディア」の人はたいがい優秀でマジメなので(一部適用除外)、「正しく」自己批判して、逆に足下をすくわれてる感じ。しかもホンネを言えば逆効果だし。トホホ。新聞記者だって好んで記者クラブにこもって、お役所発表を書いてるワケじゃないと思う。かといって、調査報道する予算はおろか、時間と人も与えてくれない(みたいよ)。

 「新聞は書いて欲しいことを書いてくれないから購読をやめた!」って、市民運動なんかしてる人も消費者マインドで、ここでも「不買運動」をする。「一企業」を支えるという気持ちがない。ま、「企業」としてたくさん矛盾はあるんだけど。そんなに自分たちの主張が読みたけりゃ「赤旗」とか機関誌読めば?って思う。

 「マスコミは書かない」って簡単に言うけど、ウラが取れないことは書けないし、書いてあっても見落としたり、関心がそこにない自分の責任は不問なの?って思う(私もだけどね)。出世欲が強くて、マッチョで、旧態依然で、「やあやあ我こそはジャーナリスト!」みたいな、やなヤツも多いんだろうけど、でも毎日毎時出版物を発行したり、映像を放映する組織やシステムを、私は軽視できない。

 だいいち「同じ報道ばかり繰り返される」ってゆーなら、テレビを見なきゃいーじゃん。電源を根元から引っこ抜いとけよ。私なんか哨戒船の時、おかげさまで警告音のモノマネができるようになって、みんなに自慢しちゃったよ。中国批判になりそうな時、このモノマネを会話に挟むことで場が和み、ナショナリズムが高まるのを防いだんだぜ!えっへん! 繰り返し報道してくれたお陰だぜ!

 敵を間違えるなって思う。大阪府知事や阿久根の前市長、広島のアキバ市長とかオザワさんみたく、都合が悪くなると「マスコミがゆがめて伝える」って言う政治家が一番タチが悪い。やっぱ、マスコミを通じてダマそうとした(する)政治家が一番悪いやんか。ダマされる方もアカンけど。

 それにさ、クレームはいちいちつけるクセに、よい記事やよい取り組みに電話の一本でもかけてあげてんの?と思う。相田みつをじゃないけど、記者だって人間だもの。読者からの評価は励みになると思うし、不毛なマスコミ叩きよりも紙面改革の効果があると思うんだけどな。

◇◇

 かみつきレイザルさま。とても貴重なご意見・ご感想、どうもありがとうございました。静岡のかみつきザルは、無事に問題なく御用になってよかったですね(笑)。もしも再びかみついてけが人でも出ていたら、今度は殺処分になったかもしれませんから。

 それはともかく、「記者クラブ」や「既存メディア」に対して、言いがかりのような批判は本当に困ったものだと思います。もちろん至極もっともで真っ当な批判もありますが、それ以上に、悪意があるとしか思えない意図的な敵視や罵倒が、このところ世間にあふれ返っていますよね。「マジメなメディアの人間が正しく自己批判して、逆に足下をすくわれてる感じ」だというご指摘は、まったくおっしゃる通りではないかと僕も感じます。

 たぶんこのところの「既存メディア批判」の背景には、偉そうにしている人たちや権威とされている存在を叩きたい、引きずりおろしたい、といった強い願望や潜在意識みたいなものも背景にある気がします。

 確かにマスコミの人間って、偉そうな人が多いのは事実だし、上から目線で講釈を垂れる奴がたくさんいるのは事実です。その辺に対する反発は実際にあるかもなあって思います。例えば、教師、警察、検察、医者、大学教授、文壇、学会など、いわゆる「権威」だとか「権力の権化」とされていたものが、次々に罵倒され徹底的に批判にさらされているのと、根底は一緒なのかなあと。

 それはある意味では、もちろん健全なことではあるのだろうけれども、「じゃあそこまで言うお前はどんだけ偉いんだよ」「お前はいったい何様で、社会的にどれだけのことをやってるんだよ」という話にもなるわけで、一方的に何でもかんでも叩けばそれでいいのかというと、そういうものでもないと思うんですよね。まあ、欲求不満というか、かなり鬱屈したものが、社会に蔓延していることの証(発露?)のような気もしないでもない。

 なんてことを考えていると、なんだか労働意欲もしぼんでしまう今日このごろです(仕事をやる気がないのはいつものことじゃん=自爆)。記者仲間の集まりやこの前に開いた討論会などでも、そんなことをちょろっと話したり議論したりしました。

 「哨戒船の警告音のモノマネ」には爆笑。思わずお茶を噴いてしまったじゃないですか。どうぞ、周囲から奇人変人扱いされない範囲で、名人芸を昇華されますように、横浜から応援しております。刺激的で勉強になるご意見ありがとうございました。


1月27日(木曜日) 心に響く意見陳述

 痴漢冤罪の無実を訴え、懲戒免職処分の取り消しを求めている横浜市立高校・元教諭の河野優司さんの民事訴訟の第2回口頭弁論が27日、横浜地裁(深見敏正裁判長)で開かれた。この日は河野さん本人が約5分間にわたって意見陳述。「被害者とされる女性にぶつかった時に、自分は右手にはバッグを持っており、(痴漢など)やってないことはやってないと主張し続けたが、25日間の拘留の間ずっと聞き入れてもらえなかった。検察がろくに調べもせずに起訴したのは、結論ありきではないかと悔しい思いをした。免職決定の過程では有罪確定判決があるという理由で、29年間の教員生活の検証も考慮もされず、クビにされるのは死刑宣告に等しい」と主張。

 さらに、「卒業生や父母らが、先生はいつまでも自分たちの先生だと励ましてくれたことで、ここまで頑張ることができた。(痴漢行為をしたとされるデパート地下食料品売り場の近くでアルバイトをしていた)娘は大学を卒業して、横浜市の小学校の教員になったが、お父さんと一緒に教壇に立てるのを楽しみにしていると言ってくれている。定年までは限られた時間しかないが、裁判所はきちんと審理して復職への道を開いてほしい」などと訴えた。

 意見陳述の間、左陪席の若手裁判官はずっと真剣な面持ちで河野さんの訴えに聴き入っていた。わずかしか認められていない時間の中で、無実の根拠と復職への切望を淡々と述べる意見陳述は、傍聴席の支援者はもちろん、裁判官の心にも少なからず響いたのではないだろうか。主任弁護人の岡田尚弁護士は、「行政内部の不服申し立ての審査のあり方を問う裁判になる。裁判所は原告本人から理屈や理論を聞こうとは思っていない。理屈は弁護士から聞くからいいという姿勢で、裁判所は原告がどんな教師なのか、救済すべき教師なのか、人柄を知りたいのだ」と解説した。同感。そういう意味では、とてもいい意見陳述だったのではないかと思う。

 弁護士会館での報告集会の後、横浜・野毛へ。関係者らと中華料理店、居酒屋、沖縄料理店をはしごする。生ビール、紹興酒、梅サワー、泡盛を飲む。ちょっと飲み過ぎだろう。もうへろへろだよ。ダウン寸前でようやく無罪放免となった。


1月28日(金曜日) 「都教委通達」違憲判決を取り消し

 卒業式や入学式で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱・ピアノ伴奏することを義務付けた東京都教育委員会の通達に対し、都立学校の教職員395人が従う義務がないことの確認などを求めた訴訟の控訴審判決が28日、東京高裁であった。都築弘裁判長(三輪和雄裁判長代読)は、「憲法や教育基本法に違反する都教委の通達は無効である」と判断した一審の東京地裁判決を取り消し、教職員の訴えを全面的に退ける逆転敗訴判決を言い渡した。

 都築裁判長は、起立・斉唱などの義務がないことの確認と処分の差し止めを求める訴えそのものについて、「通達によって思想・信条・良心などの侵害を受け精神的・人格的な苦痛を被ったとは認められないから、重大な損害を生ずるおそれがあると認めることもできない。損害を避けるためほかに適当な方法がないとは言えない」として、訴訟要件を欠く不適法なものであるとして却下した。さらに、「通達は『不当な支配』に該当するとは認められない。思想・良心の自由や信仰の自由の侵害を認めることはできない」として、都教委側に慰謝料の支払いを認めた一審判決を退け、損害賠償請求についても棄却した。

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 判決は、教職員側の訴えそのものを事実上の「門前払い」にしただけでなく、その上でさらに、「思想・良心の自由を定めた憲法と『不当な支配』を禁じた教育基本法に違反する」と明確に断じた一審判決を否定し、都教委通達は合憲であると判断した。しかし、4年4カ月の長きにわたる審理の積み重ねに基づいて書かれたはずの控訴審判決は、85ページにおよぶ判決文の中で、「通達によって精神的・人格的な苦痛を被ったとは認められない」と決め付けながらその根拠や理由を何も示さないなど、かなり杜撰で一方的な論理構成になっている。予想された中で最低最悪の判決だろう。

 また控訴審判決は、「教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められる介入は、たとえ教育の内容および方法に関するものであっても、教育基本法の禁止するところではない」とした最高裁判例を援用し、「地方公共団体においても何ら異なるところはない」として、「地方公共団体が設置する教育委員会が教育の内容や方法に関して行う介入は、地方自治の原則に反することはあり得ない」などと結論付けているが、基準や根拠がきわめてあいまいで、著しく説得力に欠けると言わざるを得ない。

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 「原判決を取り消す…」「訴えをいずれも却下する…いずれも棄却する」。わずか20数秒ほど。主文言い渡しの間、傍聴席と教職員側弁護団席には言いようのない重苦しい沈黙が広がった。一様に呆然自失の面持ちで、まさに言葉を失うといった感じだ。開廷直前の法廷では「しかし長かったね4年半も。いい判決が出たらいいけど」などと談笑していた元教員らも完全に凍り付いた。代読を終えた裁判長が席を立つと、傍聴席の数人が「不当判決!不当判決!」と叫ぶ声が法廷に響いたが、多くは押し黙ったままだった。

 主任弁護人の加藤文也弁護士は、「この裁判は全国的にも突出した異常な通達を争っているが、訴えの利益がないとして請求を却下し、一審の判決を覆して請求をすべて退けるなど、きわめて不当な判決だ。国民の権利救済を広く認める改正行政事件訴訟法の趣旨にも反している。現場の先生方の苦しい現状を全く無視した許し難い判決で、最高裁へ上告したい」と述べ、憤りをあらわにした。

 女性教員は、「通達が出されてから8回目の卒業式を迎えようというこの時期に、こんなにひどい判決を出すなんて、裁判所は本当にひどいところだと思います。この国には自由も民主主義もないのでしょうか。通達が出る前の都立高校では一方的な命令によって仕事をすることなどなく、みんなで話し合って納得して仕事をしていたのに、今はもう何を言っても無駄だという空気が学校の中にまん延しています」と訴えた。

 控訴審の間に退職した女性教員は、「命令されたのだから自分の考えとは関係なくやれ、命令された通り生徒の手本になれというのは教育ではない。これまで多くの卒業生を送り出したが、理由もなく解雇されたりいじめられたり、理不尽な目に遭っている生徒たちがたくさんいる。理不尽なことがあっても絶望したりしないであきらめないで声を上げろ、民主主義の手続きで社会は変えられると生徒たちを励ましてきたので、私たちも理不尽なことを変えさせるために最高裁でも頑張っていきたい」と力強く語った。

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 東京高裁総務課に厳重抗議 東京高裁前で取材していると、裁判所職員に「裁判所の敷地内で写真撮影するな」「通行の妨げになる」などと言われ、カメラレンズを遮られ、体に触れられるなどの取材妨害を受けた。しかし僕が取材していた場所は裁判所前の公道であって、裁判所の敷地内では断じてない。不当判決だとして抗議する集団と、取材活動を続けていた僕との間には、歩行者が通行できるだけの幅が少なくとも1メートル近くはあった。これらについては多数の目撃証人がいる。裁判所職員のこれらの行為は明らかな過剰警備だ。報道業務への妨害行為であり、取材活動に対する不当な干渉である。東京高等裁判所の総務課に対し、口頭で厳重抗議を申し入れるとともに、再発防止を強く求めた。

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 司法記者クラブで取材後、社会文化会館で開かれた報告集会を取材。集会終了後、東京・四谷の弁護士事務所へ。弁護団の控訴審判決の検討会議に参加させてもらう。夕方から赤坂見附へ。取材報道グループの定例勉強会。ユーチューブやツイッターなどのインターネットのツールが、市民社会やメディアや取材現場にもたらした影響と問題点をテーマに議論する。NHKの若手記者が現状について報告した後、われわれ取材記者の今後はどうなるのか、何ができるのか、メディア(ジャーナリズム)の存在意義はどこにあるのか、などについて意見交換した。勉強になった。終わってから、赤坂の居酒屋へ。原告団と弁護団の打ち上げに顔を出す。終電で帰宅。さすがにへろへろ。きょうは目いっぱい仕事したぞ。


1月29日(土曜日) 中村屋のカレー

 午後から東京・新宿。喫茶店で中堅のアニメーターに会って話を聞く。アニメーションに対する愛と、クリエイティブなものを創っていることへの誇りが強く感じられる。そんなちょっといい話が聞けた。新宿中村屋本店のカレーを初めて食べる。高くて辛かったがくせになる美味しさ。付け合わせのラッキョウなどのピクルス3点セットは、お代わり自由なのはいいけど味はイマイチかなあ。


1月30日(日曜日) 引き続き業界取材

 夕方から東京・荻窪。きのうに引き続き、アニメーション業界に関する取材。アニメ監督やアニメーターらの集まりに顔を出させてもらう。なかなか興味深い議論が聞けて面白かった。横浜では雪がちらつく。都内はただの曇り空だが、メチャメチャ寒いのは横浜も都内も変わらない。


1月31日(月曜日) 東京高裁総務課の「お上意識」

 東京高等裁判所の職員による取材妨害行為に対し、東京高裁総務課に口頭で厳重抗議した件(1月28日付「身辺雑記」参照)のその後。対応した庶務係長が広報担当の上司に伝えるとのことだったので、どうなっているのかを確認するために電話した。広報責任者として総務課長補佐が応対した。

 「行き違いがあったかもしれません」「報道規制の印象を受けたとすれば非常に残念です」などと一見すると低姿勢だが、お役所的な「お上意識」は相変わらずで、「上から目線」の姿勢は終始一貫していた。よく言えば丁寧、悪く言えば慇懃無礼。「そのような話があったことは上司と職員本人に伝えて対応したい」「襟をただして修正すべきことは修正します」などと繰り返すものの、事実関係を確認した上で非を認め、結果を報告して再発防止を約束する、といった言葉は最後まで一切なかった。要するに「ご意見は承りました」というだけだ。事実関係を確認したら、その結果を連絡するくらい常識だろうに。「話があったことは伝えて対応しますので、それでこの件はご理解下さい」の一点張りなのだ。とにかく言質を与えたくないらしい。

 こちらもこんなことに多くの時間を費やすほど暇ではないし、それなりにプレッシャーを与えた感触はあったので、今回はこれ以上は追及しないことにした。ただし「仏の顔」に2回目はない。職員の顔写真も含めて現場写真が残っていることや、実はほかの映像関係者も一部始終を動画で撮影していて、そうした客観的証拠が存在する事実は課長補佐に伝えた。もしも再び同じような取材妨害行為があった時には、今回のケースも含めて徹底的に責任追及するつもりだ。法の番人であるはずの裁判所の職員が、報道の自由を侵害するなど法律違反を行うことは決して許されない。


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