身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2014年3月1日〜3月31日

●今年も花粉症の季節に●非科学的なネトウヨ●「政府見解」だけでは戦前と同じ●籾井会長に自覚がないのは致命的だ●こんな「ドキュメンタリー」があるか●NHKの自主規制体質は致命的●原発被災者の過酷な現状●「世間を騒がせた」のはだれ?●非科学的な視野の狭さ●研究姿勢そのものが問われる●再稼働なんてあり得ない●戦前の「国家統制教育」への序章●学生の教訓となる論文コピペ●河野さん裁判終結のつどい●NHKがまず検証すべきは籾井問題●育鵬社版教科書の模擬授業から●改めて任命責任を問う●自称「ドキュメンタリー」の信憑性●大きめの書棚を購入●茶番劇と民度●竹富町教委の判断は適法だ●整理整頓とは「捨てること」●「袴田事件」の再審開始決定●すっきり●雑誌は禁帯出にすべきだ●部屋の片付け一段落●著しく正義に反する司法●●●ほか


3月1日(土曜日) 今年も花粉症の季節に

 「今年は花粉の飛散量が少なめだ」という話にちょっぴり安心していたのだが、今週に入って鼻がむずむずし始めて、早速、鼻炎薬のお世話になっている。薬を飲まないと調子が良くないし、飲むと猛烈に眠くなってくる。別に花粉症を言い訳にするわけではないけど(全く言い訳しないというわけでもないかもしれないけど)、労働意欲も著しく低下する。そんなわけで今年も憂鬱な季節が、またまたしっかりやってきた。まったく困ったものだ。


3月2日(日曜日) 非科学的なネトウヨ

 STAP論文の不備を伝える報道に対し、頭の悪いネトウヨ連中が「日本をおとしめる反日メディア」などと的外れの非難を繰り返していたが、疑問や不審点があれば問題提起し検証するのは当然のこと。それが科学的姿勢というものだ。なんでも言われるがままに受け入れて従うのは科学的ではない。しっかり検証することによって、よりよい研究成果が導かれることを期待している。

<STAP細胞>発表1カ月再現失敗相次ぎ、理研手順公開へ(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140302-00000015-mai-sctch


3月3日(月曜日) 「政府見解」だけでは戦前と同じ

 教科書に政府見解を書かせようとする安倍政権と、全く同じ発想・思考パターン。国家権力に都合のいいことしか知らせないのなら、戦前の暗黒社会と同じではないか。多様な考え方・立場・価値観を学んで自分の意見を構築すること、考えるための材料をたくさん示すこと、それこそが教育のあるべき姿(学校教育も教科書も図書館や博物館の自由も)なのに。全員を一つの方向に向かわせて、支配・管理・統制しようとする意図が露骨に見える。

旧日本軍展示、政府見解に沿い改装へ、大阪の博物館(東京)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014030390071159.html

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 日本ジャーナリスト会議(JCJ)の機関紙「ジャーナリスト」2月25日号の書評欄で、「裁判官の品格」(池添徳明・著、現代人文社)を紹介していただきました=写真。司法・裁判官の問題を指摘すると同時に、記者論やジャーナリズム批評にもなっている書評です。ありがとうございます。


3月4日(火曜日) 籾井会長に自覚がないのは致命的だ

 NHKの籾井会長は、なんでこういういい加減なことを平然と口にするのかな。就任会見では記者に食い下がられて仕方なく答えているだけでなく、自ら進んで言わなくていいことまで挑発的に持論を展開しているじゃないか。記録映像からも明らかな事実なのに。この人は自分の発言の何が問題なのか全く理解できていないし、理解する力もないし、自覚もないところが致命的だと思うよ。

 優等生的メンツがあって撤退できない(辞任しない)というのならまだ救いがあるが、残念ながらそうではないようだ。籾井会長はNHK経営委員会の席上で「それでもなおかつ私は大変な失言をしたのでしょうか」と強弁していることからも、自身の発言の何がどのように問題視されているかについて自覚がまるでないのだろう。これでは公的組織の頂点に立って、しかも公共放送という報道機関を率いる人物としては、完全に不適格と断定せざるを得ない。

就任会見発言、籾井NHK会長「言わされた」(朝日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140303-00000022-asahi-pol

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 3年前の大惨事から何も学んでいない安倍政権は原発を海外輸出し、国内でも原発を「重要なベースロード電源」と位置付けて、再稼働を目論んでいる。いまだに放射能は大量に漏れ続けているし、何も片付いていないばかりか、福島第二原発の廃炉までこれから何十年もかかるというのに。福島県民の焦燥感は察するに余りある。

原発事故「風化感じる」77%、福島県民、共同世論調査(朝日)

http://www.asahi.com/articles/ASG33462DG33UZPS002.html

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 本人の好きなように、気が済むまで何回でも自由に受験させればいいじゃないか。法曹としての適格は試験の合否で判断するのだから。受験回数を制限する意味が分からない。「進路変更を促す」なんて余計なお世話。

司法試験、5年で5回までに緩和、改正法案を閣議決定(朝日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140304-00000021-asahi-soci


3月5日(水曜日) こんな「ドキュメンタリー」があるか

 これは酷い。これのどこが「ドキュメンタリー」なのだろう。普段ラジオを聴いていない女性に、電波の届かない仮設住宅でラジオを聴いているふりをさせたという。少なくともドキュメンタリーを名乗るのであれば、感動を売るだけの「物語」を優先させるために「事実」をねじ曲げてはいけない。

震災記録映画でやらせ、女性にラジオを聴くふり強いる(朝日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140305-00000005-asahi-movi

 「許される演出」などという範疇をはるかに超えている。まさしく「やらせ」であり「捏造」としか思えない。公式サイトには「感動」「涙」「号泣」のコメントだらけ。事実をていねいに描くことができないのなら、最初からフィクション(創作した物語)としておくべきだった。

震災ドキュメンタリーで演出=映画「ガレキとラジオ」(時事)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140305-00000041-jij-soci

 事実を丹念に積み重ねて問題の本質を浮かび上がらせ、掘り下げるのがドキュメンタリーでありノンフィクションでありルポルタージュのはずなのに。肝心かなめの「事実」を勝手に創作したら、それはもう「事実の記録」ではなくなってしまうではないか。監督をはじめスタッフや関係者は、取材やジャーナリズムのイロハや基本のキを理解していないとしか思えない。酷すぎる。

 映画「ガレキとラジオ」のナレーションを担当した役所広司氏の言葉。「ドキュメンタリーでやってはならない演出で出演された女性の方に、新たな苦しみを与えてしまったこの映画は、今後二度と上映されるべきものではありません」(役所広司の公式ブログ)。さすがは役所広司。ドキュメンタリーとは何か、本質と問題点をよく分かっている。

http://yakushokoji.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-ed04.html?optimized=0

 【追記】映画制作側がプロデューサー名で「ドキュメンタリーを逸脱したものだと考えます」と謝罪し、自主上映中止を求めたという。あまりにも当然すぎる対応。むしろこの1年間にもわたってこんなデタラメな「ドキュメンタリー」が放置され、上映が続けられていたことに驚かされる。

「ガレキとラジオ」制作側、上映中止求める、HPで謝罪(朝日)

http://www.asahi.com/articles/ASG365V0JG36UNHB015.html

◆◆◆

 ロシア政府の資金で運営されているテレビ局でありながら、なんと筋を通したジャーナリズム精神にあふれた放送をするのだろう。ちょっと感動的でさえある。尊敬に値する。キャスターのその後の処遇が心配ではあるけれども。

「ロシア・トゥデイ」のキャスターが異例の政府批判(TBS=JNN)

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20140305-00000010-jnn-int


3月6日(木曜日) NHKの自主規制体質は致命的

 「ときの政権の思想が、公共放送の人事を左右するなど、民主主義国家ではあり得ないことです」(大貫康雄・元NHK欧州総局長)。それでも問題点をきちんと伝えようとしないNHK。もはや末期症状と言っていい。組織的仕組みの問題とともに、体質的な問題もあるのではないだろうか。

NHK受信料引き落とし停止の問い合わせ相次ぎ局内パニック(週刊ポスト)

http://www.news-postseven.com/archives/20140306_243957.html?utm_source=twitter

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 今夜放送のNHK「クローズアップ現代」に出演したキャロライン・ケネディ米駐日大使に対し、国谷裕子キャスターは果敢に、NHK会長や経営委員の歴史問題発言への米側の反応について質問していた。不十分で物足りなさはあるものの、今のNHKでこうした切り込み方をして放送に乗せることができるのは、この番組だけかもしれない。NHKの「最後の良心」と言っていい番組なのではないかと思う。

 こうした良心的な番組がほかにないのは、NHK職員の志の低さと問題意識の欠如と、そして自主規制のなせるわざだろう。NHK問題の背景には、組織的仕組みだけでなく体質的な問題もあるのではないかと考えざるを得ない。もちろんNHKには優れた番組もあるが、残念ながらそうした番組を作るスタッフは少数派で、報道系の番組は相変わらず致命的に酷い。

 本気でNHKの現状に危機感を抱いて、独立した公共放送(報道機関)としてあるべき姿を全うすべきだと考えているなら、すべてのNHK職員が一丸となって、NHKのあり方を問う検証番組を制作すればいいはず。それができない(作ろうとしない)ところに、NHKの体質の致命的欠陥を感じる。NHKにとって最も効果的なお仕置きは、やはり受信料の支払い停止なのだろうなと思う。

◇◇

 週末に福島の被災地へ同行取材の形で出かける予定なんだけど、今週に入ってから風邪でグズグズ状態。花粉症も重なって鼻やのどが痛いし、頭もぐるぐる回って辛い。ほかのやるべき仕事は全部停止して、薬を飲んで休養しているんだけどなあ。ギリギリまで様子を見てから対応を判断したい。

 【おことわり】きのう3月5日付「身辺雑記」の映画「ガレキとラジオ」のやらせ問題の記事末尾に、追記を掲載しました。


3月7日(金曜日) なんとかなりそう

 風邪の症状は落ち着いてきた。花粉症はまだグズグズだが、なんとか取材には行けそうだ。それにしても今年の花粉は少なめだという話だったのになあ。めっちゃ症状が重いやん。


3月8〜9日(土曜〜日曜日) 原発被災者の過酷な現状

 神奈川高教組の福島視察ツアーに同行し、原発事故から3年目の被災地の現状を取材した。訪れたのは、福島県いわき市、楢葉町、富岡町、川俣町、浪江町、二本松市など。地震や津波の被害だけでなく、放射能汚染から逃れて避難生活を強いられている住民の多くは、地元に戻りたくても戻れないのが現実だ。

 帰還困難区域と居住制限区域に指定されている地域では、部分的には除染が進められているが、大部分は手付かずの状態。地震と津波の被害がそのまま放置され、生活基盤が根こそぎ破壊されたままになっている。避難生活は苦しい。原発事故の賠償金や生活補償は不十分な上に、仕事もままならない人が多い。

 地元では米も野菜も自給自足。家族団らんの幸せがあった。狭くて寒い仮設住宅の生活は過酷で厳しい。出費だけがかさむ。復興事業は名ばかりで、地域がまとまって生活できるような新しい住宅地建設は一向に進まず、住民はバラバラに分断されつつある。展望が見えず、このままでは心も体も持たないという。

 いわき市では避難者への心ない差別や嫌がらせ、排除の動きも出始めた。「仕事もせずに遊んでいる」などと非難され、「早く帰れ」と落書き。仮設住宅内に駐車している車のガラスが割られたほか、仮設住宅にロケット花火が打ち込まれる事件も。避難生活が長引けば長引くほど、地域住民との確執や対立が生じるという。

 避難者の受け入れ先の住民も震災の被災者であり、程度の差はあっても同じく原発事故の被害者であるはずなのに。典型的な「ムラ社会」の排除の構図だが、しかし住民同士が敵対し対立して喜ぶのは政府と東電だけだ。そのことだけはどうか忘れないでほしいと心から願う。

 田畑を耕して孫の子守りをする、といった日常のささやかな喜びや支えが、東日本大震災で消えてなくなってしまった。地震と津波の被害だけなら、まだ頑張って復興することもできるが、原発事故による放射能汚染はそれを許さない。元の生活を取り戻したくても、それを阻む壁が大きく目の前に立ちふさがっている。

 帰れるのか帰れないのかはっきりしないから、前に進むことも退くこともできない。新天地に移る展望もない。気持ちの整理がつかないまま投げ出され、過酷な避難生活をずるずると強いられ続ける原発事故の被災者たち。不誠実な政府と東電は無責任過ぎる。原発の罪深さを改めて痛感する。

 震災から3年経っても、地震と津波による被災地域が手付かずで放置され、被災者が何の展望も見出せずに避難生活を強いられているのは、原発事故の放射能汚染で地元に帰れないからだ。放射能汚染がなければ事態は全く変わっていただろう。地震大国の日本に原発は要らない。原発再稼働なんてとんでもない。改めてそう思う。

◇◆◆以下、写真特集◆◆◇

写真画像25枚は<別の特集ページ>にまとめて掲載しました)

(ここには写真説明だけ掲載)↓

【原発事故から3年/写真1】いわき市中央台のいわきニュータウン。道路を隔てて、仮設住宅(=写真)と高級住宅地が対照的な姿を見せる。住民同士の確執や対立も生じているという。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真2】いわき市中央台のいわきニュータウン。道路を隔てて、高級住宅地(=写真)と仮設住宅が対照的な姿を見せる。住民同士の確執や対立も。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真3】除染で生じた放射能汚染ごみ(フレキシブルコンテナバッグ)が、田畑に山積み。こうした仮置き場が楢葉町のあちこちにある。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真4】地震と津波で駅舎が崩壊したまま放置されているJR常磐線の富岡駅。避難指示解除準備区域。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真5】富岡町の一部は「帰還困難区域」として封鎖されている。通行制限中の看板とバリケード(その1)。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真6】富岡町の一部は「帰還困難区域」として封鎖されている。通行制限中の看板とバリケード(その2)。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真7】富岡町の一部は「帰還困難区域」として封鎖されている。通行制限中の看板とバリケード(その3)。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真8】「帰還困難区域」として封鎖されている地域から、桜並木で有名な夜ノ森の方向を見る。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真9】宿泊レストラン観陽亭(津波に襲われ閉鎖)が建つ富岡町小浜の高台から、南方向を見る。富岡漁港の先に福島第二原発の建屋が見える。=2014年3月8日

【原発事故から3年/写真10】山積みになった放射能汚染ごみ(フレキシブルコンテナバッグ)の仮置き場。=2014年3月9日、浪江町

【原発事故から3年/写真11】浪江町の「帰還困難区域」に入るための検問所。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真12】「帰還困難区域」に立ち入る全員に、身分証明書の提示が求められた。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真13】「帰還困難区域」の浪江町に入ると放射線測定器の数値は急上昇。案内してくれた地元住民の実家の庭先では、47・99マイクロシーベルト/hを示した。積雪がなければ空間線量も高い数値になるという。これでは帰還などできるわけがない。原発の罪深さよ。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真14】「帰還困難区域」にある浪江町役場。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真15】「帰還困難区域」。地震で崩れたまま放置された民家。=2014年3月9日、浪江町

【原発事故から3年/写真16】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その1。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真17】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その2。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真18】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その3。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真19】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その4。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真20】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その5。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真21】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その6。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真22】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その7。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真23】津波で壊滅した浪江町請戸地区など海岸線の集落。帰還困難区域。3年経っても、荒れ果てた光景がずっと続く。その8。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真24】浪江町の250人が生活する二本松市安達運動公園の仮設住宅。子どもたちとお年寄りが太鼓演舞を披露。避難者の顔が思わず和む。=2014年3月9日

【原発事故から3年/写真25】二本松市安達運動公園の仮設住宅集会所で、神奈川県立高校の教員らが歌を披露し避難者と交流した。=2014年3月9日


3月10日(月曜日) 完全休養

 まだ完全に風邪が抜け切っていないし、睡眠不足だし、疲れたので完全休養。


3月11日(火曜日) 「世間を騒がせた」のはだれ?

 学部学生のレポートでもコピペ(剽窃・盗作・無断引用)は御法度。ましてや博士論文でコピペなんて論外だろう。いつかはバレることなのに、どうしてこんなことするかなあ。

 それにしても、メディアが小保方晴子さんを表舞台に引っ張り出したのはではなく、むしろ理化学研究所や小保方さんらの側が自ら大々的に(積極的に)売り出した(研究成果をアピールした)のではなかったか。内容の不適切さが指摘されているSTAP細胞の論文が、もしも単純ミスなどではなくて本当にでたらめなものであったなら、「世間を騒がせた」のはメディアではなく、当の本人であるのは明白ではないかと思う。

STAP細胞の小保方さん博士論文、大量コピペか、20ページ分が酷似(朝日)

http://www.asahi.com/articles/ASG3C72D1G3CULZU00Q.html

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 【おことわり】3月7日付から3月11日付までの「身辺雑記」をまとめて更新しました。別ページに、「福島原発被災者の現状報告」と「写真画像特集」も掲載しています。


3月12日(水曜日) 非科学的な視野の狭さ

 STAP細胞の論文問題について、Yahoo!ニュースのコメント欄に、「何故、日本の研究に日本人が揚げ足とる必要があるのでしょうか? これも一つの戦後の自虐史感ですか?」といった投稿があった。この手の反応や書き込みをする連中がネット上でやけに目に付くのだが、なんて非科学的で視野の狭い思考なのだろう。情けない。愚かすぎるにもほどがある。

 疑問や矛盾があれば問題提起し、速やかに検証するのが科学的態度というものだ。「揚げ足」などという低次元の話ではない。むしろ当然の対応ではないか。検証し反証することで、研究内容はより完成度の高いものになっていく。おかしなものは淘汰される。そもそも日本人だとか国籍だとかは全く関係ない。


3月13日(木曜日) 研究姿勢そのものが問われる

 STAP細胞論文の疑義に加え、小保方晴子さん自身の博士論文も問題視されていることについて、生殖細胞の研究者を自称する人が「STAP論文とは関係ない。指導教官の問題だ」とツイッターでつぶやいているのを見かけた。確かに指導教官の罪も重いが、大量コピペした博士論文を平然と提出した本人の罪こそ最も重いのでは。そもそも研究姿勢自体が疑われる行為なのだから、STAP論文と無関係ということはない。

 小保方さんを擁護したりフォローしたりするにしても、こういうのはおよそ科学的態度ではないと思うよ。科学者としての研究姿勢そのものに関わる問題なのだから、過去の論文や研究成果に、データの使い回しやコピペや盗作や捏造があったかなかったかは、むしろ大いに検証されるべき話だろう。なるほどインターネットは「馬鹿発見器」「信用失墜マシン」だよなあと改めて思う。

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 教育行政への自治体の首長(政治家)の権限を強める「教育委員会見直し案」で、自民・公明両党が合意(朝日)。一見すると責任の所在が明確になって良さげに思われるかもしれないが、首長(政治家)の支配下に置かれる教育長に強大な権限が与えられ、教育委員会はこれまで以上に形骸化し、教育委員は名実ともにお飾りになる。政治が教育をすべて支配統制する戦前のような社会に戻ってしまっていいのか。不安と恐怖を禁じ得ない。

 首長(政治家)が教育長を支配し強い権限を持つと、教育委員は教育行政の監視もコントロールもできなくなる。「憲法を変えよう」「国防力の増強を」「国家に忠誠を誓おう」と勇ましい記述が満載された特定教科書が、多くの自治体で採択されるのは必定。まさに戦前のような国家統制教育のスタートだ。悪夢でしかない。

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 NHK経営委員に作家の百田尚樹氏、埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏を任命した理由について、安倍首相が参院予算委で答弁。「わが国を代表する哲学者」(そうだったのか初耳だよ)。「命の大切さを描いた作品で読者の共感を得ている」(そんな立派な人が東京都知事選の応援演説で「人間のくず」なんて言うかなあ)。アベちゃんのオトモダチは、優れた人格者たちばかりなんだね。ビックリだよ。


3月14日(金曜日) 再稼働なんてあり得ない

 原子力規制委員会は、九州電力の川内原発(鹿児島県)再稼働に向けた安全審査を優先して進めることを決めたが、まず最初に再稼働ありきの結論があって、それに沿ったアリバイづくりを進めているだけのようにしか見えない。地元自治体が同意すれば、今夏までに再稼働する可能性があるという。

 一部のメディアは「再稼働へ大きく前進」(読売)、「再稼働一番乗り高まる」(産経)などとはしゃいでいるが、正気の沙汰じゃない。地震や津波や避難対策は本当に大丈夫なのかということだけでなく、そもそも大量に出る放射性廃棄物の処理問題を考えれば、それだけでも、原発の再稼働なんてあり得ない。さらに、廃炉にかかる莫大な費用と作業員確保の問題も残る。福島原発の事故から何も学んでいない政府と電力会社と、そして一部のメディアと一部の国民。まったく懲りない人たちだ。

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 愛媛県西予市で震度5強を観測。瀬戸内海西部の伊予灘が震源。広島、山口、高知、大分の広範囲で震度5弱。四国電力の伊方原発に異常発生の情報はないということだが、原発を直撃してもしなくても、こんな危なっかしい地震大国で原発再稼働なんて正気の沙汰じゃない。

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 【メモ】め以子「どないしたらよかったんやろうって。どないしたらこんなふうにならんかったんやろうか。そんなことばっかり考えてた」。長男「答えは出たん? どうしたらよかったん?」。め以子「笑われても怖ても恥ずかしゅうても、言わなあかんことは言わなあかん。おかしい思たら言わなあかん。これは無力な大人の責任や。偉い人はそれを言わせなあかん。山のように言わせて聞く耳を持たなあかん。たぶんどっちも無責任やったんや」。

 =きょう14日放送のNHK朝ドラ「ごちそうさん」から。空襲で焼け残った自宅蔵の前で、復員した長男に語るめ以子の言葉。ほんまその通りやで。今の時代にも通じるええ台詞やなと思った。

 事実上の国営放送として、政府の広報機関のようなニュースを垂れ流しているNHKでありながら、この時間はなぜか意外とジャーナリスティックだ。戦前回帰路線をひた走る安倍政権下のこの時代に、絶妙にマッチした風刺的な台詞が多く、なかなか面白い。


3月15日(土曜日) 戦前の「国家統制教育」への序章

 下村博文文部科学相が沖縄県の竹富町教育委員会に対し、地区協議会が選んだ教科書を使うように是正要求を出した。文科相は「法治国家として違法状態を解消するのは当然」と言うが、地方教育行政法は自治体・教委に教科書採択権を認めている。竹富町教委の行為には何も問題はない。

 国(安倍政権)は、保守色の極めて強い育鵬社版の中学・公民教科書を使わせたいのだ。竹富町の教育委員が選んだ東京書籍版を排除し、育鵬社版で統一しようと躍起になっている。しかし、国が地方自治体の個別の教育内容にまで口を挟み、強権的に踏み込むのは、戦前の国家統制教育と同じではないか。

 育鵬社版の教科書は、石垣市の教育長が主導する八重山採択地区協議会(石垣市・竹富町・与那国町)が選んだ。だがその選定過程は一方的で、手続きの正当性に疑義も指摘されている。竹富町が教育的配慮から教科書の内容を吟味し、独自に選んだ教科書を使うことにそもそも違法性はない。むしろ自然だ。

 安倍政権がやろうとしていることは、教育へのあからさまな政治介入だ。竹富町だけの問題ではない。これを足がかりに、教育への国家統制を強めようという意図が透けて見える。むしろあまりにも見え見えで露骨すぎると言っていい。教育行政への首長(政治家)の権限を強める「教育委員会制度改革」も、その一環だろう。

 首長(政治家)の支配下に置かれる教育長に強大な権限を与え、教育委員の存在を有名無実化するのが、安倍政権の「教育委員会制度改革」の狙いだ。国家が教育のすべてをコントロールしようというのだ。戦前の国家による管理統制への反省に基づく「教育の政治的中立」を、安倍政権は根底から引っくり返そうとしている。このままでは中学の公民教科書が育鵬社版で統一される日も、そう遠くはないかもしれない。


3月16日(日曜日)A版 学生の教訓となる論文コピペ

 STAP細胞論文に疑義が生じている小保方晴子さんが、早稲田大の博士論文を取り下げる意向だという。まあそうなるだろうな。それにしても今回のSTAP細胞論文騒動は、実に素晴らしい反面教師になるなあと、ある意味心から感謝している。とても分かりやすくリアルな教訓として、学生たちに指導できるからだ。

 学生たちには講義の冒頭やレポート課題を示す際に必ず、次のようなことを言う。(1)レポートや論文などで、ほかの文献からのコピペ(剽窃・盗作・無断借用)・文章や画像などの勝手な改変は絶対にやってはいけないこと。(2)恥ずべき犯罪行為であること。(3)コピペ(剽窃・盗作・無断借用)は、遅かれ早かれいずれバレること。

 これからはそこに「STAP細胞の小保方さんのように」と枕詞を付けることで、学生にはよりリアルで身近な問題として理解してもらえることだろう。

 学生の書いた文章やレポートにコピペがあると、なんとなく分かるんだよなあ。まともな教員であれば、熟読ではなくてざっと斜め読みしただけでも、違和感があってコピペだと分かるんだよ。そこで改めて確かめると、やっぱりコピペだったとなる。いくつかポイントがあって、それは企業秘密なので明示はしないけど(笑)。

 それにしても、コピペやデータの改変がバレないと思っているのが不思議でならない。「やってはいけないという認識がなかった」と言っているらしいし、小保方さんに限らず、ほかの学生や研究者にもそういう人は少なくないのだろう。だからこそ、レポート課題を出す際や講義の際にも、しつこいほど「基本中の基本のルール」を話さなければならないと思う。

 付け加えるまでもないけど、記者の書く原稿にも同じことが言える。コピペはいかんよ。もちろん捏造なんて論外。事実の積み重ねが取材の基本だ。

 【編注】3月16日付「身辺雑記」は、後ほど別項目の記事をB版として、追加掲載する予定です。


3月16日(日曜日)B版 河野さん裁判終結のつどい

 痴漢冤罪事件で懲戒免職された横浜市立高校の元教諭・河野優司さんについて、東京高裁が懲戒免職処分を取り消した逆転勝訴判決が最高裁で確定したのを受けて、3月16日に横浜市内で「河野さんの裁判終結お礼と報告のつどい」が開かれ、支援者や教え子ら約110人が参加した。

 河野さんは、娘のアルバイト先に顔を出そうと訪れた横浜市内のデパート地下食料品売場で、女性客の体を触ったとして、神奈川県迷惑防止条例違反の罪で罰金刑が確定し懲戒免職になったが、一貫して無実を訴えて処分の取り消しを求めてきた。

 免職処分の取り消し判決が確定したというのに、横浜市教育委員会は、教職員組合や弁護団の再三の要請にもかかわらず、いまだに解決の具体的条件を示していない。それでも処分取り消し判決を勝ち取って裁判が終結した報告だけはしなければと、確定から3カ月半後のこの日、つどいを開いて喜びを分かち合った。

 河野さんの支援組織の代表で元同僚の飯田洋さんは、「これまで(司法に)ことごとく裏切られ続けて、ようやくこの日を迎えた。8年間いろいろなことがあった。事件当時大学生だった河野さんの次女は、大学を卒業して横浜市に就職し、小学校の教員になり、結婚して出産した。8年とはそういう時間だった」と長かった裁判を振り返った。

 続いて登壇した岡田弁護士は「思いはいっぱいある。話せばきりがない」と切り出し、逆転勝訴確定にいたる感無量の心情を吐露。その一方で、いまだに身分保障も賃金補償の解決策を示そうとしない横浜市教委に対し、怒りと不満をぶつけた。

 河野さんは、これまでの裁判を通じて印象に残った司法関係の本を3冊紹介。「犬になれなかった裁判官」(安倍晴彦)、「裁判官の品格」(池添徳明)、「絶望の裁判所」(瀬木比呂志)を手にし、「裁判は裁判官次第だとの思いを強くした。司法を改革するというのなら、弁護士を裁判官にしなさいと言いたい。皆さんにも司法の問題を考えてもらいたい」と訴えた=写真。

 高校教員の職を失い、河野さんはタクシー会社に就職し運転手となって家計を支えているが、足掛け8年間は経済的にも厳しい毎日だった。家庭崩壊の危機も何度かあったという。そんな生活を振り返り、物心両面から支えてくれた友人、娘2人と妻にかけた苦労に改めて思いを馳せた。

 冤罪事件は職を奪い信用も失わせ、本人だけでなく家族や周囲の生活も一変させる。それだけに、冤罪を生み出してしまった捜査機関や裁判官の責任はきわめて重大だ。正当な手続きや処分規定を踏まず、懲戒免職処分を強行した横浜市教委の杜撰さと無責任さによる罪も、同様にきわめて重い。市教委が、河野さんの身分回復を放置しているのは、職務怠慢そのものだ。市教委には公僕としての良心に恥じない、誠意ある迅速な対応が望まれる。


3月17日(月曜日) NHKがまず検証すべきは籾井問題

 NHKが16日の正午前に放送した総合テレビ「NHKとっておきサンデー」の中で、佐村河内氏関連番組(特にNHKスペシャル)についての調査報告を伝えた。事実と違う番組を作ってしまった過程を検証報告したのは、それはそれで評価したいが、しかしNHKはそれ以上にまず、公共放送の根幹に関わる籾井会長の問題こそしっかり検証報告すべきだろう。

 これまでNHKは籾井発言やそれにまつわる問題を、ニュース番組などでほとんどまともに視聴者に伝えてこなかった。そもそも事実としてきちんと伝えるべきだし、籾井氏が会長に就任してからこれまでの経過や、局内外での議論や影響・波紋なども含め、NHKは視聴者にしっかり説明する責任がある。

 公共放送のあり方はもちろん、独立した報道機関としての姿勢の根幹を揺るがしかねない重大問題なのだから、何はさておき視聴者に事実関係をつまびらかに知らせる必要がある。それができないなら、NHKは「公共放送」の看板を下ろすべきだ。


3月18日(火曜日) 花粉症

 花粉症の症状が半端なく重く、すっかりやる気が失せている。労働意欲は皆無に等しい。なんだかなあ。


3月19日(水曜日) 育鵬社版教科書の模擬授業から

 教科書採択の行政介入問題を考える集会を取材した。育鵬社阪の歴史教科書を使い、公立中学校の先生が「韓国併合」の単元を例に模擬授業。日露戦争の勝利はアジア諸国民に希望を与え、韓国併合で朝鮮は発展したことが、授業を通して淡々と刷り込まれていく。実に興味深い内容でとても参考になった。

 一見するともっともらしい育鵬社版教科書の記述を、先生の話術と問いかけで分かりやすく説明していくのだが、実際には一面的・断定的・感性的で、雰囲気に飲ませる授業が展開される。戦争で疲弊する国民の描写はなく、他社の教科書にはある「帝国主義」「植民地」という言葉は一切出てこない。

 肝心なところは曖昧にし、他社の教科書はどこも使っていない「国際的地位の向上」との言葉を使う。「強制した」「奪った」という言葉は使わない。文献から意図的に都合のいいところのみを引用し、子どもたちに深く考えさせず、強引に一方的な結論に導くのが、育鵬社版の教科書を使った授業だった。

 「子どもたちが育鵬社版教科書の影響を受けているのがよく分かる」と現場の先生は言う。支配を正当化するのが育鵬社版教科書の特徴だ。育鵬社の採択地区の先生は、「間違った歴史を教えているのではないかと思いながら授業をしている。教え子を再び戦場に送らないと言える自信がない」とこぼす。

 それでも育鵬社版の教科書を反面教師的に使ったり、他社の教科書の記述と比較して教えたりして、子どもたちに考えさせることはできる。工夫しながら授業をしているが、育鵬社版には随所におかしな記述があるので、知らない間に事実をねじ曲げて教えているのではという不安があるという。現場の苦悩は深い。

 【おことわり】3月16日付のB版から3月19日付までの「身辺雑記」を、まとめて更新しました。


3月20日(木曜日) 改めて任命責任を問う

 そもそも辞表提出を強要すること自体が異常だし、「辞表を使って理由なく解任するなど人事権を乱用することはない」のであれば返せばいいじゃないか。籾井氏は人物としての器が小さいだけでなく支離滅裂。今さら改めて言うまでもないことだけど、こんな輩を会長に任命した安倍首相の人間性そのものを疑う。

→NHK籾井会長「理事の辞表、返すわけにいかぬ」(朝日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140320-00000037-asahi-soci


3月21日(金曜日) 自称「ドキュメンタリー」の信憑性

 自称ドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」が、「うらやすドキュメンタリー映画祭」でやらせの経緯を説明した上で上映されるという(朝日)。「この演出が問題か見て考えてほしい」と映画祭代表。捏造と演出、創作ドラマとドキュメンタリーの区別もつかない「ドキュメンタリー映画祭」って何だ。

 ラジオの電波が届かず、ラジオを聴く習慣もなかった仮設住宅の女性にCDを聴かせて、「いつも聴いている」と言わせるのは、事実の捏造でしかない。それのどこがドキュメンタリーの「演出」なのか。事実をねじ曲げて物語を仕立て上げるドキュメンタリーなんて、そもそもあり得ない。

 「ガレキとラジオ」のナレーションを担当した役所広司氏は、やらせが発覚してすぐさま自身の公式サイトで、「この映画は今後二度と上映されるべきではない」と表明している。ドラマとドキュメンタリーの違いをしっかり理解している役所広司氏はさすがだ。筋の通った対応に感心・共感する。

 自称「ドキュメンタリー映画」を撮った監督はもちろん、自称「ドキュメンタリー映画祭」を主催する代表も、ドキュメンタリーとは何か、事実とは何か、という基本が全く分かっていないことに驚愕する。事実を積み重ねることを仕事としている記者の一人として、どうしても看過できないし容認し難い呆れた話だ。それにしても、とんでもない「ドキュメンタリー映画祭」があったものだなと改めて言葉を失う。ほかの上映作品の信憑性も疑われかねない。


3月22日(土曜日) 大きめの書棚を購入

 家具を購入するためホームセンターに出かけたら、買い物客でごった返していた。消費増税前の駆け込み需要だそうだ。100円なら負担増は3円だけだから大したことはないと思うが、これが1万円や10万円や100万円になってくると消費税8%は結構きつい。家具は結構高額だからなあ。さらに車とか家になると増税額は半端じゃない。トイレットペーパーとはワケが違う。駆け込み需要も当然だよなあと納得。

 でもって僕が購入したのは少し大きめの書棚。それと整理棚も。本や書類が山積みの部屋を片付けるには、やはり新しく書棚を買うしかない。配送は数日後になるが、これで室内はかなりすっきりするはずだ(たぶん)。


3月23日(日曜日) 茶番劇と民度

 思い通りにいかなくなると任期を途中で放り投げ、都合よく「民意を問う」と強弁する橋下。税金を無駄に使った茶番劇への大量白票は、大阪人の心意気だというが、そもそも橋下を市長に選んだ大阪人の民度そのものを疑う。公私ともに詭弁を繰り返し詐欺師のような言動を振りまく橋下みたいな男に、大阪人の多くが一票を投じてきたこと自体が不思議でならない。大阪生まれの一人として心から情けない話だと思うよ。

<大阪市長選>当選橋下氏、次点は白票、6万票余が無効票に(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140324-00000003-mai-pol


3月24日(月曜日) データ収集

 大学のSCC(パソコンルーム)で資料やデータを収集。春休みのため学生がほとんどいないので、どこも空いていて静かで快適。


3月25日(火曜日) 竹富町教委の判断は適法だ

 下村文部科学相は「法律を正しく理解しようとしていない」と竹富町教育委員会を批判するが、法律を理解していないのは下村氏の方だろう。竹富町教委は、地方教育行政法に則って適正な対応をしている。同法は自治体・教委に教科書採択権を認めている。

 「法律を正しく理解しようとしていない」とする下村文科相の一方的批判を、そのまま垂れ流すNHKニュースに悪意を感じる。もしNHKに悪意がないのだとすれば、取材記者や番組ディレクターがあまりにも無知で、問題意識が欠如しているということにほかならない。

 地元の実情に即して地方自治体の教育委員会が独自に採択した教科書に対し、保守色の極めて強い教科書を使わせようと、国家権力が土足で踏み込もうとしていることにNHKの記者は何の疑問も感じないのか。いずれにしてもこんな不公正で一方的なニュースを平然と流す自称「公共放送」に、憤りを覚えるとともに愕然とする。これぞまさしく国営放送そのものではないか。

文科相、竹富町教委の方針を批判(NHK)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140325/k10013215631000.html


3月26日(水曜日) 整理整頓とは「捨てること」

 自宅の室内を整理整頓し、大幅にリニューアルする作業が進行中だ。山のように詰まれた本や書類をひたすら片付けている。早い話が大掃除なんだけど、整理整頓とは「捨てること」だという事実を改めて痛感している。

 「この資料やパンフレットやチラシは、またきっと必ず後の取材で必要になるはず」などと考え出すと、結局はすべて保管することになるのだが、しかしそれでは何も片付かない。そこで「思い切って捨てる」という決断が迫られる。ところがこれが、言うのは簡単だけど実行するのは困難なんだよなあ。なんとか頑張って決断を繰り返しているところだ。


3月27日(木曜日) 「袴田事件」の再審開始決定

 「袴田事件」の再審開始を静岡地裁(村山浩昭裁判長)が決定。死刑執行停止(勾留停止)も決め、袴田巌さん(78歳)は48年ぶりに釈放された。地裁決定は、証拠とされるシャツに付着した血痕のDNA型の不一致を認め、死刑判決を支えた重要証拠とされる着衣について「捜査機関の捏造の疑いがある」とまで言及。事実上の無罪判決に等しい。

 これまでさんざん指摘されてきた事実を、裁判所がようやく認めた。遅きに失した司法判断とも言えるが、事実上の無罪判決に等しい決定内容は高く評価できる。地裁決定は「これ以上勾留を続けることは耐えられないほど正義に反する」とも指摘。ここまで批判されたら、再審開始決定を引っくり返すのは難しいだろう。

 再審開始決定は喜ばしいが、袴田巌さんは長期間にわたる身柄拘束による拘禁反応で、精神状態がおかしくなっているという。自分がどういう状況にあり、再審開始決定されたという事実も理解できているかどうか疑わしいらしい。なんと残酷で罪深いことか。

 袴田さんの失われた時間は二度と返ってこないし、家族や周囲の人生も大きく変えてしまった。捜査機関は真犯人を取り逃がしたことにもなる。冤罪を生み出した捜査機関と裁判所の責任は極めて重大だ。痴漢事件であろうが強盗殺人事件であろうが、どんな事件であっても冤罪は悲劇しか生まない。

 【おことわり】3月24日付から3月27日付までの「身辺雑記」を、まとめて更新しました。


3月28日(金曜日) すっきり

 いつもの美容室で髪の毛をカット。春らしく新年度に向けて短くしてもらう。さっぱり&すっきりした。


3月29日(土曜日) 雑誌は禁帯出にすべきだ

 横浜市立図書館では、雑誌も普通の本と同じように、最新号以外は普通に貸し出しているので、いつ行っても目的の雑誌がほとんど閲覧できない。予約しないと読めないのだ。10人待ちで手元に届くのは1カ月先になるのは当たり前だという。雑誌は禁帯出(館内のみの閲覧)にすべきだよなあ。

 雑誌を貸し出すのは、一見すると利用者にとって利便性が高いみたいだが、実はものすごく不便だし理にかなっていない対応だと思う。雑誌や新聞といったジャーナルな定期刊行物は、タイムリーに情報提供するのが生命線だからだ。吟味した情報を一冊にまとめた一般書籍とは目的が異なる。

 ほかの公立図書館だと雑誌は禁帯出が普通だよなあ。横浜市立図書館ではらちがあかないので、神奈川県立図書館に出かけた。窓口で申請すると1分もしないうちに、あっという間に書庫から雑誌を出してきてくれた。目的のページをコピーして完了。「今」を切り取って提供する新聞や雑誌は、やはり禁帯出であるべきだ。図書館外に持ち出すべきではないと改めて思う。

◇◇

 横浜の大岡川沿いの桜はまだ5分咲きくらい。やっぱり満開にならないと、「これは」という絵にはならないかな。それでも川沿いには、ビールに焼きソーセージ、ちゃんこ鍋などを提供する屋台やテントがぎっしり並んで、大勢の花見客で賑わっていた。いい匂いが漂ってきて、思わず腰を降ろしそうそうになる。


3月30日(日曜日) 部屋の片付け一段落

 自宅室内の整理整頓(要するに大掃除)がとりあえず一段落ついた。山積みの本をリビングに新しく設置した大きめの書棚に収納するとともに、「思いきって捨てる」という作業を断行し、必要ないと判断した書類を大量に処分した。おかげで少なくとも仕事部屋はかなりすっきり片付いたし、これまでノートパソコンを置くのが精いっぱいだったデスクの上は、大学ノートや書類を余裕で広げられるようになった=写真(整理整頓の前と後)。

 3月26日付「身辺雑記」で書いた通り、整理整頓の理念を初志貫徹した格好だ。ずるずると無駄なものを溜め込むという過ちを、二度と繰り返さないようにしなければと心に固く誓う。

 【おことわり】3月28日付から3月30日付までの「身辺雑記」を、まとめて更新しました。


3月31日(月曜日) 著しく正義に反する司法

 死刑制度の存廃の是非はともかく、一貫して無罪を主張し、直接証拠は何もなく、DNA型鑑定の信用性にも疑義があり、再審請求の準備をしていた最中にも関わらず、死刑が執行されてしまったのは著しく正義に反する。それが「飯塚事件」だ。死刑は執行されたら取り返しがつかない。

「飯塚事件」元死刑囚の妻の再審請求棄却=福岡地裁(平塚浩司裁判長)各社報道

◇◇

 いったん犯人だと決めたら、どれだけ無罪とすべき証拠が出てきても、自身のメンツを守り抜くためにどこまでもとことん被告人を追いつめる。まさに日本の検察はストーカー。社会正義の実現や推定無罪が聞いて呆れる。

 そもそも再審とは、いろいろ疑わしい点が出てきたので、もう一度きちんと審理をやり直しましょうね、ということ。確定判決を見直すか否かの判断は再審の審理ですればいい。ところが再審すらさせようとせず、いったん地裁が出した再審開始の決定すら葬り去ろうとするのは、著しく正義に反する。名張毒ブドウ酒事件、袴田事件、飯塚事件然り。

「袴田事件」再審、静岡地検が即時抗告(読売)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140331-00050108-yom-soci


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