身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2019年3月1日〜3月31日

●新元号●「主戦場」はそこじゃない●ここぞという時に●花粉症ピーク●超富裕層の離れ業●出稿の数で記者を「評価」?●盛岡冷麺●有権者を愚弄●原発問題こそもっと伝えよ●なし崩し独裁政権の悪夢●論理的に原発は不要だ●マスク●実態は「事実上の労働者」●予想外の裁判長●東京五輪返上すれば●みっともない、潔くない●有権者の無関心招く安倍政治●桜の開花も●利き酒3種●教員の職場環境改善●分かりにくい無罪判決記事●指導書に書けばいいのに●安倍政権よりはマシ●裁判官の不作為●玄関ドア交換●今期アニメ最終評●●●ほか


3月1日(金曜日) 新元号

 「新元号の発表まで1カ月」としてメディア(NHKを筆頭に)は新元号を予想し、「平成」と決まるまでの過程や秘密保持の経緯などを、さも一大事のように取り上げている。しかしそこには、昔と比べて最近は元号が使われなくなっていることや、西暦換算などが煩雑で不便なことや、そもそも元号は必要なのかといった観点がほとんどない。

 公的文書に元号記載を強要される是非などに触れることもなく、元号が市民生活の中心に存在しているかのような前提での伝え方は疑問だ。お上から「ありがたいもの」をいただくのだと言わんばかりの伝え方には、なおさら違和感がある。

 「時代の区切りの一つ」として元号を決めること自体を否定するつもりはない。だが、時の権力者が密室で一方的に決めたものを、下々の者に対して大仰に指し示し、時間を支配する象徴として「これを使え」と命じるかのような雰囲気には、どうしても不快感と気持ち悪さが募る。


3月4日(月曜日) 「主戦場」はそこじゃない

 東京高裁のツイート裁判官も東京新聞の記者も、戦う場所・舞台・土俵を間違えている(勘違いしている)という点で同じだと思う。ツイートで挑発したり、首相官邸の官房長官会見でしつこく食い下がったりしても別に構わないとは思うが、でも「本当にそこがあなたの『主戦場』なのですか」ということは問うておきたい。

 「ツイートを理由に処分されるのは表現の自由の侵害」との「ツイート裁判官」の主張は、一般論としてはその通りで正しい。国会の訴追委員会から本人が意見を聴かれ、訴追されて弾劾裁判で罷免されるほどの事案だとは思わないし、個人としてツイートして発信するのは自由だと思う。

 だが、受け取る側は必ずしも一般市民の個人的発信だとは受け止めない。ツイートしている本人が裁判官であるのは自明であり、ツイートされた内容は裁判官の発信だと理解する。安倍首相や麻生財務相の言動がすべて注視され、個人的言動と受け取られることがないのと同じだ。憲法で身分が保障されている裁判官は、法廷の場で絶大な権力を行使する立場にある。影響力がある公人の言動は、それだけに十二分な慎重さと配慮が求められる。

 だからと言って、罷免されるような事案だとは思わないのは先に述べた通りだが、ツイート裁判官に全面的に共感できるような事案でもない。本人はツイートで最高裁や国家や社会を挑発しているつもりなのかもしれないが、しかし本来の戦う場所・舞台・土俵はそこではないはず。本業の裁判(判決)でこそ、裁判官としての威力を十分に発揮すべきではないのか。裁判官にはそれだけの絶大な権限が与えられているのだから。憲法と法律と良心に基づいた判決をここぞという時にしっかりと言い渡すことこそが、その職(立場)にいる者の最大の務めのはずだ。

 首相官邸の記者会見で簡潔な質問ができず、長々と持論を展開し続ける東京新聞の記者も同じだ。記者会見で質問するのは記者として当然の行為だし、質問を制限・制約されたり、回答を拒まれたり排除されたりすることは断じて許されることでないのは言うまでもない2月21日付「身辺雑記」の「記者の後ろには」参照)が、記者の「主戦場」は記者会見の場なんかではないはずだ。

 記者会見とは相手を糾弾したり吊るし上げたりする場ではなく、相手に語らせて多くの言質を引き出すことにこそ意味がある。そもそも記者の本務は記者会見場の外にこそある。会見場の外で取材して多くの事実を積み重ねて伝えて問題提起すること、それこそが記者の果たすべき役割だろう。何回も言うが、記者会見は「主戦場」ではない。記者会見が最大の活躍の場だと考えているとすれば、それは大いなる勘違いである。

【関連記事】2019年3月5日付「身辺雑記」(「ここぞという時に」)


3月5日(火曜日) ここぞという時に

 きのう3月4日付「身辺雑記」の続き。学校現場に「日の丸・君が代」を強制した東京都教育委員会の「10・23通達」を巡る裁判で、思想・良心の自由を侵害するとして、2006年9月に画期的な違憲判決を言い渡した東京地裁の難波孝一裁判長。憲法と良心に従って裁判官の務めをしっかり果たした、この「難波判決」について、定年退官したある元裁判官が「自分はこういう生き方ができなかった。じっとこらえて、ここぞという時に裁判官の権限を行使したのだろう。感服した」と語っていたのを思い出す。

 場外乱闘もいいけど、しかし裁判官としての本来の戦う場所、あるべき裁判官の姿勢を示して職務を果たす舞台は、法廷にこそあるはずだ。裁判の審理と判決の言い渡しでこそ、その絶大な権限を十分に行使して、憲法の番人としての威力を発揮してもらいたいと切望する。

◇◇

 電車内で「クシュン」とくしゃみをしたら、2人おいて隣に座っていた女性が「クシュン」、さらに一つ向こう側の座席からも「クシュン」と次々にくしゃみが聞こえてきた。くしゃみも連鎖するのだろうか。「おお、お前も花粉症か」という謎の安心感とともに、なぜか不思議な連帯感が車内に広がっていった。そんなわけで、花粉症のピークとなった今日は花粉が大量に飛散。いやマジでまいりました(涙)。


3月6日(水曜日) 花粉症ピーク

 きのう花粉を大量に吸い込んだからなのか、鼻が詰まって熟睡できないし、目はショボショボして痒いし、くしゃみも頻発する。規定の用量の鼻炎薬を飲んでいるのに効き目が弱い。しかも寝不足と薬の影響で眠くてたまらん。ほとんど何もする気が起きない。最悪だ。花粉症のピークが一刻も早く過ぎ去ってくれるのを、ただひたすら願うばかりだ。


3月7日(木曜日) 超富裕層の離れ業

 保釈された日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告の「変装」について、弘中惇一郎弁護士「ふんぞり返って高級車に乗り込むより、一労働者のような格好でよかったかも」(報ステ)。ただの一介の労働者がこれだけの敏腕刑事弁護士を何人も雇って、10億円もの保釈金を用意するなんて、そんなことできるわけないじゃん。いったいどれだけ莫大な資産があるのやら。「人質司法」に風穴をあけたのも、超富裕層のゴーン被告だからこそできた離れ業。


3月8日(金曜日) 出稿の数で記者を「評価」?

 新聞記者の世界でも、営業マンの売上成績競争のようなことがまかり通っている、と信頼する先輩記者から聞いて一瞬耳を疑った。ある全国紙の総局デスクが、管轄地域内の支局や通信部などのすべての記者を対象に、出稿原稿の数を棒グラフにして一斉メールし、それを「評価」の対象にしていたという。つまり書いた原稿の本数で記者の優劣が決められるというのだ。

 それだと、簡単なお知らせ原稿や行政などの発表原稿をたくさん書いてさえいれば、上司から高く「評価」されることになる。逆に言えば、時間をかけて丹念に事実を掘り起こす取材や潜行取材を続けていると、おのずと出稿本数は減るから「評価」されないことになる。人事異動で次の配属先にも影響する。

 そうなれば、あえて面倒で困難な取材に取り組むのはやめて、記者クラブに居座り、簡単で気楽な原稿をたくさん書いてお茶を濁そうと考える「サラリーマン記者」が増えるかもしれない。そんな理不尽な職場を奨励し、記者として本末転倒の姿勢を部下に求めるデスクがいるなんて信じがたいが、教えてくれた先輩記者によると本当の話だという。

 もちろん、お知らせ原稿を一切書かないとか、発表原稿をないがしろにして、特ダネを狙うだけというのも困る。組織だからバランスが大事なのは言うまでもないが、記者は営業マンや広報マンではない。隠れている事実を掘り起こし、特ダネを拾って問題提起して批判し、権力を監視することこそ最も重要な記者の職務のはずだ。原稿の本数だけ過度に重視されて、原稿の内容や取材姿勢が軽んじられるようでは士気は下がるばかりだろう。記者の仕事は営業マンの売上成績競争とは相容れない。医師や教師の世界にも通じることだと思う。

 まあ、この話が特定デスクだけの度し難い発想で終わって、ほかの職場に波及するようなことがなければいいのだけど。それにしても、記者の風上にも置けないとんでもないデスクがいたものだ。言葉を失う。


3月9日(土曜日) 盛岡冷麺

 近所の百貨店で開催中の東北物産展で食べた「ぴょんぴょん舎」の盛岡冷麺=写真。ずっと食べたかった念願の盛岡冷麺を、やっと味わうことができた。値段は少々高いけど、ほどよくコシのある冷麺とさっぱりした酸味のスープが美味しかった。


3月10日(日曜日) 有権者を愚弄

 ニヤニヤ、ニタニタ、ヘラヘラ。通常答弁でも、野党議員を揶揄した答弁でも、自身の発言を謝罪撤回する答弁でも、常に不誠実極まりないふざけた態度の横畠裕介・内閣法制局長官。長官辞任はもちろん、信用失墜行為で懲戒免職されるべき事案だ。麻生太郎財務相の態度にそっくりで不愉快極まりない。

◇◇

 大阪維新の政治家はまるでストーカーのようだ。「都構想」なんて住民投票で否決されて、もう何回もダメ出しされているのに、それでもなお自分たちの主張が通るまでしつこく選挙を繰り返す。しかも今度は大阪府知事と大阪市長がそろって辞職し、知事と市長が入れ替わって出馬する前代未聞のダブル選だという。有権者を愚弄し税金を無駄遣いして選挙を繰り返す彼らの「粘着性」は、異常としか言いようがない。これをストーカーと言わずして、ほかになんと表現すればいいのだろう。大阪ダブル選の「ネーミング」を考えるとしたら「維新ストーカー選挙」と命名するしかない。


3月11日(月曜日) 原発問題こそもっと伝えよ

 東日本大震災から8年。NHKをはじめテレビ各局が震災特集を放送するのはいいが、番組の半分以上の時間は原発事故に割くべきだろう。深刻な被害は甚大で影響は計り知れず、今この瞬間も福島原発からは大量の放射線物質が垂れ流され続けているばかりか、収束のめどすら立っていない。そもそも人災である原発事故さえなければ、多くの資金と人手がほかの震災復興に使えたのだから。

 なぜ原発事故が起きたのか、なぜ防げなかったのか、福島原発の現状はどうなっているのか、今後の廃炉までの工程はどうなるのか、故郷を追われた人たちの生活はどうなるのか、東京電力と政府の責任は、東電の被災者への補償はどうなっているのか、ほかの原子力発電所をどうするのか、核廃棄物の処理はどうするのか。そういったことこそ時間をかけて、もっとていねいに繰り返し伝え続けなければならない。それこそが公共放送の責任であるはずだ。


3月12日(火曜日) なし崩し独裁政権の悪夢

 自民党の二階俊博幹事長が、安倍首相の党総裁4選について「十分あり得る」と言及。権力はどんなものでも長く続くと必ず腐敗し癒着する。そんな歴史・経験・教訓から、あらかじめ「任期」が設定されているのではないのか。それをなし崩しに一度ならず二度までも任期延長を重ねるなんて。これぞ独裁そのもの。しかも安倍首相が「余人をもって代え難い」であるとは、タチの悪い冗談としか思えない。

 ゾンビのように甦った第二次安倍政権の発足以降、まさに悪夢が繰り返し続く。これまでどれほど立憲主義と議会制民主主義と基本的人権を愚弄し無視し破壊し、国政を私物化してきたことか。ほかにまともな人材はいないのか。度し難い安倍自民党。

二階自民幹事長、安倍首相の4選は十分ありうる(NHK)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190312/k10011845071000.html


3月13日(水曜日) 論理的に原発は不要だ

 原子力発電はどこからどう考えても経済効率が悪すぎる。企業経営者でありながら、そんなことも分からないほど経団連の中西宏明会長(日立製作所会長)は頭が悪いのか。「原子力エネルギーは遠い将来を含めて必要だ。感情的に反対する人と議論しても意味がない」と主張する中西会長こそ感情的で、非論理的としか言いようがない。

 ひとたび原発事故が起きれば被害は甚大で、大惨事の影響は広域にそして未来にまで果てしなく広がる。しかも炉心が溶融すれば、核燃料の取り出しには気が遠くなるほどの莫大な費用と人手がかかる。通常の原発の廃炉作業でさえ長い年月と巨費が必要になるというのに。そもそも原発を稼働すればするほど、大量に溜まっていく核廃棄物の処理はいったいどうするつもりなのか。これほど経済効率の悪い原発を続けるなんて、論理的に考えてあり得ない。


3月14日(木曜日) マスク

 あまりにも大量の花粉が飛散しているように感じるので、ふだんは滅多に使うことのないマスクを止むを得ず着用した。室外を長い時間歩くと、鼻炎薬を飲んでいても調子が悪くなるのに、マスクを着けたらほとんど問題なく過ごせた。効果てきめん。息を吐くとメガネが曇るし息苦しいし邪魔で鬱陶しいし、本当はできればマスクなんかしたくないのだけど、背に腹は代えられない。外に出ないのが一番いいのだが、そういうわけにもいかないものなあ。


3月15日(金曜日) 実態は「事実上の労働者」

 コンビニの店主(オーナー)は確かに労働組合法の定める労働者には当たらないかもしれないが、経営者としての裁量権はほとんどないし、本部との契約も「奴隷契約」に近いので、実態は「事実上の労働者」と言っていいのではないか。都立高校の校長が東京都教育委員会に支配・管理・統制されて、裁量権がほとんどないのと同じ構図だ。

 実際に現役の都立高校の校長は、自分たちの立場を自嘲的に「われわれはコンビニの店長のような存在だ」と言って揶揄している。都教委は都合のいい時には「校長は学校の最高責任者」と持ち上げて責任を押し付けるが、現実は学校現場の校長に裁量権はほとんど認められていない。都教委事務局の指揮命令下に置かれているからだ。コンビニの店長(店主)も都立高校の校長も、実態は独立した経営者や最高責任者からはほど遠い立場にいる。

コンビニ店主の団交権認めず、「労働者に当たらず」中労委(時事)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000090-jij-bus_all


3月18日(月曜日) 予想外の裁判長

 午後から東京地裁。公立小学校教諭の免職処分取り消し訴訟の弁論を傍聴取材。裁判長が原告側の反対準備書面を、しっかり読み込んで質問していたのが予想外でびっくりした。準備書面が提出されてからまだ数日しか経っていないにもかかわらず、あれだけ細かく間違いや疑問点を指摘して、しかも本質を突いた質問を被告側にするなんて、ちゃんと読んでいなければできないと思われるからだ。さらっとなぞって読み流す裁判官が少なくないのに。少なからず見方が変わった。

◇◇

 JOCの竹田恒和会長が退任の意向表明へ。五輪招致を巡る不正疑惑(贈賄容疑)で「潔白との姿勢には変わりない」というのであれば、退任する必要はないのでは。退任するなら真っ黒なのを認めたことになるわけで、だったらカネで不正に招致した東京五輪なんてもう返上するしかないじゃん。

 そもそも東京五輪はさほど盛り上がっていないし、福島原発事故の廃炉作業はにっちもさっちもいかず、収束までにこれから何十年かかるかも分からない状況で、オリンピックどころではないはずなんだけど。


3月19日(火曜日) みっともない、潔くない

 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長が退任の意向を表明。しかしすぐに辞めるわけではなく、任期満了となる6月までは会長を続けるのだという。フランス捜査当局による身柄拘束を恐れて海外出張もできず、国際オリンピック委員会(IOC)からは圧力をかけられながら、あと3カ月も会長職にとどまるとは。もしかしてこのまま6月の退任まで、竹田会長は国際会議を欠席し続けるのだろうか。

 見苦しいし、みっともないし、潔くない。スポーツマンシップからほど遠い。この期に及んで、それでもなお「不正なことはしていない。潔白を証明していく」と言うのなら、定年規定を変更してまで続投する気で満々だったJOC会長をなぜ退くのか。支離滅裂。なんとも中途半端で煮え切らない身の処し方だ。カッコ悪い。


3月20日(水曜日) 有権者の無関心招く安倍政治

 知事選や政令市長選などの統一地方選が始まる。民主主義の基礎となる地方自治。そのかじ取り役を選ぶ大事な「権利行使の機会」のはずだが、沖縄の知事選や県民投票で何度も示された地元有権者の明確な意思を、当然のように無視し愚弄し足蹴にするこの国の政府(安倍政権)の非道な振る舞いを繰り返し見せつけられると、憤りを通り越して諦めと無力感しか残らない。

 こうした権力の横暴が、多くの市民の政治的無関心と無気力と民主主義の疲弊を招く。投票率も下がる一方だけど、それこそが安倍自民党の狙いなのだろう。主権者たる日本国民は馬鹿にされ舐められている。コケにされているのは沖縄県民だけじゃない。


3月21日(木曜日) 桜の開花も

 春分の日の横浜の最高気温は21度。横浜や東京都心ではソメイヨシノの開花が確認された。来週末には満開を迎えることになりそう。暖かいのは大歓迎だけど風が強いのが困る。大量に花粉が飛び散るからだ。せっかくの春の陽気と桜の季節到来も、すべて花粉がぶち壊しにするのが恨めしい。


3月22日(金曜日) 利き酒3種

 大学の先生と大船で飲んだ。大衆居酒屋と和酒BARと台湾家庭料理店の3軒をはしご。2軒目の和酒BARでは「利き酒3種」として、「飲みやすくすっきりした味わいの日本酒」をリクエスト。お店の人が選んでくれたのは、「田中六五」(福岡県糸島)、「紀土」(和歌山県海南市)、「風の森」(奈良県御所市)の3つ=写真。僕の口には「田中六五」が合ってるように思えた。


3月25日(月曜日) 教員の職場環境改善

 横浜市の市立学校では「職員室業務アシスタント」が配置され、電話応対やプリントの印刷、配布物の仕分けなどを教員に代わって担ってくれているという。

 「退勤時刻を過ぎ会議が終わって職員室に戻ると、印刷や仕分けが完了している。本校のアシスタントは学校現場の経験者で、学校の現状を把握し教員の働き方を深く理解し寄り添いながら務めて下さっていることが、何よりも心の支えになる。小さな悩みもつい相談してしまう存在だ。それらの積み重ねが、気持ち的にも時間的にも余裕をもって生徒と接することができ、授業研究の時間に充てられていると実感する」(横浜学校労働者組合の機関紙「横校労」最新号から)。

 忙しすぎる学校現場で、教員が安心して子どもと接し授業に取り組めるようにサポートする「職員室業務アシスタント」の導入は、職場環境の改善の一助となるかもしれない。とは言うもののそもそも無駄な校務や会議に多くの時間を取られ、教員同士の会話がなく連携もできず、教育委員会から管理統制され、がんじがらめになって身動きできない、そんな学校現場の抜本的変革こそ、何よりも急務だと思うのだけど。そして教員定数増も。


3月26日(火曜日) 分かりにくい無罪判決記事

 準強姦事件の無罪判決を伝える2週間前の毎日新聞記事。この短い一報記事をいくら読んでも、事実関係や無罪の判断根拠がよく分からなかった。毎日新聞の記事だけで判決の是非を判断するなんて無理だし、ともかく説明が不十分な欠陥記事だと思った。

 ところがこの不確かな記事を引用して、無罪判決はおかしいと一刀両断する書き込みがネット上に次々に出回る。それを目にして、ものすごく違和感を覚えた。こんな意味不明で中途半端な記事だけでよく判断できるなあ、判決文を読んでみないと分からないや、というのが率直な僕の感想だ。

 司法担当の新聞記者は基本的に、判決文を読んだ上で裁判原稿を書く。判決を読まずに原稿を書くことはまずない。それなのにこういう記事になったのは、毎日記者の理解不足か誤認か原稿が下手かのいずれかが原因だと思われる。そもそももう少し詳しい状況や背景の説明がほしいし、故意犯か錯誤だったのか、故意が立証できず過失とされたのかに触れた上で、過失と認定されると強姦罪では無罪になることについても説明すべきだった。

 もちろん判決全文を読まなくても、新聞記事だけで判決を評価することはあるし、それがおかしいとは思わない。きちんと判決の要約や説明がされている記事は少なくない。しかし今回の準強姦事件の無罪判決について、毎日新聞の記事だけで判決を批判するのは無理があるというか乱暴だ。判決を読まないと分からない。少なくとも僕はそう感じた。

準強姦で起訴の男性会社役員に無罪判決、地裁久留米支部(毎日)

https://mainichi.jp/articles/20190312/k00/00m/040/099000c


3月27日(水曜日) 指導書に書けばいいのに

 来年度から小学校で使われる教科書の平均ページ数は、現行の教科書と比べて1割以上増加。指導経験の少ない若手教員が使いやすいように、板書例や授業の時間配分案を盛り込むなど、授業進行をサポートする内容になっているという(朝日)。そういう記述は教科書に盛り込むのではなく、教師用の「指導書」(虎の巻)に書けばいいのに。子どもたちが見る教科書にわざわざ盛り込んで、ページ数を増やす意味がどこにあるのか全く分からない。


3月28日(木曜日) 安倍政権よりはマシ

 「安倍政権がダメでも自民党に代わる政党がない」「ほかに任せられる野党がない」などともっともらしく現状を肯定する声を聞くが、冗談じゃない。安倍自民党と比べたら立憲民主党や共産党などの野党の方がはるかにマシだ。史上最低最悪の傲慢不遜さでデタラメ無法をごり押しする、そんな安倍政権よりもひどい政権なんてどこにもないと思うけどね。


3月29日(金曜日) 裁判官の不作為

 再審判決で無罪を言い渡す裁判官は、誤審した裁判所の怠慢と不作為について言及すべし。冤罪は警察や検察だけの責任ではない。裁判官も同罪だ。最初から犯人だと決めつけ、証拠の捏造や隠蔽を平然と行う捜査当局を放置し、弁護側主張(証拠開示請求や証人申請など)をことごとく退ける裁判官の職務怠慢は、むしろ警察や検察以上に悪質で著しく正義に反する。

◇◇

 マンション改修事業の一環として、午後から自宅玄関のドア交換工事。思っていたよりも大がかりな作業は3時間以上。その間ずっと在宅待機していなければならない。ドアは開けっ放しというか取り外してしまうと寒いし、電動工具の音がものすごくうるさい。でも見違えるほど立派なドアに変身したから、まあいいか。


3月31日(日曜日) 今期アニメ最終評

【今期アニメ最終結果評】(◎面白かった秀作。◯オススメ。△まずまず)

◎上野さんは不器用(MX)

◎かぐや様は告らせたい?天才たちの恋愛頭脳戦(MX)

◎私に天使が舞い降りた(MX)わたてん。

◎五等分の花嫁(TBS)

◎ケムリクサ(MX)

◯約束のネバーランド(フジ)

◯どろろ(MX)

◇◇

△同居人はひざ、時々、頭のうえ。(MX)ひざうえ。

△モブサイコ100/2期(MX)

△えんどろ〜!(MX)

◇◇

◯ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか(MX)【再放送】。ダンまち。

◯この素晴らしい世界に祝福を!(MX)【再放送】。このすば。


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