●漫画文庫●紹介記事●不自由な一日●検定合格●「揺さぶり取材」●指導主事の本音●小さなお使い●証拠申請●カレーミュージアム●生き方の問題●住所変更の連絡●千社札●総裁選という名の自民党宣伝●花粉症復活?●取材却下●元気と意欲と刺激と●労働意欲が半減●まとめて放出●教員の結婚パーティー●普通の人にこそ●国民?の意思●平然とうそをつく人々●記者は日々勉強●拡大読者会●小泉人気と大政翼賛会●●●ほか
4月1日(日曜日) 漫画文庫きのうほどの寒さではないが、それでも気温はかなり低い。しかしたぶんそのおかげで花粉症は落ち着いている。本当は寒いのは好きじゃないんだけどなあ。終日、原稿執筆の準備などをしながらだらだらと過ごす(おいおい、緊張感のない奴だな)。なんてことを言いつつ、弓月光がその昔に「週刊マーガレット」に連載していたドタバタ・ラブコメ漫画「ボクの初体験」の文庫版を読んでしまった。この作品は弓月光の最高傑作だとひそかに思っているのだが、それはさておいて、最近はこの手の「絶版コミックス」が漫画文庫として復刻されることが多い。たぶん、かつて人気漫画に熱中していた少年少女たちが、中学・高校・大学生時代を懐かしんで買うことを想定しているのだろう。なかなかの商売上手である。実を言うと僕も、実家の自分の部屋には弓月光の初期作品(絶版になっているマーガレットコミックス版など)があるはずなのに、ついつい文庫版も買ってしまったんだよなあ。でもって書店に寄ったら、吉田まゆみの「れもん白書」の文庫版が書棚に並んでいた。こっちも講談社コミックス版が、たぶん実家にはあるはずだけど購入。もちろんきょうは、もう読みません(自爆)。
4月2日(月曜日) 紹介記事「日の丸がある風景」の紹介記事を書いてくれた友人の共同通信記者から電話をもらう。記事が全国配信されたという。で、とりあえず今のところ、3月31日付の京都新聞と熊本日日新聞、4月1日付の中国新聞と埼玉新聞のそれぞれの読書のページに、短いけれど記事が掲載されたと連絡してきてくれたのだった。各紙を読ませてもらったが、限られた行数の中で的確に紹介してくれている。共同記者によると「たぶん、これから20紙くらいには掲載されると思う」とのことだった。感謝。ちなみに、新聞労連の機関紙(全国の新聞社の組合員約3万人を対象に発行)が先月、表紙の写真付きで大きく取り上げてくれた。そう言えばインターネットでも、ホームページやメーリングリストなどで紹介記事を載せてくれているのがあったなあ。市民グループの機関誌は、1ページを割いて書評を書いてくれていた。みなさんに感謝である。終日、原稿執筆。
4月3日(火曜日) 不自由な一日そんなわけで、トイレの抜本的な補修工事がやっと終わった。朝の9時から職人さんが入れ替わり立ち替わりやってきて、夕方4時までかかった。床下の型枠から補修するわけだから、まず下水道屋さんがトイレとタンクを外し、続いて床板をはがして大工さんがコンパネの補修工事をする作業に入る。それが終わったら今度は内装屋さんが床をきれいに張り替え、最後に再び下水道屋さんがトイレとタンクをセッティングしてすべての工程が完了だ。その間はトイレが使えないし、パソコン部屋(仕事部屋)はトイレの隣だから電動ノコギリなど工事の音がうるさいし、なにかと不自由きわまりない一日である。だがしか〜し。きょうが締め切りの原稿がまだ書き上がっていないので、ノートパソコンを持って和室に避難してカタカタと原稿を書き続ける。取材の一部がまだ途中なのだが、編集者からは「とりあえず仮原稿を送信せよ」と矢のような催促の電話がかかってくる。う〜。引っ越しをしてから予想外のハプニングが続くから、取材&執筆の進行状況がめちゃくちゃだよ。ちょうど工事完了とほぼ同時くらいに、全体の8割まで完成した原稿をとにかく出稿した。夕方から、工事現場の周辺を大掃除する。なんでこんな無駄な時間を費やさなければならんのだ…。ぶつぶつ。でもこれでやっと新居に落ち着いたという感じかな。原稿を無事に書き終えたら、引っ越し報告のはがきを大量に書かなければ。ふう。
4月4日(水曜日) 検定合格時代錯誤の「苔の生えた教科書」がとうとう誕生することになった。某メーリングリストでは「カビの生えた教科書」という表現をしていたが、あの「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校の歴史と公民の教科書のことである。ちなみに、中国のマスコミは「日本の右翼団体が編纂した教科書」と説明しているそうだ。それが百カ所以上の修正を経て、文部科学省の検定に合格した。それにしてもこの教科書を作った関係者は、実にご都合主義な人たちだよなあと思う。彼らは「日本の歴史のマイナス部分だけを取り上げて、日本人に誇りと自信を喪失させてきたこれまでの教科書とは、まったく違うものを作った」などと主張しているが、しかし実際には「プラスの部分だけを大きくクローズアップして、都合の悪い部分はなるべく触れないようにしている」のだから、なんだか「子どものけんか」を見ているような気になってくる。
よくいるんだよなあ、自分にとって都合のいいところは大声で主張するけれども、都合の悪い事実はなかったことにしてしまう奴が…。おまけにその肝心な「プラスの部分」まで捏造するのだから始末が悪い。学者がこの教科書を評して「歴史を学ぶ上で基本的に押さえておかなければならない部分が足りず、どうでもよい不必要な部分がやたらに多い。教科書としての水準に達していない」と述べていたが、実に言いえて妙な解説である。神話を史実だと信じて、大真面目に何ページも延々と書いていることだけみても、この人たちのレベルの低さと狂信ぶりが分かるというものだ。
そんなものが合格してしまうのだから、いやはや何ともやりきれない思いが募る。念のために言っておきたいのだけれども、これは「言論の自由」の問題では断じてない。どんなに突飛な記述をしても、神話を史実であると主張する本を出版しても自由だが、それを政府が「教科書として」認めるか認めないか、教室で使うことを強制するかしないかが問題なのである。舞台はこれから、夏までに結論が出される「教科書採択」に移るわけだが、実際に教科書を使って教える教育現場の声を無視して、政治的な力で強引に持ち込んでくる地域がたぶんいくつも出てくるのだろう。まさに今こそ有権者の意思表示と、現場教師の頑張りが求められる時だと思う。過去の苦い経験や過ちを繰り返したいのか、みんなが同じ方向を向いて異論や異質なものが排除される社会を容認するのか、かけがえのない個人が尊重されない社会で構わないと思うのか、そういうことが私たちの目の前に示されている。ファシズムの足音は静かに、だけど確実にひたひたと近付いてきている。
【「身辺雑記」の関連記事】◆2001年2月3日付「こんな教科書が…」◆同2月19日付「『外圧』も必要?」◆同3月1日付「『国辱もの』の教科書」
「揺さぶり取材」 午後から千葉へ。教育委員会を取材する。最初は公式的なことしか話してくれなかったが、硬軟取り混ぜて角度も変えながら質問を繰り出しているうちに、ぽろぽろと本音の部分がこぼれ出した。さらに今度は左右に揺さぶりながら突っ込んでみると、次第にガードが緩み始めるといった感じで、それなりに収穫の多い取材だった。必ずしも直接会って話を聞いた方がいいとは限らないのだが、今回は直接面と向かって相手と対話することで、そこそこ打ち解けられたケースと言えるかもしれない。もちろん基本は直接取材なんだけど、中には電話で話をした方がスムーズにいく場合もあったりするのだ。そのへんは単に取材技術上のことだからどーでもいいのだけど。まあ、こちらが聞きたいと考えている必要な話さえ聞ければ、方法論は人それぞれでよいのである。
千葉市のはずれの小じんまりした某イタリア料理店で、明太子スパゲティーを注文したらめっちゃうまかった。何と表現すればいいのだろうか、落ち着いた味わいの明太子がほどよく細い麺に絡んでいて、風味のあるとろっとしたクリームが上品に調和しているのだ(「美味しんぼ」じゃねえっつーの)。そんなに腹ぺこ状態ではなかったのにもかかわらず、冗談抜きにとても満足できる味だった。スパゲティーに感動したのは久しぶりだなあ。
4月5日(木曜日) 指導主事の本音教育委員会への公式取材が終わって、指導主事としばし雑談をしていたら、ぽつりとこんな本音を漏らした。「やっぱり現場で先生をやっている方が全然いいですよね。格好つけるわけじゃないですけど、風を感じるというか、子どもたちと向き合っていたらすぐに反応が返ってくるじゃないですか。何よりもそれが楽しいです。もちろんマスコミの方とこうして話をするなんてことは、学校ではなかなか経験できなくて、教育委員会にいるからこそこんな機会が持てるんでしょうけどね」。数年前までは学校現場にいた人だ。結構本音を語っているんじゃないかと思った。教育委員会に入るということは、先生の世界ではそれなりに出世コースではあるだろう。その先には教頭、校長、課長、部長、教育長といったポストが並んで待っているはずだ。けれども、子どもたちと一緒にいるのが好きで先生になった人にとっては、教室にいることこそが最大の喜びなのだろうから、この指導主事のように考える方が実はまともで、健全な教員の姿ではないかと思う。いかつい顔には似合わずなんてことを言うと失礼だけど、なかなかロマンチストだなあと、この本音の吐露を聞きながら微笑ましく感じた。
子どもが大好きなのに担任や授業を持たせてもらえず、ついに学校からも追い出された先生がいる。思想的な問題や管理職との対立が原因で、教育委員会に一方的に「不適格教員」のレッテルを張られて、強制的に長期の「研修」を受けさせられている。来週金曜日発売の「週刊金曜日」で、そんな小学校の先生の話を取り上げる予定だ。一日も早く学校現場に復帰して、大好きな子どもたちと大笑いできる毎日が取り戻せるようにと心から願う。
4月6日(金曜日) ドタバタ編集者の要望で、原稿を削って新しい文章を追加挿入したり、送信されてきたゲラのチェックをしたりと、ドタバタしているうちに時間がどんどん過ぎていく。同時並行して電話で確認取材など。夕方近くやっと愛車に乗って外出。教職員組合に立ち寄ると、いろいろ興味深い話を仕入れることができた。本部役員の皆さんと近くの焼き肉屋で、レバ刺やカルビ、生ビールなどを飲み食いしながら雑談。もちろん車は教職員組合の駐車場に止めさせてもらって、電車で帰宅したのは言うまでもない。「飲んだら乗らない」は基本だ。
4月7日(土曜日) 仕込みの予備取材暖かくて風もなく、おだやかな一日だ。桜も満開で、たぶん絶好の花見日和である。桜の花びらが吹雪のように舞い散る風景は「日本の春」そのものだ。しかし不健康にも終日、電話で仕込みのための予備取材を続けるのだった。戦果は…まあ半分半分といったところか。もう少し気合いを入れて仕込みをしなければ、取材と執筆の段階で苦戦することになる。ここ2〜3日が正念場だな。
4月8日(日曜日) 小さなお使いきょうも引き続き小春日和のおだやかな一日。仕込みのための予備取材は、ポイントを押さえて電話したので、少し展望が見えてきたような感じだ。だけどまだまだ満足できるレベルには達していない。ふう…。クリーニング店にワイシャツやセーターを取りに行ったら、小さな女の子がお使いで洗濯物を出しに来ていた。お店の人に一生懸命になって説明する姿が微笑ましい。「自分1人に任されたから得意で仕方ないのよ」と笑うお店のおばちゃんによると、今春から私立小学校の1年生になったのだという。これからは電車に乗って毎日通学しなければならないので、何でも1人でこなす練習も兼ねてお使いに来たらしい。「それにしても朝のラッシュは大人だって大変だもんねえ」とおばちゃんは、そこらへんを心配していた。「本当にそうですよねえ」…。記者になってから通勤ラッシュを数えるほどしか経験していない僕は、何となく後ろめたい気がして、適当に相槌をうつと、そそくさと店をあとにしたのだった。
「セカンドインパクト」がこのところずっと放ったらかしで、まるで更新していません。すみません。そのうち、どば〜っとまとめて新しい記事を必ずアップしますので、しばしお待ちください。住所変更のはがきもまだ1枚も書けていない。友人知人から「引っ越したのなら新しい連絡先を早く知らせろ」などという催促もちらほら入り出す始末で、取材先でも「連絡先が変わりまして…」などといちいち説明するという、実に面倒くさいことを繰り返している。だったら早くはがきを出せばいいんだよな。とりあえず、編集者関係にはメールで連絡はしたんだけど、ほかは手付かず。とほほ。今日中に一気にやってしまおうと思っていたんだけどなあ。
4月9日(月曜日) 証拠申請朝から電話で確認取材やら、アポ取りやら、編集者とゲラの最終確認などを休む暇もなく続けて、速攻でシャワーを浴びる。大慌てで午後から新宿の都庁へ。入学式の「君が代」伴奏を拒んで処分された音楽教師からの不服申し立てに対する、東京都人事委員会の第4回公開口頭審理を取材する。きょうは本人尋問だったが、理不尽で説得力のない市教委と校長の姿勢が明らかにされただけでなく、追い詰められる音楽教師の苦悩がよく伝わってきて、取材メモを取るペンにも力がこもる。審理の最後で代理人の弁護士が、僕の書いた「日の丸がある風景」の本を証拠申請して認められた。事前に聞いていなかったので驚いたが、取材の成果として「公表されている記事」が審理に役立つのはもちろん何も支障はない。むしろ「考える材料」として活用されることをうれしく思う。
口頭審理の終了後、手続きや審理の流れ、法的根拠、人事委員構成などを事務局に確認取材する。取材の内容そのものは問題なかったのだが、口頭審理の傍聴取材について、人事委員会の審査担当課長が、およそ法律に基づいて職務執行する行政職員とは思えない言動をしたので、ついこちらも抗議口調で応じてしまう。う〜む、いつもは「穏やか冷静でソフトな取材」に徹しているんだけど、あまりにも居丈高で横柄な対応に攻撃モードになってしまった。しかし相手は公僕なんだから、こういう姿勢については公開質問状を出すなど、何らかの落とし前をきちんとつけてあげようと思う。
都庁を出ると、庁舎前で「石原都知事リコール」を呼びかける市民グループと、その前に立ち塞がる大勢のガードマンらの姿に出くわす。今夜、石原都知事の辞任を呼びかける大規模市民集会と、都庁を取り巻く「市民の鎖」行動が行われるのだという。知り合いの記者を見かけた。僕は別件があるのでエールを送って別れる。
都庁近くの喫茶店で音楽教師や同僚教師、保護者らと雑談しながら、今春の卒業式や入学式の様子などを聞く。続いてその足で四谷の出版社へ。少し遅刻してしまったが「月刊司法改革」の編集会議に出席。そう言えば、朝からほとんど何も食べていない。食べる暇がなかったというか、ついつい食べそびれてしまったのだ。口にしたのは、ペットボトルの日本茶、アイスミルクティー、アメリカンコーヒー、抹茶といったところである。喫茶店でレタスサラダのレタスを2〜3切れほど食べたかな…。編集会議で出されたクッキーをいくつか、ぼそぼそと食べる。だがしか〜し、幸せは最後にやってきた。午後9時に編集会議が終わってから、編集委員や編集者と近くの無国籍風の居酒屋で夕食を食べたのだけど、ごま豆腐がなかなかの味で、そして次に出てきた参鶏湯(サンゲタン)がもう絶品中の絶品だったのだ。韓国の宮廷料理で、大きな鶏の腹の中に米やもちが詰め込まれて、真っ赤なチゲスープで煮込んである。とても辛そうに見えるがそれほどの辛さでもない。鶏のうまみが十二分に引き出され、スープと渾然一体となったこくのある味に仕上がっているのだった。うまいっ。感動ものである。ボリュームも満点だ。生ビールもよく冷えていて最高だあーっ。午前零時半帰宅。
4月10日(火曜日) カレーミュージアム電話で確認取材やアポ取りなどの仕込み作業に専念する。その甲斐あって、かなりの成果が得られた。よしっ、もうひと踏ん張りだな。そんなわけで、今週の取材日程が気持ちよく埋まっていくのであった。友人の記者と待ち合わせて横浜・関内で夕食。今春にオープンした「カレーミュージアム」とやらで欧風カレーを食べる。ビルの7階と8階にインドカレーのほか、タイ風や和風など全部で7つの専門店が入っている。まあ、言ってみれば新横浜の「ラーメン博物館」みたいなものだ。あるいは、広島のお好み焼きビルのようなものかな。いつも昼間はビルの外まで行列ができているのだが、平日の夜だったこともあってスムーズに入れた。味はそこそこのレベルだったんだけど、値段がちょっと高い。ん〜、相場より200円ぐらい高いように感じる。内装や案内のコンパニオンの人件費にお金がかかっているみたいで、それが値段にはね返っているのだろうな。「ラーメン博物館」のように入場料を別に取られないだけ、まだよいとは思うのだが。その後、別の記者も加わって居酒屋と沖縄居酒屋をはしごする。カレーを食べて腹いっぱいになっているんだからさあ…、よせばいいのにチヂミや焼き鳥、カレイの煮つけ、イワシの丸干しなど、友人がたくさんオーダーして、結局は残してしまった。もったいないお化けが出てきそうだ。午前3時半帰宅。
4月11日(水曜日) 生き方の問題午後から北千住へ。学校管理のあまりの強化に耐え切れず、今年の3月で辞めた40歳代の男性教員から話を聞く。「それでも学校に残って教員を続けるべきだ」「どんな状況でもできることはあるはずじゃないか」という意見も確かにあるが、しかし話を聞いていて、これは「生き方」の問題だと思った。その人の生きるスタンスにかかわってくる問題であって、何を大事にするかというその基準は人それぞれなのだから、簡単に「逃げている」などといった否定的評価をすることはできない。「学校に残って教員を続ける」のも選択だし、「自分の信念を大切にするために学校を去る」のもまた一つの選択だろう。重要なのは、何をどう考えてどんな行動をするかだ。それにしても、教員をそこまで追い込んでいる管理体制の行き着く先にあるものは何なんだろうか。取材すればするほど息苦しさや締め付けを感じて、どんどん現場から自由がなくなっているのが分かる。いったい何のために…と考え込まざるをえない。去勢されて委縮した人間が、上から言われた通りのことをそのままに伝える、そんな授業や学校でいいと本気で考えているのかな。そこそこ適当でいい加減でもいいと思うんだけど。
4月12日(木曜日) 住所変更の連絡自宅のすぐ近くにある中学校から定時にチャイムの音が聞こえてくるのは、それなりに生活にリズムを与えてアクセントになる。朝の始業チャイムで起こされることもあるし、電話や原稿に集中して時間が経つのを忘れていると、昼休みのチャイムで空腹に気付かされたりもする。このところしばらく音がしなくて静かだったが、また再びチャイムの音が聞こえてくるようになったのは、春休みが終わって新学期が始まったからだ。やっぱりいつも聞こえてくる耳慣れた音がないと、結構寂しいものなんだなあとあらためて感じる。そんなわけで、きょうは自宅で電話取材や雑用に専念。
ようやく引っ越しの報告はがきを印刷して、宛名もすべて書き終えた。170枚を印刷するのに1時間ほどかかってしまったが、夕方から一気にだあ〜っとやっつけた。年賀状とは違って事務連絡的なものなので、一言コメントはごく例外を除いてパスさせてもらう。「だったら宛名も印刷すればいいのに」という突っ込みがあってもおかしくはない。だがしか〜し。残念ながらうちには、7けたの郵便番号に対応するソフトがないのだった(自爆)。まあ、古いパソコンなのでハードディスクの容量も少ないから、たくさんソフトを入れなくてもいいのだ、うん。あと、並行してメールでも引っ越しのお知らせをいくつか送信する。友人・知人・取材先・編集関係などを中心に、はがきとメールで連絡したわけだが、たぶんいくつか連絡漏れが出てくるだろうな。それはまた、ぼちぼちと対応していくことにしようと思う。とにかくこれで、ほっと一安心である。古い宛名が書かれた手紙やはがきは、これまでずっと郵便局のほうで一つ一つ引っ越し先の住所を書いてくれているのだが、うちには結構いろんな郵便物が毎日届くから、いつも申し訳ないなあと思っていたのだ。あ〜、それにしても疲れた。ふう。
4月13日(金曜日) 千社札前から憧れだった「千社札」を最近作った。江戸文字などで名前が書かれた名札シールである。これを自分の持ち物などにぺたっと張ると、なかなか風情があってカッコいい。江戸時代の庶民の間で流行っていたそうで、あちこちの神社に張って願を掛けて回ることを千枚分やると、願がかなうとされていたという。まあそれはともかくとしても、粋であるのは間違いない。落語家が自分の名前シールを千社札風にしてノートなどに張っているのを見て、面白いなあと思っていたのだが本物は結構高い。作ってみたいという気持ちだけずっと持ち続けていたのだ。そうしたらゲームセンターのプリクラの隣に、千社札作成マシーンがど〜んと鎮座しているのが目に止まった。8枚で300円。好きなように名前を入れて、背景のデザインや配色などもいくつものバリエーションを組み合わせて作ることができる。名前は本名ではなく「大岡みなみ」にして、早速やってみたがなかなかシブイ出来映えだった。どこに張ろうかな。考えるだけで楽しくなってくる。とりあえずは机の前に飾って眺めているけど、粋な遊びとしてオススメだ。
午後から東京・飯田橋へ。教育基本法改悪や教育関係6法案に反対する討論集会に、少しだけ顔を出す。教育現場や教員への締め付けが強化され、管理や監視がどんどん進んでいる状況が具体的に報告される。そっちは途中で抜けてもう一つ、右翼による教員への嫌がらせ対策会議に呼ばれていたので、大急ぎで駆けつけたが、やっぱり間に合わなかった。開催時間がダブっていたから仕方ない。体は一つだけなので、両方出るのは物理的に無理だよなあ。
4月14日(土曜日) 総裁選という名の自民党宣伝自民党総裁選に名乗りを上げている4人が、テレビ画面に繰り返し何度も何度も登場して、一方的な「政策」や「ビジョン」を宣伝するのは、もういい加減に勘弁してもらいたいなあ。ニュースや特集番組の中で2〜3回くらいそれぞれの話を聞くのは、実に結構なことだと思う。自民党員でなく、総裁選にまるで関与できない立場であっても、われわれの国の最高責任者になる人を選ぶセレモニーであることには間違いないのだから、その政策や人となりを確かめるのは大事なことだろう。だがしか〜し。それも2〜3回でいい。種類は違っていても結局は自民党の政策宣伝ばかりを、これだけ何回も何回も聞かされていると、「選択肢はそれだけしかないんだ」とか「この選択肢の中からよりましなものを選ぶしかないんだ」というふうに、無意識に刷り込まれていくような気がする。「やっぱ自民党でしょ」と毎日大量宣伝しているようなもんじゃないかと思うのだ。しかもそれでいて選挙には一切関与できないときているから、何だかひどくコケにされているよな。でもって、森君の暴言やKSDや外務省機密費などといった、自民党のでたらめぶりはほとんど追及されない。あの時の有権者の怒りはどこかへ消えてしまったかのような空気が、早々と広がっていることに驚かされる。本当に消えたのかな。絶対に忘れてはならないのは、夏の国政選挙ではすべての有権者に投票の機会が与えられているということだ。
午後から首都圏の某県の教職員組合へ。幹部から今春の卒業式や入学式の話を聞く。ほんわか、ゆったりした教育環境に恵まれていたこの地域に、2年ぐらい前から唐突に「日の丸・君が代」が舞い降りてきたという。校長や教育委員会とも良好な関係の中で、教員は伸び伸びとした教育実践をしていただけに、まさに「場違いな異質なもの」が踏み込んできたという感じだったらしい。そうして組合内部にも亀裂が走って、不信感から脱落者が出始める…。今さらながら、この問題の奥深さには困ったものだと思う。はるか昔から「分断して統治する」は権力者・為政者たちの基本だが、中央(文部科学省)から出された指導に基づいて、まさにそのセオリー通りの実践がこの地でも行われたのだった。
「THE BIRTHDAY OF Rei AYANAMI」のCDを購入。2001年の3月30日に誕生したエヴァの綾波レイに、ちなんでの新譜ということらしい。「FLY ME TO THE MOON」の林原めぐみバージョンなど、テレビシリーズや劇場版での綾波レイに関連する音楽を集めた一枚だ。「残酷な天使のテーゼ」の新規録音版も収録されているが、ほとんどのサウンドはこれまでに発売されたサントラ版に入っているものばかりである。…などと言いつつ、ジャケットに描かれた綾波レイのイラストにひかれて、ついつい買ってしまったのだった。でもまあ、ファンなら買っても損はしないと思うけどね。
4月15日(日曜日) 花粉症復活?このところしばらく落ち着いていて、むしろ調子がよかったというのに、またまた花粉症が復活してきた。天気がよくて強い風が吹いたからか、きのうから鼻が妙にむずむずして、くしゃみが何回も出る。毎日1カプセルだけ飲んでいる鼻炎の薬を、油断して確か1回ほど飲まなかったのがまずかったのかなあ。ティッシュが手放せないというほどではないんだけど、もうてっきり終息に近付いていると思い込んでいたので、おいおいまたかよ…って感じで、がっかりするばかりだ。神様、仏様、イエス・キリスト様〜。お願いだから、もういい加減に勘弁してちょ。桜の花もすっかり散ってしまい葉桜になったんだから、もう花粉症の季節はいいでしょ?
4月16日(月曜日) 取材却下神奈川県教育委員会へ。担当課長の取材はいつも通りスムーズに終わったが、教育長の取材を申し込むと却下された。「教育長は教育委員会の決定を遂行するだけで、個人的な方針や姿勢があるわけではないし、そもそも個別取材には応じないことで通している」のだという。ええ〜っ、なんだそりゃ。前の県教育長やあの横浜市の教育長だって、個別取材にはきちんと応じてくれたけどなあ…。殿様か将軍みたいに奥の院に鎮座して、簡単にはオモテに出ないだなんて、そんなに偉い人だったのかいな。それに第一「教育委員会の決定を遂行するだけで、個人的な方針や姿勢があるわけではない」などと、今どきそんな形式的なことを信じている人なんかいないって。教育委員なんてただのお飾りのところが大半で、実質的には教育行政の事務方がすべてを決めているのが現実なのは、小学生でも知っている。その事務方のトップが教育長なんだからさあ、きちんと自分の言葉で話してほしいんだけど。ほんのわずかでも傷つけないようにと御身大切に守って、その先に何があるのかな。まあ、教育長の話が聞けなくても記事は書けるからいいんだけどね。
小学校の先生と中学校の先生から、それぞれ素晴らしい教育実践の話を聞いた。子どもたちが自分の頭で考えて判断して主体的に行動するのだけど、予想をはるかに上回る形で教員の思いが子どもたちに伝わっていることに、驚くやら感動するやらだ。このところ取材でずっと、教育現場にとんでもない重圧が幾重にもかけられている実態ばかり見聞きして、どんよりした展望のない閉塞感を感じていたのだが、とっても元気の出てくる話だった。近いうちにまとめる原稿の中に、重要なエピソードとして登場させるつもりだ。
4月17日(火曜日) 元気と意欲と刺激とスギ花粉は終息に向かったみたいだが、どうやら今度はヒノキの花粉が関東地方で大量飛散を始めたらしい。「第二使徒」(注・エヴァに登場する敵の総称=笑)の攻撃である。おいおい、もう「エヴァ」ネタはええっちゅうの(すみません)。そうか、それでこのところ花粉症が復活して鼻がむずむずするし、くしゃみも連発するんだな。きょうなんか1日に2カプセルも鼻炎の薬を飲んだというのに、何回も鼻をかまないと耐えられなかったもんなあ。もう怒りを通り越して茫然自失の境地だよ。ぶつぶつ。駅前で配っているサラ金やテレクラの宣伝用ポケットティッシュが大活躍である。
午後から、東京・水道橋へ。神戸在住のフォトジャーナリストのU氏が所用で上京して来ているので、共通の担当編集者と一緒に昼食にすしをつまむ。U氏は「カメラマン」と言うよりも「フォトジャーナリスト」と呼んだ方が適切な人だ(と僕は思う)。被写体をフィルムにただ写すのではなくて、ジャーナリスティックな視点で物事に迫ろうとする姿勢が感じられるからである。まあこれは言葉に対する僕の勝手なこだわりと、一方的な職業評価なんだけど。校了作業があるからと編集者は途中で会社に戻り、近くの喫茶店で夕方までU氏の話を聞いた。「こんな企画があるんだ」とか「今度はあんな写真を撮ろうと考えている」と熱く語るU氏の熱弁に耳を傾けていると、僕も頑張ろうと思わせられて元気が出てくる。このところ取材で展望のない話ばかり見聞きして、人間のでたらめさや社会の仕組みのどうしようもなさに相当嫌気がさしていたのだが、きのうの中学校の先生ときょうのU氏の話を聞いて、気合いと意欲をわけてもらったようだ。人間不信と厭世感を抱え込みそうになっていただけに、前向きな姿に刺激されてとても助かった。
4月18日(水曜日) 労働意欲が半減起きてしょっぱなから、鼻詰まりと鼻水とくしゃみの連発…。もうこれだけで体力と精神力をすっかり消耗しちゃうよなー。勘弁してくれよ。そんでもって鼻炎の薬を1日に2カプセル飲むと、さすがに眠くて眠くて仕方ない。昼寝をしちゃったぜっ。原稿の締め切りが目前に迫っているというのに、こんなことじゃいかん、と思ってはいるのだが、花粉症によって労働意欲が半減させられてしまうのだった。う〜む、まずいよなあ。夜半過ぎから雨が降り始めたからか、鼻のむずむず状態はかなり楽になった。
4月19日(木曜日) 花粉症は楽勝きょうは一日中ほとんど曇っていて、気温も肌寒いくらいなので花粉症は楽勝。鼻炎の薬も1日に1カプセルで大丈夫だ。このまま終結してほしいと心から願っている。お気に入りのCDをエンドレスでかけっ放しにして終日、電話で確認取材と原稿執筆。残念ながら原稿の方は楽勝とはいかないんだな、これが。
4月20-21日(金〜土曜日) まとめて放出21日の昼までずっと原稿執筆。やっと書き終えた…。なんとなく調子が乗らず、てこずってしまったな。書くことがいっぱいあって、どの材料をどう使うべきかなかなか方向が定まらなくて、迷い過ぎたからかもしれない。そんな試行錯誤が限界を越すと、そもそも何を伝えたいのか、どこが面白いのかが自分でもよく分からなくなってくるのだ。まあ、なんとか書き上げたからいいや。午後からは、たくさんたまっていたメールの返事をひたすら書いて、一気にどば〜っと送信する。同じ文面の事務的な連絡メールではなくて、一つ一つ文章を書いたメールをまとめて放出するこの瞬間っていうのは、結構快感だったりする。ある意味で達成感なのかも。そんなわけで、まとめて2日分の「身辺雑記」を更新。しかしそれにしても、きょうは小雨も降ってえらく寒い。
4月22日(日曜日) 教員の結婚パーティーおおっ、きのうから花粉症が小康状態だな。このまま消えてなくなってくれると、うれしいんだけどなあ。午後から、横浜・桜木町の某ホテルへ。取材先で知り合った高校の先生同士の結婚披露パーティーに呼ばれたので、顔を出す。出席者のほぼ9割は高校教員のようだ。しばらくご無沙汰している先生たちが結構多い。「お久しぶりです」などと挨拶を交しながら近況報告。「最近はどんな取材をしているの?」「引っ越したんだって?」なんて会話から始まって、いろいろと面白そうな話を聞かせてくれる。料理がなかなかうまくて、夕食がわりにたくさん食べた(おいおい)。出席者の中に教え子がいるところが、やはり教員の結婚披露パーティーらしい。「どこそこで2人が手をつないで歩いているのを見た」とか「いつも一緒に車で帰っていた」などと、正直に次々と暴露するのが笑える。子どもたちは数が多いし好奇心旺盛なんだから、どこでだれにどう見られているか分からない。当然のことながら衆人監視の状態だよなあ。終了後、近くの野毛で教員や編集者らと、イワシ料理の専門店で飲む。既にお腹いっぱいだったんだけど、安くてうまかった。こっちでは社会や政治などのカタイ話で盛り上がる。取材や企画のヒントなど収穫多数。
4月23日(月曜日) 普通の人にこそ東京・品川プリンスホテルの喫茶店で取材を受ける。きょうは僕が取材するのではなくて、逆に取材される側である。「日の丸がある風景」の本を読んでくれた通信社の記者が、興味深いテーマなので人物欄で取り上げたいという。同じ記者仲間からそういう反応があるのは、ものすごくうれしいなあ。この本や「日の丸・君が代」をテーマにした一連の記事は、特別に研究や運動をしている人よりも、むしろごく普通のノンポリの人たちにこそ読んでもらいたいと思っている。もちろん研究者や運動家といった方々にも読んでいただけるならば、それはそれでとてもうれしい。だけど、これまであんまり民主主義や人権や愛国心やナショナリズムやファシズムなどに関心がなかったような人が、この本を読むことで「何がどう問題で、現在どんな状況になっていて、それは自分に今後どうかかわってくることになるのか」ということを考えるきっかけになれば、それこそが取材・執筆した記者としては一番の喜びなのだ。そういう意味では、教育委員会や学校の管理職や「日の丸・君が代」が大好きだという人たちにもぜひ読んでいただいて、いろんなことを考えてさまざまな意見を出してもらいたいなあと思う。とまあ、そんなことを今の社会状況や背景に触れながら話した。会社や活躍の舞台は違っていても、同じ土俵で仕事をしている記者がこの本を読んで関心を持ってくれるということは、とても励みになる。
久しぶりに秋葉原をいろいろと散策する。でもって、活字や映像関係を中心に、いろいろと散財してしまう。う〜ん、何だかとんでもない無駄遣いをしてしまったような気もするのだが…。しかしまあ、世界に誇る日本の文化を取材したと考えればね(おいおい)。
4月24日(火曜日) 国民?の意思参院選と、そしてその後に続く総選挙に向けての「自民党大宣伝キャンペーン」が、やっと終わった。「自民党が変わる、日本が変わる」をキャッチフレーズに、実は何も関与できない蚊帳の外の一般国民に対しても「総裁選には皆さんの意思を生かしました」という幻想を振りまくところなんか、さすが自民党だなあと逆に思わせてしまうのだから、やっぱりすごい政党なのかもしれない。実際には、自民党員の「このままでは選挙でまずいことになる」という危機感の結果であって、党員じゃない一般国民の意思(民意)はまるで関係ないわけだけど、しかしほかに対抗できる集団がないとなれば、自民党にほんの少しでも変わってもらって、その中でよりましな選択をするしかないよなあ、などと考えるしかないのか。それにしては、新総裁になった小泉氏の「党内人事」に関する手法は確かに新しそうだが、その先にある政策の方向はかなり危なっかしい。靖国神社の公式参拝については自民党員としてのしがらみもあるのだろう。でも、自衛隊の合憲化と憲法改正・教育基本法改正まで持ち出すとなると、やっぱり森派会長だけのことはあるんだよな。そもそも有権者から総スカンを食らった森首相の屋台骨を、支えていた張本人が小泉氏だったのだから。まあ、自民党総裁選ではそういう議論がすっぽり抜け落ちていた点が、ミソなんだけどね。
そう言えば小泉氏の地元の新聞が、一面トップで「小泉総裁、実現へ」と大見出しを付けてはしゃいでいたのには笑った。これじゃあ、小泉氏の後援会機関紙だよなあ。普通のまともな新聞なら見出しは「誕生へ」だよな。自民党総裁となる人物が地元出身であろうが、その政策や背景にある政治の動きや意味は全く別だろう。姿勢が疑われる。「いやうちは言論・報道機関じゃないんです、ミニコミ紙に毛の生えた程度のファンクラブ紙や業界紙みたいなものなんです」と言うのなら、それはそれで別に構わないけど、だったら報道を看板に掲げて偉そうなことなんか言わなければいいのに。
4月25日(水曜日) 平然とうそをつく人々東京都下の某市で取材。これまで十数年の記者生活の中で、すぐバレるうそをこれほどまでに平然とつける教育委員会の幹部というのに、初めてお目にかかったので唖然としている。「何もないからお答えすることは何もない」と断言されてしまったので、実際には電話だけで直接お目にはかかっていないのだが、公的事実が存在しているのは明白なんだけどなあ…。証拠や証人もてんこ盛りで、来月になればすべて公文書になって公表されるのに…。質問の仕方を変えて「責任を持って何もないと断言するのですね」と何回も確認したが、ロボットみたいに「何もありませんっ」とヒステリックに繰り返して取材拒否するのだった。驚くとかあきれるとかの次元を通り越して絶句した。ここの市はかなり異様で、校長や行政職員もみんなこんな調子で平然とうそをつく。そしてそれは僕に対してだけでなく、聞くところによると、市民や最大会派の議員(!)にまで日常的に平気でうそをつくのだという。それがまた、どれもすぐにバレるようなうそを。普通は議員にはバレバレのうそはつけないだろう。一体ここの市の行政システムはどうなっているのだろう。う〜ん、すごいところだなあ。おまけに、よその市や県では頼めばすぐに出してきてくれるような公開されている要覧まで、もったいつけて隠そうとするのだった。すっかり脱力してしまった。
4月26日(木曜日) 二度寝の野望は目覚まし時計が鳴ったものの、あと30分だけ寝ようと思ってアラームをセットし直して、二度寝するというケシカランことをよくやる。きょうもそうやって再び布団に潜り込んだのだが、ちょうど布団に入ったその瞬間に電話。こうなると残念ながらもう寝られない。すっかり目が覚めてしまったばかりか、話が終わったのは2回目のアラームが鳴る時間で、さすがにもう寝るだけの時間的余裕はないのだった。う〜む、タイミングの良すぎる電話だなあ。要するにしゃきっと起きなさいとゆー天の声なんだろう。仕方なく動き出す。夕方から、東京・信濃町のキリスト教会で開かれた市民集会を取材。なるほどと思うところと疑問に感じるところがあって、それなりに考えるヒントになった。近くにある出版社に顔を出して、編集部の一室から数カ所に電話取材。代々木の中華料理店で編集者とビールを飲みながら夕食。終電直前の時間だというのに、なぜか店内は超満員だった。午前1時過ぎ帰宅。
4月27日(金曜日) 記者は日々勉強「司法改革と医療裁判」をテーマにした特集を組むという医療雑誌から依頼されて、座談会の司会&発言者を引き受けることになった。そんなに詳しく勉強しているわけではないので司会は自信がないと伝えたのだが、しかし医療過誤や医療裁判は確かに多くの問題を抱えているし、専門家ではない素人の市民の立場から、疑問に思うことを指摘しながら進めるのもいいかなと思う。東京・品川での副編集長氏にお会いして、自己紹介と簡単な打ち合わせ。まあ、自分自身の勉強にもなるわけだからいいか。座談会の日までそんなに時間がないので、大急ぎで予習しておかなければならない。
学生時代からの友達の運動部T記者と、渋谷で久しぶりに会って飲む。学生時代から現在まで、一貫してアウトドア・スポーツを自ら実践するT記者は「実践派」を任ずるだけあって、単なる評論家ではないから発言にも説得力がある。「自然の中では人間は小さな存在だってことを実感する」ということを言っても、実際に自然の中での体験に基づいているから言葉に重みがあるのだ。なるほどと関心させられることしきりである。きょうのキーワードは「秘密基地」「自然」「テリトリー」である(謎)。これを使って子どもと社会を論じたら、三題噺のような原稿が書けるかもしれない。午前1時過ぎ帰宅。
4月28日(土曜日) 拡大読者会午後から北浦和へ。「週刊金曜日」の読者でつくっているサークルの「拡大読者会」に顔を出す。同誌に時々ルポルタージュ記事を書かせてもらっていることもあって参加させてもらったのだが、読者の関心事や記事の受け止め方などの一面が分かって、執筆者としても参考になった。浦和で生まれ育ったという編集長が、発行体制の現状だとか今後の編集方針を説明。続いて「執筆者からも取材の背景や裏話をどうぞ」と促されたので、取材・執筆の流れや最近書いた記事の反響などを簡単に話した。
読者会の席で話題になった市町村合併の話は、なかなか興味深くて勉強になった。今年の5月1日から浦和、大宮、与野の3市が合併して「さいたま市」になることについては、2000年4月22日付の「身辺雑記」で「『さいたま市』雑感」と題して批判したが、まさにその通りの疑問が市民から噴出しているという。しかも合併特例法によって、3市すべての議員任期を選挙なしで2年間も延長することを、一方的に議員だけで決めてしまったことで、市民の怒りと驚きは最高潮に達しているというのだ。任期延長によって市民は議員歳費を約11億円も余計に負担しなくてはならないし、そもそも2年間も民意を問わないまま議員の身分保証をするのは民主主義の根幹をゆるがす…。そんな議会の在り方に「違和感を覚える」としてきのう、市民派若手の浦和市議が議員を辞めたのだが、実はこの人がきょうの司会で、合併の問題点や辞職の意味などを分かりやすく説明してくれた。2年後の選挙ではぜひ復活してほしい。
近くの豆腐専門店で2次会。湯葉の刺身や豆腐ピザなど、料理はすべて豆腐尽くしである。鳥の唐揚げだとばかり思って食べていたら、後で実はこれも豆腐だったと知って絶句した。味も食感も歯ごたえも、どれを取っても鳥肉としか思えなかったんだけどなあ。確かに鳥の唐揚げだけメニューの中で浮いていたから、疑問ではあったのだが、う〜む、これには驚かされた…。午前1時過ぎ帰宅。
4月29日(日曜日) しとしと雨寒くはないけど、雨がしとしとと降り続いている。天気予報によると、あすもこういう天気だそうだ。何だかなあ…。これじゃあ梅雨に入ったみたいじゃん。時々くしゃみは出るが、花粉症は落ち着いている。雑用がたくさんたまっているので、暇を見つけて少しずつ片付けなければならない。あ〜、面倒くせえ〜。
4月30日(月曜日) 小泉人気と大政翼賛会小泉内閣の支持率が、朝日新聞の世論調査によると歴代内閣の最高で78%だという。ほかの新聞や放送局の調査では87%というところもある。たぶん閉塞感と息が詰まるような社会状況の中で、とにかく何らかの「変革」を求める民意の現れだと思うが、いくら何でもこの異常な支持率の高さには怖いものを感じる。もちろん言うまでもないがこの小泉人気には、マスコミによる大量宣伝が大きく影響しているはずだ。自民党総裁選で橋本氏や野中氏やその一派の人たちは、すっかり悪者・悪役にされてしまったわけだから。「エラソーな守旧派ジジイにさっそうと刃向かうドンキホーテ」という単純明快な図式は、とても分かりやすく感情移入しやすかった。
単に「変革」というのなら、例えば共産党のような政党に支持が集まってもいいはずだが、みんなそこまでの「変革」は求めていないのだ。あくまでも自民党的な社会の枠組みでの「変革」が、せいぜいの許容範囲なのである。人間とはその辺は結構保守的なものだから、とことんまで追い詰められてにっちもさっちも行かない状態にでもさらされない限りは、現状を根底から覆すような劇的で根本的な「変革」には二の足を踏むのだろう。そういう心理は分からないでもない。くしくも青木元官房長官が、自民党の総裁選を評して「これはコップの中の争いだ。コップを壊すような争いをしてはいけない」と述べたそうだが、なるほどうまいこと言うなあと感心させられた。小泉氏の訴えるところの「変革」も、つまりはそうした自民党というコップの範囲内からはみ出すことはたぶんない。だからこそ小泉氏の訴える「変革」に支持が集まるのだろう。
だけど、民主党や社民党など明確な野党支持層からも過半数をはるかに超える支持を集める内閣というのは、何だか大政翼賛会みたいでとっても不気味な感じがする。そもそも、だれのために何を変えようというのかが見えない。この勢いで参院選はもちろん総選挙でも自民党が大勝して、憲法改正でも有事立法でも何でもありの方向に進んでしまうことが心配だ。小泉人気に便乗して、手始めに首相公選制の導入を口実に憲法が改正され、口先やパフォーマンスに長けたとんでもないタカ派のオヤジ(例えば石原慎太郎みたいな人物)が首相就任なんてことになり、いつの間にか自由にものが言えない社会になってしまい、進軍ラッパが吹き鳴らされる状態にはならないだろうなあ。杞憂であればいいのだけど。
久しぶりに「セカンドインパクト」に記事を3本ほど追加更新した。まるまる3カ月ぶりである。取材や引っ越しで忙しかったとはいえ、これほど更新が滞ったのは初めてだろう。まったくもって不徳のいたすところで遺憾であり、これからは前向きに検討しながら善処したいと思う。…っておいおい、これじゃあ、政治家や役人の答弁だよ。そんなわけで、とりあえず「インタビュー&記事/司法改革」のページに、元福岡高裁判事のインタビュー記事と、クローズアップ裁判「カオル裁判(ポロシャツ憲法九条訴訟)」と「医療過誤訴訟の差し戻し判決」のリポート記事をアップした。「セカンドインパクト」にはどうせなら、あまり目に触れる機会がないような媒体に出た記事を中心に掲載したいと思う。機関誌や専門誌などに載った記事がそういうものに該当する。もちろん全国の書店や図書館で読める記事もアップしているし、これからもアップしていくつもりだが、発表した記事のすべてをネットで公開するわけではないのでご理解を。