身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2010年6月1日〜6月30日

●今のところ快適OS●退陣表明も回りくどい鳩山首相●菅首相に期待する●徹夜明け●「ザ・コーヴ」上映中止に反対する●「ザ・コーヴ」上映とシンポ●自己顕示と記者の美学●中だるみの影響●「はやぶさ」帰還に感動●エアコン稼働●「セカンド」更新●イエローカード2回で退場●名古屋場所開催は茶番●サッカー日本代表が惜敗●●●ほか


6月1日(火曜日) 今のところ快適OS

 そんなわけで愛機のOSバージョンをアップしたのだが、残念ながら最新バージョンではない。わが家のパソコン本体がそんなに新しいマシンではないので、アップグレードできるOSには限界があるのだ。それでも、導入できるOSの中では最上位のものにすることができた(Mac OS X 10.4.11)。最新版からは2ランク下がるものの、今までのOSよりは2ランクアップである(苦笑)。マシンのスペックとしては、たぶんギリギリなのではないかと思われるので、動作が遅くなったりエラーが生じたりするかなという不安が少なからずあったけれど、今のところなんとか滞りなく機能してくれている。OSのグレードアップによって新しくなったメールソフトやインターネットのサイト閲覧ブラウザは、これまでよりもはるかにサクサクと動くので気持ちいい。MacのOS9が起動する「クラシック環境」が少し使いにくくなったのは残念だけど。


6月2日(水曜日) 退陣表明も回りくどい鳩山首相

 鳩山由紀夫首相が民主党の両院議員総会で辞意を表明した。期待が大きかっただけにがっかり感は深く、なんとも言えないむなしさに直結する。あまりに空虚で裏付けや根拠の全くない無責任な言葉を、行き当たりばったりに連発するだけの鳩山首相の姿に、うんざりしていた国民は少なくなかったはずだ。いくらなんでももういい加減にしてくれと思っただろう。練りに練ったよほどの妙策を隠し持っていて、実現のため真剣に慎重に秘密裏に、しかし着々と地ならしに邁進しているのかと思いきや、実際にはまるで何もしておらず、しかも何も考えていないことが明らかになるといった場面は、米軍普天間飛行場の移設問題だけではなかった。どれもこれも場当たり的で言いっぱなしの鳩山首相には唖然呆然となるばかりで、開いた口がふさがらないとしか言いようがない。

 すべてにおいてこんな調子の鳩山首相は、小泉元首相とは別の意味で「詐欺師」そのものだったと言える。いずれにしても鳩山首相の退陣は当然だ。参議院議員選挙を考えれば、このタイミングで退陣するしかなかっただろうが、それにしてもひどい退陣表明演説だと思った。20分も話し続けた演説はだらだらと長いだけで、相変わらず回りくどくて何が言いたいのか分かりにくい。言葉が空虚で上滑りしているからちっとも心に響いてこない。「政治とカネの問題」で小沢一郎幹事長と小林千代美議員を辞任の道連れにしたところは理解できたが、作文として採点するならば40点といったところかなあ。もちろん赤点(不可)である。

 鳩山首相の辞任に対して、沖縄の人たちは大いに批判する資格があると思うが、自民党の議員や宮崎県の自治体関係者や畜産農家があれこれ文句を言う(本日付の朝日新聞夕刊など)のは筋違いではないか。自民党政権の首相3人が連続辞任したのに比べれば、鳩山首相の辞任なんぞまだまだ序の口だし、家畜の口蹄疫対策で鳩山首相が宮崎を訪問したことに今回の辞任を結びつけて非難するのは無理がある。感染拡大を防ぐ対応手順を厳守しなかった県側の姿勢こそ、むしろ詳細に検証されるべきだと思われる。

◇◇

 夕方から、東京・虎ノ門のホテルオークラ。自民党の後藤田正純衆院議員の政治パーティーに、ご招待を受けたので顔を出す。鳩山首相の辞意表明の直後という絶妙のタイミングもあってか、会場から溢れるくらいの人が集まっていた。目視した感じではざっと500人以上。自民党の大島理森幹事長ら幹部議員のほか、自民党を離党した「たちあがれ日本」の与謝野馨・元官房長官らが次々に登壇。「基礎知識の足りない鳩山首相が辞任して終わりではない。民主党政権のままでは日本はダメになる。民主党政権を終わらせなければならない」などと威勢のいい演説が続いた。雰囲気はすっかり参院選と総選挙に向けた臨戦体制ムード。しかしもっと生々しい話が飛び出すかと思ったが、そうでもなくて少し期待外れだった。やはり上演中の舞台の主役は、あくまでも民主党ということなのかもしれない。近くのニッショーホール地下の料理屋で小沢グループの議員が会合を開いていたり、ほかのホテルでは別グループの会合があったりしていたようで、何人もの記者がたむろして様子をうかがう光景が見られた。


6月4日(金曜日) 首相に期待する

 新しい首相に民主党の菅直人氏が衆参両院で選出された。鳩山内閣の迷走ぶりを見て、「次の参院選はどこに投票したらいいか分からない」「一票を投じるところがない」と困惑していた有権者の多くは、とりあえずこれで少しほっとしたのではないだろうか。菅首相にはぜひ鳩山前首相の轍を踏まないように、抽象的な美辞麗句や根拠のない意味不明な説明を連ねるのではなく、具体的で心に響く言葉で政策と理念を語ってもらいたい。新政権のスタート前に少し気になったのは、組閣などの人事にスピード感がないことだ。小沢氏系のグループや内野だとか外野から、ごちゃごちゃと雑音や圧力が入ってくる前に、電光石火の早業でさっさとすべての人事案件を決めてしまった方がよかったのではないかと思う。強力なリーダーシップ(指導力)をアピールするためにも、ここは速断即決すべきだったような気がする。杞憂に終わればいいけれど。

 せっかく政権交代したのだから、「だれが何をやっても政治も社会も変わらない」などと、有権者をがっかりさせたり絶望させたりしないでほしい。菅首相のかじ取りに期待している。


6月5日(土曜日) 徹夜明け

 午後から授業。学生の作文を添削していたら徹夜になってしまったので、とにかくものすごく眠い。なんとか滞りなく講義を終えたが、しかしさすがに2時限目になるとかなりつらかった。やっぱり徹夜はよくない。反省。一方、学生の方も2〜3週間ほど前から、遅刻や居眠りが目立ち始めた。きょうも数人いた。大学生活にも慣れてきてたるみが出ているのだろう。ほかの先生の授業でも同様らしい。やんわり注意しているが、来週あたりにはこちらも気合いを入れて、厳しく対応した方がいいかもしれないなあ。


6月8日(火曜日) 「ザ・コーヴ」上映中止に反対する

 和歌山県太地町のイルカ漁を批判する米国の映画「ザ・コーヴ」(=入り江)の映画館での一般公開が、右翼団体による集中的な抗議活動で次々と上映中止に追い込まれている。今年3月に米アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画だが、イルカ漁の「残酷さ」を一方的な価値観に基づいて告発する内容や、隠し撮りするといった制作手法に批判の声があがるなど、作品に対する評価は賛否両論ある。

 しかし、問題があって評価が二分される作品だからといって、一般公開を一切許さずに排除・抹殺するというのでは、「言論・表現の自由」が保障されない極めて不自由で窮屈な社会になってしまうだろう。そればかりか、「問題のある作品」を実際に見た上でどこがどのように問題があるかを判断し、議論する機会そのものが奪われてしまうことになる。こういうことがまかり通るようでは、とても健全で成熟した民主的な社会とは言えない。

 こうした動きを受けてあす6月9日には、映画「ザ・コーヴ」の上映会と、一連の上映中止問題を考えるシンポジウムが東京・中野で開かれる。これに先立って主催者から、上映中止に反対する「緊急アピール」に賛同してほしいと呼びかけられたので、僕もその一人として賛同者に加わった。ジャーナリストや表現者55人による緊急アピール(声明文)(=PDFファイルが開きます)がネット上で公開されている。

 ちなみに、評価の分かれる映画の上映をめぐっては、南京虐殺事件や従軍慰安婦、靖国神社を扱った作品に対し、これまでにも右翼団体や保守系議員らが「反日的だ」「自虐的だ」として、抗議活動を繰り広げたことがある。いずれの場合も映画館や主催者側が自粛する形で、今回と同様に上映中止の動きが相次いだ。「自分の意見や考えと違うものは徹底的に排除し表現もさせない」というのは、ファシズムと何ら変わらない。「相手の文化にも主張にも貸す耳は持たない」というのでは、イルカ漁や捕鯨などに反対する過激で偏狭な自称「環境保護団体」と大差ない。

【関連記事】

「南京1937」上映問題の報道検証(大岡みなみ/コラム)

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映画「靖国」試写会とシンポ(2008年4月23日付「身辺雑記」)


6月9日(水曜日) 「ザ・コーヴ」上映とシンポ

 夕方から東京・中野の「なかのZEROホール」へ。映画「ザ・コーヴ」の上映会とシンポジウムを取材する。月刊誌「創」主催。開場時間のかなり前から大勢の人が詰めかけて長蛇の列ができていた。500人収容の会場に入りきれずに、ロビーに設置された中継モニターで場内の様子を見る人たちがあふれたほか、あきらめて帰った人も多くいたらしい。テレビ各局のカメラ多数を含めて、報道関係者も100人以上はいたようだ。

 映画「ザ・コーヴ」の上映は90分。映画の冒頭部分では、米国の人気テレビシリーズ「わんぱくフリッパー」の調教師だったリック・オバリー氏が、今ではイルカ解放運動の最前線で活動するようになった経緯を淡々と紹介するとともに、世界中の水族館で人気を集めるイルカショーの問題点について解説する。ところが、和歌山県太地町で行われているイルカ漁の事実を明らかにしようと、現地にやって来たオバリー氏らが立ち入り禁止の「入り江」に潜入しようと試みる場面から、映画は一気にサスペンス調のスパイドラマのような展開となっていく。漁師や警察などの監視の目をかいくぐって、撮影隊は入り江に忍び込み、複数の隠しカメラを設置することに成功する。そして、入り江に追い込まれた大量のイルカが漁師たちに殺されて、海面が真っ赤に染まっていく光景が、スクリーンに延々と映し出されるのだった。

 「人間と同じように知能の高いイルカを飼育し、ましてや食べるなんて」「イルカに棒や刃物を何度も突き立てて殺す手法は残酷きわまりない」と考える人がいてもいい。そのように主張する自由ももちろんある。しかし、この映画はあまりにも一方的で、一面的な描かれ方しかしていない点で、「ドキュメンタリー」「ジャーナリズム」とはほど遠いと言わざるを得ない。どのような世界でも、それぞれの食文化や生活や歴史的背景があるはずだが、この映画ではそれらには一切触れていない(触れようともしていない)し、さらには、映画に登場する地元の漁師や住民らの生活や言い分がまるで描かれていない。言うまでもないことだが、全くの中立の立場だとか、主張のないジャーナリズムなどというものはあり得ない。独自の視点による明確な主張はあって当然だ。むしろドキュメンタリーやジャーナリズムに主張がないなんてことがあるとすれば、それこそおかしいし、表現者の取材姿勢そのものが疑われる。そうしたことを前提に言うが、自身の主張に説得力を持たせるためには、一方的に自分たちの考えを述べるだけではダメなのだ。対立する対象の背景や考えをきちんとフォローした上で批判的な視点を加えなければ、説得力はなく多くの人の理解と共感は得られないだろう。

 これらのほかにも、暴力的な抗議活動で知られる自称「環境保護団体」のシー・シェパードの代表が、繰り返し登場して持論を展開するとか、イルカの肉が高濃度の水銀に汚染されていることの説明として水俣病の被害を引き合いに出すなど、そのまま素直に見ることができない受け入れがたい描写が目立つのも気になる。映画に登場する(登場させられている)太地町の漁師ら関係者からは、肖像権の侵害だと抗議の声が出されているという。配給元はこうした事態に配慮して、水産庁の役人や町長ら公人以外の顔にはボカシを入れたり、事実関係の見解や異なる主張がある部分については反論の字幕を付けたりしている。しかしそれでも、僕はやっぱりこの映画は、およそ「ドキュメンタリー」や「ジャーナリズム」の名前には値しないと判断する。むしろ二流三流の「プロパガンダ」作品だと思う。娯楽作品としてもどうかなあと思った。さらに、そもそも隠し撮りしてまで告発するような内容なのかという観点から、ドキュメンタリー製作の手法そのものにも疑問を感じる。配給会社の付けた反論字幕がないオリジナル版を見た人は、いったいどんな感想を持つのだろうと考えると暗澹たる気持ちにもなった。

 以上のように、僕はこの作品をほとんど評価しない。けれども、この映画の上映(一般公開)を中止することには強く反対する。いろいろと問題のある作品であるならば、なおのこときちんと自分の目で実際に見た上で、批判したり議論したりするべきだと考えるからだ。見たくない人はもちろん見なければいいが、自分自身で確認して判断しようとする他人の権利や機会を奪うのは許されない。作品自体をなかったことにして闇に葬るように抹殺するというのでは、議論そのものが成立しなくなってしまう。しかもこれだけ一方的に(不当に?)非難されている当事国・日本の国民が、映画そのものを見ることができないというのは、どう考えてもおかしいだろう。見ていなければ反論もできない。

◇◇

 シンポジウムでは、来日中のイルカ元調教師のリック・オバリー氏が飛び入りで登壇。「映画にはテロリストとしてではなく活動家として参加した。残念ながら上映中止になったが、娯楽映画として見てほしい」とあいさつした。映画監督の森達也氏は「憲法21条の表現の自由の条文は国家を国民が縛るものであって、国民と国民の間の話ではない。上映中止を求める言論も認めていいが、暴力を伴う行為は許されないし、私たちは委縮してはいけない。上映中止を決めた映画館だけを批判して済む話ではない」と訴えた。

 映像ジャーナリストの綿井健陽氏は「表現の自由は国家・政府・権力に対して使う言葉で、太地町の人や漁師さんに使う言葉ではないだろう。太地町の人たちにとってイルカ漁は生活で、娯楽映画としては見られない。彼らの言い分が保障されて、彼らの抗議に配給会社も応えた上で議論が起これば」と発言。映像ジャーナリストの坂野正人氏は「抗議されて上映中止を決めた背景には、自主規制と事なかれ主義がある。それがとても気になっている」と語った。

 新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男氏は「イルカショーはいいと思っていたが、ストレスになるのでイルカに胃薬を与えているというのは勉強になった。大きな問題提起をしていると思う。しっかり見た上で文化や伝統について堂々と議論すればいい。反日だと決め付けて抗議電話やデモをやって、1億2000万人の人間に見せないというのはやり方が卑劣。それこそもっとも反日的行為だ。みんなに見せて、こんなにひどい映画だと主張すればいい」と論評した。ジャーナリスト(アジアプレス代表)の野中章弘氏は「言論・表現の自由はジャーナリストにとって最も大切だが、日本のジャーナリズムにはその意識が希薄だ。反日だ虐日だと言う右翼の動きを受け入れてしまう日本人のメンタリティーや社会の流れに危機感がある。根っこにある日本の社会のゆがみを考えたい」と分析。さらに、「取材手法などのドキュメンタリー論、イルカ漁やクジラ漁の話、上映するなという主張は、それぞれ別の問題として分けて議論すべきだ」と述べた。


6月11日(金曜日) 自己顕示と記者の美学

 夕方から東京・新橋へ。記者グループの定例勉強会に参加する。この日のテーマは、「独自の調査報道によって警察のミスが発覚したが、記者からの問い合わせに答える前に警察が会見を開いて、記者発表してしまった」というケース。10人ほどが集まった。

 調査報道を積み重ねて事実を明らかにした努力そのものは賞賛に値するし、とても素晴らしい記者活動だと思う。せっかく特ダネとして報じることができたのに、記者会見で発表されてしまったのは悔しくて複雑だという気持ちもよく分かる。しかし、警察がウソの発表をしたのならいざ知らず、そうでなくて事実関係をつまびらかに公表したのなら、「これは自分たちの取材の成果である」といった部分をことさら強調したり、必要以上にこだわったりすることはないんじゃないかなあ。

 特ダネにできなかったのが残念だという感情は理解できるが、自分たちの取材によって警察のミスが表面化し、事実を明らかにすることができたのだから、それで記者としての役割は十分に果たせたわけで、達成感も得られたんじゃないかと思うんだけどなあ。もしも何らかの形でそのことを書くとしても、記事本文の中でちょろっと触れる程度でいいように思う。僕はむしろあからさまな自己顕示精神みたいなのはカッコ悪く感じてしまって、記者としての美学に反するなあ。いろんな立場からさまざまな考え方があっていいとは思うけど、議論を聞いていてちょっと違和感を感じた。


6月12日(土曜日) 中だるみの影響

 午後から授業。少しばかり仮眠して、早朝から学生の作文に目を通して添削し、配布する資料の準備をする。なんとか無事に作業を終えて授業に間に合わせることができた。先週やや厳しく遅刻について注意したので、きょうは5分〜10分ほど遅れて来た数人を除いて、大幅かつ大胆な遅刻はほとんどいない。なんだやればできるじゃないか。やっぱり中だるみだったのか。その代わり、宿題の作文は手抜きというかお粗末な内容が目立った。とは言っても宿題は1週間前に提出させているからタイムラグがあるわけで、これは先週分の遺産だから仕方ないか。


6月14日(月曜日) 「はやぶさ」帰還に感動

 小惑星探査機「はやぶさ」が7年の長旅を終えて地球に帰って来た。小惑星「イトカワ」の砂が入っているかもしれないカプセルも無事に回収された。絶体絶命の絶望的なピンチやトラブルを何回も切り抜けて、満身創痍になりながら無事に帰還し、大気圏に突入して本体が燃え尽きてしまう前にカプセルを分離した「はやぶさ」には、もうそれだけで十分過ぎる感動的なストーリー性がある。

 帰還の様子はテレビ画面で見た。「はやぶさ」本体がバラバラの火の粉となって消え去る最期と、並走して輝きながら夜空を横切るカプセルの光の筋は、それはそれはとても美しかった。さらにそれに加えて、燃え尽きる直前の「はやぶさ」が撮影して送ってきた地球の写真が、これまた味わい深くも泣かせる1枚だった。最後の力を振り絞って7年ぶりとなる故郷の姿を記録し、地上の管制室へ懸命に送り届けようとしたかのように、モノクロの画像には薄くかすれた白い縦線が幾重にも刻まれていたからだ。

 命の尽きる瞬間まで自分の役目をきっちりと果たそうとして、そしてすべて見事にやり遂げた「はやぶさ」。何ともけなげで切ない働き者の姿は、単なる人工的な機械のかたまりなどではなく、もしかして本当に魂が宿っているのではないかという気さえしてくる。「はやぶさ君」などと呼んで擬人化する向きがあるのも分かる気がする。いずれにしても、宇宙科学研究所の科学者たちの志と気概が込められた「孝行息子」だったことは間違いない。素晴らしい感動とロマンを見せてもらった。日本の科学技術と研究者に乾杯。


6月19日(土曜日) エアコン稼働

 午後から授業。このところ毎日のように、ちょっと歩いただけでも汗だくになるとんでもなく不快な夏日が続いている。きょうもめちゃくちゃに暑い。先週もかなりの気温だったが、教室のエアコンはまだ稼動していなかったので、とりあえず窓を全開にして授業をやった。しかしさすがにきょうはそれでは耐えられそうにない。そろそろなんとかしてほしいと教務課に要望したところ、数日前から「教室のエアコンを稼動してほしい」という学生の苦情が殺到しているという。だったら即応してくれよ(泣)。そんなわけで担当者が管理制御室のスイッチを入れてくれて、授業開始後15分ほどするとようやくエアコンが動き始めた。なんだかなあ。それでもやっぱりまだ暑いし、徹夜明けだし(またかよ)、いつもよりも早めに授業を終えた(早く終わった方が学生には好評なんだよね)。


6月21日(月曜日) 授業

 午後から授業。2年生〜4年生を対象にした総合講座の「平和研究」。今週と来週の2回連続で、「戦争とメディア」「情報統制と情報操作」のテーマで話をする。終了後に書かせた感想を読んだところでは、きちんと講義を聴いて理解したのは、約100人の学生のうち半分くらいかなあ。私語はほとんどなかったが、遅刻が多いのがすごく気になる。前回までの担当者はどんな対応をしていたんだろうか。厳しく注意したので来週が見ものだ。授業が終わってから「一方的でなく分かりやすく話をしてくれる講師に出会えた」とわざわざ感想を述べに来た学生がいた。僕としては事実をもとに、さまざまな考え方や視点があることを紹介して解説しただけなんだけど、分かりやすいと思ってくれたのならよかった。取材の事前準備を兼ねて、9階のパソコンセンターで1時間ほど資料収集。

 夕方から都内で、映画「ザ・コーヴ」上映予定の映画館支配人らを招いたシンポジウムがあったが、授業があったので残念ながら参加できず。ぜひ顔を出したかったんだけどなあ。右翼団体の標的にされた「横浜ニューテアトル」への街宣活動があった先々週も、授業と重なって取材に行けなかった。残念。


6月23日(水曜日) 「セカンド」更新

 「セカンドインパクト」を更新。「新・大岡みなみのコラム風速計」シリーズにコラムを新しく掲載しました。「『ザ・コーヴ』上映中止に反対する」です。「身辺雑記」の内容をベースにして、加筆修正しました。


6月26日(土曜日) やる気

 午後から授業。「文章を書く」講座は、本人のやる気によって成長の度合いが大きく左右される。このところ伸びが著しい学生がいる一方で、講義をほとんど聴いていないとしか思えない学生も残念ながらいる。何回も指摘しているのに同じ間違いを繰り返すのを見ると、がっかり感を通り越して激しい徒労感に襲われる。しかしこればかりは自己責任だから、どうしようもない。困ったもんだ。駅前の喫茶店で先輩記者とあれこれ雑談。


6月28日(月曜日) イエローカード2回で退場

 午後から授業。総合講座「平和研究」の後編。先週の講義の際に遅刻が多いことを厳しく注意したため、さすがに今週は遅刻が大幅に少なくなった。しかしそれでも堂々と遅刻して来る学生が何人かいる。前回予告した通り毅然とした態度を取って、始業から10分を経過した時点で出席カードの配布をやめた。私語についてはそれほどうるさいことはなかったが、実際に迷惑している学生が何人もいて、ほかの授業に関しても「気が散って授業に集中できない」という苦情が教務部に数多く寄せられていることから、2回目のイエローカード(警告)を与えた学生は退場させた。教室から学生を追い出したはこれが初めてだ。わざわざ振り返って後ろの学生と話していたのは、ちょっと目に余る論外の態度だったので、あえて厳しい姿勢で対処したのだが、退場させたこちらにしても後味が悪いというか、とても嫌な気分になった。中学生じゃあるまいし、もう少し大人になってほしいよなあ。


6月29日(火曜日) 名古屋場所開催は茶番

 大関から親方まで関与する大規模な野球賭博問題で揺れる日本相撲協会が、名古屋場所の開催を決めた。賭博問題を検証する特別調査委員会の勧告を受け入れる形で、武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)は「世間をお騒がせして多大なご迷惑をおかけした」などと謝罪したが、記者会見の席で逆ギレする姿は滑稽そのものだった。最前列でシャッターを切り続けるカメラマンに対し、武蔵川理事長は「こんなことするなら(会見を)やらないよ」と怒声を浴びせて威嚇。さらに、理事長の隣に座る特別調査委員会の伊藤滋座長(早大特命教授)も同じように、「目障りなんだよ。圧迫感があるんだ」などと言い放つ場面がテレビに映し出されていた。

 これが謝罪会見なのか。いったいどういうつもりで、どんな態度でこの人たちは記者会見に臨もうとしているのか。納税者であり主権者たる国民に対して、公益法人である日本相撲協会は説明して謝罪する責任がある。だから記者会見に出てきて説明した上で、不祥事を詫びて頭を下げようとしているのではないのか。「会見をやらないよ」とはどんな言いぐさなのか。日本相撲協会には記者会見に応じない選択肢などない。事実をつまびらかにして説明する義務と責任があるだけだ。謙虚な態度で説明しようとしているとはとても思えない。

 こういう横柄で偉そうな態度は、この日の記者会見の「内容」そのものに如実に反映されていた。大関の琴光喜と大嶽親方を除名か解雇の処分にして、13人の力士と11人の親方を謹慎にするというが、そんな状態でまともな取り組みができるのか。常識で考えれば名古屋場所の開催など到底無理だろう。にもかかわらず、「処分は名古屋場所開催の条件」とはちゃんちゃらおかしい。「名古屋場所を開催する」といった結論は、最初から決まっていたとしか思えない。出来レースの茶番そのものではないか。

 「名古屋場所の開催を中止すれば、反社会的勢力(暴力団)に屈することになる」として開催を擁護する声があるが、そんな馬鹿げた屁理屈があるだろうか。詭弁としか言いようがない。まともな調査も終わらせていない段階で場所開催を強行するというのは、暴力団との関係をうやむやにして興業を続けるのと同義ではないか。そもそも反社会的勢力(暴力団)とべったりの角界の体質をそのままにしながら、「屈することになる」なんてよく言えるなと思う。インチキくさいにもほどがある。


6月30日(水曜日) サッカー日本代表が惜敗

 サッカーW杯の決勝トーナメント1回戦で、日本はパラグアイにPK戦の末に惜敗した。まさに「惜敗」という表現がこれほどぴったり当てはまる試合もないのではないか。それほど、格上のパラグアイを相手に互角の熱戦を繰り広げた。ベスト8進出には一歩及ばなかったが、日本チームはよくぞここまで頑張ったと思う。僕のような「にわかサポーター」を大量に日本中に誕生させて、半数以上の日本人をテレビの前から離れさせないというのは大変なことだ。チーム一丸となっての快進撃は、どれも手に汗握る試合だった。お見事。上質のドラマを見せてくれて、感動と共感と一体感を味わわせてくれた。ありがとう。


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