身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


1999年9月1日〜9月30日

●ダブルスタンダードはカッコ悪い●「人の話をじっくり聞く」●「北の阿修羅は生きているか」を観る●警察組織の本質的体質●「レベルの低い記者」はあなたです●「伝える」ことの難しさ●消費者に「判断材料」を●編集会議●契約更新●長すぎる一日●法律家の文章は…●ルポ解題、あるいは記者の不安●自分のことのように●声を上げた裁判官たち●MLに参加●犯罪警察官の実名公表について●続「iMacのニセモノについて」●第1回の失業認定申告●「センチメントの季節」●「鉄塔武蔵野線」を見る●結石再発?●映画「ブルベイカー」●連載コラム終了●規則正しい生活を決意(本当か)●一般家庭にも日の丸を?●安田弁護士やっと保釈●「新・コラム風速計/ネット版」●甲山事件で三たび無罪判決●臨界事故の恐怖●●●ほか


9月1日(水曜日) ダブルスタンダードはカッコ悪い

 最近いくつかいただいた相談のメールの中から。かいつまんで紹介すると「近く会社を辞めるつもりなのだが、引き継ぎなども済ませたうえで有給休暇を消化して退職したいと考えている。職場の信頼する先輩にそのことを話したら、人手が少なくてみんな大変なのに身勝手ではないかと嫌味を言われた」というのだ。情けない先輩だけど、こういう人物はどこにでもいる。しかし僕が心底不愉快に感じたのは、この先輩のダブルスタンダードぶりだった。この先輩は相談者に対して、偉そうに「労働者の権利だから有給消化はだれにも止められないけど…」などともっともらしいことを前段で語ったというのだ。「よく言うよ」と思う。実はこの手の人間こそ最も始末におえない。一見すると理解あるような言葉や態度を示していながら、言うこととやることが全然違う。偽善的で卑怯で信用できない最低の人間だと思う。驚きあきれ返るばかりの愚劣さだ。もしも本当に「職場が大変だ」というのなら、そんな文句は会社に対して言うべき筋合いのものだろう。でもたぶん上には言えないものだから、立場の弱い部分を攻撃するのだ。戦う相手を完全に間違えているのだが、この手の人たちがよくやる対応である。だったら理解のありそうな言動などしなければいい。最初から「有給消化なんか認めない」とだけ言えばいい。カッコつけて、もっともらしい正論などを口に出したりするから余計に始末におえないのだ。終始一貫して言うべきことを言うべき時に言ったり、やるべきことをやるべき時にしたりということを実行できないのなら、もっともらしいことは言わない方がいいと思うなあ。あまりにもみっともなさすぎるからね。というわけで、相談者には「そんなかわいそうな人たちは相手にしないで、自信を持って労働者の権利を敢然と行使しましょう」とお返事メールを出した。

 あ〜あ、短かった夏休みもあっという間に終わってしまい、今年も残すところあと4カ月だよ。まったく信じられない。短いながらも「のんべんだらりとした生活」を続けたせいで、まるっきり労働意欲がわいてこないのには困ったものだ。そんなわけで、たまっていたメールの返事を書きまくる。


9月2日(木曜日) 「人の話をじっくり聞く」

 記者の仕事は基本的に「人の話をじっくり聞く、あるいは聞き出す」ことにある。「人の話をじっくり聞く」のが大事なのは、どんな職業や場面でも同じなんだけどね。でもそうは言っても、相手の話を途中でさえぎって、思わず口を挟みたくなってしまうのはよくあることだ。そこをぐっとこらえ、まずは相手に話したいだけ話をさせてあげて、それから自分の意見を話し始めるとゆーのは、取材に限らずそもそも「コミュニケーション」の原則かもしれない。で、僕自身はと言うと、精神的に余裕がある時はいくらでも人の話に耳を傾けていられるのだが、余裕がないとついつい途中で話の腰を折ってしまい、余計な反論などをしてしまうことがある…。う〜ん、やっぱり取材には万全の状態で臨まなければ失敗してしまうものなんだなあ。もちろん、わざと相手が怒り出すような質問や突っ込みをして、本音を聞き出すというワザもあるんだけど、やっぱり基本は「相手の話を全部聞く」ことにあるでしょう。

 「日の丸・君が代」をテーマに長期取材した長編ルポルタージュが、今話題の「週刊金曜日」の9月10日号(来週金曜日発売)に掲載される予定です。本名で執筆しています。紀伊国屋書店や三省堂、有隣堂といった大きな本屋さんや大学生協などには置いてあるので、ぜひ読んでみてください。感想などお待ちしています。長い記事だから立ち読みは無理かもしれません。新聞連載だと5回分くらいの分量です。(「週刊金曜日」は、毎週金曜日に朝日新聞に広告が出ています。落合恵子、佐高信、椎名誠、筑紫哲也、本多勝一が編集委員の雑誌です)


9月3日(金曜日) 「北の阿修羅は生きているか」を観る

 港南図書館に行った帰りに市営地下鉄・上永谷駅(地上駅)のホームに上がると、やかましいほどの小鳥のさえずりが聞こえてきた。ほかの乗客も何事かと注目しているのでよく見ると、ホームの真ん前にある大木にスズメの大群が群がって、忙しそうに飛び回っている。今にも折れそうな小枝に次から次へと飛び移りながら、百羽以上のスズメが大騒ぎである。時間は夕方6時。夕食時だから好物の木の芽でもみんなで食べているのだろうか(スズメが好きな木の芽っていったい何だ?)。車で走っていると、なかなか味わえないほのぼのとした風景だ。木の下は鳥の糞で大変だろうけどね。

 紅葉坂にある県立青少年センターホールで、文学座の公演「北の阿修羅は生きているか」(作・鐘下辰男、演出・西川信広)を観劇する。主人公は内野聖陽が演じる元新聞記者の楠(くすのき)。従軍記者として1894年(明治27年)、日清戦争下の旅順に赴任した楠は、日本軍による非戦闘員の虐殺を目撃する。戦闘は既に終わったのに、二千人以上の無抵抗な中国民間人を殺したのだ。検閲将校の目をかいくぐって東京に送った記事は、しかし1行たりとも紙面に掲載されることはなかった。「真実を見た通りに書いて書いて書きまくれ」と言って楠を戦場に送り出したはずの社主は、いつの間にか「戦勝気分に酔う世論に逆らってまで載せる必要はないし、そもそもそんな記事を載せたら発行停止処分を食らう。もっと大局に立って物事を見ろ」と言うことが変わっていた。原稿は握りつぶされたのだった。他社の記者は、だれ一人として虐殺事件を記事にしない。ただ、アメリカ人記者の書いた記事だけが世界を駆け巡るが「でっちあげだ」の一言で片付けられてしまう。最初は楠を応援していた同僚記者も「新聞社をつぶすわけにはいかない」「販売合戦が大変なんだ」と、社主や軍当局そして世論に次第に迎合するようになる。新聞記者としての誇りを踏みにじられて深く傷ついた楠は北海道に渡り、酒に溺れる毎日を過ごすのだった…。

 ああ、百年も昔から「ダブルスタンダード」でも「変節」しても平気な人間はいくらでもいて、それって現代社会でも何も変わらないのだなあ…。そんなことを痛感させられるストーリーである。芝居を見ていて、今の日本社会の危険な流れも、新聞記者や新聞社が「自己正当化」する論理も、日清戦争の時代とまるで変わらないと思った。だがしか〜し。この芝居がこれだけだと思ったら大間違いだ。そこはそれ、日本演劇特有の「どろどろした恋愛模様」というものが、やっぱりあるんだなあ。楠の同僚記者・瀬川と楠の妻との不倫関係話なんかが出てきたりして、ぐちゃあ〜っとなるのだが、このあたりは安直でありきたりな展開のような気がする。瀬川の変節ぶりが恋愛感情によるのか、人間性や時代背景によるのかが不鮮明になるから止めてほしかったけど、でもまあそいつは「日本演劇のお約束」ってことだから仕方ないか。


9月4日(土曜日) きのう書くのを忘れていた話

 え〜っと、きのう観劇した「北の阿修羅は生きているか」は、今年6月に新宿の紀伊国屋サザンシアターで公演されたものの再演である。初演を見た新聞記者志望の大学生H君から「新聞記者の苦悩と葛藤が描かれています」とメールをもらって、面白そうなので横浜公演を見に行ったのだ。「もう一度見に行きたい」と言っていたH君は来ていたのかな。まあ、今は採用試験でそれどころではないかもね。ところで、きのう書くのを忘れていたことがもう一つある。住民税と厚生保険料を払い込んだのだが、な、な〜んと、合わせて8万円以上にもなったのだ。おいおい、冗談じゃないっつーの。どうして貧乏人からそんなにふんだくるんだよ。この怒りと情けなさは記録に残しておかなければなるまい。そーゆーわけで掟破りだが、きのうの話を「身辺雑記」であえて二連発だ…(涙)。

 で、きょうは…。図書館でおとなしく調べものしようと思っていたが、結局は自宅でうだうだする。いかんなあ、こーゆー生活態度では。だがしか〜し、あんまり動き回らないとお金を使わないで済むってこと、そこのアナタ知ってましたか(爆)。っておいおい、それはとても「ジャーナリズム」を生業にしている者の発言とは思えないぞ(汗)。


9月5日(日曜日) 予告更新?

 今月下旬に「セカンドインパクト」の小規模な改造を予定している。ページ構成などを再編成して、新しい記事なんかも追加更新するつもりだ。そのために「セカンドインパクト」のファイルを徹夜でいろいろといじくってみた。あっちこっち手を加えて、ほぼ準備は完了した。あとはアップするだけなのだが、諸般の事情(謎)で今月下旬にまとめて更新したい。まあ、いろいろあるんですよ。そんなわけで「予告更新」ってやつである。港南図書館で取材準備の調べものをしてから、上大岡の本屋で「彼氏彼女の事情」第8巻をゲットする。


9月6日(月曜日) 警察組織の本質的体質

 神奈川県警幹部の「言い訳」は笑える。「嘘つきはドロボーの始まり」と言うけれど、そのまんまの記者会見をよくもまあ懲りずに繰り返すよなあ。問題になっている警察官たちの「不祥事」は、殺人未遂や恐喝に相当する言わば凶悪犯罪である。一般市民なら間違いなく逮捕され起訴され実刑判決を受けるだろう。そんな凶悪犯に対する処遇の甘さもさることながら、事実を隠蔽して、しかもすぐにばれるような嘘を平気でつける厚顔無恥さには、驚きあきれるばかりだ。「よく言うよ」って感じである。でも最も怖いと感じたのは、嘘をついたことが明白になっているのに「嘘ではない」と開き直り、挙句の果てには高圧的に威嚇する権力者の態度だった。だから、警察は信用できないと言われてしまうのだ。盗聴法が論議された時に問題になったのもその点だった。何といっても警察は権力機構そのものであり、末端の警察官は実際に権力を行使する立場にあるのだ。そんな人たちに盗聴法などという凶器を使わせたらどんなことになるだろう。まさに「◯◯◯◯に刃物」じゃん。今さら言うまでもないが、共産党幹部の自宅を盗聴していまだに開き直っているのは、何を隠そう神奈川県警なんだよね。「他人に厳しく自分に甘くて、平気で嘘をつく」のはたぶん、警察組織の本質的体質なのかもしれないけど、中でも神奈川県警はその陰湿な体質が突出しているのだろう。違反するのを待ち構えていて交通取り締まりをする悪徳警官も根っこは一緒だ。まあ、そんなことを言われたら、まじめに働いている全国のお巡りさんが迷惑すると思うけどね。


9月7日(火曜日) 「レベルの低い記者」はあなたです

 読売新聞の男性記者が日本テレビの女性記者に「系列だからやらせろ」と言って、警察庁記者クラブの懇親会の席で迫ったんだってさ。ありゃ…。女性記者が怒り心頭なのは言うまでもないだろうけれど、系列会社間でのセクハラ事件だから、大甘の処分だといいですね。でも系列会社間のミットモナイ話はそれだけではなくて、読売記者は日テレ記者にこんなことも言ったのだそうだ。「(新聞記者に比べて)テレビの記者はレベルが低い…」。セクハラもさることながら「こいつはバッカじゃねーのか」と心から思った。テレビ局の記者にも優秀な記者はいるし、新聞記者にもボンクラ記者はいる。もちろんその逆もある。仮にレベルの高い低いを言うのならば、それぞれの記者個人の資質を問題にすべきだろう。「テレビ局の記者は…」「新聞記者は…」というまとめ方でしか比較できないところに、この読売記者の程度の低さが如実に現れている。日本人は…とか、中国人は…とか、アメリカ人は…とか、個々の人間の存在を無視したそんな決めつけ方にどんな意味があるのだろうと疑問を感じるのと同じである。つまり、こういうことだ。「系列会社の女性を侮辱した読売新聞記者の◯◯氏はレベルが低い」とは言えるけれど、だからと言って「(すべての)読売新聞記者はレベルが低い」とは必ずしも言えない。もしも、読売記者の◯◯氏が今後も記者活動をお続けになるのだとするならば、このことはよく理解してから取材された方がよいと考える次第である。

 職業安定所の説明会に出席する。会場は失業者でごった返していて、不況なんだなあと実感する。失業給付を解説したビデオを見せられてから、申告書類の記入方法などの説明を聞く。約1時間半。何だかいろいろと手続きが面倒くさいけど、こればっかりは仕方ない。お役所仕事だもんね。ふう。その足で山下町のパスポートセンターに行って、パスポートを受け取る。ヤマギワソフト館でファクス用紙の特売をやっていたので、思わず3本セットを購入。最近、ゲラ刷りのやりとりなどでファクス用紙の消費量が多いのだ。


9月8日(水曜日) 「伝える」ことの難しさ

 先日のニュースステーションで、司会の久米宏氏がこんなことを話していた。「アナウンサーとは難しい職業です。ニュース原稿を上手に読めるのと、ニュースの内容がちゃんと伝えられるのとは別なんです」。つまり、流暢(りゅうちょう)に立て板に水のように原稿が読めたからといって、必ずしもニュースの内容や本質がきちんと視聴者に伝わっているとは限らない、というわけである。う〜ん、これは文章についても同じことが言えるよなあ。上手な文章や面白い文章が書けることと、事実そのものや事実の背景や問題点が、読み手に正確に伝えられることとは全く別ものだ。もちろん、読みやすくて分かりやすい文章であることは内容を正しく伝えるための基本条件だが、それとともに「何を伝えたいのか」がしっかりと定まっていなければ、どんな話であっても伝わりようがない。そのためには「視点と取材」がものを言うのだろう。ちなみに取材という行為は記者だけがするとは限らない。記者ではない人の場合は「何を見て何を聞くか」ということが取材に相当するわけで、文章を書いたり伝えたりすることの基本はみんな一緒だ。


9月9日(木曜日) 消費者に「判断材料」を

 「クローン牛」であることを表示した上で、肉屋さんの店頭でクローン牛肉の試験販売が始まったが、NHKのニュースを見ている限りでは、消費者は味にしか関心を示していないようだった。「おいしいです」とか「クローン牛も普通の肉も変わらないですね」といったコメントが並ぶ。それはそれでいいけれど、でもなぜ、だれも安全性について不安を感じないのだろうか。と言うか、消費者は本当に安全性について関心がないのだろうか。NHKのニュースは結局、クローン牛の安全性には何も触れなかった。う〜ん、わざとそういう放送をやっているのか…。民放のニュースは「役所が安全だと言っていますからね」という客の感想や、「安全性に疑問があるものは販売するべきではない」という消費者団体の主張などを紹介していた。もちろん、日本の役所が「安全だ」と言ってもあんまり信用はできないんだけどね。しかし、NHKのニュースでは「安全」という単語はついぞ出てこなかったのだから、やっぱりNHKは意図的な「編集」をしているのかなあ…。遺伝子組み替え食品にしてもそうだけど、製造者や販売者はもちろん報道する側も、安全性が疑わしいものについては疑わしいという情報をきちんと提示する責任がある。消費者が判断できるだけの最低限の材料は出してもらいたいものだ。今話題になっている「買ってはいけない」(週刊金曜日)は、そーゆーことを訴えている本だろう。どこかのお馬鹿な評論家が「そんなことを言っていたら何も買えなくなる。交通が不便な田舎では、保存料が入っていないと食品の流通ができないではないか」みたいな反論を月刊誌で書いていたが、こいつは何も分かっていないなーと思った。便利な生活に慣らされている中で、原点に戻って考えてみるということは、決してエキセントリックな試みではない。何が使われているかを知った上で、どうすればより安全で体にいい生活ができるかを自分自身で判断する、そんな提言の一つなのだから。

 ずいぶん前に買ったままで、読んでなかったコミックス数冊をまとめ読みする。鬼頭莫宏「なるたる」、宇河弘樹「スタンダードブルー」、あもい潤「@テンション」、柊あおい「星の瞳のシルエット」…。どれも、なかなか面白い。ちなみに「なるたる」は空が舞台で「スタンダードブルー」は海が舞台。「@テンション」は電脳空間が舞台だ。「星の瞳」は学園少女漫画。続きが読みたくなったので「なるたる」第2巻と第3巻を購入する。う〜ん、ここで延々と書いても仕方ないので、内容については「裏身辺雑記」(謎)の方に書こう。久しぶりに横須賀で取材。それにしても京浜急行の快速特急は速い。何もかもすっ飛ばして走り抜けるといった感じだ。


9月10日(金曜日) 編集会議

 午後から東京へ。秋葉原のコミック同人誌専門店で、今年夏のコミックマーケット(夏コミ)に出品された新作をいくつか購入する。ああ、こんなことを書くと誤解されそうだなあ(全然誤解じゃないってか?=自爆)。夕方から信濃町にある出版社で、今秋に創刊される雑誌「月刊司法改革」の編集会議に出席。大学教授や弁護士ら編集委員の面々に紹介される。専属ライターとして、連載企画などを受け持つことになっているのだった。会議は約3時間半ほど続いて、それから四谷の居酒屋で懇親会。刺身や刺身サラダなどの後に出てきたのは、なな〜んと、まだ夏のような陽気が続いているというのに鍋だった。カニスキである。いや別にカニの身はむちむちに引き締まっていて、うまかったからいいんだけどね。とっくに電車はない時間(午前1時半)にお開きである。四谷からタクシーで帰ったら2万円もかかった…。午前2時半帰宅。う〜む、きょうの文章は久しぶりに全編「身辺雑記」そのまんまだなあ。眠いからもう何でもいいや。そんな一日でした(汗)。


9月11日(土曜日) 契約更新

 不動産屋がアパートの契約更新の書類を持って来た。今回で2回目の更新である。今住んでいるアパートに移ってもう4年も経ったんだなあ、などと感慨にふけっている場合ではない。1カ月分の家賃が「契約更新料」として消えてしまうのだ。ええ〜っ、またまた余計な支出かあ…。何でこうも多額の出費が重なるかなあ…。どうせならいっそのこと、何かと便利な東京都内に引っ越してしまうというのも考えられないことではない。でも、引っ越しするのは結構お金がかかるし、それに手続きがいろいろ面倒くさいから、結局は契約更新して引き続き今のところに住むのが最善の選択かも。


9月12日(日曜日) 絶対に異常気象だと思う

 真夏並みの蒸し暑さだ。やたらに湿気が多くて、べたべた〜っとした空気がとっても気持ち悪い。どう考えてみても絶対にヘンだよ、この気候は。今年の東京地方は亜熱帯気候そのものなのだそうだけど、これって異常事態ではないのかなあ。いったい地球に何が起こっているんだろーか。そんな不安な気持ちを感じているのって僕だけかなあ。大げさに考え過ぎていますかねー?


9月13日(月曜日) 長すぎる一日

 午前7時56分。目覚まし時計をセットしておいた時刻の数分前になぜだか目が覚めたら、数秒してから激しい横揺れを感じた。横浜は震度4だった。ほ〜らね、やっぱり異常気象の兆候が出てきたじゃん。この地震は最近の気候と関係あると思うけどなあ…。東横線と地下鉄日比谷線を乗り継いで東京地裁へ。地震の影響で徐行運転していて東横線のダイヤが混乱している。町田市の前田さん夫妻が原告の「学校の調査報告義務を問う訴訟」の最終弁論(結審)を取材。裁判長が和解勧告をする。「親にも子どもにも法廷でも、平気でうそをつく市教委や学校や教師連中には、怒りを通り越して情けない気持ちです」と語る原告の前田さん夫妻の心中は察するに余りある。神奈川県警と学校の隠蔽体質はまるっきり一緒だよね。組織防衛と保身しか頭にないのだ。あ〜あ…。神保町の出版社に久しぶりに顔を出して編集長としばし雑談。外に出たら何と雨が降っている。ビニール傘を250円でゲット〜。破格の安さだなー。九段の老舗蕎麦屋で、旧知の司法試験受験生の女性と夕食。エビスビールの生を飲みながら、枝豆と厚焼き玉子に二色蕎麦というメニューである。なかなかの味だったけど高いよ〜(泣)。

 「人権と報道・連絡会」の定例会に出席する。「オウム信者の転入届不受理問題」がテーマだった。「住民感情」と「公共の福祉」を理由に、オウム真理教信者の転入届を行政が受理しない事態が全国各地で続いている。基本的人権を明らかに侵害する違法行為(憲法違反)を、行政が率先して行っているのは異様な光景だ。これではもはや日本は法治国家とは言えないなあ、と僕もかねてから思っていた。と言うか、集団で特定少数を追い詰める群衆心理の怖さ、ファシズムがこんな形でいとも簡単にまかり通ってしまう怖さを強く感じている。念のために断っておくが、もちろん僕は、オウム真理教の幹部たちが過去にやったことと、今もその幹部たちに心酔している信者たちや、犯罪行為に手を染めている(かもしれない)信者たちを容認するつもりは毛頭ない。だけど、どんな人間に対しても基本的人権を尊重する姿勢は崩してはならないと考える。特定の人間が相手ならば法律や手続きを無視していいとか、集団でリンチ(私刑)してもいいなどという前例をいったんつくってしまうと、必ず歯止めが効かなくなるからだ。そんなことになれば、基本的人権が無視される対象はきっとオウム信者だけではなくなるだろう。しかしそのことと、僕が個人的に抱いているオウム信者への不信感とはまったく別ものである。


9月14日(火曜日) 法律家の文章は…

 きのう久しぶりに会った司法試験受験生の女友達が、受験生仲間の論述試験の模擬答案をいくつか見せてくれたのだが、分かりにくい文章に思わず頭が痛くなった。もちろん、法律の専門用語が日常生活では使われないものだから難しいという側面もあるにはあるけれど、しかしそういうことだけではない。専門家にしか理解できないような独特の言い回しや文章構成が、たぶん日本語として分かりにくいのではないかなあ。そもそも法律家の書く文章は難解で意味不明なものが多い。特に判事の文章はひどい。主語と述語が果てしなく離れていて、しかもその間に別の文章が組み込まれていたりするのだ。悪文の典型ではないかと思う。司法担当で裁判所を回っていた時には、読みたくもない起訴状や訴状や判決文をいくつも読まされて、うんざりするばかりだった。で、司法試験の論述答案に話は戻るけれど、必ずしも「法曹関係者の独特の言い回し」で答案を書かなくてもいいそうだ。基本はやっぱり「だれが読んでも分かりやすい文章」だそうである。だったら、専門家には分かるけれども一般市民にはよく分からないといった独特の文体はやめて、平易な言い回しでリズム感のある答案を書いた方がいい。法律家として仕事をする時にもね。そんなわけで法律の素人が、論述答案の添削指導をしてしまったのだった。きょうは終日、取材準備のための電話取材と原稿執筆。久しぶりに部屋の掃除もする。


9月15日(水曜日) ルポ解題、あるいは記者の不安

 管理職としての「校長たちの苦悩と葛藤」を描いた「週刊金曜日」のルポは、日の丸・君が代をテーマにはしているけれど、ある意味では「人間としての生き方」がテーマと言っていいかもしれない。苦悩したり葛藤したりする校長は実はわずかで、圧倒的多数の校長は何も考えずに、教育委員会に言われた通りに動くだけだったりする。そういう校長たちは教育委員会の一方的な指導に疑問を持つこともないし、自分をごまかしても平然としていられるのだ。何ともカッコ悪くて愚劣で卑怯な生き方だが、でもそんな生き方をしている人たちというのは校長だけではなくて、ヒラ教師にも大勢いるし、会社や役所や組合にも同じような人間はいっぱいいる。それと対極の生き方をしているのが、誠実であろうとするからこそ悩み苦しむ人間の存在だ。深く考えずに割り切って生活すれば、苦悩することはない。寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、そして思考停止状態でいればこれほど楽なことはないだろう。しかしそんな生き方ができない不器用な人たちも少なからずいるのだ。日の丸・君が代を踏み絵に使っての無理強いで、そういう人間の居場所はますます狭められていくことになるのだった。…とまあ、そのようなことを今回のルポで描こうとしたわけなんだけど、誌面のページ数は限られているから、なかなか伝えたいことの全部は書けない。場合によっては言葉足らずになってしまうこともある。その辺は常に不安に感じていたりするので、訴えたかったことが読者にきちんと伝わっているのが分かった瞬間というのが、記者にとっては一番うれしいしほっとするのだ。さらに行間を読み取って、記事に書いた以上の「記者の思い」を受け止めてくれていたりすると、記者冥利に尽きるというものだ。ルポを読んでくれた読者からそんな感想をいただいて感謝している。とても心強いです。


9月16日(木曜日) 川崎で飲み会

 川崎で飲み会。記者や編集者仲間と駅ビルの22階にある居酒屋で騒ぐ。いつの間にかこんな高層ビルが川崎駅前にできていたのにも驚いたが、最上階にワンフロア全部を使って居酒屋風情がど〜んと存在していることにもびっくりである。ジャーナリストの処世術やら記事の書き方やら、何だか青臭い話をたくさんしたような気がするが、気が付いたら5時間も経っていた。1カ所の居酒屋に5時間もずっと粘っているというのはいかがなものかとも思うが、まあいいか。外は小雨が降っている。京急の特急終電で上大岡まで。そこからは歩きだ。眠くて仕方ないぞ〜。午前1時半帰宅。


9月17日(金曜日) 自分のことのように

 友人のK記者は「週刊金曜日」に掲載された僕のルポを、何回も何回も繰り返し読んでくれているそうだ。「今朝も取材に出かける前にまた読んでいたよ」。K記者宅に電話したら、彼の連れ合いが電話口でそんな話をしてくれた。「週刊金曜日」に載った「校長たちの苦悩と葛藤」は僕が新聞社を辞めてから初めて世に問うルポになるわけで、事実上のデビュー作と言える。会社を飛び出して無鉄砲にもフリーの立場になった僕のことを、心配してずっと励まし続けてくれたK記者は、だから自分のことのように喜んでくれたのだろう。うれしそうに雑誌を繰り返し開いているK記者の姿が目に浮かんで、何だかジーンときて胸が詰まる思いがした。上大岡の京急百貨店で、名刺を追加注文したついでに文房具売り場を眺めていたら、もう来年の手帳がいくつも並んでいる。早いなあ〜。ここ最近は会社の手帳を使っていたが、これからは久しぶりに市販の手帳に戻さなければなどと考えていろいろ吟味した結果、7年前まで愛用していた能率手帳の普及版を購入。もっとカッコいい手帳がこの後に出てくるかもしれないけど、まあとりあえずいいや。表紙に引かれて藤原カムイのコミックス「HOT愛Q」を買う。


9月18日(土曜日) 声を上げた裁判官たち

 東京・霞が関の法曹会館で「裁判官ネットワーク」の設立を取材する。司法改革や「開かれた司法」の推進などを目的に掲げて、約20人の現職裁判官が「本音で自由に発言し議論しよう」と旗揚げした。閉鎖的だと言われる裁判所の中から、このような形で堂々と声を上げるのは極めて異例で、かなり勇気のいる行動であることは間違いない。本来ならば裁判官はその独立が徹底して守られている職業だ。日本国憲法には「すべて裁判官は、良心に従い独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される」と明記されているが、しかし実際には最高裁判所や上司からさまざまな監視や干渉を受けているし、その影響もあってか、多くの裁判官は発言や行動を必要以上に自己規制している。委縮してしまって、社会に対して本音で発言しない裁判官がほとんどなのだ。そもそも本音で発言する裁判官は裁判所内で浮き上がるだけでなく、昇給や人事などで不利益を被ることさえある。市民団体主催の集会で発言した寺西判事補が処分された事件はそうした象徴だろう(1998年12月3日付「身辺雑記」参照)。理念と実態は恐ろしくかけ離れているのだった。司法がそんな状況だからこそ、現職裁判官が「開かれた司法を」と声を上げた意味は大きいと思う。全国で三千人いる裁判官の中で、たった20人のスタートであってもだ。まず最初の活動として「裁判官は訴える!私たちの大疑問」(講談社)という本が出版された。メンバーのうち12人が実名を出して執筆している。

 一応、きょうはネクタイを締めて取材に行ったんだけど、それにしてもどうしてスーツとゆーものは、あんなに疲れるんだろう。疲労感がジーパンの時と比べて5倍から10倍くらい違うと思う。帰宅してジーンズに着替えた瞬間の爽快感・安堵感といったら…。心の底から解放感が味わえるんだよな〜。


9月19日(日曜日) MLに参加

 新聞のスクラップ作業をしばらくサボっていたら、山のようにたまってしまった。スクラップというのはたまると収拾が付かないんだよなあ…。読みたい本や見たいビデオもたまっているし、う〜ん、暇そうに見えて実はそんなに暇ではないのだ。このところ、インターネット徘徊(ネットサーフィンとも言うらしい)もあんまりやっていないから、面白そうなホームページの新規発見もさっぱりである。ネット関係で言えば、身辺雑記の更新と電子メールの返事を書くことで精いっぱいだよなあ。メールはいろんな意見に触れる貴重な機会で、活力源というか元気の素みたいなものだから、いい加減には扱えないしね。…などと忙しそうなことを言いながら、実はこのたび、とあるメーリングリスト(ML)に入った。MLと言うのは、電子メールを使った「会員制のクローズドな掲示板」みたいなものだそうである。メールで発言すると、登録メンバー全員にそのメールが送信されるシステムだ。何を隠そうMLに参加するのは今回が初めて。まったくの初心者である。前から興味はあったのだが、毎日あんまりいっぱいメールが届いても困るなあと、手を出すのをためらっていたのだ。でもまあ、面白そうだから思いきって参加することにした。とりあえず自己紹介メールを送りました。


9月20日(月曜日) 犯罪警察官の実名公表について

 新聞記者として警察取材をしていた時からずっと腑に落ちないなあと思っていたのが、犯罪を犯した警察官の実名を、決して警察が公表しようとしないことである。一般市民の名前は未成年者や精神障害者といった例外を除いて必ず記者発表するのに、警察官の名前は公表しない。広報官や先輩記者に何度となく「おかしい」と食い下がったことがあるが、その度に「ご理解ください」とか「慣例だから」などという説明で逃げられてしまった。あまりしつこく追及しすぎると取材に支障が出てくるので、ある程度までしか食い下がらなかったのは反省材料ではあるけれども。しかし一般市民の名前を公表するのならば、警察官の名前も同じように公表しなければ不公平だと僕は思う。普通の公務員や教師の名前は必ず公表されているのだ。むしろ、権力機構の一員である警察官だからこそ公表されるべきだろう。で、神奈川県警のトンデモナイ凶悪犯罪が次々と明るみに出ているというのに、やっぱり警察は容疑者である警察官の氏名を一切公表しない。例えば痴漢行為をした教師や教育委員会係長らの名前は毎回公表しているのに対し、同様の行為をしたとされる警察官の名前は記者発表しないのだから、県警の対応はやはり異様だとしか言いようがないだろう。暴行・恐喝・証拠隠滅・殺人未遂といった凶悪犯罪の疑いを持たれているのならば、なおさら公表すべきではないか。まあ、こうした「身内に甘い対応」は、神奈川県警に限らないだろうけどね。そういう意味では先週末、千葉県警が懲戒免職した警察官の名前を記者発表したのは極めて異例のことだと言える。非常に珍しい。でも本当はそれが当たり前のことなのだ。それにしても神奈川県警の犯罪は、もっとスゴイ極め付きの疑惑が隠されているらしいが(一部週刊誌とテレビが報道)、もしもそれが事実なら前代未聞の大事件になるはずだ。こうした事件をどこまで追及できるかで、マスコミの「権力監視」の姿勢がどこまで本気なのか決まるんだろうなあ。

 続「iMacのニセモノについて」 「iMac」のニセモノに対して、東京地裁が製造・販売の禁止を認める仮処分決定をした。至極妥当な決定だと思う。だって明らかなニセモノなんだもん。丸みを帯びたフォルムと半透明を組み合わせた「iMac」の独特なデザインは、極めて独創性の高い表現物だろうから、これが保護されないとなったら表現者にしてみれば敗北としか言いようがない。「中身が違う」などというのは言い訳に過ぎない。だったら別のデザインにすればいいじゃん。それにしても、そもそも猿真似のデザインで堂々と商売するずうずうしい神経が僕には信じられません。

 高校教師たちと関内のインド料理屋で昼食。野菜カレーとナンとタンドリーチキンとサラダほかのスペシャル版だ。うまいし腹一杯になる。久しぶりのインド料理には感動するばかりである。


9月21日(火曜日) 第1回の失業認定申告

 きのうの「iMac」のニセモノに対する仮処分決定で、法的根拠となった「不正競争防止」の背景には「知的所有権」や「意匠権」があると言えるだろう。独創的なデザインとその商品を保護するという観点から考えて、この決定は妥当すぎる判断だと思う。しつこいようだけど繰り返し言う。人気商品のデザインを猿真似するようなセコイ商売の仕方は、誇りある人間のやることではありません。技術に自信があると言うのならば、独自のデザインで勝負すればいい。悪いけど僕は、こういうズルをしながら開き直るような人たちは生理的に嫌いなのだ。

 公共職業安定所で第1回の失業認定申告をする。取材活動こそ続けているが、文句なしの収入ゼロ状態なので、その旨を係官に告げる。失業認定申告の際には、就労した事実を申告しなければならないのだという。それで、取材活動のどこまでが「就労」に当たるのかを質問したら、原稿を書くための準備は「就労」だという答えが返ってくる。う〜ん、分かったようでよく分からないな。実にあいまいな線引きだ。記者にとっては協力者と雑談するのも仕事の一つ(取材活動)だからなあ…。取材をしたことのない人には、そのような微妙な部分の仕事は理解できないだろうと思う。係官は上司と何やら相談していたが、とりあえずは、裁判傍聴と記者会見を「就労」として申告することになった。だけど実際には、給付制限期間内の就労は何ら問題がないそうだ。な〜んだ。じゃあ、何だっていいじゃん。手続き自体はあっという間に終了する。名刺ファイルが一杯になったので新しいのを購入。昼食は秋刀魚の塩焼き。レモンが付いてきたが、どうせならスダチがよかったな。


9月22日(水曜日) 「センチメントの季節」

 それはそうと、榎本ナリコの「センチメントの季節」は性描写のリアルさが売りの漫画なんだけど、今週号の「ビッグコミックスピリッツ」に掲載されているこの作品は、さらにそこのところに拍車がかかっている。ちょっと電車の中では恥ずかしくて読めない内容だよな。などと言いつつ、後でこっそり隠れて読んでいるが…(爆死)。念のために説明しておくと、この漫画は「大人に成り切れないもどかしさの中で、戸惑いながら思い悩む少女のはかなさ」みたいなものをテーマにしていて、人物はちゃんと描き込まれている。登場する少女たちの気持ちが痛いように伝わってくるし、教室や街の空気だとか匂いとかが、とても懐かしく感じられる作品である。だがしか〜し。完全無欠のエロ漫画なのだ(ほめ言葉です)。僕はこの人の作品のファンである。


9月23日(木曜日) 「鉄塔武蔵野線」を見る

 朝っぱらからNHK総合で映画「鉄塔武蔵野線」を見る。小学生の仲良し二人組が夏休みに、高圧送電線を束ねる「鉄塔」を順番にたどって行く。その先にある「1号鉄塔」には何があるのだろうと、さまざまな障害物を乗り越えて冒険を試みる物語だ。畑や田んぼや寺や公園や川を突き抜けてどこまでも伸びる送電線と、ぐんと高くそびえ立つ鉄塔の織り成す風景はとても懐かしさを感じるし、子どもたちのささやかな冒険に「ああ、子どものころの夏休みってこんな冒険があったよなあ」とも思う。ついつい引き込まれて最後まで楽しんでしまった。物語的には、アメリカ映画の「スタンド・バイ・ミー」に通じるものがあるだろう。年齢の異なる子どもたちがけんかをしたり励まし合ったりしながら、大人にしてみればどうでもいいとしか思えないような目標に向かって歩いて行くという部分は共通するテーマである。風景的には「となりのトトロ」の狭山丘陵を思い出した。田畑や民家を縫って送電線と鉄塔がずっと続く風景は「トトロの世界」そのものだ。実際にこの映画は、東京の保谷市から埼玉の日高市、狭山市などに続く実在の「鉄塔武蔵野線」の沿線がロケ地になっている。


9月24日(金曜日) 結石再発?

 昨夜からお腹が痛くてたまらない。午前中は痛みが収まったので、書かなくてはならない原稿をダダ〜ッと書き上げて、昨日に書いておいたのと合わせて計3本を送信する。あともう1本書かなければならないんだけどなあ、と午後からそっちに取りかかったところでまた痛くなってきた。たまらず、済生会病院で紹介を受けて近くの専門クリニックに駆け込む。ベテランの専門医が一気にいろいろ検査してくれたところ、予想していた通り、昨年の結石が再発したらしい。今回は昨年の比ではない痛さで、食欲もない。とほほ…である。「真っ当な生活を送っていないのが原因だ」と医者にほのめかされる。はあ…。診察を終えて帰宅すると少し落ち着く。こういう時はやっぱり一人暮らしは不安だ。


9月25日(土曜日) 取材延期

 そんなわけで、結石を尿と一緒に早く体外に出すために、処方してもらった漢方薬を飲んでいる。きのうは看護婦さんにも薬局の薬剤師さんにも「痛いでしょう」と気の毒がられたが、きょうは少し痛みが和らいでいる。しかし、予定していた取材は先方にお願いして来週に延期してもらった。小康状態ではあるけれど、とても都内まで出かけていく元気はない。あ〜あ、取材に行きたかったな。まあ、来週取材すれば、締め切りにはぎりぎり間に合うだろう。もう1本書かなくてはならなかった原稿は、昨晩のうちにささっと書いて送信したので、とりあえずは肩の荷が下りた感じだ。

 映画「ブルベイカー」 NHK衛星第2の土曜映画劇場で「ブルベイカー」を観る。暴力と賄賂がはびこり腐敗しきった劣悪な環境の刑務所に、一人の男が受刑者として収容されてくる。実は刑務所改革を断行するために赴任してきた新任の所長だったのだ。しかし、地域社会とも癒着する刑務所の改革は困難を極める。正義の旗を掲げて孤軍奮闘する新任所長は、失意のもとに所長を解任されるのだが…。この手の作品が僕は好きなのだ。う〜ん、それにしても所長役のロバート・レッドフォードは、男から見てもシブくてカッコいい。役柄がカッコいいとゆーのもあるけれど。あんなふうな生き方ができればいいなと思う。

 【訂正】「iMacのニセモノ」に対する仮処分決定で、アップル社と裁判所が法的根拠にしたのは「不正競争防止法」だという指摘を、訪問者の方からいただいた。おっしゃる通りである。正確に言うとその通りで僕の書き方がまずかった。ご指摘ありがとうございました。で、僕としては「知的所有権や意匠権による商品保護の重要性」を訴えたかったわけなので、9月21日付「身辺雑記」の当該部分を次のように訂正(修正)しました。「法的根拠となった『不正競争防止』の背景には『知的所有権』や『意匠権』があると言えるだろう」


9月26日(日曜日) 連載コラム終了

 「ニフティ・スーパー・インターネット」に連載しているコラム「大岡みなみのホームページ・ジャーナリスト」は、来月号掲載分で終了することになった。僕のコラムだけが打ち切りになるのではなくて、ほかの読み物系の連載コラムも軒並み最終回を迎えるそうだ。「読者はインターネットに関する議論より、Q&Aのようなノウハウものの企画を望んでいる」のだという。そんなアホな読者ばっかりだったのかあ…。もちろんそれも事実ではあろうが、しかしそれよりもっと大きい問題がある。実は「ニフティ首脳陣がインターネットの功罪についての議論を好まない」ことが連載終了の理由なのだという。インターネットの世界には良い面も悪い面もあって、まさに発展途上のメディアであるからこそ試行錯誤して議論していかなければならないだろうと思うのだけれど、複数の関係者によると「ニフティ首脳陣はインターネットの良い面だけを推奨していきたいと考えている」らしい。当然のことながら、編集部としては「危険性も素晴らしい部分も、率直に雑誌で紹介することで議論を深めていきたい」という考えを持っているからこそ、僕たちにコラム執筆の機会を与えてくれたのだろうが、発行者(スポンサー)の意向には逆らえなかったようだ。

 実を言うと、10月号で取り上げた「サイト批評ページ」の「卑劣なリンク」の原稿に対して、ニフティ首脳陣からクレームが付けられていたのである。「具体的な画像とページ名、ページアドレスを出さないでほしい」と言うのだ。僕としても品性下劣なページの画像は掲載しないつもりだったが、ページアドレスについては最後まで判断を迷っていて、編集部といろいろ相談した結果、最終的にはアドレスが掲載されたゲラ刷りが上がってきていたのだ。それをニフティ首脳陣の要請で、校了寸前に仕方なく差し替えてアドレスを抜いたのである。もちろん、ニフティ首脳陣は人権問題に配慮してクレームを付けてきたわけではなく、余計なトラブルを起こしたくないというのが本音だったようだ。似たようなクレームは、僕以外のコラムに対してもいくつかあったという。しかし、編集・出版業務とはそんなものだろうか。少なくとも「雑誌を出す」というのは極めてジャーナリスティックな仕事だと思う。「余計な議論やトラブルを避ける」といった小役人的な発想で、ジャーナリズムとしての雑誌が発行できるものだろうか。もっとも、ニフティ首脳陣には「出版人としての気概」など初めからないという指摘も事情通の中にはあるけどね。仮にそうだとしても、「インターネットの在り方についての議論を避けたい」とは、少なくとも業界最大手のプロバーダーの姿勢として信じ難い情けなさだとしか言いようがない。そういう賛否両論ある内容を主張するコラムや読み物がたくさん雑誌に載っていてこそ、読者やユーザーから「さすがはニフティだ」という評価が高まるはずだと思うけどなあ。懐の浅さにただただ驚かされるばかりである。

 たまたま時期が重なってしまったが、5年間近く続いた「大岡みなみのコラム風速計」は先月号で連載が終わった。こちらもそれなりに諸般の事情(謎)があるのだが、それは説明すると面倒くさいし、もうあまりかかわりあいを持ちたくないので割愛する。ずいぶん長期間にわたって書きたいことを書いてきたし、そろそろ潮時かなとも考えていたので、まあいいかという感じである。報道や人権に関するトピックスについては、これからもこの「身辺雑記」で主張していくが、時間があって気分が乗ればインターネット版「大岡みなみのコラム風速計」を書き下ろしてアップするかもしれない。読者の皆さんの励ましに支えられて連載が続けられました。とりあえずは「ご愛読ありがとうございました」。


9月27日(月曜日) 規則正しい生活を決意(本当か)

 結石は無事に尿とともに体外へ出て痛みは治まった。そう言えば先週、薬をもらいに行った薬局で、薬剤師の女性が「女に比べて男性は痛いのにはからきし弱いから大変よね」と心配してくれた。「そうですよね、女の人は赤ちゃんを産むんですもんね」。僕は心底からそう思って薬剤師さんに答えた。だって、小さいながらも赤ん坊を体の中から出すという作業をやってしまうんだもんなあ。もうただひたすら感服するばかりである。情けない僕は漢方薬を一日三回飲んで、ひたすら我慢していただけなんだけどね。そんなわけで、午後から病院に行く。医者から「規則正しい生活とバランスの取れた食事を心がけるように」と厳しく言い渡される。はい、まったくその通りです。でもまあ、すぐに結石が出てよかったあ。夕方から取材に出撃。取材協力者の皆さんと飲みに行く(おいおい)。ビールはコップ1杯だけにして、ウーロン茶を飲みながら煮物系やおにぎりなどを食べて雑談する。お見舞いのメールをたくさんいただきました。本当にありがとうございました。ご心配をおかけしてすみません。反省しています。

 気分転換 予約してあったアニメ「十兵衛ちゃん」のビデオ第3巻を購入。追加発注しておいた名刺を受け取る。名刺がどんどん消えるのは、取材が順調に進んでいるということでもある。それだけ多くの人に会っているわけだしね。顔なじみの女性店員が、僕の顔を見るなり「紙の色を変えたんですね」と微笑む。「ちょっとイメチェンしようかと思って…」。これまでは茶系の上質紙を使っていたのだが、今回発注分は薄い水色の上質紙にしてみたのだ。少しだけ気分転換である。名刺は記者の顔でもあるからね〜。


9月28日(火曜日) 一般家庭にも日の丸を?

 天皇在位10年の記念式典の日(11月12日)に、全国の役所や学校や会社、一般家庭(!)などに日の丸掲揚を求めることを、政府が閣議決定したそうだ。やっぱりそうきたか、という感じだ。天皇と日の丸をそういう形で結び付けて、さらには広く市民に浸透させるような方向に進むだろうと予想されたから、法律で国旗・国歌を定める動きに危険な匂いを感じた人が大勢いたのだ。まさにその通りになっている。このままいくとそのうち、日の丸を掲げなかったり君が代を歌わなかったりすると「日本国民ではない」と決め付けられるのではないかと怖くなる。断っておくが、日の丸・君が代について好き嫌いがあっていいと僕は思うし、好きな人は好きで何も問題はないと思っている。有形無形の押し付けに対して疑問と不安を感じているのである。みんなが一緒の方向を向かないと排除されてしまう空気とか雰囲気がたまらないのだ。何だか本当に戦前回帰への道を、着実に歩んでいるような気がします。

 安田弁護士やっと保釈 不動産会社への強制執行妨害罪に問われて拘置されていた田好弘弁護士が昨日、実に約10カ月ぶりに身柄拘束を解かれた。安田弁護士はオウム事件の松本智津夫(麻原彰晃)被告の主任弁護人で、死刑廃止運動でも中心的役割を果たしてきた。明らかな別件逮捕であり不当な身柄拘束だとして、安田弁護士逮捕は広範囲で問題視されていた。これまでに東京地裁が4回の保釈許可決定をしたが、その度に検察側が抗告し、検察側の言い分を認めて東京高裁は保釈を却下し続けていた。今回が4回目になる東京地裁の保釈許可決定に対しても検察側は抗告したが、公判で審理が十二分に進んでいる状況から、さすがの東京高裁も今度ばかりは保釈許可の取り消しはできなかったようで、ようやく保釈を認めたわけだ。まったく何でもありの日本司法の実態を、如実に示した典型的事例だと言える。おカミに楯突く輩は容赦しないという国家意思が強く働いているのだろう。「おカミに楯突いたりしないから関係ないよ」「楯突いたりしなければいいじゃん」という反応が実は一番怖いんじゃないかと思う。


9月29日(水曜日) 「新・コラム風速計/ネット版」 

 「大岡みなみのコラム風速計」の連載終了を残念がってくださるメールをいくつかいただいている。「毎月楽しみにしていたのに、がっかりです」とか、中には「大好きだったテレビアニメが最終回を迎えた時のせつなさです」というメッセージもあって、執筆者としては何とも複雑な思いだ。そこまで残念がってもらえてうれしいと言うか、申し訳ないと言うか…。「ぜひまたネット版で続けてほしい」などという声を聞くと続けて書かざるを得ない気持ちになってしまうなあ…。そんなわけで、とりあえず「新・大岡みなみのコラム風速計/ネット版」をスタートさせることにします。コラムタイトルがちょっと長いですけど。毎月更新できるように努力はしますが、書き下ろし不定期連載です。またよろしくご愛読ください。

 甲山事件で三たび無罪判決 甲山(かぶとやま)事件で大阪高裁は、検察側の言い分を全面的に退けて、被告の山田悦子さんに無罪判決を言い渡した。これで計三回の無罪判決が出たことになる。裁判所が「証拠」を否定して何回も無罪判決を出しているのに、しつこく控訴を繰り返す検察はまさに、公権力を私的乱用するストーカーだ。その辺のことは、大岡みなみのコラム風速計で「日本の検察はストーカー」と題して詳しく論じている。そう言えば、山田悦子さんから「大岡みなみとはかわいいペンネームですね」という年賀状を今年一月にいただいたが、新聞社を辞めたことを報告するのを忘れていた。無罪判決のお祝いと合わせて手紙を書こう。


9月30日(木曜日) 臨界事故の恐怖

 茨城県東海村の核燃料工場で臨界事故。作業員3人が被ばくしたという。東京電力のCMによれば、原子力発電の割合は僕が学生だった15年前は確か発電量全体の4分の1だった。それがじわじわと上昇して今では半分近くを占めている。東電のCMを見るたびに割合が増えていくのをとても不気味に感じていた。原子力や原子力発電の怖さはいくつも挙げられる。関係者が「事故は絶対に起きない」という根拠のない自信を力説すること、いったん大事故が起きたら取り返しがつかないこと、放射性廃棄物の処理方法が解決されていないことなど…。だがしかし何と言っても、安全より「資本の論理」を優先する原子力産業の体質そのものが最も怖い。そして生命にかかわるような重要情報がなかなか公開されないことが、不安と恐怖にさらに拍車をかけるのである。もちろんエネルギーは社会生活に必要不可欠だ。だからこそ代替エネルギーを考えるとともに、電気の使い方を見つめ直すことが何より大事なのだと思う。自戒を込めて。(原子力発電の怖さの本質については、お薦め映画のページの「チャイナシンドローム」をぜひ参照してほしい。)

 きのうの天気予報では気温はかなり低くて雨が降るかもと言っていたが、全然違った。青空が広がり汗ばむほどの陽気だ。電車にも車にも乗らずに、とことこ歩いて図書館に出かける。いい運動である。朝もちゃんと8時に起きて食事も3食取っている。脂っこいものは避けて、野菜や煮物など中心の食事だ。本当は脂っこいものが好きなんだけどなー。今のところ規則正しい生活を送っているぞ。


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