身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2005年8月1日〜8月31日

●迷惑メール●宣教師●カンフル剤●残部僅少●残暑見舞い●解散総選挙●争点は「郵政民営化」じゃない●ファシズムの手法●ゴミ漫画を処分●杉並区が扶桑社歴史教科書を採択●実はまだ投函してない●杉並区教育長が会見●八景島シーパラダイス●オフレコ4時間●村山由佳「坂の途中」●ケータイで海外●グローバル経済と小泉「改革」●「フジサンケイ帝国の内乱」●採択やり直しを●電車内の騒音●まるで不調●小泉流詭弁術●疲弊する教員●TBS「涙そうそう」●「カレカノ」最終巻●目標を殲滅●●●ほか


8月1日(月曜日) 迷惑メール

 このところ、一方的に送られてくるいかがわしい迷惑メールがやたらと増えている。「人妻との出会い」がどうだの、「逆援したい30代の女性がいます」だとか、もう見るからに「その手」の勧誘メールが山のように送信されてくるのだ。さらには、件名に「先日の件ですが…」とか「お元気ですか」などといった具合に、さも友人や知人であるかのように装ったメールまで送りつけてくるから、業者さんも手が込んでいるというか実にご苦労なことである。とにかくメールを開かせて読ませようと必死なのだろう。このほか、頼んでもいないメーリングリストの参加確認や、メルマガ(メールマガジン)が届けられることもある。

 しかし残念ながら、こうしたたぐいのメールはすべて、送信元のアドレスから判断して自動的に「迷惑メール」フォルダに振り分けられるように、メールソフトを設定してある。一応ざっと件名だけは一瞥(いちべつ)するが、まず開いたり中身を読んだりすることはない。しかも一定の容量を超えるメールは、許可しないと受信しないようになっている。そしてメールソフトを終了させると、これらの迷惑メールは自動的に消去されてしまう。だからいくら送信してきても、送信してくるだけ全くの無駄なのだ。

 たぶん、どこかのコンピューターウイルスが僕のアドレスを詐称して自動送信しているのか、ロボット検索でサイト上のアドレスを取得した業者が手当りしだいにばらまいているのか、あるいは、誰かがいたずらで僕のアドレスを勝手にいかがわしいサイトに登録しているのか、そのどれか(または全部)なんだろう。こういう迷惑メールの被害は、みんな大なり小なり受けているみたいだが、無駄にサーバーを稼働させるという点では本当に困ったものだ。実害はないけれどもウザイ。なんとかならないものかと思う。


8月2日(火曜日) 宣教師

 夕方から都内の弁護士事務所。教育裁判を応援するための市民グループが先月ようやく立ち上がったので、その第1回運営委員会の会議。今後どういうところに呼びかけていくか、今秋に予定している集会をどんなものにするかを議論する。「運動家や支援者がやってきて思いの丈をそれぞれ語って団結を確認して…といった集会をするのもいいかもしれないけど、それではこれまで以上の支援の輪は広がらないのでは」「都立高校で起きている実態を知らない人や無関心だった人に事実を知ってもらって、いくらなんでも東京都教育委員会はおかしいねと共感を得ることで、初めて世論の支持が広がっていくのでは」といった説明を繰り返した。どこの集会に行っても同じ内容で同じ参加者というパターンの繰り返しでは、訴えようとしていることが世間に広がるはずがないからだ。

 「そういう運動の視点はこれまでなかった」と応じてくれる空気も少しずつ増えてきたような気がする。「今こそ団結して力を誇示して闘いを前に進めるべきだ」と力説する人もまだまだ多いが、従来通りの内向きのやり方では世論は決して動かないことを認識してほしいと思って、しつこいようだけど、当事者ではない「外野」から意見させてもらった。何回も説明していると少しずつ理解してくれるようになることは分かった。「世論への働きかけとはどういうものか」「支持や共感の輪を広げるとはどういうことか」といった基本的認識が食い違っていて、話がかみ合わないところもあったけど、これからどんな活動をするかにつながるテーマでもあるし、疲れるけど繰り返し議論することが大事なのだろう。意識改革を迫って説教する宣教師…みたいな感じだな(笑)。


8月5日(金曜日) カンフル剤

 僕が最も信頼し尊敬している記者仲間の一人と横浜市内の焼き肉屋で飲んだ。ここ最近はこんな取材やあんな取材をしている、という話をたっぷりしてくれた。それはどれも地を這うような地道な取材活動だった。その記者の取材姿勢や取材方法を僕はよく知っている。何人かの役人や関係者に玄関でちょこちょこっと話を聞いて、さもありなんといった感じのありきたりの原稿にまとめるような仕事を、この記者は絶対にしない。現場に何日も何日も通って、具体的なエピソードをこれでもかというほど積み重ねて、そうして問題の本質を浮かび上がらせていくのだ。

 例えば、低所得層の住人が多く住んでいる地域で、もう二十年以上も教育にかかわっている先生と子どもたちとのエピソードは、話を聞いているだけで映像が自然と浮かんできた。だからこそ、そうした環境を支える人たちの気持ちに共感し、逆に破壊しようとしている役所にはごく普通に怒りを覚えるのだろう。しかも、子どもたちのためと言いながら自分自身のために動く教員や、やたらと自己顕示欲の強い教員が目立つ中で、ただひたすら黙々と子どもたちの目線で動くこうした先生の姿は貴重だ。それとは対照的に数字だけしか頭にない役人の姿勢。そういう具体的な事実を通して社会の歪みを描くことこそ、記者の重要な役目の一つだと思う。僕らは評論家や運動家じゃなくて記者なんだから。

 いい仕事をしているなあ。こういう話を聞かされると、ものすごく勉強になるし刺激を受ける。お前はどうなんだとか、ああしろこうしろなんてことは一言も言われなかったけど、僕も頑張らなければと心から思わされた。このところやる気が少し減退していた僕に対する叱咤激励というか、いや、何よりのカンフル剤だ。志を同じくする友達とこういう話がしたかったんだ。ありがとう。いっぱい元気になったよ。


8月6日(土曜日) 残部僅少

 最初に出した単行本「日の丸がある風景」の在庫部数が残り100部を切りそうだと、出版社から連絡があった。残念ながら増刷はしないみたいなので、残り部数がなくなるとたぶん絶版になる。曲がりなりにもほぼ完売というのは好成績なんだけど、爆発的に売れる本ではなく、時間をかけて少しずつ売れていくタイプの本なので、出版不況の中で増刷して在庫を抱えるのは経営的に厳しいらしい。

 自分で言うのもなんだけど、内容は読みやすくて考えさせるし、ルポとして面白いし、それなりの評価もいただいていると思っている。時間を費やして読んでも決して損はしないはずなんだけどな。そんなわけで、この際せっかくだから入手して一読してみようという方は、お早めに出版社かネット書店でお買い求め下さい。もちろん、お近くの書店からも注文できます。よろしくどうぞ。


8月7日(日曜日) 残暑見舞い

 立秋。暑中見舞いのはがきが何通も届いているので、返事を書かなければと思っているうちに、やっぱり「残暑見舞い」の季節に突入してしまった。立秋のきょうからは「暑中見舞い」ではなくて、「残暑見舞い」になる。そんなわけで、パソコンで残暑見舞いのはがきを作成してプリント。返事だけだからそれほど数は多くないので、宛名は手書きでも大丈夫だろう。あすには投函する予定だ。


8月8日(月曜日) 解散総選挙

 郵政民営化法案が参院本会議で否決されたのを受け、小泉首相は衆院を解散した。郵政民営化がどうして必要なのかさっぱり分からないし、そもそも参院で法案が否決されたことを理由に衆院を解散するやり方も全く筋が通らないが、そんなデタラメな小泉内閣に退場してもらうという意味では、総選挙によって「国民の審判」を与えるのはいいことかもしれないと思う。本来ならば、あれほど小泉首相が大騒ぎしていた郵政民営化法案が否決されて廃案になった時点で、解散総選挙ではなく内閣総辞職すべきだったけど。

 小泉首相の頭には郵政民営化しかないのは明らかだ。もうその事実だけで小泉首相は首相として失格だろう。財政再建や年金問題やアジア外交やイラク派兵など内外の課題が山積しているのに、すべてをほったらかしにして(4月20日付「身辺雑記」など参照)、ただひたすら郵政民営化に執着している姿は異常だ。小泉首相が就任してから、内政も外交も停滞しきっている。むしろメチャクチャにしたんじゃないかと思う。特にアジアの近隣諸国との関係は目を覆うばかりだ。小泉首相がやっていることというのは「自民党をぶっ壊す」のではなくて、「日本の国をぶち壊そうとしている」ことにほかならない。

 解散総選挙で問われるべきは、「郵政民営化の是非」などでは決してない。そんなものだけで衆院議員を決めるなんて、まるであり得ないことだろう。問われなければならないのは小泉首相の無為無策の4年間だ。そういう内閣を支持するのかしないのか、小泉内閣の内政や外交をどう考えるのか、アジアの国々とどう付き合っていくのか、靖国神社参拝や平和憲法のあり方をどうとらえるのか…、そういうことが総選挙の争点なのだ。郵政民営化問題に矮小化(わいしょうか)させるなんて、それこそ国民を馬鹿にしている。


8月9日(火曜日) 争点は「郵政民営化」じゃない

 きのう夜の衆院解散後の小泉首相の記者会見や、きょうのインタビューなどを見ていて改めて思ったけど、小泉首相の頭の中にはとにかく郵政民営化しかない。首相も自民党幹部も「改革に賛成か反対かの選挙だ」と繰り返しているが、総選挙はそれだけが争点のはずがないし、それだけを争点にしてはならないはずだ。何回でも書いておく。総選挙で問われなければならないのは、郵政民営化のほかは何もしない小泉首相の政治姿勢だ。

 そもそも「改革」と言いさえすれば、何でもすべて正しいと思うのは大間違い。だれのための何のための「改革」か、中身を吟味して検証しなければならない。「改革」には「改正」だけでなく「改悪」だってある。郵政改革は本当に国民のためになるのかどうか。「民間にできることは民間に」というのは一面では正しいと思うけれども、民間がやるよりも公的機関がやった方がいいこともある。利益優先では成り立たない事業や資本の論理を優先させてはまずい事業は、公的機関が採算を度外視してでもやるべきだろう。

 さらにここで特に指摘しておきたいのは、国会議員の憲法感覚や平和・人権に対する姿勢だ。郵政民営化に賛成か反対かよりも、憲法を尊重するかしないかを投票の際の判断基準としたい。少なくとも僕の判断の「モノサシ」はそこにある。日本国憲法(第九条)や教育基本法の見直しが声高に叫ばれ、過去の侵略戦争を平然と肯定するような「国家主義的な言動」がまかり通り始めている状況に、とてもきな臭いものを感じるからだ。

 日本国憲法の理念と理想を尊重する考えの議員は、自民党の中にも大勢いる。だから僕は、日本国憲法を大事にする人なら自民党の候補者でも一票を投じるつもりだ。むしろ、自民党のハト派(護憲派)候補者こそ積極的に応援すべきではないかとさえ思っている。小泉首相とその周辺の取り巻きには、実は国家主義的な考え方をするタカ派(改憲派)が多い。「平和憲法を守りたい」と本気で思っているなら、民主党や共産党や社民党よりも、政治姿勢をしっかり吟味して自民党候補者を応援した方が有効かもしれない。


8月10日(水曜日) ファシズムの手法

 某国立大学の教授と話していたら、やっぱり解散総選挙のことに話題が及んだ。郵政民営化法案に反対した「造反議員」に対して、小泉=自民党執行部が徹底した弾圧・排除・抹殺する姿勢を示したことに驚きの声が出た。自民党の公認を外すだけでなく対立候補を立てるという徹底ぶりに、教授は「異常な怖さを感じた」と言う。僕は小泉自民党のこの対応は予想していた通りだったので驚きはしなかったけど、教授と同じように「異常な怖さ」は感じた。

 あたかも「郵政民営化」だけが争点であるかのようにすり替えてしまう巧みな詭弁と、異なる意見を徹底的に排除するための強権的な手法。小泉自民党のやり方に「異常な怖さ」を感じたのは、まさにそこにファシズムの真骨頂を見る思いがしたからだ。これまでの国会答弁や記者会見などで、小泉首相が見せたはぐらかしや開き直りや傲慢な言動の数々とまるっきり一緒ではないか。

 東京都教育委員会が、卒業式などの国歌斉唱の際に起立しない教員に対して、減給や停職などの厳しい懲戒処分を繰り返し、再任用まで拒否する手法と同じだなと思った。思想・良心の自由は憲法で認められている基本的人権であり、裁判所や憲法学者も「個人的な内心の自由に不当干渉してはならない」と注意を促している。にもかかわらず一方的な規則や命令を押し付けて、「お前の考え方はけしからんから改めろ」と強引に迫り、従わない者は徹底して弾圧・排除するという構図は小泉自民党とそっくりだ。

 総選挙の争点は、「恐怖政治がまかり通る社会を容認するかどうか」ということでいいかもしれない。問われているのは民主主義のあり方だ。言うことを聞かないやつは抹殺すると言って脅し、自由な議論を許さないなどという世の中は勘弁してほしい。


8月11日(木曜日) ゴミ漫画を処分

 漫画の単行本を古本屋に叩き売った。28冊で3600円。部屋の収納スペースがあまりないこともあって、本や書類やガラクタがあふれて狭くて仕方ない。とにかく邪魔でいらないものは処分するに限る。そんなわけで、買って損した(あるいは手元に置いておく必要を感じない)漫画を処分したのである。そのお店はとっても良心的で、前に持ち込んだ時もかなり高額で買い取ってくれたのだが、1冊100円以上での買い取りは好成績と言っていいだろう。

 だがしかし…。実はそこには45冊を持ち込んだのだけど、そのうち17冊は「要らない」「値段が付けられない」と買い取りを断られたのだった。ずっしり重い本をデイパックに詰め込んで、汗をかきながら運んだというのにがっかりだ。それにしても値段さえ付かないような「ゴミ漫画」をそんなに買っていた僕って…。確かに二度と読むことはないだろうという「ゴミ漫画」が多いのは事実である。中身を確認せずに表紙にだまされて、なぜかついつい買ってしまったんだよなあ。前にも反省したような気がするが、懲りずに同じ行動を繰り返していたようだ。困ったもんだよ。


8月12日(金曜日) 杉並区が扶桑社歴史教科書を採択

 早朝から東京・杉並区教育委員会へ。中学校社会科教科書の採択審議を取材する。「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆した扶桑社の歴史・公民教科書をめぐって、杉並区役所の前は支持派と反対派でごった返していた。のぼりやプラカードを持った両派が、拡声器でそれぞれの主張を繰り返す。大勢の制服警察官や区役所職員が警備しているほか、装甲車や覆面パトカーが十台ほど並んでいるのが異様だ。そんな様子をしばらくながめてから、広報課で取材手続きをして報道IDカードを受け取り、再び周辺を見て回った。

 わずか20席の一般傍聴席に1000人近い傍聴希望者が殺到。「つくる会」の支援者が、まるでお祭り騒ぎのような感じではしゃいでいる姿が目立つ。このほか報道席が20席。午前10時10分に委員会開会。今月4日の審議では結論を出さずに再審議となったこの日の教育委員会は、ほとんど出来レースではないかと思わせるような不可思議な議事が展開され、結果として採択されたのは、歴史教科書は扶桑社。公民はなぜか大阪書籍が選ばれた。

 5人の教育委員のうち、扶桑社を1位で支持したのは3人。ほかの2人は扶桑社に異義を唱えて1位には他社の教科書を支持していたのだが、しかし5人の委員は全員がいずれも2位か3位には大阪書籍の教科書を支持していたのだった。明確に賛成と反対で意見が対立している案件があれば、普通はそういう案件は横に置いておいて、全員が一致して「合意」できる2番手や3番手の案件を選択するのが、常識的で民主的な「議論」の進め方というものだろう。扶桑社の教科書を支持しなかった委員長は、議論の途中では「大阪書籍はどうですか」と各委員に何回も促しながら、しかし最後には唐突に「扶桑社とするしかない」という飛躍的な結論を出してしまった。これでは、あらかじめ結論が決められていたとしか思えない。しかもなぜか公民は扶桑社でなく、あっさりと大阪書籍を採択したのだった。

 約2時間の審議を通して扶桑社支持の3人の委員は、扶桑社の教科書に異義を唱える女性委員1人に対して「扶桑社のどこが戦争をすすめる教科書なのか」などと批判・非難して集中攻撃を加えた。さらにそれだけでなく、あきれるような主張を執拗に繰り返した。「大東亜戦争という固有名詞を抹殺しろと言うのは一種の言葉狩りである」「戦前の天皇は絶対権力者でも独裁者でもなかった」「今の基準で過去について善悪を判断するのはおかしい」「戦争のない平和な世界をつくろうという理念的な平和像を教える他社の教科書よりも、戦争はなくならないという現実を踏まえて教えようとする扶桑社の問題意識がこれからは大事だ」「現実直視の教科書が戦争を賛美・助長するとは思わない」…といった調子で、ほとんど詭弁としか言いようのない演説を延々と展開するのだった。

 しかしそこには、あまりにご都合主義的な主張しか示されていない。例えば、「日本は仕方なく戦争することになってしまった。自存自衛とアジアを欧米支配から解放して大東亜共栄圏を建設するのが大東亜戦争の目的だった。独立への夢と勇気を育んだ」などと、一方的に「大東亜戦争」を説明する扶桑社教科書の姿勢を疑問に感じる視点はどこにもない。これこそ過去の侵略戦争の肯定・美化であって、普通の感覚を持った人は「戦争に向かおうとする教科書」ではないかと不安に思うだろう。

 東京都教育委員会による都立の中高一貫校と養護学校の歴史・公民教科書採択も、今回の杉並区教育委員会の中学校歴史教科書の採択も、どちらもまったく予想していた通りの結果となった。教育委員会は公正で中立だとされているが、必ずしもそうとは言えない。教育委員を選任する行政の長によってどうにでもなるのだ。これは東京に限らず、どの地域でも同じことだろう。政治的に偏った教育委員会をただすには、やはり行政の首長を変えないとダメだと改めて思う。そのためには世論にきちんと事実を伝えて、問題点を訴えていくことこそが必要だなと痛感した。


8月13日(土曜日) 実はまだ投函してない

 毎日毎日うだるような暑さが続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。実は「残暑見舞い」のはがき、まだ発送していません。さらに言うと宛名書きもまだです。「暑中見舞い」のはがきを送ってくださって、なおかつこの「身辺雑記」を読んでいただいているという奇特な方で、「なんだこいつは、返事は出すなんて公言しておきながら、うちには寄越さないとはいい性格してるじゃないの」とお怒りの方がいらっしゃいましたら、深くおわびいたします。どうもすみません。近日中には投函するつもりです。印刷は終わっているんです。はっきり言って全然大した内容のものではありませんけど、どうかもうしばらくお待ち下さい。みなさまのご健勝とご自愛をお祈り申し上げます。


8月15日(月曜日) 暑気払い

 終戦60年。午後、靖国神社を少しのぞいてみた。かなり人が多い。意外なことに「普通の人」が大勢集まっているが、軍服姿のおじさんやお兄さんだとか、「日の丸」の鉢巻きを締めて「日の丸」のワッペンを胸につけた「それっぽい人たち」も、しっかり目立つところはいかにも8月15日らしい。周囲にはおびただしい数の警察官と警備車両が終結。参道の一画で右派の人たちが集会を開いたためだろうが、壮観というか威圧感があった。

 ここで新たな発見が一つ。参拝者の皆さんって、鳥居をくぐる際には拝殿に向かう時と帰る時の2回、いちいち立ち止まって深々とお辞儀をするんだなあ。都立高校の卒業式で、会場の体育館に出入りする際や壇上に上がる際に、舞台正面の「日の丸」にいちいちお辞儀していた議員や教育委員会の指導主事の姿と重なって見えた。

 夕方から東京・吉祥寺の居酒屋へ。大学教授、弁護士、映像ディレクターなど、忘れたころに思いついたように集まるいつものメンバーで暑気払い。落ち着いた雰囲気の感じのいい店で、値段が少し高いけど、和食のメニューもお酒もうまい。

 政治家の圧力でNHK番組が改変された問題にかかわったディレクターと話をしていて、「NHKの職員ってみんな役人みたいだよね」ということで意見が一致した。全く同感。まさにわが意を得たりである。「NHKスペシャル」みたいないい番組も作っているのに、皆さんとにかく組織の一員であることを最優先させるのにびっくりだ。記者までが官僚的なんだから始末に負えない。だから内部告発など「中からの発言」が続かないのだろう。「ニュース7」などの一方的な報道の仕方を見ていると、そもそもNHKニュースにジャーナリズムを期待するのは間違いだとがっかりさせられる。

 店を出たところで土砂降りの雨。隣の喫茶店でみんなでしばし雨宿り。帰りの電車はどの路線もえらく空いていた。余裕で座れる。お盆休みだからだろう。いつもこれくらいの人口密度なら過ごしやすいのに。首都圏は人が多すぎるよ。午前零時帰宅。


8月16日(火曜日) 杉並区教育長が会見

 朝から東京・杉並区役所。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導して執筆した扶桑社の中学校歴史教科書を採択した杉並区教育委員会(8月12日付「身辺雑記」参照)で、納冨善朗教育長が共同記者会見に応じた。教育委員会の教科書採択審議の中で、「どの教科書でも構わない」とずっと述べていた納冨教育長は、最後の最後になって扶桑社教科書を1位に推した。内外から批判が集中するとともに教育現場からもそっぽを向かれていた教科書に対して、教育行政のトップとして審議の最終段階で「決め手」となる発言をしたことから、その言動が注目されていた。

 しかし記者団からの質問には、「現場教師や区民からのさまざまな意見をすべて斟酌(しんしゃく)しながら、それぞれの委員が公式の場で議論して決めたこと。どの教科書もいいが、委員長に聞かれたのであえて順位を付けて申し上げた。それがすべてだ。(今回の採択は)投票で決めるのではなくみんなで論を尽くした結果だ」などと、ありきたりの答えを繰り返すだけだった。

 一方、あれだけ強い反対の声があった扶桑社教科書が採択されたことには、「いずれの教科書であっても、そこから先は現場の先生の力量に期待する。教科書を素材にしながら、教師一人一人の力で豊かな教育がなされることを否定するものではない」とコメント。また、扶桑社教科書に批判的な委員個人が非難や中傷されるなど異様な環境の中で、教育委員の意見が対立したまま採択されたことについては、「最終的には委員長の判断で、教育長が判断するものではない。審議のやり直しは今のところ考えられない」とした。

 杉並区の教科書採択に関しては、いろいろ調べれば調べるほど、表面的には出てこない問題があるようだ。「個人の良心」は通用しない「政治的な大きな力」が働いているとの話もある。「これはもう教育ではない、政治だね」という嘆きの声が関係者から聞こえてきている。これらの事実をどのように伝えればいいか思案中だ。

 会見が終わった直後。行政側の出席者などを広報担当職員に確認しているその時だった。どこかの記者が「あれ、揺れてる?」とつぶやいた。部屋が大きく揺さぶられている。「大きいな」「長いなまだ続いてるよ」。居合わせたテレビ各社のカメラはあっという間にいなくなった。さすがはデイリーニュースの映像を作らなければならないテレビは、次への行動が素早い。役所の中にも緊急放送が流れて、震度や事故などの情報が伝達される。こういう時、きちんとした対応を取れる行政機関にいると安心できる。震源地は宮城県沖。宮城県南部では震度6弱。東京は震度4だった。

 ここ数日、睡眠2時間くらいという状態が続いているので眠くて眠くてたまらない。電車の中で座れたらもう速攻でぐっすり爆睡している。こういうところで地道に睡眠時間を確保しなければ、とてもじゃないが体が持たない。おかげで乗り過ごしちゃったよ…。


8月17日(水曜日) 八景島シーパラダイス

 友達が「イルカが見たい!水族館に行きたい!」と言うので、横浜の八景島シーパラダイスに行った。横浜はとにかくもうめちゃめちゃ蒸し暑い。気絶しそうなこの暑さはただごとではない。しかも世間はまだお盆休みの最中だというのに、なぜか八景島は人であふれ返っているのだった。どこもかしこも行列ができている。うだるような暑さの中を並ぶなんて正気の沙汰じゃない。それから、申し訳ないけど親子連れはウザ過ぎる。混雑している密集空間で肩車をしたり、乳母車を乱暴に動かしたりするのは勘弁してほしい。ちょこまかと走り回って泣叫ぶ小さな子どもを、せめて親はしっかり把握・監督・制御してほしい…。

 なーんて感じで、うんざりする混み具合と暑さに参っていたのだが、レストランのバイキングで腹ごしらえをしてから、お目当てのアクアミュージアムの生き物たちに接すると、心が癒されてすっかり和んでしまった。フェアリーペンギンの愛らしさやジェンツーペンギンの愉快な仕種、巨大水槽を突っ切るエスカレーターの周囲に広がる魚の群れ、ぷかぷか漂うさまざまなクラゲなどなど。涼しい気分にもなるなあ。お待ちかねのアクアスタジアムでは、イルカやセイウチ、クジラがオールスター出演する動物ショーを見物。飛んで跳ねて猛スピードで泳いでと、いずれも劣らぬ芸達者揃いで楽しい。屋外にあるので海風も吹き込んでくる。オススメだ。

 夕食は中華街。こちらは思ったほど混雑していなくて、ゆっくり食事ができた。常連客の集団が帰った後だったそうで、店に飛び込んだタイミングがよかったらしい。広東料理の老舗の店。落ち着いた雰囲気の店内と同じように、料理の味も上品でおいしかった。


8月18日(木曜日) 爆睡すれどまだ眠い

 予定していた取材が、先方の都合で延期になったので、久しぶりに昼過ぎまで爆睡する。たっぷりと寝たはずなのに、それでもまだ眠い。疲れているのかなあ、それとも夏バテか。夕方から東京・四谷の法律事務所へ。都立高校の先生たちが東京都教育委員会を相手にした裁判の支援会議に遅れて顔を出す。今秋(今冬?)の集会やこれからの活動内容などをめぐる議論。午前零時過ぎ帰宅。


8月19日(金曜日) オフレコ4時間

 都内某所で取材。公的立場の人から、とても生々しいオフレコの話ばかり約4時間かけて聞いた。ストレートに原稿にすることができなくても、背景を知っておくことは記事に深みが出るので大事なのだが、なんとかこれらの出来事を表現できないものかなと思う。どういう方法があるか、話をしてくれた人に迷惑がかからない形で工夫する余地はあると思うので、その辺はいろいろ相談しながら考えていきたい。周辺の関係者にも取材しないと。それにしても興味深くて面白い話ばかりだった。

 きょうも異様に暑い一日。会う人はみんな一様に「おかしいよねこの暑さ」と口にする。そう、みんな感じているのだ。最近の気候や環境が普通じゃないということを。暑いことは暑いにしても、以前はもっと過ごしやすかったもんなあ。


8月20日(土曜日) 村山由佳「坂の途中」

 村山由佳の小説「坂の途中」を読み終える。大学生の勝利と年上のいとこで高校教師のかれんとの恋愛模様や成長を描く「おいしいコーヒーのいれかた」シリーズの第7弾。集英社文庫版。

 部屋を借りて独立さえすれば二人きりになれる時間が確保できるはずと、一人暮らしを始めた勝利だったが、かれんは「自分が本当にしたいことは何なのか」と真剣に考え先を見ようとしていた。目指したい夢があるのに、少しでも一緒にいたいために全部あきらめてしまう、そんな気持ちになる自分はイヤだと一生懸命に悩むかれん。「勝利のことだけで頭がいっぱいで、何でも勝利を基準にしてしか物を考えられないようになってしまうのはイヤ」というのだ。かれんのことだけで頭がいっぱいの自分に比べ、一歩も二歩も先を歩こうとしているかれんの気持ちを知った勝利は、夢を追いかけようと歩き出したかれんを応援しようと決意する。自分自身も「やりたい夢」を見つけて、彼女に追いつき追いこさなければと強く思うのだった。…というのが今回のお話だ。

 いつも思うことだけど、村山由佳という作家は人物描写や心の動きが本当にうまい。登場人物の姿や表情が目の前に映像として浮かんでくるし、話の展開にグイグイ引き込まれていく。そして、「相手にべったり寄りかかって依存するだけの関係でいいの?」という作者からのメッセージをさらっと、けれどもしっかりと織り込んで伝えるあたりもさすがだ。しかもそういうのが説教くさくないところがいい。そこらへんが若い世代に受けている理由なんだろうなと思う。次のシリーズが出るのは来年の夏か。ずいぶん先だなあ。待つのも楽しみの一つだけど。毎年1回のお楽しみシリーズだ。


8月21日(日曜日) ケータイで海外

 取材のためにある人の携帯電話にかけたところ、なかなかつながらない。発信音もなんだか変だ。それでもどうしても必要だったので、何回かかけ直したらやっとつながった。「今ね、ロシアにいるんですよ、この電話はロシアにつながってるんです」と先方。てっきり国内にいるものだと思って、ごく普通に電話をかけたのでびっくりだ。つながりにくくて発信音が変だったのは、それが原因だったのかと合点がいった。それにしても、外国でも使える携帯電話が出回っているのは知っていたが、携帯電話にかけて実際に海外に滞在している人につながったのは初めてだ。料金体系はどうなっているのだろう。小心者なものだから少し動揺して、「詳しいことは帰国されてからうかがいます」と言って慌てて切ったのだが。これだから田舎者の貧乏人は困るよな(汗)。


8月22日(月曜日) グローバル経済と小泉「改革」

 午後から東京・本郷。全国18の独立系教職員組合の交流集会を取材する。用意された5つの分科会のうち、「子どもの現在/教室からメディアまで」の分科会に顔を出させてもらった。この分科会では「グローバル経済下の若者の現在」と題して、元都立高校教諭で日本社会臨床学会運営委員の佐々木賢さんがリポート。グローバル経済が進めば進むほど、一握りの富裕層と圧倒的多数の貧困層との両極に階層分化し、貧困層の「奴隷労働」(低賃金で権利意識が希薄で従順な労働者の増大)が進むのだと、世界経済構造を図式化した。生産も流通も価格も独占。これらを背景に派遣労働など雇用形態は変化し、フリーターや「ニート」が増加する。グローバル経済が進めるのは、教育・水道・ガス・電気・道路・交通・医療・軍隊・刑務所・福祉などの「民営化」だ。もちろんそこにはいま話題になっている「郵政民営化」も含まれるわけだが、340兆円にのぼる郵政資金は、ムダ遣いされてきた財政投融資に流れる代わりに、外国のグローバル資本にごっそり持っていかれることになる。しかしメディアも各政党も、こうした事実をきちんと有権者に伝えてはいない…。といった内容の報告だった。

 外国では確かにサミットなどの際には、世界的に「反グローバル化」のうねりが大きくわき起こるが、日本では全く無関心だ。ほとんど話題にもならない。だがこうして改めて考えると、小泉自民党が主張している「構造改革」「郵政民営化」は、いったいだれのための「改革」なんだろうと疑問を抱かざるをえない。本質的な部分はすっかりはぐらかされて、みんないいようにごまかされている。「民衆を欺く言葉やシステムに長けていたナチとそっくり」と佐々木さんは表現していたが、本当にその通りだと思う。分科会のテーマとしてなかなか刺激的だった。


8月23日(火曜日) 「フジサンケイ帝国の内乱」

 労働組合結成を理由にフジサンケイグループから解雇された元日本工業新聞記者の松沢弘さんが、著書「フジサンケイ帝国の内乱/企業ジャーナリズム現場からの蜂起」(社会評論社)を送って下さった。松沢さんについては、会社に敢然と立ち向かう姿を描いたドキュメンタリービデオが製作されている。僕も紹介記事(「ビデオ評/リストラとたたかう男」)を書いているので、詳しくはそちらを参照していただければと思うが、新刊の本書はそうした松沢さん自身の奮闘ぶりを報告しているだけでない。前半部分では、フジサンケイグループの「右翼路線」の実情や非民主的な企業体質を、ライブドア・ホリエモンの動きと絡めて分かりやすく解説しながら批判。さらに、企業ジャーナリズムの限界とメディアのあり方にまで、論評の筆を振るっているのが特徴だ。経済記者としての取材活動を背景にした指摘は説得力があり、本書はまさに松沢さんならではの一冊だろう。記者の武器は取材ノートとペン(キーボード)である。これこそ「闘う記者」の真骨頂ではないかと思った。


8月24日(水曜日) 採択やり直しを

 扶桑社の中学校歴史教科書を採択した東京・杉並へ。「扶桑社の教科書を採択した過程には不正や問題点が多すぎる」などとして、教育委員会の採択やり直しを訴える保護者や教員、研究者、在日外国人らが開いた記者会見に顔を出す。教員や保護者に確認したかったことがいくつかあったので、まとめて話が聞けて助かった。ちなみにきょうの杉並区教育委員会では、教科書の「き」の字も出てこなかったという。審議のやり直しをするなら今月末までにやらないと、それ以降は法的に白紙撤回はほぼ不可能となる。

 ほかの市区町村と比べて、杉並区が突出して異常な状態に置かれているのは明らかだろう。扶桑社の教科書を批判する発言をした教育委員が、執筆者の「新しい歴史教科書をつくる会」から公開質問状が突き付けられたのは杉並だけだ。ほかの地域では、「教科書のレベルに達していない」とまで扶桑社の教科書をこき下ろした教育委員もいるのに、「つくる会」が公開質問状を出したとの話は聞かない。そもそも採択審議の最中に、教科書執筆者が教育委員に質問状を出すなんて前代未聞だ。しかも採択当日は、執筆者本人が傍聴席に陣取っていた。これこそまさに「圧力」や「脅迫」であって、「つくる会」側が主張していた「静謐(せいひつ)な環境」を否定するものではないか、といった批判の声が高まっている。

 なりふり構わず、常軌を逸した政治的介入。恥も外聞もないルール無視。そうまでして、何が何でも杉並で扶桑社教科書を採択させなければならない何らかの「理由」があったのだろう。しかし一連の採択をめぐる過程はおよそ「公正」とは程遠い。そもそも扶桑社の教科書は、内容について現場教員や研究者、法律家、外国からも総スカンを食っているが、採択手続きの点でもあまりに問題があり過ぎる。教科書調査委員会による報告書も、採択に際して一顧だにされていない。「こんな教科書を子どもたちに使わせてもいいのでしょうか」という教育現場の訴えは切実だ。

 まだ乗ってないけど、「つくばエクスプレス」(TX)が開業。東京の秋葉原と茨城県のつくばを結ぶ。運輸政策審議会の答申から20年。沿線支局時代にデスクに言われて、当時の「常磐新線」計画を何回か取材して記事にしたことを思い出した。計画段階だからなんだかイメージがわかず、担当課や関係者から聞いたことをそのまま原稿にまとめた記憶がある。開通しちゃったんだ。しみじみ。


8月25日(木曜日) 電車内の騒音

 電車の中で座れた場合は、iPod shuffle を聴きながら居眠りすることが多い。でも地下鉄って騒音がすごくて聴き取りにくいんだよなあ。山手線や私鉄(東急や京王や京急など)だとそれほどでもないんだけど、いずれにしても電車内は音楽がきれいに耳に入ってくる環境ではない。イヤホンの性能がよくなれば少しは改善されるのかな。満員電車の中でシャカシャカと耳障りな音が漏れて聞こえてくることがあるが、どうしてあんなに大きな音で聴くのだろうと今までずっと不思議に思っていた。ボリュームを上げないとちゃんと聴けないからだったのか。でも音量を上げ過ぎると周囲に迷惑をかけるので、その辺は自覚して注意しないと。


8月26日(金曜日) まるで不調

 取材対象者が留守だったり電話がつながらなかったりして、なかなかつかまらない。夏休みということもあるかもしれないけど、今月はこれまでになく不調なので困っている。3つのテーマを並行して取材しているのだが、どれもイマイチなのだ。タイミングのいい時はまさにトントン拍子といった感じで、次々に取材の輪が広がっていくんだけどなあ。そうじゃないとあっちでもこっちでも引っ掛かって、スムーズに取材の糸をたぐっていけない。

 絡まった話を整理するためには、要所要所の関係者から事実関係や背景を聞くというのは必要不可欠な基本作業だ。この作業が進まないと次のステップに動けないので、すごくイライラするし落ち込む。歯車がまるでかみ合わないとはこのことだ。時間的にはまだまだ余裕があるとは言え、それにしてもまいったなあ。思い切って全部ぶん投げて、しばらく気分転換したら展望が開けるかな。


8月27日(土曜日) 小泉流詭弁術

 内閣官房内閣広報室が発行している今週の「小泉内閣メールマガジン」第201号には、「郵政民営化は改革の本丸」とタイトルがつけられていた。そして冒頭の「小泉総理のメッセージ」は、「『郵政民営化』に再挑戦するために、夏休み返上で頑張っています」との書き出しに続いて、いつもと同じ小泉節で「郵政民営化」を次のように繰り返し訴えている。

 「『公務員を減らしなさい』、皆さん賛成でしょう。『行財政改革を断行しなさい』、これも皆さん賛成でしょう。『民間にできることは民間に』、みんな賛成だと思います。それなのに、なぜ郵政民営化だけは反対するのか。なぜ郵便局だけは公務員でなければできないのか、民間人ではいけないと言うのか。私は不思議でなりません」(以下省略)

 いつも感心してしまうのだけど、小泉首相って本当に詭弁の天才だと思う。あるいは、話をすり替えていくのが天才的にうまい。上の「小泉演説」にしても、前提となる部分自体がおかしいのに、そういうおかしな前提を積み重ねて、一方的な結論を誘導しようとしている。これこそまさに詭弁の達人と言っていいだろう。

 例えば、「公務員を減らす」といっても、公務員を「一律に減らす」ことにみんなが賛成しているとは限らない。にもかかわらず、「皆さん賛成でしょう」と断言してしまうのがそもそも乱暴で非論理的だ。減らしたほうがいい分野と、そうじゃない分野(むしろ増員してサービス向上すべき部門)があるだろうに、そういうことは区別も吟味もせずに、いつの間にか「皆さん賛成でしょう」と既成事実化してしまうのだ。「民間にできることは民間に」にしても、いつの間にか「皆さん賛成でしょう」とされてしまう。民間にできることであっても、民間ではなくて政府(公的機関)が責任を持ってやったほうがいい事業もあるはずだが、そんな議論は一切すっ飛ばして「皆さん賛成でしょう」と言い切ってしまうのだ。

 このような乱暴で粗雑でおかしな前提を並べ立てておいて、「それなのに、なぜ郵政民営化だけは反対するのか。私は不思議でなりません」と結論付けるのが、小泉流詭弁術の典型だ。何も考えずに「うんうん」とうなずいていると、そのまま一方的な結論に誘導される。まさに詐欺師の真骨頂だと思うが、これってちょっとひどすぎないか。こんな説明を国民に平気でする首相に怖さを感じる。


8月29日(月曜日) 疲弊する教員

 午後から東京・池袋のホテル・メトロポリタンへ。小中学校の教員養成体制や教員志望学生を取り巻くさまざまな問題について、大学の先生から話をうかがう。半径数メートルの狭い世界の中で生活してきた大学生が、いきなり「あなたがこの教室のすべてを仕切る先生ですよ」と言われて放り出されても、戸惑うばかりだよなあ。社会経験はまるでないし、親や子どもとのコミュニケーションも満足にできない。何もできずに不安でいっぱいだろう。

 そういう時に相談に乗ってくれたり、愚痴を聞いてくれたりするのが、先輩や同僚の教員仲間なんだろうけど、どうやらそこのところの「バックアップ体制」がおかしくなっているらしい。教員同士でフォローし合う関係がきちんと機能していないみたいなのだ。

 そもそも最近の教員は忙しくて、自分のことでイッパイイッパイの状態だというし、そこに教育委員会や管理職から「ワケノワカラン無理難題」が降り注いでくるというのだから、学校現場はかなり大変そうだ。先生たちの疲弊ぶりは容易に想像できる。とても後輩の面倒を見るどころではないという。そんな状況の教員が、どれほど子どもたちに目を注ぐことができるのだろうか。そんな学校現場では何が起きているのか…。取材は続く。

 TBS「涙そうそう」 TBSドラマ特別企画「広島・昭和20年8月6日」(涙そうそうプロジェクト)の最後の40分ほどを見た。修学旅行生に語りかける西田敏行の最後の独白シーンは涙が止まらなかった。「どんな理屈を言い繕ったって人間の頭の上にあんなものを落としちゃいかんですよ」…。戦時下でありながら、それでも幸せに生きてきた4人の姉妹弟の姿をそれまでていねいに描いてきただけに、米軍機エノラゲイの原爆投下によって、一瞬のうちに大量の人間がこの世から消し去られてしまうむごさが際立つ。

 非戦闘員の頭上に原爆を投下したアメリカ政府の行為は、黄色人種を対象にした大量虐殺であり人体実験そのものだ。どれほどの理屈を言い繕ったとしても決して正当化できるものはない。そして、そんな凶悪な愚行を招き寄せたのは、ほかでもない当時の大日本帝国政府(昭和天皇も含む)と軍部である。あんな無謀で馬鹿げた戦争を始めて、しかもアジアのよその国にまでわざわざ出かけて行って、おまけに敗け戦なのに4年間も続けて、さらにドイツもイタリアも降伏しているというのに、それでもまだ戦争を続けようとするなんて狂気の沙汰としか思えない。もっと早く終わらせるチャンスは何回もあった。それをぐずぐずと引っ張って戦争を続けた「指導者」(独裁者)の責任は重大だ。さっさと降伏していれば、アメリカの人体実験材料に原爆投下されなくて済んだのだから。

 原水爆は絶対にだれにも使わせてはいけない。使わせるような状況をつくってはいけない。そのためには戦争は絶対にしない。どんな理由をつけても戦争を正当化してはいけない。すべての幸せと生活と生命を根底から破壊する戦争に「正しい戦争」なんてない。それを実践するのが「過ちを繰り返さない」ということだ。自虐でも何でもない。その崇高な理念を高々と掲げ続けていることこそが、日本人としての名誉であり誇りだろう。


8月30日(火曜日) 「カレカノ」最終巻

 コミックス「彼氏彼女の事情」第21巻(最終巻)を立ち読みする(本屋さんゴメンナサイ)。連載開始から9年かけてようやく高校卒業か。長かったね。作者の津田雅美さんお疲れさまでした。最終話では登場人物たちのその後の生活も描かれている。みんな自分がやりたい道に進んでハッピーエンド。まずはめだたしめでたしなんだけど、なんか出来過ぎであり予定調和的でもあって、いかにも「秀才集団の成功物語です」といった感じが腑に落ちない。リアリティーがものすごく希薄なのだ。最初のころの展開は、学園ギャグ漫画というカテゴリーを最大限に生かしながら、それぞれのキャラクターの人間関係と心理描写を見事に描いていたところが、それなりにリアリティーもあったし違和感なく楽しめたんだけどなあ。

 僕にとっての「カレカノ」は第14巻プラスアルファあたりで、終わっているのかもしれない。当サイトの「彼氏彼女の事情のページ」の「コミックスレビュー」が第14巻で止まっているのも、そんな心情を体現しているとも言える。とはいえ、登場人物たちと一緒にいろいろなことを考えさせてもらったし、泣いたり笑ったりドキドキしたりさせてくれて、大いに楽しませてくれた作品だったのは確かだ。ドロドロした有馬の心の闇を丹念に描いて、読者に読ませてしまうのは作者の力量そのものだろう。言うまでもなく駄作では決してない。力作の完結に感謝と拍手を贈りたいと思う。


8月31日(水曜日) 目標を殲滅

 洗面所にゴキブリが出現。2時間ほど格闘した。どうやら少し前にリビングで取り逃がした奴らしい。今回も最初は新聞で叩いて仕留めようと思ったのだが、またしても逃げられた。ヒットしたはずなのにムカツク。襲いかかる不安と恐怖。近くにいることは分かっているのでじっと目を凝らしていると、しばらくして洗濯機の脇に潜む黒い影を発見。そこで新兵器を投入した。スプレー噴射したアクリル樹脂の泡でゴキブリをまゆ玉状にすっぽり包み込み、固めて窒息させてしまうというものだ。狙いを付けて噴射するのが難しいが、殺虫剤成分は含まれていないし無臭なので、その辺はすごくうれしい。泡がくっつく畳やじゅうたんの部屋では使えないが、幸いにも洗面所なので目標に向かって噴射。どうにか仕留めることができた。固まった泡を片付けるのが面倒だけど、まあそれは仕方がない。それにしてあの黒い姿が視界に入ると凍り付く。それにたった1匹をやっつけるだけなのに、えらく消耗してしまう。疲れた。


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