身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2005年4月1日〜4月30日

●エイプリルフール●ベタ記事の苦労●パソコンちんぷんかんぷん●雑用が山積み●歴史から学ぶということ●高校生の意見表明●横浜見物●日々勉強●続・閑散社宅●原稿執筆(客観・中立・公正について)●修正●リニューアル「ドラえもん」●DVD版●歴史認識●修正2●まだ桜が?●傍聴は権利●教科書と「教師の力量」●日本国憲法をおとしめる教科書●運転士の技量●PARADISE GO!! GO!!●威丈高か追及か●押し戻す●裁判応援●●●ほか


4月1日(金曜日) エイプリルフール

 エイプリルフールのネタとなるべき「冗談記事」を書く余裕がなかったので、残念ながら今年もお休みにしました。楽しみにしてくれていたマニアックな方はごめんなさい。一昨年の特報記事「イラクにディズニーランド建設」は結構受けたんだよなあ。ユーモアと真実味があって、しかもちょっとばかり皮肉も込められている罪のない平和なジョークという感じで、われながらよくできた文章だと思っていたら、実際に信じてしまった人もいたりして評判もよかった。ああいうのが掲載できればよかったのだけど、時間的・精神的なゆとりがありませんでした。来年こそは頑張ります(笑)。


4月2日(土曜日) ベタ記事の苦労

 短い原稿を3本執筆して出稿。いずれも「日の丸・君が代」に関するものばかりだ。都教委が卒業式で起立しなかった教員52人を処分した話と、卒業式でのビラ配りに対して警察が不当に妨害や威圧を加えている話と、神奈川県立高校の教員に「起立しなかった理由」などを校長が尋ねた調査は違法だと訴えた話の3本。限られた行数の短い原稿だからこそ余計に書きにくい。あれもこれもと詰め込みたいことはたくさんあるが、骨となる事実関係以外はほとんど何も書く余裕がなくて、どこをどう切り詰めるかに大半の時間を費やすことになる。3本とも「身辺雑記」で触れた話でありながら、そこに書いたことさえ盛り込めないのはかなり惜しい。まあ短信原稿(新聞で言うところのベタ記事)だから仕方ないんだけどさ。実はベタ記事を書くのはなかなか苦労するものなのだ。


4月3日(日曜日) パソコンちんぷんかんぷん

 パソコンのハードディスク(HD)に、写真などの画像データが大量にたまってきた。パソコンの反応が最近鈍くなってきたのはそういうことも原因かもしれないので、MOディスクにデータを保存して、HDには一部を残して大量削除する作業をした。これが意外と時間がかかって面倒くさい。分類整理しながら保存しないといけないし、データ移行の際にエラーが出ると、その原因を探って解決してから改めて保存し直さなければならないのだ。データ保存そのものに要する時間も結構かかるが、すべての作業を終えるのにえらく時間を費やしてしまった。しかしHDやデスクトップはすっきりしたものの、パソコンの反応は相変わらず調子がよくない。

 パソコンの反応というよりは、実は原稿を書くためのワープロソフト「アップルワークス(旧クラリスワークス)」の反応が鈍いのだ。改行や漢字変換などのレスポンスが遅いので、文章を書いていてイライラしてしまう。「身辺雑記」などの文章を書く際はホームページ作成ソフトを使っていて、MacのOSも旧バージョンが起動するのでレスポンスは速くて快適なのだが、アップルワークスは調子が悪いんだよなあ。昨夏に大学で買ってもらった、マイクロソフトのMac版「エクセル」と「ワード」をインストールしてからご機嫌が斜めなので、どうやらワードとアップルワークスの相性が悪くてバッティングしているような気がする。相変わらずパソコンは詳しくないのだが、いろいろ聞いたり調べたりしてみて、そうではないかなと推測しているだけなんだけど。これってワードで原稿を書けということなのか。それもなんだかなあ。気が進まない。


4月4日(月曜日) 雑用が山積み

 銀行や郵便局で各種手続きや支払いなど。駅前をあっちこっち動き回る。ちょうど郵便局を出たところで、労働組合の街頭宣伝カーが「だれのための何のための郵政民営化なのでしょうか」と訴えていた。まったくその通りだ。そんなのだれも頼んでないじゃん。仮に必要だとしても今やらないといけないことなのか。そもそもコイズミ首相は、ほかにやるべきことがたくさんあるだろうに。

 自宅に戻ってから雑用が山積み。手紙やファクスにざっと目を通して整理。取材日程の調整、電話で確認取材や情報収集、経費の計算、ゲラのチェックなどなど。「日の丸・君が代」や教科書問題など教育関係の記者会見が、ばたばたといくつも入ってきた。


4月5日(火曜日) 歴史から学ぶということ

 ものごとには勢いとか弾みとかがあって、それで仕事などが順調に進むことがあると思うのだが、そういう流れを中断させてしまうのが花粉症である。きょうは気温が高く天気もよかったので、ものすごい花粉が飛散していたに違いない。日中はなんとかもたせていたが、夕方あたりから、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目の痒さときてもうボロボロ。一日に一錠の鼻炎薬ではもうダメだな。きちんと朝夕の二回服用しなければ効かないようだ。横浜の桜は満開。パラパラと散り始めているところもある。

 午後から都内。まずは一ツ橋の日本教育会館へ。「新しい歴史教科書をつくる会」(扶桑社)の中学校の歴史・公民教科書の検定合格について、「子どもと教科書全国ネット21」など15団体が記者会見。約60人の記者と10台のテレビカメラが会見場にひしめく。「『つくる会』の教科書は日本の加害を一切無視して過去を美しく描くことに専念している」「ほかの社の教科書も戦争加害の記述がどんどん後退している」「『つくる会』の公民教科書は憲法の教え方が異常。一般的に中学生にはまず憲法の3原則を理解させることから始めるものなのに憲法改正を途中で挟み、国民主権よりも国家主権を優先させるなど、憲法尊重義務を無視した支配層の考えが反映されている」などと説明し、「侵略戦争への痛切な反省から生まれた日本国憲法の理念を敵視する教科書が、公教育の場に持ち込まれることは許されない」とのアピールを出した。韓国メディアの姿が目立ち、質問はほとんどが韓国のテレビ局と新聞社から。竹島をめぐる領土問題について聞かれ、日本側が「意見の違いがあっても双方が歴史認識を共有し、ナショナリズムの激突にならないように、冷静で客観的な対話の場を設けるのが市民運動の責任だ」と述べたのにはまったくその通りだと思った。

 終了後、電車に飛び乗って新宿の都庁記者クラブへ。「日の丸・君が代」処分の取り消しを求め、都立高校教員らが都人事委員会に審査請求した件についての記者会見。52人の処分者のうち36人が申立人となった。教員と弁護団は、「前回(昨年)処分の違法性に対する判断が出ていないのに重い処分が出されている」「都教委が弁護士の立ち合いを拒否し、事情聴取をせずに処分したのは行政手続きの上でも違法」などと今回の処分の問題点を列挙。申請者の教員の一人は、「なぜナチズムのような社会が生まれたのか、声を上げず黙っていれば平穏に生活できるという考えが、ああいう社会の台頭を招いた。きちんと反対の声を上げるのが教員としての責任だと思った。都教委は歴史を学んで反省してほしい」と訴えた。


4月6日(水曜日) 高校生の意見表明

 午後、新横浜の靴屋さんに寄って、東京・新宿の都庁へ。都立高校への「日の丸・君が代」強制問題で、卒業生や保護者が都教委へ抗議する要望書などを提出。その後、都庁記者クラブで会見。僕の書いたルポに登場してもらった卒業生も何人か登場した。卒業生らの発言や主張には心から共感するし、卒業生自身の考えなのはもちろん分かっているが、大人が敷いたレールに乗せられているように見えてしまうのはちょっと残念だ。これは彼らに問題があるのではなく、大人の側がもう少し後ろに下がって「我慢する」ことが問われているような気がする。主役である生徒や卒業生たちを「お客さん」にしてはだめだ。そのへんは、教育問題についていろいろと考えている大人たちの今後の課題だろう。

 これと関連して前から違和感がぬぐえないのは、教師の生徒観や生徒への対応だ。発言しようとする生徒や卒業生を表に出したがらない教師が多いのだという。理由として「生徒が不当な非難や攻撃にさらされるおそれがある」「未成年である生徒を守らなければならない」という考えがあるのは分かる。でもそれは、「高校生にもなれば自分で考えて行動する」「だから教師の命令通りに生徒は動いたりしない」「国歌斉唱の際には自分で考えて判断を」という主張と矛盾しないか。相手は小中学生ではない。高校生(卒業生なら大学生や社会人)だ。立派な大人と認めているからこそ、「自分で考えて行動すること」を期待しているのだろう。特に言論・表現活動について言えば、教師は高校生に対し、「指導」と称して余計な口出しをしてはいけない。

 発言や意見表明には責任と覚悟が伴う。もちろん匿名や正体不明で主張するやり方もあるが、それだと信頼性や説得力はどうしても弱くなる。責任の所在を明確にして発言するのは説得力の問題なのだ(これは高校生だけでなく大人にも言える)。そういうことを理解した上で、高校生は自分の意見をどんどん外に向かって主張すべきだと僕は思う。当然ながら生徒の自治・言論活動の自由は、最大限保障されるべきだと僕は考える。教師が生徒の表現活動を制約し規制しようとするのは、本心では「未熟な生徒」は教師が管理・監督・命令するものと考えているからだろう。「指導」の名のもとで教師が生徒の表現活動に介入するのは、生徒を信頼していない証拠にほかならない。これでは自主・自立はお題目に過ぎず、教育委員会のやっていることと何ら変わらないことになる。

 夕方から、霞が関の弁護士会館へ。言論・表現活動に対する弾圧事件を考える集会「暴走する公安と脅かされる言論社会」を取材。相次いで微罪逮捕された4つの事件(立川自衛隊官舎反戦ビラ配り事件、政党ビラ配布・国家公務員法違反事件、葛飾マンションビラ配り事件、板橋高校威力業務妨害事件)の当事者と弁護団が一堂に会してアピール。自由な言論・表現活動が制約されつつある社会に警鐘を鳴らした。夕方以降は花粉症がひどくなってきて、懇親会への参加はパス。面白そうだから顔を出したかったんだけどなあ。


4月7日(木曜日) 横浜見物

 電話取材。短い原稿を2本書いて送信。夕方、愛媛から文献調査のために上京した短大の先生と待ち合わせて横浜・関内へ。山下公園などを案内して中華街で食事。天気がよい上にものすごい突風が吹き荒れていたせいか、またまた花粉症の症状が悪化。薬の服用量を倍にした(本来はこれが適量)というのに、鼻水は出るし眠いしでもう最悪だ。でもまあ短い時間ではあったけど、横浜の夜景と味を楽しんでもらえたみたいなので、よかったということにする。


4月8日(金曜日) 日々勉強

 国会議員の東京事務所や文部科学省や教育委員会やNHKや都議会など、そのほかあっちこっちに確認取材の電話を入れて、短い原稿2本を書いて送信する。取材相手がすぐにつかまるケースもあれば、何回かけてもタイミングを外すこともあって非常に疲れる。でも組織統制や官僚機構の仕組み、国会質議の流れなど、電話取材をしながら改めていろいろ勉強させられた。今週は短信原稿を合計4本出稿したことになるが、全部掲載されるのかな。どれも重要な話なので、僕としてはどれも落としてもらいたくないけれど。


4月11日(月曜日) 続・閑散社宅

 自宅の近くの某社宅に空室が目立って閑散としている話を、今年1月22日付の「身辺雑記」で書いたが、先月末には最後の1世帯だけになって、4月1日になるとすべての部屋が空室になった。先週には建物の出入り口が完全封鎖されていたので、たぶん近いうちに取り壊しになるのだろう。工事予定の表示が出ていないので、建て替えという線も考えられるが、まあ閉鎖・売却といったところだろうな。経営的に厳しい材料も抱えているらしいが、賑わっていた近所の社宅から人が消えるのは、なんとなく寂しいものである。


4月12〜14日(火〜木曜日) 原稿執筆(客観・中立・公正について)

 終日、原稿執筆。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社の中学校歴史教科書についてのルポ原稿。取材したたくさんの材料を前に、どの材料をどの場面でどうやって使おうかとぐるぐる迷う。それと同時に、どうすれば客観性・中立性・公正さを保てる記事になるだろうか(別の言い方をすれば客観性・中立性・公正さをどのように装うか)でかなり悩んでしまった。もちろん立場や視点のない記事なんて、そもそもあり得ないのは言うまでもないのだが、しかし、できるだけ多くの人たちに読んでもらって記事に説得力を持たせるためには、可能な限り公正な取材に基づいて、客観的で中立的な分析や評価を表現する努力が必要だ。「公正な取材」という部分には嘘や偽りはないものの、文章には筆者の考えや訴えたいことがどうしても反映される。だから客観的で中立的に見えるようにするという点に関しては、「表現技術」に頼ることになる。

 はっきりと断定したり言い切ってしまったりすれば、分かりやすいことは分かりやすい。ストレートに主張は伝わる。でもその代わり、立場を異にする読み手の拒否反応は強くなる危険性が高まる。押し付けがましい決め付けを嫌う読み手もいるだろう。反対に「客観的で中立的に」と表現を配慮すればするほど、輪郭はぼやけて不鮮明になり、主張は分かりにくくなる。その兼ね合いがとても難しいし、正直言って僕はいまだにその兼ね合いをどうすればいいかよく分からなくて、いつも原稿を書きながら悩んでいる。


4月15日(金曜日) 修正

 きのう出稿した原稿について案の定、「はっきり断定したり言い切ったりしなかった部分」について、編集部から物言いが付いた。確かに主張が不鮮明な部分があったので十行ほど差し替え修正することにする。誤読される可能性はあるかもしれないが、ぎりぎり許容範囲かなとも思っていたのだけど。

 JCJの機関紙用に頼まれて短いルポの原稿を出稿する。テーマは都立高校の卒業式と「日の丸・君が代」問題について。教育委員会の役人よりも高校生の方がはるかに、ものごとを深く考えているのではないか、といった内容を短い行数に詰め込んだ。

 リニューアル「ドラえもん」 出演していた声優陣がすべて交代して完全リニューアルしたアニメ「ドラえもん」の一回目が放送された。ドラえもん、のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫…。主要キャストはどれも違和感なく、新しい声がすんなり耳に入ってきた。のび太としずかちゃんの声はやけにかわいくて色気がある。好印象だ(笑)。イメージ的に最も大きく変わったのはドラえもんだろう。子どもっぽくて幼い感じの声と口調になった。前のドラえもんはのび太の「保護者」。新しいドラえもんはのび太とほぼ対等な「友達」といった設定なんだろうね。だから今回の新しいキャストは正解だし違和感もない。ただ、のび太のママの声だけはどうしてもなじめないなあ。三石琴乃(エヴァンゲリオンに葛城ミサトの声で出演)がのびママを演じているのだが、ミサトさんが碇シンジを叱ってるようにしか聞こえない(爆)。困ったもんだ。


4月16日(土曜日) DVD版

 午後から東京・神楽坂。都立高校の卒業式・入学式と管理される生徒について考える市民集会に顔を出す。終わってから、焦がし醤油ラーメンのうまい店でラーメンを食べた。スープにコクがあってうまい。値段も安くて良心的だ。神楽坂に来た時は、ここでラーメンを食べるのが楽しみだったりする。

 横浜の家電量販店で注文してあった映画とアニメのDVDを受け取る。「転校生」「家族ゲーム」「彼氏彼女の事情」(1巻)。もちろんいずれもビデオでは持っている作品ばかりだが、DVD版の映像でも見たいと思ってとうとう買ってしまった。少しだけしか見ていないが、ビデオに比べてやはり画質はきれいだ。スペースも取らないし。結局、お気に入りの作品はこうやって買い直していくことになるのだろうか。それぞれの作品内容についての説明は、「お薦め映画」「彼氏彼女の事情」のページでどうぞ。


4月17日(日曜日) 歴史認識

 延々と続く中国(や韓国)での反日デモ。背景について、「日本側の歴史認識に問題がある」と考える日本人が半数以上いるという各メディアの世論調査に、ちょっとほっとした。と同時に、日本人の歴史認識やバランス感覚も捨てたもんじゃないなと誇らしく思った。もちろんデモでの暴力と破壊行為は許せないし、きちんと謝罪や賠償をしない(できない)中国政府の対応は論外だ。「偏った愛国心」を煽る中国での愛国教育も明らかにおかしいと思う。しかしそうした問題とは切り離して、近現代の歴史認識や歴史教科書についての一部の政治家や保守グループの言動など、日本人が率直に考えなければならない課題が存在しているのは事実だろう。これはまさに日本の国内問題と言ってもいい。そういうことを冷静に認識できている日本の世論は心強い。まだまだ希望がある。


4月18日(月曜日) 修正2

 先週末に出稿した原稿をさらに2行ほど修正。婉曲にぼかして表現していた部分を明確なメッセージに変えた。そこまで断定的に主張しなくても読めば分かるんじゃないかとも思うんだけど、編集長に「この記事はある意味スクープであって、この記事を見て初めて問題点に気付く読者もいるのだから」とアドバイスされて、なるほどそういうものかもしれないのかなと思った。それでもまだ自分の中では悩む部分が少しあるのだが。難しいなあ。


4月19日(火曜日) まだ桜が?

 横浜の桜は先週にはほとんどすべて散って、もうとっくにどこも葉桜になってしまっているが、なぜか近所の1本の桜だけはまだ花が咲き誇っている。そこには桜の木が2本並んでいて、白い花を咲かせた隣の桜は早々と散ったというのに、もう1本にはうすいピンクのきれいな花がまだ半分くらい残っている。2本とも同じように見えたのだけど、桜の種類が違うのかな。不思議だ。

【おことわり】多忙だったため、4月11日付から4月19日付までの「身辺雑記」をまとめて更新しました。


4月20日(水曜日) ほったらかし

 自民党は郵政民営化をめぐって大混乱だそうだ。小泉首相は郵政民営化しか頭にないのか。日中、日韓、日露、日米、日朝…と、国外ではあちこちで大変な事態になっているというのに、とてもまともな外交努力をしているようには見えない。しかも口を突いて出てくるのは、およそ他人事としか思えないようなコメントばかり。外交上の懸案事項はすべてほったらかし。過去に例を見ない特異な国際感覚を持った首相だと思う。唯一の成果はブッシュ大統領の私邸に招かれて、キャッチボールをしたことくらいじゃん。情けない。歴史認識も教科書問題も靖国神社参拝も、そして領土問題や輸入牛肉の安全性にしても、どれをとっても首相のリーダーシップでしか解決できないことばかりなのに。いったいどういうシナリオを描いているんだろう。「何も考えてない、に5000点!」(懐かしの「クイズダービー」のノリ)だな。

【おことわり】4月15日付「身辺雑記」の2段落目以降の文章を未明に加筆しました。リニューアル「ドラえもん」の部分まで。


4月21日(木曜日) 傍聴は権利

 午後から東京・霞が関の東京地裁へ。「昨年の都立高校の卒業式で大声を出して式典遂行を妨害した」などとして、威力業務妨害の罪に問われた元教員の初公判を傍聴取材する。東京地裁で一番大きな法廷が用意されたのはいいとして、なぜか抽選傍聴でなく先着順になっていた。司法記者クラブ員ではないので列に並ぶ。ラッキーなことに僕の後ろの人で傍聴券の配布は終了。ギリギリだよ。

 大法廷の前はやけに物々しい警備で、法廷通路でのセンサーによる身体検査に加えて、手荷物はすべて裁判所に預けさせられるというおまけ付き。なにも連合赤軍事件とか過激派の爆発物取締法違反事件やオウムの裁判じゃないんだから、ここまで厳戒態勢を敷くこともなかろうに、これではほとんど傍聴人に対する嫌がらせとしか思えない。しかも開廷時間を過ぎても傍聴人を法廷内に入れず、裁判所からはまともな説明も謝罪もない。

 そしたら案の定、弁護団から裁判長に、「国民の権利である法廷傍聴権を侵害するつもりか」と抗議の声が上がった。この裁判の弁護団の皆さんは、このような理不尽な傍聴人の取り扱いを目の当たりにするのは初めてで驚いていたみたいだが、実はこの手の「法廷傍聴の権利を侵害するような裁判所の不当な対応」はよくあるんだよなあ。取材をしていると結構遭遇する。裁判官の憲法違反の訴訟指揮に対し、弁護士は「国民の権利擁護者」としてもっと怒って、しつこいくらい強く抗議すべきだ。でなければ、上っ面だけの司法改革はされても、裁判官の傲慢不遜な姿勢は変わらないだろう。

 起訴状朗読に続いて、弁護団から起訴状に対する求釈明、罪状認否など。途中休廷を挟んで審理は夕方まで続いた。弁護団は「被告人の行為は何ら犯罪を構成しないばかりか、表現の自由を侵害する言論弾圧が目的の不当な起訴で、公訴権の乱用だ」として公訴棄却を申し立てた。裁判内容については個人的意見があるけど、弁護団や支援者の皆さんとは微妙に見方が違うので省略(汗)。弁護士会館で記者会見と報告集会。法廷の攻防はエキサイティングでとても面白かったが、予想以上に長時間だったので少々疲れ気味。


4月22日(金曜日) ダブルパンチ

 風邪と花粉症のダブルパンチで絶不調。咳とくしゃみと鼻水と鼻づまり。最悪だな。しかし、原稿の締め切り日だったりする。コラム1本を書いて出稿。ゲラチェック。


4月23日(土曜日) 教科書と「教師の力量」

 きのう発売の「週刊金曜日」に、教育特集の記事として、「『つくる会』歴史教科書を使ってみたら」を書きました。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社の中学校歴史教科書は、「侵略戦争を賛美している」「歴史観に偏りがある」などと内外から批判されていますが、この教科書を批判的に使いこなせる力量が現場教師にはあるのでしょうか。一般公立校として全国で初めて扶桑社の中学校歴史教科書を採択し、実際にこの教科書を使って授業をしている愛媛県立中高一貫校の状況などを通して、教科書と「教師の力量」について考えるルポです。ぜひお読み下さい。


4月24日(日曜日) 日本国憲法をおとしめる教科書

 午後から東京・九段で、「新しい歴史教科書をつくる会」が主導する扶桑社の中学校歴史・公民教科書の採択阻止を訴える市民集会を取材。国内メディアの記者よりも韓国メディアの方が多かった。集会では「子どもと教科書全国ネット」常任運営委員の石山久男氏と浅羽晴二氏が、今年再び検定合格した扶桑社の歴史・公民教科書について分析。「扶桑社の歴史教科書は民衆を軽視し、国家中心の歴史を描いている。記述の本質は旧版と何も変わらない」「公民教科書は大日本帝国憲法を賛美する一方、日本国憲法を極めて低く評価している。学習の進め方が異常だ」などと厳しく批判した。首都圏各地から情勢分析報告があったほか、「扶桑社は教科書検定中に申請図書(白表紙本)を流出させて、文部科学省から三回にわたって指導された。ルール違反の扶桑社教科書の採択を阻止しよう」と呼びかける集会アピールを読み上げて終了した。

 神保町の書店に立ち寄って書籍や雑誌を購入してから、記者仲間と居酒屋でビールを飲みながら雑談。取材対象や出版社の対応などについて情報&意見交換した。あまりビールを飲むと鼻炎の薬の効き目が薄れるので、セーブしなければならないのが辛い。


4月25日(月曜日) 運転士の技量

 短い原稿を書いて送信。さらに長めの原稿を書く準備作業など。テレビをつけると電車脱線事故の報道特番をやっている。兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車が脱線した事故は、死傷者約500人の大惨事になった。テレビ画面に映し出される現場の生々しい映像に、ついつい釘付けになってしまう。線路脇のマンションに突っ込んでつぶれてぺしゃんこになった車体から、衝突の激しさと事故のすさまじさが伝わってくる。電車ほど安全な乗り物はないと思っていたけど、そうでもないことがよく分かった。これからは先頭車両にはなるべく乗らないようにしよう。

 事故原因はまだはっきりしていないが、脱線した電車は前の駅でオーバーランした上に、相当なスピードでカーブに差しかかったことは事実なようだ。確かにブレーキのかけ方が下手くそで、驚くほど運転が乱暴な運転士っているんだよなあ。僕がよく使う京浜急行の運転士も運転が下手な人が多い。もともとカーブが多くて揺れる路線だというのに猛スピードで突っ走って、しかも平気で急ブレーキをかけまくるから揺れる揺れる。停車駅のホームでオーバーランすることもよくある。たぶん首都圏の私鉄の中で、最も揺れる乱暴な路線の一つではないかと思う。逆にあまり揺れなくて運転士の運転が上手だと感じるのは、京王線と小田急線と東急東横線だ。


4月26〜27日(火〜水曜日) 原稿執筆

 原稿執筆。まとめと行数調整に予想以上に手間取って、締め切りを丸一日過ぎてしまった。とほほ。とりあえず慌てて送信。なんとか無事出稿を終える。内容は裁判官についての評論記事。掲載されるのがサブカル系の月刊誌というのがミソで、なるべく分かりやすく軽く書いた。4ページにわたって載るそうだ。

 ちなみに執筆中のBGMは、NHK教育のアニメ「MAJOR」のエンディングテーマ曲で、PARADISE GO!! GO!!の「Faraway」アップテンポのリズムが軽快で気持ちよく、原稿に集中できる。音量を絞ってエンドレスで流し続けた。火曜日に購入したばかりのシングルCDには、メイン音楽トラックのほか別トラックにプロモーションビデオなども収録されていて、なかなかお買得の一枚だ。


4月28日(木曜日) 威丈高か追及か

 兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の電車脱線事故について、記者会見での記者の態度がいろいろと話題(問題)になっているようだ。質問に答えるJR西日本の幹部に対して「人がたくさん死んでんねんで!」と迫る記者の声や、遺体安置所に見舞いに訪れたJR西日本の幹部への「ポケットに手を突っ込んでいたが」といった記者の質問がテレビで流されたことで、「いったい何様なんだ」という反発や批判の声が、記者に向けられているという。

 僕もJR西日本の記者会見をテレビで見ていて、ずいぶん居丈高な記者だなあと最初は感じたのだが、しかし記者会見の一部分だけでなく、前後のやり取りなどが入った映像を見たり、会社側のあいまいで不誠実な対応ぶりを新聞で読んだりするうちに、現場の記者がJR西日本側に食ってかかるのもあり得るかな、苛立つ記者の気持ちも分からないでもないかなとも思った。事故直後に予断を与えるような「置き石説」を平然と繰り返して公表したり、前の停車駅でオーバーランした問題で事実と異なる情報を流したり…。いい加減で意図的で、およそまともな危機管理能力があるとは思えないズレまくったJR西日本の姿勢には疑問が多すぎるからだ。

 記者会見の場にいたわけじゃないし、会見全体を見たわけでもないから、はっきりと判断することはできないが、最初に感じた印象とは違ってきたのは確かだ。一部分の瞬間だけを切り取った映像や言葉で判断するのは、とても危険だなあと改めて認識した。

 もちろん取材する側が感情的になっては的確な状況判断ができなくなるし、引き出せる言質も引き出せなくなってしまうから、質問する記者に冷静さが求められるのは言うまでもない。挑発的な質問を相手にわざとぶつけて、反応を見るという取材手法もないことはないが、今回の場合はそれとは違うようだ。本来はこういう記者の怒りのパワーによる追及は、石原慎太郎都知事なんかの記者会見でこそ爆発させるのがふさわしいと思うのだけど。


4月29日(金曜日) 押し戻す

 午後から東京・神楽坂。都立高校の現場で卒業式・入学式に何が起きたか、教員らの報告交流集会を取材する。理不尽な強制を繰り返す都教委の暴走に対して、抵抗する側がほんの少しずつ押し戻しているように感じられる報告がいくつもあった。「いくら何でもひどすぎるんじゃない?」という世論を、できるだけ広げていく努力こそ一番大事だ。終わってから教職員組合の先生たちに誘われて居酒屋へ。みんな飲むピッチが早い早い。特に定時制の先生は、授業が終わってから終電までの時間が短いこともあって、ものすごい勢いで飲むのが習慣になっているのだという。なるほど。新聞社の夜勤職場の場合はタクシー帰宅だったこともあって、明け方近くまでだらだら飲んでいたことを思い出した。

 都内の先生から、扶桑社の中学校歴史教科書を使って授業をしている愛媛県立中高一貫校の状況などを取材したルポ「『つくる会』歴史教科書を使ってみたら」の感想をいただいた。「愛媛の教員の言葉をきっちり伝え、そこでは批判せず、模擬授業と東京、広島の教員の声と実情を紹介した記事だった。愛媛の教員の話とのギャップが浮き上がってきてすごく説得力があった」(要旨)という内容だった。すごくうれしかった。愛媛の教員が何を考えているのか、「相手に言うだけ言わせてそれを伝える」という記事表現を、きちんと読んで評価して下さったからだ。

 教育委員会や校長や役所や政治家などなど、取材に出かけて相手にたっぷり「しゃべらせる」というのは、「情報収集」の面からも「記録に残す」(言質を取る)という意味からも、ジャーナリズムの報道表現としてとても重要だと僕は考えている。いわゆる「運動家」の人たちからはしばしば、「どうして教委や校長の言い分ばかり書くんだ」などと怒られるのだが、相手の言質を取って「姿勢や考え方」を広く知らしめ、そうして現実に起きている「事実」と対比させることによって、矛盾やおかしさや問題の深刻さが自然と浮かび上がってくると思うのだ。大上段に拳を振り上げて「ここがけしからん」「あそこはおかしい」と批判の言葉を連ねるよりも、よほど考えさせて説得力のある記事になると思う。

 記事掲載前に、「『つくる会』を支持する記事だと読者が受け取るかもしれない」など、表現方法をめぐっていろいろ議論があったので、記事の趣旨をきちんと理解して評価していただいた感想にはとても励まされた。本当にありがとうございました。


4月30日(土曜日) 裁判応援

 午後から都内の弁護士事務所へ。「日の丸・君が代」問題で大量処分された都立高校教職員の裁判を「応援する会」の呼びかけ人の一人になってほしいと声をかけられ、設立準備会に顔を出す。記者の立場で言えば、どこまでかかわるべきかは微妙な問題でもあるのだが、「起立しないだけで教職員を懲戒処分する都教委は常軌を逸している」という観点から、可能な範囲で協力できればと考えて、この日の会議でもそういう認識を発言させてもらった。これまでの取材や大学で担当する授業での感触から、これは社会的に最大公約数の意見だろうと思われる。

 それにしても、裁判当事者の中にもいろいろな立場や考え方(党派性も?)などが複雑に絡み合って、組織をまとめるのは大変なんだなあということがよく分かった。世論に訴えていくというのであれば、なるべく「広範に共感が得られる部分」で結集&アピールした方が、効果はより大きいだろう。そのあたりも含めて、今後さらに議論を深めることができればと思う。


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