身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2006年4月1日〜4月30日

●4月馬鹿●「セカンド」更新●「愛国心」について●話術●「制圧」された民主党●阪神・金本フル出場記録●ネット通販●サラ金CMとメディアの責任●弁護士ドラマ雑感●脇が甘過ぎる日本外交●弁護士さんダウン●門前授業●教育基本法「改正」と教育現場●大阪●共感する生き方●予定調和記事はいらない●藤井さんと西原さんの本●●●ほか


4月1日(土曜日) 4月馬鹿

 エイプリルフールのネタを書くのを、今年もまたすっかり忘れていた。笑えそうなウソ記事がないわけでもなかったんだけどな…。しまった失敗した。


4月3日(月曜日) 「セカンド」更新

 「セカンドインパクト」を更新。「ルポルタージュ」のページに記事紹介(前文と見出しのみ)を追加しました。「世界」4月号に掲載された「ある新人教師の死」というルポです。埼玉県の公立小学校の新任教師が自殺した背景を検証するとともに、多忙な中で分断され孤立化する教師たちの姿を描きました。とりあえず前文と見出しと小見出しだけ掲載します。


4月4日(火曜日) 1カプセル

 午前中は電話取材や打ち合わせ。午後から図書館で調べもの。分厚いコートを着ないで、ジャケットだけで外出できる季節になったのがうれしい。花粉症も落ち着いてきた。なんと今年は市販の鼻炎薬を1箱しか消費していない。しかも1日に2カプセルを2回服用するところを、1日1カプセルだけで乗り切ったのだ。やっぱり例年に比べて花粉の飛散量はかなり少なかったのかもしれない。


4月5日(水曜日) 「愛国心」

 「愛国心」について。多少なりとも好きだったり愛着があったりするからこそ、自分が所属している組織や地域や社会のことを批判するのだろうと思っていたが、そうではなくて「愛国心」そのものを否定する人もいるということを改めて知る機会があって少し驚いた。もちろんそういう考え方をする人がいてもいいが、少なくとも僕はちょっとついていけないなあ。ちなみに僕は自分のことを「愛国者」だと思っている。ただし念のために断っておくけれども、決して国家権力や政府を愛しているのではない。何回も繰り返して言うが(3月29日付「身辺雑記」参照)、「愛国心」の中身や定義は人それぞれであって、「何をどのような方法でどれだけ愛するか」あるいは「どのように向き合うか」は個人の自由だ。「愛国心」の「国」とは必ずしも政府を指すとは限らない。政権与党の方針を支持して一体化することが「愛国心」だとするのなら、そして政府の政策に異議を唱えるのは「反日」であり非国民だとするのなら、それはとんでもない話である。一方的に「国を愛せ」だとか「愛国心を持て」などと、自民党や政府からあれこれ指図されるいわれはないし、強制されるようなことは絶対に許されない。ましてや法律で政府から「愛国心を統制される」など論外だ。


4月6日(木曜日) 話術

 髪の毛を春らしくやや短かめにカットした。今の店に変えてからきょうで3回目になるが、美容師さんがプライバシーに踏み込んでこないのがいい。何の仕事をしているかとか仕事の内容だとかを聞かれても、いちいち説明するのは面倒だし、触れたくなかったり説明に困ったりすることもあるわけで、季節の話題や花粉症や花見などといった当たり障りのないところで、上手に会話を進めてくれるのが気分的にも楽だ。そんなふうに感じている客は多いんじゃないか。カット技術とともに話術も同じくらい大事だと思う。


4月7日(金曜日) まだ花粉症

 民主党の代表選挙のニュースを見ていたら、鼻がむずむずしてくしゃみが何回も出て止まらない。花粉症はまだ完全には終わってなかったんだな。仕方ないので薬を飲んだが、思ったほど眠くはならなくて助かった。そんなわけで労働意欲はまあまあ。アポ取りの作業も順調に進んでいる。今月末には取材で大阪に行く予定だ。近辺の友達に会える時間が取れるかどうか微妙だけど、せっかく大阪に行くんだから、たこ焼きくらいは食べて帰りたいものだ。


4月8日(土曜日) 「制圧」された民主党

 民主党の新代表に選ばれた小沢一郎氏は、菅直人氏を代表代行とし、鳩山由紀夫氏を幹事長とする新執行部人事を決めた。渡部恒三国対委員長も続投する。一連の騒動と代表選を通じて鳩山幹事長の存在感は確実に大きくなったが、菅氏の代表代行って飾りみたいなものではないのか。しかも菅氏以外の党幹部は自民党出身者がずらり並ぶ。これで野党第一党の民主党はほぼ完全に自民党に「制圧」されたと言える。衆議院の3分の2の議席を自民・公明の与党が占めている中で、これってなにげに大変な話だと思うんだけど…。まさに大政翼賛会状態だ。政府与党に対して、亜流としてではなく真正面から向き合って渡り合える野党がないと、議会制民主主義にとってまずいだろう。それにしても、支持(投票)したいと思える政党が本当になくなってしまった。こんな状況になるなんて、十年ほど前にはだれも想像しなかったよなあ。


4月9日(日曜日) 阪神・金本フル出場記録

 阪神タイガースの金本知憲外野手が、連続904試合の全イニングに出場する世界記録を達成した。広島カープ時代の99年から7年かけての記録だというが、これは前人未到の大変な偉業だ。ただ単に数多くの試合に連続出場するのではなくて、初回からゲームセットまですべてのイニングで打って守り抜くというのは、そうそう簡単にだれにでもできることではない。きちんと結果(成績)を残さなければ、本人が試合に出たくても監督に起用してもらえないからだ。もちろん金本選手は毎回ここぞという時にしっかり打ち、守備でもファインプレーでチームの勝利に常に貢献している。阪神ファンにとってこれほど頼りになる選手はいない。しかも死球による骨折といったけがをものともせず、翌日も出場してヒットを飛ばしているところがこの人のすごさだろう。本人の精神的・肉体的な日々の努力があればこその記録で、チームメートはもちろん、他球団の選手にもプラスの影響を与えるに違いない。「選手はグラウンドに立ってなんぼ。仕事への責任感(があるから頑張れる)。どれだけ強い思いを持っているかだと思う」と金本選手はインタビューに答えている。記者も原稿を書いてなんぼ。仕事や読者への責任感と使命感があるから頑張れる。僕はもともと怠け者だし金本選手ほどの努力家でもないが、その姿勢はできる限り見習いたいと思う。


4月10日(月曜日) ネット通販

 インターネットの通信販売で初めて買い物をした。実は個人情報を書き込むことにためらいがあって、中でもクレジットカードの番号を提示して支払いをするのがイマイチ不安だったので、ネット通販の利用はしばらく躊躇していた。しかし郵便振替で代金を払うのなら大丈夫だろうと、初めてネット通販を利用したのだった。もちろんこれまでに住所や電話番号などの情報を、銀行や電話会社のサイトに書き込んだことは何回もある。住所や電話番号も漏れたら困る情報だけど、クレジットカードは財布に直結しているだけに、悪用されたら生活へのダメージが大きい。それでクレジットカードの番号を示すことについては、どうしても不安が払拭できなかったのだ。まあよく考えたら、普通に街なかのお店でクレジットカードを使って支払いをするにしても、不正が起きないとは言い切れないわけだが、生身の人間と店頭で面と向かって対応(会話)しているという一点で、少なくともバーチャルな世界とは違った信頼感と安心感を与えている。もっともそれだって今の時代では、実にあやふやで何の根拠もない虚構なのかもしれないが…。相手が「ちゃんとした」組織や会社だったら、クレジット支払いの通販を利用しても大丈夫だとは思うが、最近はその見きわめが非常に難しい。


4月13日(木曜日) 4時間

 午後から都内の弁護士事務所へ。中学・高校生向けの職業紹介本のための取材。不良債権処理や民暴(民事介入暴力)事件を手掛ける弁護士の話を聞いた。4時間近くもインタビューが続いて、そこでようやく佳境に入るといった感じで、とにかく話すのが大好きな弁護士さんだ。引き続き別の日に取材することになったが、内容はまとまっていて興味深い。退屈することがないのは助かる。


4月14日(金曜日) 喫茶店

 午後から横浜。市民団体のスタッフと打ち合わせ。来週に都内の市民集会で講師を頼まれていて、主催者が横浜まで会いに来てくれたのだが、打ち合わせの場所探しが大変だった。ただでさえ数が少なくなっている喫茶店がどこも軒並み満席で、文字通り右往左往してしまった。本当に困るんだよなあ。ホテルの喫茶店もスターバックスも客でいっぱい。おばちゃんが多かったように感じた。金曜日の午後というのは関係があるのだろうか。なぞだ。


4月15日(土曜日) サラ金CMとメディアの責任

 消費者金融アイフルの全店鋪に対して、金融庁が業務停止命令を出した。強引で違法な取り立てや多重債務者の問題を、メディア各社がここぞとばかりに報じているのはいいとして、だったらサラ金のCMを垂れ流してきたテレビや新聞の責任はどうするつもりなんだと問いたい。「お金がなければじゃんじゃん借りればいい」「借金くらいするのが当たり前」みたいな風潮をつくって、後ろめたさのかけらもないような明るいイメージを宣伝してきたのは、ほかならないマスメディアじゃないのか。今だって平然とサラ金のCMが流されているし、「週刊朝日」の編集長が「編集協力費」という名目で武富士から五千万円の「裏広告費」を受け取った事件に至っては、ジャーナリズムとしては論外の自殺行為である。サラ金CMの垂れ流しは、どんな言い訳をしたところで明らかに被害者増大の一翼を担っているし、番組や紙面での被害者報道とは矛盾している。ジャーナリズムのあるべき姿を真剣に考える会社ならば、公序良俗に反する反社会的企業のCMは、一切拒絶するのが筋というものだろう。熟考を促したい。


4月16日(日曜日) 弁護士ドラマ雑感

 テレビで弁護士ドラマが放映ラッシュだ。NHK総合で「マチベン」(土曜夜9時)が8日にスタートしたのを皮切りに、テレビ朝日系で「7人の女弁護士」(木曜夜9時)、TBS系で「弁護士のくず」(同夜10時)がともに13日に始まった。弁護士取材が多いこともあってとりあえず見てみたのだが、率直な感想を言うと「7人の女弁護士」は前評判通りイマイチだった。主役の釈由美子が弁護士というのは、いくらなんでもリアリティーがなさすぎる。話の展開や登場人物もまとまりがなくて、薄っぺらで面白みに欠ける。「弁護士のくず」は、ちょっと斜に構えていい加減っぽい弁護士を豊川悦司が好演していて、中堅弁護士事務所のドタバタ娯楽ドラマとして見る分には、そこそこの仕上がり具合だと思う。これに対して「マチベン」はなかなかの力作だ。事件を通して人間ドラマがきちんと描かれていて、そこに法廷劇がうまく噛み合っている。現代社会の問題や法曹界のどろどろした部分もフォローされていて、さすがに作り方がていねいだ。娯楽作品としても楽しめる。主役の江角マキコの力演が光っている。

 ついでに触れておくと、同じく13日に始まったフジテレビ系の「医龍」(木曜夜10時)は、原作(ビッグコミックスぺリオール連載)が実にドラマチックで問題意識に溢れた力作なので大いに期待していたのだが、テレビドラマの方はちょっと見るに耐えない出来だった。大学病院の医局の実態を描きながら、医者のあり方について鋭い問題提起を投げかけ続けている原作の魅力を、つまらない演出と脚本がぶち壊しにしていると思う。ドラマ展開やシチュエーションが嘘っぽくて、まるで「新春スター隠し芸大会」を見ているように感じてしまうんだよなあ。残念だ。医者のドラマとしては、フジ系の「白い巨塔」やTBS系で放送された「ブラックジャックによろしく」の方が、はるかによくできている。


4月17日(月曜日) 3時間

 午後から都内の弁護士事務所。先週木曜に取材した弁護士さんのインタビューの続きである。今回も3時間以上かかった。とりあえず取材は無事に終えることができたけど、録音テープだけで5時間もある。まとめるのが大変そうだなあ。きのうは原稿整理やレジュメ作成をしていて徹夜だったので、眠くて仕方ない。


4月18日(火曜日) 手直し作業

 雑誌に書いた原稿があっても、一冊の本にまとめようとすると、全体の整合性を確保しなければならないので、原稿を手直しして加筆修正するのは結構大変だ。そんな作業にちょっと苦戦して、予想以上に時間を費やしてしまっている。もちろんゼロから新しく原稿を書くことに比べたら、はるかに楽な作業ではあるんだけど。


4月19日(水曜日) 脇が甘過ぎる日本外交

 海上保安庁による竹島周辺海域の海洋調査に対して、韓国が猛反発している。竹島をめぐる領有権や「日本海」呼称問題にせよ、中国との尖閣諸島の領有権や東シナ海ガス田開発の問題にせよ、領土領海に関する問題は一筋縄ではいかない。まさに関係各国との信頼関係をベースにした粘り強い「外交」こそが、この種の問題を解決するための唯一の道だ。そういう観点から考えれば、小泉首相ら政府・自民党タカ派のこれまでの言動はいかにも無神経で、お粗末過ぎたと言っていいだろう。相手に対して言うべきことをしっかり主張して交渉するには、脇の甘さや弱味を見せて足下をすくわれるようなことは厳に慎まなければならない。日本国内でも批判が噴出している靖国神社参拝をしつこく繰り返して、これまで積み上げてきた友好関係をぶち壊し、外交チャンネルをほとんど閉ざしてしまうようなことを続けてきたのは愚の骨頂としか言いようがない。

 「A級戦犯を祀る靖国神社を首相が参拝するのは侵略戦争を正当化しようというものだ」として、侵略された側が怒るのは至極当然の感情なのはよく分かる。そうした感情に配慮することを前提として日本はこれまで周辺各国とつきあってきたはずで、相手が嫌がっていると分かっていることをあえて繰り返して、友好関係をこじらせても得るものは何もないだろう。相手を不必要に怒らせるばかりか、意味のない紛争の「口実」を与えることにもつながる。「過ちの事実」は事実として認識した上で、負の遺産とはきっちりと決別すればよいのだ。

 そういう潔い態度を取れば日本という国はより尊敬されるし、中国や韓国から必要以上にとやかく言われることもなくなる。これは決して譲歩でも弱腰外交でもない。悪いことをしたのは悪かったと認めるのが人としての道なのだから。信頼関係を築くべきところではしっかり築いておいて、その上で対等な立場で主張や交渉をすれば、相手に余計なポイントを与えることもないだろう。小泉首相や自民党タカ派の面々の言動は、外交の選択の幅を狭めているだけでなく、自ら進んで相手に有利なカードを与え続けていることに一刻も早く気付くべきだ。日本の言い分をしっかりと筋を通して主張するためには、不必要な紛争の火種は極力消すように努力しながら、信頼関係に基づいて向き合える環境をつくるしかない。


4月21日(金曜日) 弁護士さんダウン

 夕方から都内の弁護士事務所。「日の丸・君が代」強制に反対する都立高校の先生たちの裁判支援会議に参加。主任弁護士が過労で入院したという。準備書面作成や弁論はもちろん、対外的なスポークスマンとしても活躍するなど、弁護団の中心になって裁判をリードしてきた弁護士だ。取材対応はていねいで分かりやすく、たぶん多くの記者がお世話になっていると思う。僕の書いている記事も細かく読んでくれていて、なにかと便宜をはかっていただいている。寝る暇もないほどの奮闘を目の当たりにしていたので心配していたのだが、疲れが相当たまっていたのだろう。連休明けには復帰できるらしいと聞いて安心した。快復を心から祈っています。会議は珍しく午後9時に終了。久々に早い時間に帰宅できた。


4月22日(土曜日) 門前授業

 午後から都内。今年の卒業式・入学式を総括する教員らの集会を取材する。国歌斉唱の際の不起立を理由に停職3カ月の処分を受けた市立中学校の先生は、処分期間中もいつもと変わらず正門前に登校を続けている状況を報告。「自分が姿を見せることで子どもたちは『なぜ』と考えて何らかのことをつかむだろう」と述べ、「門前で授業をやっているつもりで毎日登校している」と説明した。同じく停職1カ月の処分を受けた養護学校の先生は、「(命令通りに)教員が立って歌えばその次にくるのは子どもたちへの強制なのは明らか」と訴えるとともに、「不起立処分者を支援するという言い方は変ではないか。みんなで不起立すればいいではないか。千人の教員が揃って不起立すれば処分なんてあり得ない」という声があることを紹介した。全くその通りだと思った。


4月23日(日曜日) 教育基本法「改正」と教育現場

 午後から東京・港区。教育基本法「改正」と教育問題を考える市民集会に講師として招かれる。教育行政から学校現場に対して、教育基本法「改正」を先取りする形で進んでいる管理と統制の実態について話をした。とんでもない状況を報告するネタは、取材を通じていくらでもあるのだが、限られた短い時間でまとめるのはなかなか難しい。なんとか無理矢理まとめたけど、それでも規定の時間を少しオーバーしてしまった。「世界」4月号に書いたルポを読んで会場に来てくれた人が結構いたみたいで、いくつかの市民グループから「うちでも話をしてほしい」との依頼を受けた。取材を通じて多くの人から与えてもらったものを還元するという意味からも、記者として問題に感じたことをより広く訴えるという点でも、時間の都合さえつけば僕にできる範囲の協力はさせていただくつもりだ。


4月25〜26日(火〜水曜日) 大阪

 新幹線のぞみで大阪へ。大手法律事務所の新人弁護士に会って話を聞く。ものすごくセキュリティーに厳しい事務所で、各フロアに複数ある執務室に入る際は、弁護士や職員が暗証番号などを打ち込まないと入室できないだけでなく、外部からの訪問者に対してはその都度、「知り得た情報に守秘義務がある」との誓約書を書かせるという徹底ぶりだった。情報漏洩に気を使っているのはよく分かるし大事だと思うけど、こんなに神経質な法律事務所は見たことがないなあ。まるでソフトウエアの開発会社や研究所みたいで驚かされた。取材でいろいろな事務所を訪ねると、拍子抜けするくらいおおらかなところが結構多い。

 夕方、友人のF記者夫妻と大阪・天満で待ち合わせ。韓国料理店に連れて行ってくれた。プルコギ(韓国風すき焼き)、チヂミ、豚肉とキムチの煮込み、ナムルなどを食べながら、マッコリ(どぶろく)を飲む。ボリュームも満点だけど味の方も絶品だ。大いに語って笑って飲み食いした。さらにF記者宅で深夜まで、ジャーナリズムや記者の仕事について熱く議論。メディアの現状やアホな記者や編集者について憂える材料はいくらでもあるから、語り尽くすなどということはまるでない(苦笑)。昼前まで爆睡。遅い朝食後、うだうだと雑談してから大阪を後にした。1年ぶりに会ってすごく楽しかった。ありがとうございました。


4月28日(金曜日) 共感する生き方

 午後から東京・虎ノ門の法律事務所へ。「企業法務や会社の顧問などの仕事は一切しない」と断言する女性弁護士の話を聞く。引き受けるのは、困っている普通の市民や社会的弱者からの依頼ばかりだ。否認事件弁護や住民訴訟の代理人も担当する。どうしても採算度外視になるので、事務所経営は不安定でかなり厳しい。しかし一貫して自分のやりたいことや納得できることだけを、好きなようにやっている姿は実に清々しく思える。高価な服を着て豪華客船で世界一周するといった生活を、楽しいとか面白いとは考えないと話していた。いわゆる「会社のために働く弁護士」とは、立っているところが根本的に違うのだ。もちろん企業や役所の代理人をする弁護士も必要だろうけど、生き方として共感するのは断然、理想と理念をしっかり掲げて自分自身が納得できる仕事を続ける方だなあ。


4月29日(土曜日) 予定調和記事はいらない

 予定調和的な記事を読まされるのはうんざりする。一方的な主張を延々と展開する記事を目にすると、ああマスターベーションだなあと思う。市民運動や政治活動をやっている団体の関係者や、同じような主張をしている人たちにしてみれば、そういうのは読んでいてとても気持ちのいい記事だろう。自分たちの言いたいことを余すことなく展開されていて、対立する事象をこてんぱんに批判しているのだから、これほど痛快なことはない。しかも「これは正義の闘いだ」「あなたたちは決して少数派ではない」などと賞賛され鼓舞されていれば、運動にも弾みがつくというものだ。けれども、そんな一方的で予定調和的な記事が、運動関係者以外の「普通の人」の心に響くとはとても思えない。そもそも見出しやリード(前文)を見ただけで、内容や結論が分かるようなワンパターンな記事を読んでどこが面白いだろうか。

 読者に考えてもらうためには、事実を事実としてきちんと伝えることが大切だ。いろいろな視点から多角的に事実を積み重ねていけば、読者はその中から矛盾や問題点を見つける。記者が押し付けがましい結論を用意しなくても、積み重ねた事実を通じて読者があれこれ感じて考えるのが、「本物の面白い記事」だ。以前、役所の側の言い分をたっぷりと記事の中で書いたことがあった。役人の本音をしっかり引き出すことで、矛盾点が浮き彫りになったと思ったのだが、「どうして役所の主張をあんなに載せるのか」とある運動家に言われた。運動家にしてみれば、役人の言い分なんかにスペースを割くな、自分たちの主張をたくさん書いてくれということなのだろう。しかし一方的な主張だけ書き連ねたチラシと、事実を積み重ねた報道記事とは違う。「普通の一般読者」は、事実を淡々と描いて見せればそこから何かを感じ取ってくれる。

 予定調和のお馴染みの意見だけが並べられた薄っぺらで底の浅い記事は、見出しを眺めただけで結論が見えてしまう。なんとも安易でありきたりの視点でしか取材していないことは、読む人が読めば一目瞭然なのだ。そんな記事をいくら載せても無意味だろう。マスターベーション記事はうんざりだ。


4月30日(日曜日) 藤井さんと西原さんの本

 かなり前に献本していただきながら、パソコンのトラブルや多忙など諸般の事情で、感想をアップするのが大幅に遅れていた本を2冊紹介する。すっかり遅くなってしまった。申し訳ないです。

 一冊目は、朝日新聞記者・藤井満さんの「石鎚を守った男〜峰雲行男の足跡」(創風社出版)。原生林を伐採して建設された愛媛県の石鎚スカイライン建設工事に反対し、開通後も自然環境を守る監視活動を手弁当で続けてきた男の人物像を通して、自然保護と開発行政を描く。朝日新聞愛媛版の連載記事をもとに加筆してまとめたルポだ。自然破壊の現場を歩き回ってパトロールし、県知事に意見書や要望書を出す峰雲行男は、役所から「得体の知れない人物」としてマークされ忌み嫌われたが、営林署や現場の関係者らからは信頼されていたという。厳しく文句は言うが自然公園法や森林法などの法律に詳しく、現場の実態をよく見ているので説得力があったのだろう。批判するだけではなく妥協点を見つけて助言することで、開発行政への歯止めの役目も果たしていたようだ。確かに峰雲はつかみ所がなくて正体不明の風変わりな人物だが、こういう山の代弁者のような人の存在がなければ、デタラメで無法な環境破壊はある程度でも食い止めることはできなかったとも言える。それにしても愛媛県の強烈な「お上意識」は異様だ。県政にものを言う人々を徹底排除しようとする役所の傲慢な姿勢が、峰雲の活動から見えてきた。時代錯誤としか思えない。

 もう一冊は、早稲田大学教授(憲法)・西原博史さんの「良心の自由と子どもたち」(岩波新書)。「日の丸・君が代」の強制や愛国心教育、性教育のあり方などをめぐって、学校教育が子どもたちの「思想・良心の自由」にどこまで踏み込めるのか(踏み込んではいけないのか)が、大きな問題となっている。そうした状況を背景に、そもそも公教育の意味をどのように理解すればいいか、国家や教師と子どもの人権との関係はどうなっているのか、といった問題点について法的に考察しているのが本書だ。教育行政(国家)による学校現場(教師)への介入と、それに伴う子どもたちの「思想・良心の自由」の侵害、さらには公権力が一方的な価値観を強制しようとする問題を批判的に分析する。しかしこの本の最大のポイントは、国家によるイデオロギー的教化だけでなく、教師が一方的な価値判断を押し付ける教育も、子どもたちの「思想・良心の自由」を侵害することに変わりはないと指摘している点にある。国家あるいは教師にとって都合のいいイデオロギーを注入しようとすることによる最大の被害者は子どもたちだ。守り育てていかなければならないのは個人の「思想・良心の自由」を尊重する姿勢であり、自由な議論を通じて自分で考え判断できる環境だろう。


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