身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2007年3月1日〜3月31日

●花粉症最悪●退屈な卒業式に辟易●心に響いた卒業式●君が代伴奏拒否で処分●浅野氏が正式出馬会見●「考える機会」がない生徒たち●安倍首相「慰安婦発言」の愚かさ●浅野氏「控訴取り下げ」示す●「知らせる」ことの大切さ●「浅野発言」の波紋●みっともない安倍内閣●確定申告の準備●4候補予定者が揃ったところで●せっかくの卒業式が号令で●自分の言葉で●「ペンは剣より強し」●原発と電力会社の本質●都知事選など告示●原稿執筆●能登半島で大地震●危機意識の欠如●教員から記者の立場へ●NHK「仕事の流儀/宮崎駿」●石原氏優勢?●ネガティブキャンペーン●沖縄戦住民自決に検定意見●●●ほか


3月1日(木曜日) 花粉症最悪

 今年の花粉の飛散量は例年と比べて少ないという話だけど、本当かなあ。このところ強い風が吹いているにもかかわらず、日中に外に出っぱなしのせいもあって、もろに花粉の影響を受けているようだ。風が強い日は室内に引きこもっているのが最適なんだけど、そうもいかず。おまけに風邪っぽいのも加わったらしい。きのうからダウン。きょうも朝から鼻づまりに鼻水、くしゃみ、目の痒み、喉の痛さ、咳……と最悪の状態だ。薬の量を増やすしかない。


3月3日(土曜日) 退屈な卒業式に辟易

 朝も早くから都内。都立高校で卒業式の取材。なんとも退屈でつまらないセレモニーが延々と続いて、辟易とさせられた。少し前までこの高校では、卒業生がそれぞれ工夫したパフォーマンスを演じながら卒業証書を受け取ったり、どこかピリッと批判精神や問題意識に富んだ演出で式が進んでいたのだが、今年はほとんどそうしたものはなく、パターン化されて面白くも何ともない式典だった。昨年に取材した時も面白さが半減していたが、それよりさらに無味乾燥さが増していた感じだ。

 自由で進歩的な校風を陰から支えていた教員が大量に強制異動させられた影響で、いわゆる「伝統の継承」は見事に断ち切られ、金太郎飴のような学校に近付きつつあるのかもしれない。この学校に限らず、臆せずものを言う教員の強制異動は東京都教育委員会の方針であるらしいが、そこまでガチガチに管理が行き届いた学校にして、どうやって「特色ある学校」をつくろうというのだろうか。まるっきり支離滅裂で矛盾だらけである。上から言われたことを黙って聞くだけの従順な教師や生徒をこしらえても、創造的で独創的な発想が育まれるとはとても思えないんだけどなあ。何をどうしたいのかさっぱりわからん。


3月4日(日曜日) 心に響いた卒業式

 午後から都内。都立高校の定時制の卒業式を取材する。きのうとは打って変わって、感動的でとてもいい卒業式だった。これまで取材でいくつも卒業式を見てきたが、最も心に響いた卒業式だったかもしれない。校長のあいさつは具体的で心がこもっていたし、全日制と比べて生徒数が少ないこともあるけれど、卒業生一人ひとりに声をかけながら卒業証書を全員に手渡すのも新鮮だった。PTA会長の祝辞も、卒業生代表7人が計1時間ほどかけて読み上げた答辞も、それぞれ自分の言葉で率直な思いを語っていた。どのメッセージもきっと、参列者全員のハートにまっすぐに届いたのではないかと思う。ただし、東京都教育委員会から派遣されてやって来た指導主事の祝辞を除いて。

 都教委の指導主事のあいさつは、あらかじめ用意されている定型の文章を少し手直ししただけのもので、人の心を打つにはおよそほど遠い代物だ。実は彼らはどの高校でもすべてほぼ同じ内容の祝辞を述べているのである。当然のことながらそこには何の感情も込められておらず、もちろん何の感動も呼び起こさない。自分の言葉で話をしたほかの人たちとの違いは、だれの目にも歴然としていた。明らかに場違いで浮き上がった存在だけど、たぶん本人は自覚していないだろうな。ロボットだから。この例外を除いて、思わず拍手したくなる素敵な卒業式だった。


3月5日(月曜日) 君が代伴奏拒否で処分

 午後から東京・水道橋の東京都教職員研修センターへ。その後、都庁記者クラブへ。昨年11月の都立高校の周年行事(創立記念行事)で、「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして、東京都教育委員会はこの日、音楽専科の女性教諭に減給10分の1(1カ月)の懲戒処分を発令した。研修センターに呼び出されて処分説明書を受け取った女性教諭は、「伴奏できないことは伝えてあったし、あらかじめ用意されていたCDで即座に君が代が流され、式典はなんら滞りなく進行した。東京地裁は『不起立や不伴奏を理由としていかなる処分もしてはならない』とする判決を出している。全く納得できない不当な処分だ」などと訴えた。

 女性教諭は、今月予定されている卒業式でもピアノ伴奏を命じられているが、「伴奏はできないと校長に伝えてある。いくら処分されてもこの気持ちは変わらない」と話した。

 今回の処分は、「都教委の通達や職務命令は違法。いかなる処分もしてはならない」とした昨年9月の東京地裁判決(9月21日付「身辺雑記」参照)が出されてから初めて。女性教諭はこの裁判の原告の一人でもある。一方、最高裁第三小法廷は、都内の市立小学校の音楽教諭が戒告処分の取り消しを求めた訴訟で、「君が代のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を定めた憲法19条に反しない」と判断し、教諭の上告を棄却した(2月27日付「身辺雑記」参照)ばかりだ。関係者や教諭の代理人弁護士は、「この時期の処分発令に政治的な意図を感じる。都教委は最高裁判決で処分のお墨付きを得たと考えているかもしれないが、都教委通達に基づく職務命令違反事件とは、争点や判断すべき対象が違う」と都教委の姿勢を批判した。

 強風が吹き荒れた一日。やっぱりというか案の定というか、花粉症の症状悪化で、もうボロボロである。


3月6日(火曜日) 浅野氏が正式出馬会見

 午後から都庁記者クラブへ。前宮城県知事の浅野史郎氏の都知事選出馬会見。これが正式な出馬表明になる。記者会見場には100人以上の記者と十数台のテレビカメラの放列であふれ返った。

 「出馬表明にあたって」と題する文書を配って、基本姿勢を説明した浅野氏は、「石原都政はもうたくさん、という悲鳴にも似た声が寄せられた。社会的弱者に対する差別的発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場など、こういった都政を改革するために立ち上がらなければならないと思った」などと出馬理由を述べた。また、「都政の手法として、強制、管理、抑圧といった側面を強調するような手法とは決別する」との都政運営の基本姿勢も示した。

 教育現場の荒廃について浅野氏は、「日の丸・君が代」強制の問題を挙げ、「私自身は日の丸も君が代も大好きだ。しかし、それらについていろいろな態度を取った教師に強制し、戒告処分をするというのは、教育現場にはまことに似つかわしくない。それを生徒はどういうふうに見るだろうか。恐怖政治だろう」と指摘し、東京都の教育行政の手法を厳しく批判した。

 会見場はごった返して記者があふれ返っているし、正式な都庁記者クラブ員じゃないオブザーバーの立場だし、時間は限られているし、突っ込んだ質問をしたかったけど残念ながら無理だった。「日の丸・君が代」の強制をめぐる裁判で、「都教委の通達や職務命令は違法。いかなる処分もしてはならない」とした昨年9月の東京地裁判決(9月21日付「身辺雑記」参照)について、都知事になったら東京都の控訴を取り下げるつもりはあるかどうか、せめてそれくらいはなんとか浅野氏の方針を確認したかったんだけどなあ。別の機会があれば、ぜひ質問をぶつけてみたい。


3月7日(水曜日) 「考える機会」がない生徒たち

 午後から東京・渋谷。都立高校を今春卒業する女子生徒たちに話を聞く。自分たちの卒業式をつくろうと生徒で話し合ったり、学校のミニコミ紙で表現したりといったことが、だんだん少なくなってきているのは、この学校に限ったことではない。社会問題や生徒自治などへの関心が薄くなる傾向は前からあったが、この2年間で確実に加速した感じがする。それがどうしてなのか疑問に思っていたのだ。生徒たちの話をいろいろ聞いて、社会的な問題に関心がないわけではないけど、知らないから考えることがない、考える機会がないから友達と話題になることもない、だから何かしようということにもならない…といった構図が浮き彫りになった。

 どうやら、「知る機会がない」「知らされない」というのが大きいようだ。「知れば興味が沸くし考える」と彼女たちは言う。例えば授業の中で教師が、教科書に書かれていない現実社会の問題について触れれば、そこから興味や関心は大きく膨らむし、疑問に感じれば自分でさらに詳しく調べてみようという気にもなる。ところがそういう授業をする教師はあまりいない。もちろん一方的な主張を授業で展開するのは論外だが、しかし「考えるための材料」を多角的に紹介するのは、生徒が問題意識を持って自分の頭で考え、自立した人間として成長するためには必要なことだろう。それこそが教師の果たすべき本来の役目である。

 生徒に問題意識を持たせるような意欲的な授業をする教師が、このところ確実に少なくなってきている。教師の裁量がどんどん制限され、教師が自由にものが言えなくなっている現状と、これは決して無関係ではない。教科書に載っていないようなことを下手に語ると、懲戒処分の対象にされて自分の身が危うくなる。そう考えてビクビクしながら、無難に当たり障りのないことだけを教えればいいやと、淡々と授業を進める教師が実際に増えているのだ。為政者にとっては、まさに願ったり叶ったりの展開に違いない。これこそが狙いなのだろう。僕が権力者だったら、シモジモの者たちには疑問に感じたり深く考えたりしないでもらいたいと思うもんね。東京都教育委員会の「都立高校改革」は見事に実を結んでいる。


3月8日(木曜日) 安倍首相「慰安婦発言」の愚かさ

 小泉前首相はある意味で天才的な詐欺師だったから、理屈にならない理屈をワンフレーズで繰り返すことによって多くの人が騙されたが、安倍首相はいかにも頭の悪い言い訳めいた発言を繰り返してくれるので、ある意味で対処しやすい。取材で会ったある人がそんなふうに評していた。従軍慰安婦をめぐって、安倍首相が「狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった」などと必死になって発言しているが、これこそまさに、頭の悪い人だなあと思わせるのに十分な光景だろう。そもそもそんな「過去の過ち」をなかったことにするような発言をして、日本の国になんのメリットがあるのか、さっぱり分からない。

 従軍慰安婦が存在していたのはまぎれもない事実であり、そこに政府や軍が直接的あるいは間接的に関与していたのも、まぎれもない事実である。狭義だろうが広義だろうが、本人の意思に反して無理やり慰安婦にされたなら、それを普通は「強制」と呼ぶのだ。にもかかわらず「狭義の強制性はなかった」と強弁するとは、みっともないにもほどがある。それが「美しい国」の首相のすることなのか。慰安所設置や慰安婦移送への軍の関与を認めて謝罪した河野洋平官房長官談話について、安倍首相は「基本的に継承する」としているが、その発言の白々しさが際立つばかりだ。

 安倍首相の発言には、韓国、中国、台湾、フィリピン政府が反発しているばかりか、米国でも非難の声が噴出している。NYタイムズなど主要メディアも批判的に大きく取り上げているが、これに対して安倍首相が、「自分の発言がねじ曲げられて報道されている」などと開き直っているのが、なんとも言いようがなく不様だ。そのまんまの事実の報道とストレートな反応ではないか。「捏造だ」とか「ねじ曲げられている」と繰り返せば、自分の言動がすべて正当化され、相手が間違っていることになると思ったら大間違いだ。

 そして、なんといっても最大限に頭の悪さを発揮しているのが、今のこの時期に、こうした発言をする愚かさと無神経さだろう。ベトナムで開かれた日朝国交正常化作業部会で、拉致問題を取り上げて早期解決を図りたいとしながら、「過去の過ちをなかったことにしたい」としか思えないような発言を首相がすれば、どのような影響を生じるか。そんなことさえも理解できないところが、安倍首相の度し難い愚かさを象徴している。

 韓国、中国、米国の理解と協力と支援なしに、拉致問題が解決できるわけがなかろう。拉致問題を解決したいと本気で思っているのかさえ疑わしい。日本国民の北朝鮮に対する嫌悪感を煽るのが本当の目的で、拉致問題を政治的に利用したいだけではないかとさえ思わせる言動だ。拉致問題は人権問題であって、最悪の人権侵害だと主張するのなら、同じように従軍慰安婦の問題も人権問題であり、最悪の人権侵害であることに変わりはない。人権問題を語ろうとしながら、もう一方の人権問題はなかったことにしようとする。その矛盾に気がつかないところが、安倍首相らしさなのかもしれない。そもそもまともな人権感覚のある人物なら、歴史的事実をねじ曲げて否定するかのような言動はしないだろうけどね。


3月9日(金曜日) 浅野氏「控訴取り下げ」示す

 2カ月半ぶりに髪の毛をカット。やや短かめにすっきりした頭になって、夕方から東京・中野へ。都知事選に出馬表明した前宮城県知事の浅野史郎氏を、勝手連的に支援する市民グループ主催の集会「浅野さんと都民が東京を語る会」を取材する。都知事選を戦うに際しての決意表明とも言える浅野氏のトークをメインに、市民からの応援メッセージのほか、弁護士から公職選挙法の説明など。

 集会終了後、浅野氏は即席の記者会見に応じた。この中で浅野氏は、石原都政が進める教育現場の「日の丸・君が代」強制問題に触れて、「強制し、従わないからといって(教師を)懲戒処分にするのでは、学校現場はメチャクチャになる」と述べ、出馬会見の際と同じ発言を繰り返した。さらに、「東京都教育委員会の通達や職務命令は違法。いかなる処分もしてはならない」とした昨年9月の東京地裁判決(9月21日付「身辺雑記」参照)を不服として、東京都が控訴したことについて、「都知事になったら控訴を取り下げる」との考えを明らかにした。記者(大岡みなみ)の質問に答えた。

 やっと、なんとか浅野氏に質問することができた。ところが、浅野氏は「司法の判断ですからね。(控訴の取り下げは)今の当事者が考えるべきでしょう」と意味不明の答えをしたので、会見終了後にさらに食い下がって単独で質問したところ、「(当選して都知事になったら)自分が当事者として判断する。強制や処分はおかしいと考えているので、おのずとそうした考えに従って考えていく」と述べた。「控訴を取り下げる方向で考えていると理解していいのですね」と重ねてたずねると、浅野氏は「そうですね」と答えた。

 それにしても、あれだけたくさんの記者が浅野氏を取り囲んでいながら、石原都政の最大の争点の一つであるはずの教育問題について、どうしてもっと突っ込んだ質問をしないのだろう。ほかの記者の反応の鈍さと問題意識のなさには驚かされる。強制と管理と抑圧による「恐怖政治のような教育現場」で何が起きているのか、卒業式シーズンまっただ中で何が起きているのか、そうした石原都政に違法の判断を下した地裁判決の意味と、それに対して東京都が控訴したことの影響をどのように理解しているのか。6日の出馬会見の時も、石原都政の「日の丸・君が代」強制問題について浅野氏の姿勢を問いただしたのは、1社だけ(TBSの記者)だった。


3月10日(土曜日) 「知らせる」ことの大切さ

 早朝に弁護士さんから電話。僕の最新刊の単行本「教育の自由はどこへ」を読んでくれたそうで、弁護士会で話をしてほしいとの講演依頼だった。よく取材していて分かりやすい内容だったと、単行本の感想をいただく。評価してくださってありがとうございます。憲法や教育基本法、子どもの人権を守る観点から、教育現場がこれからどうなっていくのか、どうすればいいかについて考えたいという。僕でよければできる範囲で協力したいし、日程的には空いているみたいなので了解の返事をする。

 取材の成果は、記事や単行本など活字にして残すだけでなく、できるだけいろんな形で社会に還元していければと思っている。新聞記者を辞めてフリーの立場でジャーナリスト活動を始めてから、そんなふうに考えるようになった。以前は、取材した内容は記事にすればそれで完結すると思っていたし、記者にとっては書いた記事がすべてであると信じていたが、「事実を知って考えてもらう」ための機会は、多ければ多いほどいいと最近は実感する。僕たちが思っているほど、人々は新聞を読んだりニュースを見たりしていない。記者が考えているほど、人々は社会の出来事を知らないし、関心を持って注視してもいない。

 しかし、新聞を読む習慣がほとんどない大学生たちに、授業で社会問題について話をすると、学生たちの目の色は確実に変わってくる。例えば、東京都教育委員会が都立高校の現場で「日の丸・君が代」を強制している実態や、それに対して教師や生徒や保護者がどんな思いでいるかということについて、僕がこれまでの取材に基づいて知り得た事実を淡々と述べていくと、それまでざわついていた大教室は静まり返る。そして学生たちは食い入るように僕の話に耳を傾けてくれる。授業後の感想用紙には、「東京の教育がそんなふうになっているなんて知らなかった」「日の丸・君が代の好き嫌いは別にして強制はおかしい」「自分でももっと調べて勉強したいと思いました」などと、ぎっしりと感想が書かれてくるのだ。知ることによって人は変わる。それはほかの講演や学習会でも同じだ。そんな反応を目の当たりにして、記事を書くだけでなく、あらゆる方法で「伝える」「知らせる」ことの大切さを痛感している(3月7日付の「身辺雑記」も参照)。

 事実を知らなければ「考える」ことはできない。事実を知れば関心を持ち、考えようとするだろう。事実を知って、そこから初めて人々は「考える」ことを始める。だから知るための機会やチャンネルはできるだけ多い方がいい。さまざまな手段で「知らせること」が必要なのだ。伝える(知らせる)ことを仕事にしている僕たち記者は、そういう伝える努力をもっとした方がいいと思う。


3月11日(日曜日) 「浅野発言」の波紋

 東京地裁の「日の丸・君が代」強制違憲判決について、前宮城県知事の浅野史郎氏が「都知事になったら控訴を取り下げる」との考えを明らかにした、という3月9日付の「身辺雑記」の記事が、いろいろなところで波紋を呼んでいるようだ。この記事をHPで公表してから、あっという間にさまざまなサイトにリンクが張られ、アクセス数が通常の何倍にもはね上がっている。10日の昼過ぎに、「レイバーネット」や「阿修羅」といった左派系のニュースサイトや掲示板にこの記事が紹介されたのがきっかけで、そこから次々にリンクが張られていったらしい。

 もちろん、なるべく多くの人に読んでもらうためにこの記事を書いたわけだから、いろいろなサイトやブログにリンクが張られ、アクセスが殺到するのはいいことだ。しかし興味深いのは、10日の深夜ごろから、右派(保守系)の複数のブログにもこの記事が転載され、悪名高い(笑)巨大掲示板群の「2ちゃんねる」からもリンクが張られたことである。それらのサイトでは早速、「控訴取り下げ」を明言した浅野氏を「売国奴」「非国民」呼ばわりして、バッシングやネガティブキャンペーンが繰り広げられている。その一方で、左派系のサイトやブログでは、「控訴取り下げ」発言を高く評価し、浅野氏支援を呼びかける書き込みが増えている。

 「日の丸・君が代」問題の奥の深さを、今さらながら痛感しているとともに、ネット右翼の活躍ぶりにはいろんな意味で驚かされている。ただ、ここで僕が言えることは、浅野氏の発言に対してどんな反応があるにせよ、有権者には公人になろうとする人の「具体的な姿勢や施策」を知る必要があり、そうした発言を引き出す責任が記者にはある、ということだ。

 9日付の「身辺雑記」でも書いたが、石原都政の最大の争点の一つであるはずの教育問題について、あるいは「恐怖政治のような教育現場」で起きていることに対して、そして、「都教委の通達や職務命令は違憲・違法」と断じた東京地裁判決を不服として東京都が控訴したことに対して、浅野氏がどのように対応するつもりなのかは、有権者としても、記者としても、個人的にも、どうしても知っておきたい(知っておくべき)ことだと思った。それで、浅野氏に食い下がって、あのような形で発言を引き出したというわけだ。

 僕個人としては、浅野氏にはぜひとも「控訴取り下げ」ができる立場の都知事になっていただいて、そして実際に控訴を取り下げることによって、「都教委の通達や職務命令は違憲・違法。いかなる処分もしてはならない」とした東京地裁判決(難波判決)を確定させてほしいと思う。そうすれば、都教委の通達と職務命令はすべて違憲・違法ということで無効になるのだから。取材を通じて、あまりにもひどい強制と管理と抑圧による東京都の公立学校の惨状を、目の当たりにしてきた。そんな教育現場の実態は、単行本「教育の自由はどこへ」に書いた通りだ。どう考えてもまともとは思えないこの現状に、とにかく歯止めをかけてほしいと願っている。


3月13日(火曜日) みっともない安倍内閣

 水道・電気・冷暖房費がすべて無償(タダ)の議員会館に事務所を構えながら、5年間で約3千万円の光熱水費を堂々と政治資金収支報告書に計上した松岡農水相は、参院予算委で追及が始まって1週間が経っても、いまだに驚異的な粘り腰を続けている。「なんとか還元水をつけている」「法律に従って適切に報告した」「内容にわたること(説明)は差し控えたい」などとひたすら繰り返す厚顔無恥さは、普通の人間にはちょっと真似ができない芸当だろう。呆れ果てたみっともなさである。

 かかるはずのない光熱水費を計上したこと自体が問題なのは当然だが、それよりももっと問題なのは、理由にならない理由で一切の説明をしない態度だ。説明しようにも説明できないのはだれもが分かっている。まともな感覚を持った真っ当な日本人だったら、ここで白旗を掲げて素直に非を認めるだろうに。だれがどう聞いたって耳を疑うような言い訳を平然と披露するばかりか、「法律や制度の定めにないから説明は差し控える」と開き直るとは、国民を愚弄するにもほどがある。

 そして極め付きが安倍首相の態度だ。「法律に従って報告している」と公然と松岡農水相を擁護するのである。これのどこが「美しい国、日本」なんだ。ここまで「道徳的」でない大臣のどこが子どもたちのお手本になるのか、さっぱり分からない。

 ちなみに安倍内閣の目指す日本の姿は、「世界の人々が憧れと尊敬を抱き、子どもたちの世代が自信と誇りを持つことができるように、活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた国」なのだそうだ。そして、「公共の精神や自律の精神、自分たちが生まれ育った地域や国に対する愛着愛情、道徳心、そういった価値観を今までおろそかにしてきた。こうした価値観を、しっかりと子どもたちに教えていくことこそ、日本の将来にとって極めて重要である」とおっしゃる(安倍首相の施政方針演説から)。ほとんどギャグとしか思えない。教育再生だの憲法改正だのと寝ぼけたことを言う前に、まず自分たちの反社会的な姿勢を反省してしっかり再生しなよ。


3月14日(水曜日) 確定申告の準備

 確定申告の書類提出のための準備。源泉徴収票や領収書を整理して、ひたすら電卓を叩き、計算した数字を書類に書き込んでいく。書類が複雑で記入の仕方がよく分からないところがあるので、とりあえず分かる部分だけ埋めて、あとは税務署で税理士に教わりながら書類を完成させる、というのが僕のいつものパターンである。ああ、それにしても本当に面倒くさい。明日が確定申告の最終日なんだけど、やっぱり締め切り直前のぎりぎりになってから、ドタバタと慌ててやっつけるのもパターンだよなあ。困ったもんだ。なんとか最終日には提出できそうだから、まあいっか(笑)。


3月15日(木曜日) 4候補予定者が揃ったところで

 確定申告の最終日。滑り込みセーフで書類を提出。全く面倒くさいったらありゃしない(汗)。夕方から東京・中野へ。東京青年会議所主催の「都知事選公開討論会」を取材。都知事選に立候補を予定している浅野史郎(前宮城県知事)、石原慎太郎(都知事)、黒川紀章(建築家)、吉田万三(元足立区長)の4氏(五十音順)が出席したが、石原都知事は「公務のため」という理由で30分ほど遅れて登場した。なんだか演出っぽいが、大物の印象を与える効果は確実にあったと思う。事実、石原氏がいない3人だけの時は、今いち盛り上がりに欠ける感は否めなかったけどね。

 そして石原氏は開口一番、「喉を傷めていてね、本当は裕次郎くらいいい声なんですけどね」などと発言するのだ。自分を売り込むポイントをちゃんと心得ているところは、さすがというか計算高いというか抜け目ない。討論会は、防災都市と予算、オリンピック招致と巨大開発、交通渋滞と道路建設、地球温暖化、地方分権といった問題について議論が進んでいった。よく聞くありきたりな話の繰り返しで、エキサイティングなバトルや激論はさほどなくて、あまり面白いとは思えなかった。やや聞きごたえがあったのは、「三国人」発言など石原氏の差別的・ナショナリスト的な言動をめぐる応酬の部分くらいかなあ。教育現場への管理と統制(「日の丸・君が代」強制)の問題は避けて通れないはずなのに、まるで触れないで通り過ぎたのは物足りないというか、納得できない。この後、立候補予定者4人は「報道ステーション」と「NEWS23」に揃って生出演するというが、これならわざわざこんなところに来ないで、自宅でテレビを見ていた方がよかった。

 そう思っていたらTBSの「NEWS23」で筑紫哲也が、「日の丸・君が代」強制問題について、ずばり4候補予定者の姿勢をただしていた。(学習指導要領の位置付けや教育委員会の独立性の問題など)事実認識の誤りや甘さがあったり、それへの突っ込みがなかったりしたほか、そのほかの争点と比べて具体的な対応策に欠けるなど議論はかなり空回りしていたが、少なくともこの問題に対する4人の姿勢はよく分かった。あえて「日の丸・君が代」を争点として出した「NEWS23」スタッフの見識を評価したい。

 きょうの公開討論会とテレビ討論を聞いていて、石原氏のタカ派的な姿勢はいつものことだが、巧さとしたたかさを改めて認識させられた。パワーは衰えているが石原氏の存在感はやはり絶大だ。それとともに、泡沫候補だと思っていた黒川氏の言動が意外にも面白く、かき回しているだけとしか取れない根拠のない発言も多いが、結構得票するのではないかとも思わされた。「反石原」とされている浅野、黒川、吉田の3候補予定者の得票は、かなり割れて分散するのではないかという気がしてきた。

 ちなみに、この「身辺雑記」で紹介した浅野史郎氏の「控訴取り下げ発言」(東京地裁「日の丸・君が代」強制違憲判決に対する控訴取り下げを明言)に関することだけど、浅野氏はきょう発表したマニフェストで、第5章「教育政策」のトップ項目として「『日の丸・君が代』問題についての強制的な対応を改めます」との政策を掲げた。具体策は書かれていないが、「控訴取り下げ」を含めて都教委通達と処分の見直しを指しているのは明らかだと思われる。


3月16日(金曜日) せっかくの卒業式が号令で

 朝から都内。都立高校の卒業式を取材する。この学校ではクラス単位で一括して卒業証書を授与されるのではなく、卒業生一人ひとりに壇上で卒業証書が手渡されるのだが、そのたびに式場の在校生や卒業生から「◯◯ちゃーん!」「◯◯子ーっ、かわいい〜っ!」などとたくさんのかけ声がかかるのが面白い。それに応じて壇上でおどけて見せるなど、パフォーマンスをする卒業生もいる。声がかからない卒業生は皆無というのもいい。それだけにここの卒業式は毎年3時間近くに及ぶのだが、校長や教育委員会の役人の紋切り型のあいさつを除いてさほど退屈はしない。

 問題なのは式典の節目ごとに司会の教員が、いちいち「一同、起立」「礼」と号令をかけることだ。そんな号令で指図される覚えはないし不愉快きわまりない。そればかりか、せっかくの和気あいあいとした一体感を持った雰囲気が、一気にぶち壊しになって冷めてしまうのである。実にもったいないと思った。

 学校関係者の話によると、別に校長から命じられて号令をかけているわけではないそうで、これまでの様式に従ってやっているだけだそうだ。しかしほかの都立高校の卒業式と比較しても、この学校の号令の数は異様に多いと思う(1・5倍くらい)。授業の最初や終わりの号令にしても、小・中学校や高校の教師は号令をかけるのが当たり前だと思っている人が多い。「けじめ」として必要不可欠と考えているのかもしれないが、「おはようございます」「じゃあ始めようか」などのあいさつだけでも十分ではないか。教師という人種は、本当に号令をかけるのが大好きなんだなあと思う。大学では大教室でも語学など少人数の教室でも、号令をかけることなどない。本当に必要なのか考え直して見ることも大事だろう。

 卒業式の取材を終えて、東京・高田馬場へ。駅前のマクドナルドで別の都立高校の卒業生から話を聞く。卒業式や教育問題についての認識など。新聞記者を辞めてからはいつもジーンズにジャケットというラフな格好なのだが、このシーズンはスーツを着てネクタイを締めるので、なんだかとっても疲れる。といっても新聞記者時代も、記者クラブ以外ではジーンズが多かったんだけど(笑)。

 帰宅後、あちこちに電話で確認取材など。その合間になぜか、あちこちから電話がかかってくる。深夜までそんな状態が続く。大好きなテレビもゆっくり見ていられない。


3月17日(土曜日) 自分の言葉で

 午後から都内。都立高校定時制を卒業したばかりの卒業生に、学校生活や卒業式への思いなどを聞く。卒業生代表の一人として挨拶した女子は「群れたり他人に依存したりしないで、自立した生き方を大切にしようということを伝えたかった」と話し、国歌斉唱の際に着席した男子は「自分はどう思うのか、どうすればいいのか、みんなの意見を聞きながら考える授業を先生はしてくれた。自分の成長につながっていると思う」と振り返った。聞いてほしい伝えたいという思いがたくさんあったみたいで、それぞれ自分の言葉で一生懸命に語ってくれた。初めに会った女子は約3時間、2人目の男子は2時間近くの取材になった。聞いていて話が面白いのであっという間に時間が過ぎたという感じだ。原稿にまとめる際は、字数の関係でごく一部しか紹介できないのが残念だ。


3月20日(火曜日) 「ペンは剣より強し」

 今年から僕が愛用しているネクタイピンは、新聞労連(日本新聞労働組合連合)でもらったものだが、そこにはペン先をあしらったシンボルマークとともに、こんな言葉が刻印されている。

 「CALAMVS FORTIOR GLADIO」

 ラテン語だ。英訳すると次のようになる。

 「The pen is mighter than the sword.」

 つまり日本語だと、だれもが知っている有名な「ペンは剣より強し」という言葉である。「いかなる圧力にも屈しないぞ」という世界中すべてのジャーナリスト共通の誓いの言葉というわけなのだろう。だが実際には、ペンは剣の前では実にもろくて弱い存在だ。一発の銃弾、一突きの刃、暴力行為、脅迫行為といった「力」によって、あっという間に蹴散らされてしまう。国家権力や財界の力に比べたら、ペンの力などたかが知れているどころか、圧倒的に小さなものでしかない。無力感にさいなまれることの方がむしろ多い。

 しかし、「もしかしたらペンは剣より強くなれるかもしれない」と希望を感じることもある。自分の書いた記事に対して、「こんな現実があるなんて知らなかった」「考えさせられた」といった感想が寄せられた時だ。「事実」を一つずつ積み重ねることによって、記者の「伝えたい」との思いが読者の心に伝わり、それが考える材料や行動するきっかけになってくれれば、ちっぽけなペンがつむぎ出す言葉も決して無力とは言えないかもしれないし、いつかは大きな力になるかもしれない。読者から寄せられるメッセージは、記者を大いに勇気づける。記者にとっては何よりの元気の源だ。無力感に陥っている暇などない。だから、僕は誇りと自覚を持って「ペンは剣より強し」のネクタイピンを胸にする。めったにスーツは着ないけど(そういうオチかよ)。

 ちなみに読者といってもいろいろな読者がいるわけで、ホンモノとニセモノの区別がつかない読者は困ったものだと思う。上っ面の話を玄関先でちょこちょこと聞いて、発表された文書を右から左に丸写しにしただけの記事を、「渾身の臨場感あるルポ」などと評しているのを目にすると、そりゃないだろうと脱力してしまう。同業の記者から見れば、ろくすっぽ取材をしていない薄っぺらな記事か「渾身のルポ」かは一目瞭然なんだけどなあ。見る人が見れば、取材力や文章力の有無はすぐに分かる。それなのに味噌も糞も一緒くたにされると、正直なところがっかりする。まあ、編集者の中にも見る目がない人はたくさんいるから、読者が見抜けずにだまされるのも仕方ないかもしれない。


3月21日(水曜日) 原発と電力会社の本質

 北陸電力の志賀原発1号機で、制御棒が抜け落ち臨界状態になっていた事故が8年後に発覚したニュースは、ああやっぱり原子力発電所(電力会社)の隠蔽体質は終始一貫しているんだなと改めて思い起こさせる。原発事故や隠蔽が起きるたびに、この「身辺雑記」では必ず米国映画の不朽の名作「チャイナ・シンドローム」を紹介してきたが、今回もまたしつこくお勧めしたい。この映画を見れば原発や電力会社の本質はすべて分かる。とにもかくにもまずは見てほしい。そうすれば、原発と電力会社がいかにうさん臭い存在か痛感するはずだ。しかも映画としても楽しめる。大学の授業でも毎年必ず学生に見せているが、学生たちの反応は毎回とてもよい。

 日本国内の発電量に原発が占める割合は増え続けている。電力会社はテレビCMや新聞広告で、「これだけ原発が稼動しています」「水力や火力とともにバランスよく発電しています」などと宣伝しているが、原子力発電の割合をどんどん増やしておきながら、よくもそんなことが言えるものだと思う。そもそも原発は、安全性と電力会社の管理体制に大いに疑問があるだけでなく、放射性廃棄物の処理の点でも問題があり過ぎる。

 原発を全面停止するのは非現実的かもしれないが、原子力発電にはなるべく頼らないようにするとか、電力使用量をできるだけ減らそうとか、せめてそうした工夫や発想はできないのか。日本国内のすべての電力会社が、映画「チャイナ・シンドローム」で描かれたような電力会社ではないと断言できるのならば、過度な原発依存を今すぐ改めるべきだろう。


3月22日(木曜日) 都知事選など告示

 都知事選など、全国13の都道県知事選が告示。徹夜で原稿執筆していて仮眠していた午前9時前、ケータイの呼び出し音に起こされる。「浅野さんの第一声の場所はどこ!」。前宮城県知事の浅野史郎候補を都知事選に担ぎ出した勝手連の主婦の焦ったような興奮気味の声が、受話器の向こうから聞こえてくる。「ええっと、新宿の西口あたりじゃないんですかぁ…」。相手は僕が、都知事選告示の取材に出ているとばかり思っているようだが、あいにく原稿執筆に追われていてそんな暇はないのだった。それにそういう取材は、デイリーな出来事のフォローを日常業務としている報道機関にお任せしておけばいいし、お昼のニュースでのんびり拝見しようと思っていたのだ。「あ、浅野さんの取材してないんだ。ごめん、ほかの人に聞く!」。そう叫んで電話は切れた。「頑張ってくださいね」と応答したけど相手には聞こえたかなあ。ちなみに、浅野候補は都庁第1本庁舎前で第一声の演説をしたそうです。石原慎太郎候補は立川駅前、吉田万三候補は新宿駅西口だとか。でもって地元神奈川の知事選も告示だけど、こっちは盛り上がってないよなあ。


3月23〜24日(金〜土曜日) 原稿執筆

 そんなわけで引き続き原稿執筆。24日の朝にようやく出稿。写真も送信。だがしかし風邪でダウン。午後から予定していた取材はキャンセルし、来週に延期してもらった。申し訳ありません。


3月25日(日曜日) 能登半島で大地震

 昼過ぎに起きたら、能登半島で大地震発生のニュースが流れていた。震度6強っていったら結構大きいじゃないか。穴水町や輪島市などが被災地として報じられている。昨年8月に石川県高校教職員組合の地区教研集会に招かれて話をした後、穴水や輪島地区を案内してもらったので、他人事とは思えずとても心配だ。しばしテレビの画面に釘付けになる。


3月26日(月曜日) 危機意識の欠如

 午前中から「とあるメディア問題」の取材のために、あちこちに電話をかけて情報収集。その合間に、都立高校の卒業式や新年度の大学授業についても確認のための電話を入れる。夕方から市内で友人と夕食を食べながら4時間近く雑談。メディア関係者の「危機意識の欠如」「世代間ギャップ」がテーマとなった。イマドキの「コピペ記者」の問題意識のなさは絶望的だ。だからジャーナリズムが危機的状況だというのに、感度が鈍くて全く反応しないんだって。しかし空気を読むことにだけは長けているんだそうだ。なるほどそりゃかなりヤバいね。帰宅後、編集部から送られてきたルポ原稿のゲラを、大急ぎでチェックして返送。


3月27日(火曜日) 教員から記者の立場へ

 僕の授業を受けていた学生から、家族が被害者となっている事件について私的に相談をされたのだが、これは記者としてきちんと取材した方がいいと思ったので、直接ご本人に会って3時間近く話を聞いた。具体的なことはまだ書けないが、一言でまとめると「教育の看板が泣くデタラメ教育産業の実情」ということになるだろう。教室や先生をきちんとフォローできておらず、調整機能や説明責任もまともに果たせない「無能な本部社員」にとにかく驚いた。大切な顧客である生徒を振り回す結果になっていることを、本部はどう考えているのかぜひ知りたい。上納金によって利益さえ確保できれば、生徒のことなどどうでもいいのだろうか。なんだかなあ。図書館で調べもの。成果はまあまあ。

 NHK「仕事の流儀/宮崎駿」 帰宅後、NHK総合テレビで「プロフェッショナル/仕事の流儀/宮崎駿」を見る。等身大の宮崎駿を見ることができて面白い番組だった。「もののけ姫」以降の宮崎作品は、天真爛漫さやほのぼのとした楽しさがなくなって全然面白いとは思わないが、それでも創作家としての宮崎駿の立ち居振る舞いはカッコいい。作品をつむぎ出す(創造する)過程と苦悩が垣間見れてなかなか興味深かった。なんといっても最大の見せ場は、「ゲド戦記」の試写会で宮崎駿が途中退席する場面だろう。息子が作った「ゲド戦記」は最低最悪の作品だ。はっきり言って何が言いたいのかさっぱり分からない。それを見た父親の宮崎駿が、不機嫌になるというよりもむしろ「いたたまれない」といった表情を見せるのは、なんとも切ない。とぼとぼと帰っていく宮崎駿の背中がすごく小さく見えた。なにはともあれ、プロデューサーは出しゃばらない方がいい。金の勘定と環境整備に徹していればいいと思うぞ。途中で猛烈な睡魔に襲われて少しうとうとしたけど、それは睡眠不足によるもので番組のせいではない。


3月28日(水曜日) 石原氏優勢?

 電話で取材と情報収集。古巣の新聞社にも問い合わせの電話を入れる。大先輩の記者(編集幹部)がとても親身に対応してくれて、励ましの言葉までかけてくれたので感激した。この会社はあたたかい人が多いのだが、器の大きさを感じた。見習いたい。花見&飲み会のお誘いや集会案内、講演の打ち合わせ要請など、メールや電話が次々に入ってきて慌ただしい。手帳が真っ白だと悲しいものがあるので、そこそこ忙しいのは感謝すべきなのだろう。

 都知事選の情勢調査報道は、3月20日付や3月27日付の朝日新聞も、3月26日付の共同通信の配信記事も、「石原氏優勢、追う浅野氏」とはっきり強弱をつけている。「石原氏が支持を拡大し、浅野氏にやや差をつけている」「浅野氏は無党派層での支持が伸びておらず…」といった調子だ。こんな状況で浅野氏は大丈夫なのだろうか。ちなみに吉田氏と黒川氏については、「吉田氏は共産支持層以外には浸透しておらず、黒川氏は支持に広がりが見られない」(朝日)と簡単に片付けられていて、早くも泡沫候補扱いである。

 「このままでは危ない」と書くことで危機感を煽るのもメディアの手法ではあるが、本当に浅野氏の支持が伸びていないのだとしたら、現状のままでいくと石原氏3選という結末が待っている。「都知事選自体が盛り上がっていない」といったテレビ報道も出ていて、そのあたりもちょっと気になるところだ。浅野陣営や浅野氏の支持者には危機感や緊張感が希薄なように感じる。


3月30日(金曜日) ネガティブキャンペーン

 午後から東京・本郷の新聞労連。取材で必要な参考資料をいくつかコピーさせてもらった。お忙しいところ、貴重な報告書類を探してくださった書記さんたちに感謝。その足で、東京・水道橋の東京都教職員研修センターの近くで開かれた教職員グループの記者会見へ。今年の卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかったなどとして、都教委がこの日、都立高校や公立中の教員ら35人を懲戒処分した件について。懲戒処分の内訳は停職6カ月を筆頭に、同3カ月、同1カ月がそれぞれ1人のほか、減給12人、戒告20人(このうち2人は定年退職後の嘱託採用を取り消された)。2003年10月に東京都教育委員会が、卒業式や入学式などで国旗掲揚と国歌斉唱の徹底を通達(10.23通達)してから、懲戒処分された教職員は延べ381人となった。都教委による「日の丸・君が代」強制問題は、本来ならば都知事選の重大な争点になるべき話だが、TBSと東京新聞のほかのマスメディアは「争点扱い」をしていない。

 地下鉄に乗るため本郷三丁目駅に向かうと、駅前で吉田万三候補の支援者がビラを配りながら支持を呼びかけていたので、5分ほど演説に耳を傾けてみた。するとその間、「浅野さんはムダなダムを作って借金を2倍にした」「宮城県では嫌われものだった」などと延々と浅野史郎候補の批判を続けているのだ。これにはぶったまげた。とにかく浅野批判をひたすら繰り返すだけで、石原慎太郎都知事の「い」の字も出てこないのである。うーん、これって罵倒する相手(戦う相手)が違うんじゃないかなあ。チャレンジャーとしては、批判すべきは現職の石原都知事じゃないのか。共産党の人たちはこんな選挙運動をやっていたんだ、知らなかったよ。絶句。

 そう思いながら、受け取ったビラを見てさらに驚かされた。「現東京都知事」「前宮城県知事」「共産党すいせん元足立区長」の順番で3候補を一覧表にして、福祉・介護、大型開発、政党との関係などを比較して掲載しているのだが、「現東京都知事」と同じ大きさで「前宮城県知事」をわざわざ並べているのだ。攻撃対象は浅野候補だという姿勢が、実に分かりやすい構成になっている。いやしかし、実際にこのビラはとてもよくできていて、ネガティブキャンペーンとしては非常に見事な出来栄えであるのは間違いない。駅前でこのビラを受け取ったのは、見ていた限りでは僕しかいなかったが、聞くところによると全戸配布されているというから、これはかなりの影響力があるだろう。インパクトと破壊力は相当なものだと思われる。それだけよくできたビラなのだ。

 だけどやっぱり、批判する相手と力の入れ具合を間違えていると思うよ。これを見て一番ほくそ笑んでいるのは、間違いなく石原都知事の陣営だ。たぶん石原候補はこれで勝利を確信していることだろう。こういう選挙運動のやり方は、共産党が孤高の道をひた走ることには確実に大きな力となっただろうけれども、共産党支持者以外の圧倒的多数の人からは決して支持されることはない。むしろ嫌悪感や憎悪だけが、果てしなく広がったんじゃないかと思う。悪いことは言わないから、チャレンジャー同士の足を引っ張るこうしたネガティブキャンペーンはお止めになった方がいい。

 そんなこんなで夕方から、東京・高田馬場へ。都知事選を考える市民グループの集まりに顔を出す。そこでまたまた、驚き呆れる現実を目の当たりにした。浅野候補が配布しているというビラを見せてもらったのだが、これがもう「選挙に勝つ意思」がまるで感じられないひどいシロモノだったのだ。「だれが配っているのか」「だれに向けて配っているのか」「何が言いたいのか」という肝心の3つの要点が、どれも全くさっぱり分からない。「選挙管理委員会が有権者に投票を呼びかけているチラシだよ」と言われたら、ああそうなんだと思ってもおかしくないような内容には、正直言って唖然呆然とした。こんなビラを何十万枚、何百万枚配っても何の意味も効果もないだろう。配るだけ無駄である。貴重なお金と人手と時間をどぶに捨てているとしか思えない。ちょっと信じられないほど無意味なビラだった。吉田候補のビラが、内容はともかくインパクトや破壊力については見事なだけに、これじゃあ勝てるわけがないと思った。悪いことは言わないから、こんなビラは今すぐ全て廃棄して刷り直しなさい。投票日までまだ1週間あるんだから。僕が広報担当だったら、ネガティブキャンペーンはもちろんやらないにしても、吉田候補のビラを参考にして全面的に作り直すけどね。


3月31日(土曜日) 沖縄戦住民自決に検定意見

 2006年度の高校日本史の教科書検定で、沖縄戦での住民の集団自決について「日本軍に強いられた」とする記述に対して、修正を求める意見がつけられたという。「日本軍が集団自決を強制した証拠はない」とする右翼グループや、「自決を命令していない」と訴訟を起こした元軍人らの主張を背景に、文部科学省は検定基準を変えたようだ。これって安倍首相や自民党の右翼グループが、「従軍慰安婦の強制を裏付ける証拠はない」と必死になって強弁しているのと、そっくりそのまま同じ構図ではないか。

 日本軍が沖縄住民を守らなかったこと、日本軍が自国民に銃口を向けていたことは、まぎれもない事実だろう。生き残った住民のたくさんの証言からも、そうした事実は明らかになっている。にもかかわらず一部の例外をもってすべてを否定し、事実をねじ曲げて詭弁を弄するとは、みっともないにもほどがある。戦前の体制や日本軍の行動を美化し、戦争の本質から目をそらさせて、この人たちはいったいどんな「美しい国」をつくろうというのだろうか。戦前と同じ過ちを繰り返そうとしている狂信者としか思えない。


ご意見・ご感想などはこちらまで

身辺雑記のメーン(総目次)へ戻る

フロントページへ戻る

[NEW][EVA][カレカノ][トトロ][映画][セカンド][リンク][作者][BBS]