身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2009年9月1日〜9月30日

●政権移行は紳士的態度で●テナント続々撤退●アニメ「サマーウォーズ」●空気の読めない発言者●小劇場風オシャレな会場●社保庁の尻拭いをする自治体●まだ夏休み中●鳩山内閣スタート●のりピー保釈報道に違和感●映画「おくりびと」●酷い判決にも評価部分●裁判官の共感を得る大切さ●後期授業初日●●●ほか


9月1日(火曜日) 政権移行は紳士的態度で

 消費者行政を一元化する消費者庁が、まだ準備も整わないうちに見切り発車のように発足し、元事務次官が天下りして初代長官に就任した。麻生首相の判断だというのだが、自民党から民主党に政権移行するのが分かっているのに、どうしてわざわざこういうことをするのだろう。民意を無視した傲慢で恥知らずな振る舞いとしか思えない。官僚がすべて悪いとはもちろん思わないし、官僚の力を存分に発揮してもらってこそ効率のいい行政サービスが成り立つと思うが、次官経験者ら高級官僚が無駄としか思えないような法人に天下りを繰り返して、大した仕事もせずに何千万円もの報酬や退職金(税金である)を、一度ならず二度三度とふんだくっていくのは許し難い話だ。そんなことを、選挙が終わって有権者の意思が明らかになった直後に、臆面もなく平然とやってのける麻生首相と官僚集団の神経は全く理解できない。

 選挙が終わればノーサイドのはずだ。民意が示された選挙結果に従って、攻守ところを変えてスムーズに政権委譲するのが、紳士的な大人の対応というものだろう。敗北した側は淡々と事務的に仕事をこなし、重要な情報は新旧政権で共有しながら、新政権に業務が引き継がれるのが、英米など民主主義が根付いている先進国では自然な姿だという。もっとも日本では政権交代の経験が事実上なかったので、紳士的でスムーズな政権移行が今回うまくできなくても仕方ないのかもしれない。政権交代が当たり前でなかったこと自体が異常だったのだと、今さらながら感じる。これからは政権交代がごく当たり前に行われるはずで、そのためにもこの機会に、正々堂々と政権移行させる態度とルールを形成すべきだと思う。


9月2日(水曜日) テナント続々撤退

 自宅近くの駅ビルと駅前ビルに入っているテナントが、先月末でいくつも撤退して空家になっていた。ブティックや宝石店などが並んでいる見慣れた一角が、工事中のカバーで覆われているのはなんとも寂しいものがある。しかしそれよりも衝撃的だったのは、エレベーターを降りるとそのフロアがまるまるがらんとした空間だったことだ。広いフロアの大半を占めていたはずの百円ショップは、きれいさっぱり跡形もなく片付けられていて、何も知らずにエレベーターから降りた僕は思わず「えっ?」と絶句してしまった。そこそこ客は入っていたように見えたんだけどなあ。品揃えもよくてちょくちょく利用していたのだが、確かに店員の人数が客よりも多い時があって、効率は悪そうな感じはしていた。その一方で、駅前には来年完成予定の新しい高層ビルの建設が進んでいたりする。この時期にこんなのを造って採算はとれるのだろうか…。景気がよいとはとても思えず、どこを眺めても不安を覚える光景ばかりだ。


9月7日(月曜日) アニメ「サマーウォーズ」

 新宿三丁目のシネコン「新宿バルト9」で、細田守監督の新作アニメ「サマーウォーズ」を観る。3年前に公開された細田監督のアニメ「時をかける少女」が素晴らしい出来だった(2006年8月24日付「身辺雑記」参照)ことや、今回の作品を観た人たちの評判もとてもいいこともあって、期待に胸を膨らませて劇場へ。平日夕方からの上映回だというのに約400席の場内は満席。「時かけ」が大好きなだけに評価基準のハードルはかなり上がっていたと思うが、期待を裏切らない内容で大いに楽しめた。

 舞台は長野県上田市。都内の高校2年生の健二は憧れの先輩・夏樹に頼まれて、夏休みに彼女の田舎を一緒に訪ねる。待ち受けていたのは90歳の曾祖母を筆頭に、個性的な顔ぶれが揃った総勢27人の大家族だった。ところがそこで健二は、世界中をネットワークで結ぶ仮想都市OZ(オズ)のシステム混乱に巻き込まれてしまう。数学が得意な健二の演算解析が原因で、人工知能(AI)によるシステムのハッキング(乗っ取り)を疑われたのだ。混乱は仮想空間の中だけで終わらず、OZに参加する世界中の人々のコミュニケーションツールであるアカウントを乗っ取ることで、現実社会のライフラインにまで影響を及ぼし、ついには惑星探査衛星を核施設に墜落させようとする事態にまで発展する。健二と夏樹の親戚一同は一致団結して、AIの暴走阻止に立ち向かうのだが…。とまあストーリーはざっとこんな感じである。

 「コミュニケーションの力」と「家族の絆」をテーマに、生身の人間のパワーや可能性を精いっぱい前向きに賛辞した物語と言っていいだろう。前作の「時かけ」と違って、仮想空間でのアクションシーンがふんだんに描かれているが、迫力がある上にとてもきれいなので飽きさせない。しかも現実社会でも仮想空間の中でも、極めて日本的な情緒や小道具がたっぷり取り入れられていて楽しい。登場人物の描写も実にていねいだ。笑いと涙と感動の詰まった話の巧みさや、キャラクターデザインや背景美術の魅力も含めて、ジブリアニメじゃないのにこれぞジブリアニメじゃないかと思わせる雰囲気に満ちているのは、「時かけ」の時と全く変わらない。「これジブリの新作アニメなんですよ」と言われたら、信じてしまう人もいるのではないだろうか。もう一度見てみたいなと思った。

 上映終了後、東京・四谷へ。教育裁判を支援する市民グループの会議に参加。会議が終わってから、近くの居酒屋で生ビールを飲みつつさらに議論。教育現場の状況や政治情勢に関して意見交換しただけでなく、コミュニケーションの力と理解力と表現力についていろいろ議論できたのが面白かった。


9月10日(木曜日) 空気の読めない発言者

 午後から東京・霞が関の東京地裁。都立三鷹高校の元校長・土肥信雄さん(6月9日付「身辺雑記」参照)の裁判を傍聴取材する。前回より傍聴希望者が多くて、法廷に入れない人が何人も出るほどだった。第2回口頭弁論のこの日は、書面の提出期限や次回以降の確認をしただけで5分ほどで閉廷。これなら裁判官と弁護士だけの進行協議でよかった気がする。弁護士会館で報告集会。弁護団や土肥さんの報告はとても興味深い内容だったが、自称「支援者」の在日朝鮮人の女性が、裁判と全く無関係の自己主張をまくしたてて、延々と発言を続けたのには閉口した。集会の参加者の大半もドン引きしたことだろう(事実そういう空気だったし、なんだありゃという感想を終了後に多数聞いた)。

 発言者は「差別され迫害されてきた」「日本人と日本社会に問題がある」などと延々と訴えていたが、それをなぜこういう場に脈絡なく持ち出して演説するのかが不思議で仕方ない。多分にこの人の個人的資質に問題があったからではないかと感じてしまったし、在日朝鮮人の不幸な歴史全般に結び付けてこの場で発言しても、説得力があるとも共感が得られるとも到底思えなかった。反発されることはあっても心に響くことはまずない。発言すればするほどむしろ排除と偏見の気持ちが広がるだけだ。そもそも、すべての在日朝鮮人の代表として振る舞うこと自体に違和感があるし、場違いでひとりよがりの発言を続けてしまうのでは、ほかの大勢の在日の方々も迷惑なのではなかろうかと想像する。報告集会を主宰している支援者の方々にしても、口に出してはなかなか言いにくいだろうが、同じような心境で困惑しているのではないのかなと感じた。学習会や市民グループの集会に取材で出かけると、必ずこういう人が1人か2人いるんだよなあ。「市民運動への理解や支援の広がりという面から、こういう行動は足を引っ張るだけでかえってマイナスになっている」と指摘する人もいる。僕も全く同意見である。


9月12日(土曜日) 小劇場風オシャレな会場

 午後から横浜・野毛。最高裁で痴漢事件の有罪が確定し懲戒免職となった市立高校の元教員が、無実と処分の取り消しを訴えるトークショー&決起集会を取材する。痴漢冤罪事件を取り上げたドキュメンタリー番組の上映のほかテレビ現場の裏話なども披露され、この手の集会にしては工夫が凝らされていて面白かった。新宿ロフトやアートシアター系の小劇場みたいな雰囲気で、なかなかオシャレな会場だったのもポイントが高い。終了後、教職員組合の先生や支援者の皆さんらと近くの中華料理店で懇親会。土曜日なのに、野毛の一帯はなぜかやたらと混んでいる。名物の餃子が出てくるまでかなり待たされた。突然激しく降り始めた雨の中、2次会は居酒屋へ駆け込む。こちらは空いていた。


9月14日(月曜日) 社保庁の尻拭いをする自治体

 社会保険関係の手続きをするために、区役所へ出かけた。とても丁寧で感じのよい窓口の女性職員の対応は、実に的確かつ迅速だった。社会保険事務所の職員のいい加減さと無能さと無責任さとはまさに対照的だ。自分自身で実体験してみて、今さらながら社会保険事務所の仕事のデタラメぶりを痛感させられた。手続きに際してこちらの状況を説明すると、それを聞いた区役所の職員も、「社会保険事務所の対応は明らかにおかしい。ひど過ぎますね」と言ってくれた。似たような相談や問い合わせは、区役所の窓口にたくさん寄せられているそうだ。

 しかも、本来なら社会保険庁や社会保険事務所にいくべき批判や苦情の電話までもが、身近なところということで区役所にかかってくるので、区役所としても大変な負担になっているという。社会保険事務所が無責任でいい加減な仕事を続けてきたこと(今も続けているのだが)によって、多くの国民が被害を受け大変な迷惑を被っているのに、社会保険事務所は自分たちの責任を一切認めようとしない。そればかりか、その尻拭いを地方自治体の職員にさせて平然としているわけだ。どこまでふざけた体質の役所なのだろう。区役所の職員は謝るべき立場ではないのにもかかわらず、「本当に申し訳ないですね」と何回も口にして、親身に対応してくれた。一方、深く責任を痛感すべき社会保険事務所の職員は、最後まで謝罪の言葉を口にすることはなかった。


9月15日(火曜日) まだ夏休み中

 まだ後期の授業は始まっていないが、調べものをする必要があって夕方から大学へ。パソコンルームが閉まっていたので、図書館の端末を使ってデータ検索する。学食で夕食を食べようと思ったら、こちらも夏休み中なのか閉まっていた。駅までの途中にあった韓国定食の店に入って、プルコギ定食を注文。さほど期待していなかったのだが、意外となんて言うと失礼だけど、安くてうまかった。


9月16日(水曜日) 鳩山内閣スタート

 総選挙で示された民意を経て、鳩山内閣がスタートした。テレビを見ていて意外だったのは、新人議員たちのしっかりした受け答えぶりだ。4年前の小泉チルドレンの馬鹿っぽさとは大違いで、比較論かもしれないがレベルの高さには感心させられた。何はともあれ政権交代というのは、淀んだ権力の空気を入れ替えて民主主義に緊張感を与えるそのことだけでも、十二分に意味がある価値ある出来事だと思う。もちろんそれ以上に新政権には期待も大きい。前政権があまりにも酷かっただけに、ついつい過度な期待感を抱いてしまう国民は多いはずだ。発表された新閣僚の布陣を見ると、政策通のベテラン議員が数多く配されている半面、従来の「腰かけ」程度の名誉職的な大臣も残念ながら散見される。必ずしも重厚とばかりも言えず玉石混交な感じは否めないが、しかしまあとりあえず、官僚の天下りや税金の無駄遣い、社会保険制度の抜本的改革、雇用や景気対策や消費者行政、米軍基地や日米地位協定、郵政民営化の見直し、文部科学行政の歪みの是正などなど、問題山積の課題をこれからどうするか、まずはお手並み拝見といったところだ。


9月17日(木曜日) のりピー保釈報道に違和感

 覚醒剤取締法違反の罪で起訴されたのりピーこと酒井法子被告が保釈され、謝罪会見を行ったが、テレビ各局をはじめマスコミ各社の異様なフィーバーぶりは常軌を逸しているとしか思えない。夕方に保釈されて湾岸署から出てくる際には、テレビ朝日とテレビ東京を除く民放各局が通常番組を休止して特別番組を編成し、ヘリコプターまで出して延々と生中継した。午後6時半からの謝罪会見は、テレビ東京を除く民放全局とNHKが生中継した。まあこれは、夕方のニュース番組の枠内だから当然だろうし違和感はないが、しかしどうしても理解できなかったのはNHKのその後の報道だ。

 NHKは午後9時の「ニュースウォッチ9」で、酒井被告の保釈と謝罪会見をトップ項目で扱ったのだ。これだけ世間を騒がせて注目されている話題だから、きちんと事実を伝えるのは分かるとしても、国民生活に直結する鳩山新政権発足などの政治ニュースを差し置いて、トップ項目で伝えるべき話だろうか。放送するなら新政権関連のニュースの後に流すべきだろう。公共放送を名乗っている報道機関として、果たすべき役割と責任のピントがずれているとしか思えない。午後9時のニュース番組のスタッフの報道センスは、やはりどこかおかしいと思う。


9月21日(月曜日) 映画「おくりびと」

 TBSテレビで映画「おくりびと」を見た。地上波初のノーカット放送だそうだ。言わずと知れた米アカデミー賞外国語映画賞受賞作である。遺体を棺に納める「納棺師」の仕事のあれこれを、ハウツーもののように描いただけの映画かと思いきや、それだけではなかった。新人納棺師の仕事ぶりはもちろん、周囲の人々の差別意識などもきっちり描かれている。だが話はそこからぐっとふくらむ。主人公が幼いころ家族を捨てて家を出ていった父親への複雑な思いや人間関係を軸に、石ころを通して相手に思いを伝える石文(いしぶみ)を小道具として使いながら、死者の旅立ちと家族のありようを静かに問いかける脚本はなかなかのものだ。味わい深く感動的なラストへと導く流れは、作中に二度三度と出てきた伏線をしっかり生かしていてうまいと思った。ロケ地の山形の自然を織りまぜた映像が、これまた作品にしっとりした情感を与えている。


9月26日(土曜日) 酷い判決にも評価部分

 午後から横浜市内。県立高校教員らによる自主研究グループの勉強会に参加する。今回は、卒業式や入学式の国歌斉唱の際には「教員に起立斉唱義務がある」とした横浜地裁判決(7月16日付「身辺雑記」参照)がテーマ。めったにお目にかかれない酷い判決ではあるのだけど、しかしそれでもこの判決には評価できる部分が2つほどあるという。まず1つは、旧教育基本法と同様に改正された教育基本法も、「公権力による教育への権力的介入に対して抑制的態度を表明」していると認めた上で、「教育本来の目的をゆがめるような不当な支配」があれば、教育基本法のこの規定は「教育行政機関の法令に基づく行為にも適用される」と判断している点。もう1つは、被告である神奈川県教育委員会が、教員の処分など東京都教育委員会ほどひどいことはしていないと主張している事実を、争点の中でしっかりと取り上げている点である。なかなか興味深く面白い指摘だ。報告者の解説を聞きながら、なるほどなと思った。

 終了後、石川町駅前の焼き鳥屋で懇親会。生ビールがなんともうまい。帰宅途中にイトーヨー◯ドーに立ち寄る。巨人の優勝などめでたくもないが、2割引の特売セールをしていたので、使い勝手がよさそうな兵庫豊岡のバッグをつい買ってしまった。仕事でも活躍してくれそうだし、まあいいか。


9月28日(月曜日) 裁判官の共感を得る大切さ

 午後から横浜地裁。国歌斉唱時に起立しなかった教職員の氏名を神奈川県教育委員会が収集したのは県個人情報保護条例違反だとして、情報消去などを求めた裁判の第3回口頭弁論を傍聴取材する。原告教員側の弁護団長・岡田尚弁護士は、この裁判の意味がよく分かっていないのではないかと思われる裁判長らに対し、「起立しなかった事実が思想・信条情報であるのかどうか、そうした情報を収集することの是非を問うているのがこの裁判の争点だ」と陳述。起立斉唱の義務がないことの確認を求める裁判や、起立斉唱に従わなかったことで受けた処分の取り消しを求めている裁判との違いを、改めて説明した。30分ほどで閉廷。報告集会を取材した後、弁護団や教員ら関係者と中華街にある老舗の中華料理店へ。

 「裁判では論理的に主張することも大事だが、原告の先生がどんな人なのかを裁判官に理解してもらうことがさらに重要だ」と岡田弁護士が懇親会で話していた言葉が印象に残った。つまり裁判官も一人の人間なのだから、心を揺さぶって共感させることが何よりも必要で、敵対心や反感を持たせてしまったら、勝てるものも勝てなくなってしまうということだろう。理屈も大切だが、それ以上に相手の心をつかむことがもっと大事なのは、何も裁判だけに限ったことではない。日常生活でも同じ。コミュニケーションの基本だ。いろいろな裁判や市民運動を取材していて、僕も前から感じているところなのですごくよく分かる。全くその通りだと思った。


9月30日(水曜日) 後期授業初日

 午後から授業。後期はきょうからスタート。1回目なので、授業の狙いや流れをざっと説明する。所信表明演説である。単位認定のラインやレポート提出にも触れる。履修者制限がかかっていたのが解除されたとのことで、前に確認した時よりも履修登録者数が倍に増えていた。しかし出席するのはそのうち6〜7割くらいだろう。今年は新聞を読む習慣のある学生が比較的多い。いい傾向だ。ウェブセンターで調べもの。データ検索など。


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