身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2012年1月1日〜1月31日

●スカスカの新聞とテレビ●白熱教室は面白い●印刷終了●投函●映画「10,0000年後の安全」●原発事故に触れない財界人●デザインにひと目惚れ・その2●レジュメ3本●目に余るNHKの番組宣伝●「作文」みたいな朝日の記事●武道必修化の危険性●手応えある講義とミニスカート●ほかの授業が見たい●教育介入を始めた橋下市長●詭弁を弄し教育介入●批判精神のなさに違和感●教職員処分に歯止め/最高裁●レポートのチェック終了●原発再稼働へ既成事実を着々●原発再稼働から目をそらす?●初雪だけど積雪なし●分権に逆行「道州制」●沖縄密約「運命の人」と取材手法●M7級直下型4年以内に●外れても踏みとどまっても…●定期試験●危機感薄い日本●採点終了●震度3にひやり●情報源の秘匿●都教委裁量を無制限に認める判決●老舗書店のまさかの変貌●●●ほか


1月1日(日曜日) スカスカの新聞とテレビ

 年賀状がどっさり届く。まだまったくの手付かずで、これから年賀状を作り始めようという身には罪悪感が重くのしかかる。元日の朝に年賀状が配達されるとうれしい。気持ちもいい。自分がされてうれしいことは相手もうれしいに決まっている。十二分に分かっているのだけど…。毎年のことながら深く反省するばかりだ。

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 新聞もテレビもスカスカで見るべき物がほとんどない。これではマスメディアが見放されるのも仕方ないなあ。朝日1面トップ「安全委24人に8500万円/原子力業界から」は鋭い特ダネだったが、ほかはどうでもいい記事ばかり。横組み特集記事はやめた方がいい。レイアウトも読みにくいし見出しも中身も酷かった。

 テレビ朝日系の「相棒」(新春特別拡大版・元日スペシャル)は面白かった。正月のテレビでまともに見る価値のある番組はこれくらいだな。…などと考えていたら友人から情報提供が。NHK教育テレビで面白い番組をやっていたらしい。なるほど、さすが番外地だけのことはある。あすは教育テレビもチェックしようと思う。

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 オウム真理教・平田容疑者の出頭について「江川さん『死刑執行遅延が目的か』」(NHKニュース)。そうかもしれないとは思うけど、推測や憶測だけでここまで言っていいのかな。そしてすべてが憶測だけの江川紹子氏のこうした発言を、こんな形でニュースとして無批判に流していいのだろうかと疑問を感じる。


1月2日(月曜日) 白熱教室は面白い

 「スタンフォード白熱教室@大阪大学」(NHK教育)の後編を見た。やはり「考えさせる」授業は面白い。ごみから何か価値のあるものを生み出すようにと課題を与え、4人ほどのチームで議論し実践させるという流れだ。翌日の授業ではさまざまなアイデアが発表されるのだが、いろんな価値観を交錯させることが大切だなと改めて痛感する。ハーバード大学のサンデル教授もいいけど、スタンフォード大学のティナ・シーリグ教授の課題実践授業も楽しくて、なかなか斬新だ。興味深い番組を教えてくれた友人に感謝。


1月3日(火曜日) 印刷終了

 きのうから続けていた住所録の整理が終わり、年賀状のデザインや文面もようやく決まって版下完成。まずは年賀はがき裏面の印刷だ。これが結構な時間を要して、約150枚を印刷するのに3時間近くかかった。続いて宛名面の印刷に取りかかる。こっちはあっという間に30分ほどで終了した。裏面と違って宛名は単色で単純だし文字数も少ないから、1枚あたりの印刷時間がとても短い。さてと、あとはコメントを書き込めばおしまいだ。


1月4日(水曜日) 投函

 印刷の終わった年賀はがきに、ひと言ふた言の短いコメントをちょこちょこと書き込んで、ようやく年賀状作成のすべての作業が終了する。というわけで無事にポストに投函。うーん。予定より1日遅くなったけどまあこんなものかな。せめて元旦に投函するようにしないと。毎年のことながら深く反省。


1月5日(木曜日) 映画「10,0000年後の安全」

 映画「10,0000年後の安全」を見た。フィンランドの地下に埋蔵される高レベル放射性廃棄物の最終処分場をめぐって、10万年後の地球に暮らす人々にその危険性を確実に警告できる方法はあるのだろうか、そもそも未来の地球人は私たちの言葉や記号を理解できるのだろうかと、問いかけるドキュメンタリー作品だ。100年後でも、1000年後でも、1万年後でもない。だれにも保障できない10万年後の人類の安全。気が遠くなるSFみたいな話だが、しかし現実の問題であるところが怖い。

 大量に生み出され続ける放射性廃棄物の処理さえままならないという、この一点だけ考えても原子力発電は無理がある。再稼働させないのは当然のことで、新規建設や海外輸出なんてあり得ないし、正気の沙汰とは思えない。

 昨年の劇場公開を見逃した「10,0000年後の安全」。アマゾンで注文したDVDビデオが年末に届いて、ようやく見ることができた。劇場で販売されていたパンフレットも、同じくアマゾンで新品が入手できるなんて、全く便利な時代になったもんだなあ。


1月6日(金曜日) 原発事故に触れない財界人

 友人に招待されて、東京・丸の内で開かれた財界人のパーティーに顔を出した。僕の守備範囲(取材対象)からかなり遠く、ほとんど縁のない方々の集まりだけに興味深い。日本企業がまだまだ元気で優秀なのはよく分かったが、スピーチや来賓の挨拶に東日本大震災の話は出ても、原発の話が全く出てこないのには愕然とした。

 経団連の前会長でキヤノン会長の御手洗冨士夫氏が来賓挨拶で、震災について述べる際にひと言「原発事故」と触れたが、ただそれだけ。放射能汚染にも廃炉にも一切言及はなかった。消費税や年金やユーロの話もなし。その程度の認識なのかもしれないけど。問題意識や危機意識のなさが残念過ぎる。

(写真は左から、日本商工会議所会頭の岡村正、サッカー日本女子代表監督の佐々木則夫、東レ会長の榊原定征、ヤマトホールディングス社長の木川眞、九州旅客鉄道会長の石原進、アイリスオーヤマ社長の大山健太郎、グリー社長の田中良和の各氏)

 東京・丸の内の仲通りを彩る鮮やかなイルミネーション。有楽町から大手町を中心にした街路樹が、約95万個のLEDで飾られている。あまりの美しさに思わずパチリと撮影。壮観。2月19日まで続けられるそうだ。

 帰宅してテレビのスイッチを入れると、画面いっぱいに橋下徹・大阪市長の顔が大写しになる(テレ朝の報道ステーション)。いきなり嫌な画を見てしまったと舌打ちしていたら、組合問題では前提となる事実がデタラメなまま言いたい放題。電力会社の独占を打ち破ると言いながら、原発全廃とは言わない。詭弁と欺瞞に呆れる。いつもながら古舘キャスターの突っ込みも酷い。なんだかなあ。

 大勢の不平や不満を上手にすくいあげて煽るのが、橋下氏は天才的にうまい。しかもさらっと事実をすり替えて煽るから、始末に負えない。それに乗ってしまう有権者の側にも問題があるという意味では、メディアリテラシーが問われていると言っていい。

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 「東京23区、区立中学進学は7割」(朝日新聞夕刊)。私立中学や国立中学などを受験する子どもの家庭は、経済的に裕福で両親の学歴も高い傾向がある。東京と地方の格差だけでなく、東京23区内でも階層化が歴然としてるなあ。前から分かっていたことだけど、よりいっそう地域格差が進んでいるのだろう。


1月7日(土曜日) デザインにひと目惚れ・その2

 ペン軸のデザインにひと目惚れして昨年購入したドイツ製のボールペン(12月4日付「身辺雑記」参照)と別のバージョンを、デパートのカードポイントがたまったので買ってしまう=写真。支払いをする段階になって、2割引きであることを知らされた。おかげで現金の支出は数百円で済んだ。全く知らなかっただけにうれしさ倍増。これは新春からラッキーと言うしかない。


1月8日(日曜日) レジュメ3本

 レジュメを3本書く。このうちの2本はいつもと違って50分で話をしなければならないので、なかなか調子がつかめない。どう考えても詰め込み過ぎだ。納まりがよくないだけでなく、これだと理解してもらえないだろうなあと思案する。何回も書き直すがしっくりこない。あれこれ削ってそれでもあふれた部分は、参考記述としてレジュメに残すことにして、時間に余裕があれば触れることにした。なかなか思い切ってばっさり削れないなあ。


1月9日(月曜日) 目に余るNHKの番組宣伝

 ここ最近のNHKは、大量の番組宣伝(番宣)とその露骨さが目に余る。BSや教育テレビ、ハイビジョンなどの番宣は以前から多かったし、昼の「スタジオパーク」などは人物インタビューという形を取りながら、どこからどう見ても番宣そのものだけど、それはまあ許容範囲と言っていいだろう。

 できるだけ多くの人に見てもらいたいという思いから、ある程度の宣伝は必要なのは分かるが、しかしものには限度というものがあるはずだ。番組の合間合間にこれでもかというくらい、しつこく繰り返し挟まれる宣伝はどうにかならないものか。電波の無駄遣いだし、視聴者にしては無駄な視聴時間を強いられることになる。

 中でも大河ドラマの宣伝は必死すぎる。大河の登場人物を別の番組に起用してドラマの宣伝をしたり、大河ドラマに絡めた特番やその宣伝を何回も流したりと、うんざりする限界を通り越して不快でしかない。視聴率不振の大河ドラマをてこ入れするにしてもほどがある。半ば強制的に集めた受信料で運営する公共放送であるのに、なぜそこまで視聴率を意識しなければならないのか。

 疑問に感じるばかりでなく、そもそも公共放送のあり方としておかしいと思う。「文句があるなら見るな」というのはNHKの場合には通用しない。必要以上に視聴率を優先するのであるならば、公共放送の看板を降ろして有料放送に移行すべきだろう。ドキュメンタリーや教養番組では良質なものを作っているだけに残念だ。民放と大差ないバラエティーやドラマに力を入れ過ぎて、過度な宣伝を繰り返すNHKの姿勢には痛々しさしか感じない。


1月10日(火曜日) 「作文」みたいな朝日の記事

 きのうの「成人の日」の社説もひどかったが、今年に入ってからの朝日新聞の記事には、ろくに取材していない「作文」のような駄文が目立つ。しかも何が言いたいのかよく分からない。特に1面の「大型」記事がひどい。例えば、元旦付から5回続きで特集を組んだ横組みの企画「カオスの深淵」、8日付から3回連載した「エダノミクスvsマエハラミクス」。何なんだろうこれは。

 こんな駄文を平然と掲載し続けていたら、読者は間違いなく逃げてしまうと思うのだが。どうしちゃったんだ。朝日の社内でいったい何が起きているのだろうか。

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 <武道必修化の危険性> 今朝のNHKニュース「おはよう日本」の特集「『武道必修化』柔道をどう教える?」。学校には柔道の専門家や指導者が少なく、そのため部活や授業で死亡事故が多発している。柔道の危険性や学校現場が危機感を募らせている事実を伝えながら、必修化の問題点をどうしてもっと明確に指摘しないのか。なぜ中止について言及しないのか。

 このような状態で、今年4月からすべての中学校で武道が必修化されたら、取り返しのつかない事故は確実に急増する。取り上げたテーマはよかっただけに、踏み込みや突っ込みが足りなかったのは残念で仕方ない。

 柔道・剣道・相撲のうち、用具や場所の確保が比較的容易なことから、授業では柔道が採用されるケースが最も多い。しかし専門的な知識や技術のない体育教師が大多数であるにもかかわらず、なぜか強引に武道は必修化されてしまった。現場の体育教師たちは、自分に知識も技術も不足していることを自覚していて、専門の指導者がいない中で柔道を行う危険性を知っているからこそ、危機感を募らせている。

 「日本人としての誇り」「日本の伝統を守る」という名目で、環境が整わないのに強引に必修化するツケは、すべて子どもたちに跳ね返ってくる。子どもたちを取り返しのつかない事故から守るためには、保護者が声を上げるしかないと思う。


1月11日(水曜日) 手応えある講義とミニスカート

 今年最初の授業。きょうのテーマは、僕の得意とする分野でもある「戦争と情報統制と『国益』」ということもあって、いつも以上に分かりやすくて説得力のある話ができたと思う。原発事故と政府の発表と報道のあり方について、具体的に突っ込んだ話を展開したのもリアリティーがあったかもしれない。自己採点すると90点くらいの出来かな(笑)。

 自画自賛するだけでなく、学生の反応も上々だった。「とても興味深くて面白い話だった」「これまで考えたこともなかった点に気付かされて衝撃を受けた。この授業を受講してよかった」といった感想を書いてくる学生が多数いたことからも、かなりの手応えを実感する。複数の4年生の学生が「4年間でこの講義が一番の知識になったと思う」「社会人になる直前に受講できてよかった」と書いてくれた。うれしいことを言ってくれるじゃないか。

 気分よくキャンパスを出ると、外はすっかり日が落ちていて、震え上がるほどの寒さだ。おまけに背筋が凍りつきそうな冷たい強風が吹き付けるので、なおさら寒さがこたえる。それなのにすぐ前や周りを歩く制服姿の女子高校生たちは、そろいもそろって膝上20センチ以上のミニスカート。中にはホットパンツの女の子もいる。「風が冷たくて足が痛いよ」「黒タイツがいいな」などと言い合っている彼女らは、しかも全員がなま足だったりする。ミニスカートを見るのは大好きだけど(笑)、これだけ冷えているとさすがに見てるだけでこっちは震えてしまう。女子高生は元気だなあ。


1月12日(木曜日) ほかの授業が見たい

 横浜市内の県立高校で「法学入門」の特別授業をした。いつもは大学生を相手に90分の講義をしているが、高校生に50分の授業をするのは初めてなので戸惑う。それでもなんとか時間内に話をまとめて、2講時連続の授業を終えた。いやあ緊張するなあ。一方的にこちらから話すだけになってしまったが、大学と違って少人数の選択科目のクラスだったので、もっと意見を言わせたり議論させたりすればよかったんだろうなあと、終わってから反省した。

 この日だけのゲストとして招かれて、受講生の状況も分からないしクラスでの積み重ねもないから、講演みたいな感じになってしまうのも仕方ないかもしれない。しかし、僕自身は教職課程を学んだプロの教員ではないだけに、ほかの先生の授業を見て授業方法などを勉強したいという気持ちが強くわいてきた。これまでにいくつか見せてもらったことはあるが、もっときちんと学びたいと思った。中学・高校・大学にかかわらず、面白い授業を実践している先生の授業は、ものすごく参考になるに違いない。「伝え方」という面からも得ることはたくさんあるはずだ。そういう時間の余裕ができればという話だけど。


1月13日(金曜日) 教育介入を始めた橋下市長

 大阪市の橋下徹市長が、教職員に「君が代」の起立斉唱を義務付ける条例案を、2月市議会に提出する意向だという。さらに、小中学校の道徳教育の内容を監視する第三者機関設置の考えも示した。こんな人物が法律家だなんて、本当に信じられない。

 行政の長(権力者)である橋下氏が、教育内容に踏み込んで介入するなど許されないことだ。橋下氏のような行為がまかり通れば、教育が為政者の都合のいいように操作され、戦前の日本や北朝鮮のような社会になってしまう。教育に携わる教職員をコントロールするのも同じことだ。なぜ教育が政治から独立しているのか、歴史的背景さえ橋下氏は理解していないのか。

 しかしその一方で反対勢力はどうなのかというと、こちらがこれまた心許ない。旧態依然たる「運動」の手法では、決して世論を味方にはできないだろう。イデオロギー臭がプンプンすぎるし、そもそも自分たちが多数派だと勘違いしているのは致命的だ。自覚が足りない。もっと現実を直視すべきだ。

 訴えていることはとてもよく分かる。だが、共感と支持が得られるような伝え方をしているとはとても思えない。特定の運動グループの中の人にしか理解できない言葉遣いで、なんとかの一つ覚えみたいに繰り返し叫んでみても、普通の市民はほとんどだれも耳を傾けたりしない。鼻息も荒く「必ず勝利する」「断固粉砕」などと一方的にまくしたてて、心に響くわけがない。今のような上から目線の訴え方を続けていると、むしろ逆効果で反感を買うだけではないか。運動している一部の人たちの言動と市民の反応を見ていると、そんなふうに感じてしまう。ものすごくもったいない。橋下氏はそういう現状を眺めて、ほくそ笑んでいるに違いない。

 残念ながら、橋下氏のような人物を駆逐できる具体的な手段や、即効性のある妙案は持ち合わせていない。けれども、対抗するために心掛けるべきことは提示できる。橋下氏は大勢の不平や不満を上手に拾い上げ、共通の仮想敵を仕立てて攻撃し集票することにかけては天才的なので、まず一番大事なのは彼らに足下をすくわれないこと。攻撃材料を与えないことが不可欠だ。中でも公務員は標的にされているのだから襟を正し、市民の目線に立って誠実に仕事をすること。そして信頼を得ること。反感を買っている現実を自覚して動かなければ、幅広い支持が集まるわけがない。その上で大多数が共感できる大きなテーマを掲げれば、風向きは変えられる。そう信じている。


1月14日(土曜日) 詭弁を弄し教育介入

 14日付の朝日新聞オピニオン面のインタビューで、文科官僚出身の前出雲市長・西尾理弘氏が、橋下徹・大阪市長の率いる「大阪維新の会」が変えようとしている教育と教育委員会について述べている。「そんなに簡単に政治的に偏った教育をできるはずがありません」。何を言ってるんだ。実際に橋下大阪市長は、小中学校の道徳教育の内容を第三者機関を設けて監視しようとしているではないか。いとも簡単に「政治的に偏った教育」をやろうとしているではないか。あまりにも現実と事実を無視した楽観論に、インタビュー記事を読みながら言葉を失った。

 橋下氏は、「(教師が)政治的主張・政治的活動をやっている。君が代を立って歌うことについて、ぐちゃぐちゃ言うような道徳をやられたらたまったもんじゃない」とはっきり語っている。基本的人権や思想・良心の自由をないがしろにし、政治的主張にすり替えてしまうとは恐れ入る。それこそ橋下氏自身の政治的主張そのもので、教育への政治介入にほかならない。

 しかも橋下氏は、「政治が道徳の内容に入るのは問題。政治は介入してはいけない」とした上で、「第三者機関をつくってしっかりとした道徳教育がなされるか監視してもらいたい」と言い切っているが、ここまでひどい詭弁を目の当たりにするのも珍しい。自分自身(政治)が道徳の内容に堂々と立ち入って介入しようとしているのに、いつの間にか教師側の問題に話をすり替えてしまっているのだ。どうしてこんな論理のすり替えがまかり通るのか、いったいどうしたら恥ずかしげもなくここまでデタラメな発言を口にすることができるのか、まったく理解し難い。

 「ウソやデタラメでも大声で何回も繰り返せば本当になる」と橋下氏は思っているのかもしれない。事実に基づいた論理など眼中にない人物を相手に、「そんなに簡単に政治的に偏った教育をできるはずがない」などと考えるのは楽観的すぎる。詭弁を弄しながら、いともたやすく政治は教育に土足で踏み込んでくるのだ。


1月15日(日曜日) 批判精神のなさに違和感

 15日付の朝日新聞の書評に愕然とした。橋下徹・大阪市長の組織マネジメントの手法と実践を肯定的にとらえた上で、「今の日本人はファシズムに熱狂するほど愚かではない」と佐々木俊尚氏。橋下氏を評価するのはそれはそれで一つの見解だから自由だが、橋下氏が体制をどのように一新しようとしているか、例えば教育への介入をどうとらえるのかについて言及はまるでないまま、「どこかでだれかが一新しなければならない」とは無責任過ぎるだろう。「組織を動かして遂行させる組織マネジメント力」が橋下氏にはあると言わんばかりなだけに、批判精神のなさに違和感ありだ。

 「方向性に妥当性があるか反体制力や有識者は全力で議論すべきだ。しかし一部メディアや有識者は『ファシズム』とののしるばかり」という指摘は全くその通りだと思うが、「今の日本人はファシズムに熱狂するほど愚かではない」「実に心強い」との結論は、驚きを通り越して呆れた。脳天気にもほどがある。「組織マネジメント力」と「詭弁の力」を混同しているとしか思えない。

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 茨城県知事が、県の教育委員3人から寄付と政治資金を受け取っていたという。委員のうち1人は「倫理的に非がある」としたが、ほかの2人と知事は「常識の範囲内での献金だ」「後ろめたいとは思っていない」と説明しているそうだ。教育委員が任命権者の知事に取り入ったというより、むしろ知事が自分の支持者を教育委員に任命したと考えれば分かりやすい。意のままに動く委員を教育委員会に送り込んだのだ。まさに政治の教育への介入。教育の政治的中立性は常に脅かされている。


1月16日(月曜日) 教職員処分に歯止め/最高裁

 「君が代」斉唱の際に起立しなかったなどとして、懲戒処分された東京都の公立学校の教職員が処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁判決を伝えるニュースの見出しの違いが興味深い。「戒告処分は裁量権の範囲内」とするか「停職・減給は重過ぎる」「減給以上は慎重な考慮が必要」とするか。各社の姿勢の温度差が顕著だ。記事内容はともかくとして、見出しによって判決の受け止め方はかなり違ってくる。ちなみにNHKニュースのタイトルは「君が代処分訴訟最高裁初の判断」。いつものように無色透明の構えだった。内容は過不足なくポイントを押さえ、問題点などもしっかり指摘していたけれども。

 今回の最高裁判決自体は、教職員に対する起立や斉唱の強制は問題ないことを前提としており、「戒告処分は裁量権の範囲内」と処分そのものも容認しているので微妙ではある。しかしそれでも「減給以上の重い処分をするには慎重な考慮が必要」と判断し、停職処分や減給処分を受けた教員の処分は取り消した。起立・斉唱の職務命令に従わない教職員の免職を目論む橋下徹・大阪市長ら「大阪維新の会」にとって、この最高裁判決が一定の歯止めとなるのは間違いない。

 最高裁判決を受けて、松井一郎・大阪府知事は教育・職員基本条例案の処分規定を見直す方針のようだ。それでも教育内容への介入や教職員の管理統制といった本質的な部分は、これまでの方針のまま維持されるだろう。起立・斉唱の職務命令違反に対しては戒告処分までだとしても、別件の職務命令違反や信用失墜行為、勤務態度などを理由に、意に沿わない教職員を徹底的に排除しようとする可能性は十分に考えられる。思想・良心の自由を貫こうとする教職員の皆さんは、足下をすくわれることのないように、注意深く脇を固めておいた方がいいと思う。余計なお世話かもしれないが。


1月17日(火曜日) レポートのチェック終了

 大量にたまっていた未採点レポートのチェックがやっと終わった。採点基準がブレないように目を通すのはひと苦労だ。添付すべき資料は揃っているか、規定通りの書式と字数は守られているか、課題に合致した内容になっているか、といった大前提の部分を確認した上で、全体構成や文章表現や着眼点などを評価する。一つ一つにそれほど時間をかけるわけにはいかないので、手際よく見ていくためには集中力が結構必要となる。疲れた。


1月18日(水曜日) 原発再稼働へ既成事実を着々

 午後から授業。来週は定期試験なので、きょうが本年度最後の講義となる。「情報発信するのはプロの記者だけじゃない。ネットでもケータイでも会議でも、みんなが伝える側だ。自立した市民として、情報をしっかり取捨選択した上で、自分の考えを分かりやすく相手に伝えよう」と語って締めた。何十人もの学生が「この授業に参加してよかった」と感想を書いてくれた。ほっとした。

【業務連絡】「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国」は僕も大好きなアニメです。DVDも持っています(笑)。

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 「密室の会議じゃない」「意見は聞く」と言いながら、「原発ストレステストは妥当だ」と一方的な評価判断を示した原子力安全・保安院の専門家会議の茶番劇。最初から結論ありきで、アリバイづくりのためだけに開催した会議だとしか思えない。情報を公開せずひたすら隠そうとしたことで、国民から決定的な不信感を抱かれたのをもう忘れたのか。原発事故から何も学んでいないんだな。

 そして政府は、原則40年で廃炉としていた原発の運転期間を一転させて、最長60年にする方針だそうだ。老朽化で事故のリスクが高くなるにもかかわらず、経産省の官僚や経済界はそれでもどうしても原発を再稼働させたいのか。劣化して危険きわまりない原発であっても平然と稼働させようという、その神経が理解できない。正気の沙汰とは思えないのだが。

 それだけじゃない。内閣府原子力安全委員会の作業部会は、原発事故の住民避難に「放射性物質拡散予測システムSPEEDI」を使わない方針を決めたという。理由は「予測の信頼性が低い」からだとさ。バカ過ぎる。「SPEEDI」は福島第一原発から漏れた放射性物質の拡散を、的確に迅速に予測したじゃないか。日本国民はみんな知ってる。しかも政府が「SPEEDI」の予測データを把握しながら現地には知らせず、大勢の住民をみすみす被曝させた事実も、その一方で、米軍には情報提供していたこともみんな知ってる。いったい何のために「SPEEDI」を導入したのか。存在しなかったことにでもしようというのか。訳が分からない。原子力行政に携わっている官僚どもは、いったいだれのために、何のために仕事をしているんだ。

 この国の政府は、なし崩し的に原発事故を風化させ、原発を再稼働させるための既成事実を、着々と積み上げようとしているとしか見えない。取り返しのつかないあんな大事故を起こしながら、しかもいまだに放射性物質が拡散し続けているのに、この期に及んでまだ原発に固執するのか。この国はまともじゃない。


1月19日(木曜日) 原発再稼働から目をそらす?

 福島第一原発の情報監視装置が非常用電源に接続されていれば、地震の約2時間後に回線が故障するまではデータを送信できた、というニュースが繰り返し流されているが、なぜ今ごろ公表されたのか疑問だ。そもそもこの装置が2時間ほど動いていたとしても、残念ながら原発は手の施しようのない状態に陥って炉心溶融は起きただろう。東電の危機管理意識の欠如は今さら言うまでもないし、この事実が判明したからといって、だからどうだというのかよく分からない。原発再稼働に向けて政府や経済界が着々と布石を打っている動きから、国民の目をそらさせるのが目的としか思えない。

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 「芥川賞を断って気の小さい選考委員の都知事が倒れてはいけないので」と皮肉たっぷりのコメントが痛快だ。石原慎太郎都知事をここまで痛烈に揶揄したのは見事としか言いようがない。芥川賞を受賞して、「都知事閣下と都民各位のためにもらっといてやる」と言い放った田中慎弥さんの<受賞会見>が面白い。

 今夜の「ブラタモリ」は国分寺がテーマなので期待していなかったが、意外と面白かった。「高低差」「源流」そして最後にまさかの「鉄道」ときて、タモさんが本当にうれしそうだったのには笑った。来週は国分寺の後編でしかも鉄道総研に潜入。楽しみだが、ますます「タモリ倶楽部」の雰囲気に近付いていくなあ(笑)。


1月20日(金曜日) 初雪だけど積雪なし

 都心と横浜で初雪。めちゃめちゃ寒くて吹雪のような降り方をしていたが、少なくとも横浜南部では雪は積もらなかった。やはり海沿いだから多少は暖かいのかもしれない。積雪は後片付けが大変だし汚いし、路面が凍ると滑って厄介なので、真っ白な光景が一面に広がったりしなくて助かった。


1月21日(土曜日) 分権に逆行「道州制」

 ユニクロでウルトラライトダウンを買った。特売広告チラシを見たので、寒さを我慢して(←軟弱モノめ)午前中に出かけたが欲しい色のサイズがない。店員さんに尋ねたら倉庫から出してきてくれた。在庫調整しているのか、最初の売り出し期間を過ぎるとなかなか店頭に並ばないので、軽くて安いダウンがやっと手に入ってうれしい。それにしても客でごった返す店内に驚くばかり。ものすごい人気だな。

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 NHK朝ドラ「カーネーション」の糸子さんは、やっぱりそういうことになるんだろうなあと、みんなが想像していたと思われる通りの展開に。好きだというのはどうしようもない気持ちで、抑えられるものではないのだから、まあ仕方ないよなあ。ほっしゃんはどうするんだろう。次週以降の波乱が気になる…。

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 「道州制」って地方分権に逆行してるよなあ。結局は中央集権のさらなる強化でしかないと思う。橋下徹・大阪市長がもっともらしく「道州制」の導入を唱えているが、中央からの号令一下ですべてを従わせようという野望にしか見えない。合理的だと言われれば確かに無駄は減るかもしれないけど、一見すると無駄に見えるようなものがすべて必要ないと切り捨てられて、きっちり統制されて幸せなんだろうか。地域の特性やさまざまな個性が失われるだけではないか。そんな社会を国民は本当に望んでいるのだろうか。


1月22日(日曜日) 沖縄密約「運命の人」と取材手法

 TBS系の日曜劇場「運命の人」はドラマとしては面白い。しかし実際の沖縄返還密約事件は論外だと思う。そもそも情報源を守っていないのはどうしようもない。機密文書そのものを政治家に渡してしまうなんてこともあり得ないだろう。渡した相手があまりに悪かった(無能過ぎるし不用意過ぎる)ということもあるけど。

 沖縄返還の日米間の密約を公にする意義は理解できるし、記者として当然支持するが、情報源を秘匿できていないことや不倫関係を棚に上げて、言論・報道の自由を声高に主張するのは興ざめで嫌悪感がある。こういう場面で「報道の自由」なんてカッコいい言葉を持ち出してほしくない。目的が正しくても手法には共感できない。どうしても気持ち悪さがつきまとってしまう。

 記者としての熱意と強い信念があったからこそ、真相を明らかにするための手段を選ばなかったのかもしれない。志や目的は間違っていなかったが、残念ながら取材手法に問題があった。注意も配慮も足りなかった。他山の石とすべきドラマ・事件だと思う。


1月23日(月曜日) M7級直下型4年以内に

 「首都圏でM7級の直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する可能性がある、と東大地震研が試算公表」(読売、朝日)ってマジっすか。ほんのちょっと前に「30年以内に70%」と政府見解が発表されていたのとは、比較にならないほど緊迫感のあるリアルな数字だ。これが本当だとしたらかなり怖い。非難経路の確認や持ち出し品の準備など、それぞれの家庭でも防災対策を真剣に考えておかなければ。もちろんこんな地震大国の日本で、原子力発電は全面的に廃炉にすべきなのは言うまでもない。

 東京都心は大雪だそうだが、横浜南部も深夜になって地面がうっすらと白くなり始めた。先日の初雪の際は積もらなかったが、今回は多少の積雪がありそう。路面の凍結が心配だ。

 【追記】横浜南部の自宅近辺は今回も積雪なしだった。都心や埼玉は、道路の凍結によるスリップや転倒事故で大変みたいだけど。


1月24日(火曜日) 外れても踏みとどまっても…

 「外れても、踏みとどまっても、人の道…、ん、これ5・7・5になっとるな」って、深刻な話をしてるはずなのに思わず笑ってしまった。ええ味を出しとるなあ、組合長(近藤正臣)。NHK朝ドラ「カーネーション」から目が離せない。波乱万丈だし修羅場も続くし、毎回パワー全開で面白すぎる。


1月25日(水曜日) 定期試験

 午後から大学で定期試験の監督をする。試験会場はいつもの教室と違うさらに大きな教室。授業で見たことのない学生が何人か試験だけ受けに来ている。答案用紙を配ってしばらくすると、開始直前にそそくさと退場した学生が今年は4人いた。問題をひと目見て無理だと悟ったのだろう。なかなか潔くて好感が持てる(苦笑)。

 このほかに答案を提出せずに持ち帰った学生が1人いた。以前に1回だけそういうことがあったので注意して見ていたつもりなんだけど、どさくさに紛れて退出してしまったらしい。配布用紙と提出答案の数が合わなくなって面倒だから、そういうのはマジで止めてほしいんだけどな。

 ざっと見たところ、答案の内容はいつもながら玉石混交。授業を聴いていない学生が全く書けていないのは分かるが、真面目に出席しいた(と思われる)学生があまり書けていないのは、ちょっと残念だ。学習態度に応じてできるだけいい成績評価をしてあげたいと思っているだけに、どうしたものかとしばし悩んでしまう。

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 橋下徹氏が率いる大阪市には、「類は友を呼ぶ」そのままに「その手」の人たちが次々に集結して実に興味深い。ワタミの渡辺美樹会長が教育助言役、元横浜市長の中田宏氏が特別顧問。さらに続いて今度は、前杉並区長の山田宏氏も特別顧問に就任するそうだ。上昇志向の強い橋下氏らしい布陣。ブレないなあ。しかしよくぞここまで分かりやすい面子が集まってきたものだ。感心するよ。

 青森県大間町に電源開発(Jパワー)が建設中の大間原子力発電所に対し、対岸の函館市が「勝手に造るな」と抗議の声を上げているという(25日付の朝日)。そりゃそうだろう。函館市を全面的に支持する。それにしても大間に原発なんて、正気の沙汰とは思えない。自殺行為じゃないか。大間の漁師たちは怒らないのかね。


1月26日(木曜日) 危機感薄い日本

 福島第一原発事故後の日本について、ドイツの欧州議会のレベッカ・ハルムス議員のコメントが興味深い。「日本政府は福島第一原発が安定していると言っているが、不安定な状況に変わりはない。それなのに危機感がないのには驚いた。日本の原発が今、ストレステスト(耐性評価)に入っているが、異常事象への備えや事故想定などについてさまざまな欠陥がある。そんなテストを通っても真の安全は担保されない」(1月26日付の朝日新聞・科学面)

 ズバリ核心を突いたドイツの欧州議会議員のこの発言こそ、まともな感性によるストレートな感想だろう。日本の政府と電力会社と財界は、原発事故に対する危機感があまりにもなさ過ぎる。もしかすると多くの国民の危機意識も希薄かも。「取り返しのつかない重大な事故の処理に直面している」という意識が、共有されているのかさえ疑わしい。なんと情けない国なんだ。

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 今夜の「ブラタモリ」は国分寺編の後編。鉄道総研特集はかなり面白かった。自他ともに認める鉄道マニアのタモリのはしゃぎっぷりが、見ていて楽しい。来週に過去番組をアンコール再放送するくらいなら、鉄道総研をあともう1回やってほしかったなあ。


1月27日(金曜日) 採点終了

 定期試験の採点がやっと終わった。やたらと数が多いので無駄に時間がかかって困る。この後まだ成績評価が残っているけど、とりあえずこれで一段落ついた。授業態度やレポートの提出状況などを考慮して、少しばかり成績を底上げしてあげないと、単位を落とす学生が何人かいるのは悩ましいところだ。試験や成績評価なんかなくて講義だけだったら、文句なしの楽しい仕事なんだけどなあ。

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 答案を採点しながら「朝まで生テレビ」を少し見たが、橋下市長に反論する大学教授が、同じ主張の繰り返しばかりでさっぱり要領を得ず、あれでは勝てないよなあとがっかりした。もう少し自分の考えを整理して、にこやかに余裕を持って話さないと、テレビを見ている視聴者の共感は得られないと思うけどなあ。

 それにしても、橋下氏の「公務員である教員はルールに従え。それが嫌なら私立の学校に行け」というのは詭弁だろう。乱暴な主張を繰り出すにもほどがある。「思想・良心の自由」を定めた憲法は最高法規なのに。自分が作った条例の方が憲法よりも上だとでもいうのか。国歌斉唱の際に起立して斉唱するかしないかは個人が判断することであって、そもそも法律や命令で従わせるようなものではない。自分に都合のいいルールや命令は持ち出しながら、都合の悪いルールはあえて無視するのは橋下氏の常套手段だ。


1月28日(土曜日) 震度3にひやり

 横浜南部にある自宅は、都心や横浜市心部で大きく揺れても地震の影響がなぜかほとんどないのだが、今朝7時43分の地震は結構揺れた。しかも揺れている時間が長かった。山梨県東部・富士五湖で震度5弱。うちの地域は震度3。首都圏で直下型地震が発生する可能性が高い(4年以内に70%)というニュースが流れたばかりなので、さすがにひやっとする。気象庁によると、今回の地震は東海地震や富士山の火山活動とは関係ないそうだけど。

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 JCJ(日本ジャーナリスト会議)神奈川支部の集まりに誘われたので、久しぶりに顔を出す。冤罪事件と検察の証拠捏造・隠蔽の歴史をテーマにした民放のドキュメンタリー番組を見てから、横浜の中華街に繰り出して新年会。さすがに土曜日だけあって通りには人があふれている。しかしそれでも、ひと頃に比べると客足は激減しているらしい。料金をかなりダンピングしたり、飲み放題などのサービスを掲げたりして、店側も客寄せに必死なのだそうだ。それはともかく、ふんわりぷりぷりのエビチリが美味しい。生ビールや紹興酒で気分よくなって外に出ると凍える寒さ。冷蔵庫の中にいるみたいだ。マジで震え上がる。一瞬のうちに酔いが醒めた。


1月29日(日曜日) 情報源の秘匿

 TBS日曜劇場「運命の人」第3回の放送が終わった瞬間、某全国紙の先輩記者から電話。「見てただろ?」。極秘電信文そのものを国会議員に渡すなんてあり得ない、という話でひとしきり盛り上がる。ドラマでは極秘電信文を、横路議員から頼み込まれて渡したように描かれているが、横路議員に頼まれたので渡したのか、西山記者が積極的に渡したのか、実際はどうなのか知りたいところだ。いずれにしても共感できない行動ばかり目立つのだけれど。

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 「運命の人」「沖縄返還密約事件」について、知り合いの大学の先生からメッセージをいただいた。これに対する僕からの返信を、一部抜粋し若干修正して参考までに以下紹介する。

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 西山記者が外務省の女性事務官に反論しないのは、事務官に対する配慮の気持ちもあったと想像しますが、やはり「反論のしようがなかった」ことが大きかったのではないかと思います。

 ご指摘のように新聞記者はみんな(僕も含めて)、まず間違いなく特ダネ意識(他社を出し抜くこと)に支えられて動いています。これは記者の本能です。何が特ダネかというその中身はさまざまですが、公益に合致する特ダネかそうでないかの別はさておき、特ダネ競争が記者の取材活動の原動力になっていることは否定できない事実でしょう。

 しかし、だからといって、特ダネ意識(取材競争)が頭から否定されてしまうのは間違いだと思います。記者に限らず研究者や経営者であっても、多かれ少なかれこうした「他を出し抜く」といった気持ちがあるからこそ、新たな発見や開発やアイデアに結びつくわけで、それがモチベーションや意欲の源泉になるのではないでしょうか。

 問題なのは、ただ単なる特ダネ意識だけなのか、それとも、何らかの志や理想や理念や公益意識があるのかどうかということです。それによって、行動の最終目的や意味が違ってくると思います。

 西山記者に、志や熱意は確かにあっただろうと僕は思います。しかしそれ以上に、特ダネ意識(この場合は名誉欲と言い換えてもいいかもしれません)が勝っていたのでしょう。目的のためなら手段を選ばず、しかも情報源を守り抜くといった注意深さや配慮が足りなかったのも、たぶんその延長線上にあると考えます。

 西山事件の「情報源の秘匿」についてですが、僕なら国会議員に極秘電文の現物は見せたりしません。電文の内容を口頭で話すことはあり得ます。仮に見せるとしても、目の前で見せるだけにとどめて、決して手渡すことはしません。手渡してしまったら、どんな使われ方をされるか分からないからです。どれほど信用している相手であっても、渡してしまうなんて論外でしょう。

 僕自身、そういう場面に直面したことは何回かありますが、証拠書類も録音テープも取材ノートも、いまだかつて議員や取材協力者に渡したことは一度もありません。口頭で説明するか、読み上げるかした上で、どうしても見たいという場合は表紙などをちらっと見せる程度にとどめます。法廷に証拠として出したいからと取材協力者に頼まれた際も、一貫して口頭で説明し、取材ノートは一切見せませんでした。法廷では、僕の説明した内容を当事者や弁護士が弁論し、それが証拠として扱われました。

 西山事件の場合も、国会議員に電文を「その場で」ちらっと見せて確認させて、口頭で説明するといった情報提供で、極秘電文が存在することは相手に伝わった(確証は与えられた)はずですし、国会質問が十分にできるだけの材料となったはずです。なぜ極秘電文そのものを国会議員に渡してしまったのか、理解に苦しみます。もちろん、コピーであっても渡すべきではないと思います。

 国会議員は電文を入手しているような振りをしながら、具体的な文言をちょろっと示しつつ、密約を追及すればよかったのです。政府側から「じゃあ見せてみろ」と言われたら、それこそ情報源の秘匿を理由に突っぱねることはできたはずです。弁護士出身の議員なのだから、それくらいの知恵は働かせてほしかったですよね。


1月30日(月曜日) 都教委裁量を無制限に認める判決

 午後から東京・霞が関。東京地裁で裁判を傍聴取材。ついでというわけでもないのだが、経済産業省の玄関脇の敷地内で、脱原発を求める市民団体がテントを張って署名集めしている様子も取材。旧知の人たち何人もと出くわしてびっくりする。まさかこんなところで再会するとは。東京・水道橋で開かれた土肥元校長の裁判の報告集会へ。神保町の本屋をのぞいてから、早稲田大学でメディア関係の集会に参加。

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 東京都教育委員会の教育現場への不当な支配や干渉は違法だとして、都立三鷹高校の土肥信雄・元校長が東京都を相手に損害賠償を求めた裁判で、東京地裁(古久保正人裁判長)は土肥さんの請求をいずれも棄却し、「都教委に裁量権の範囲の逸脱、濫用があるとはいえない」などとして、原告全面敗訴の判決を言い渡した。

 都教委は都立高校長に対して、職員会議で教員の意向を聞くための挙手・採決を禁止し、教職員の業績評価を絶対評価でなく相対評価で行うように指導したほか、国歌斉唱の際には教職員に個別的職務命令書を出すように命じた。これらの都教委の介入や統制は校長の裁量権侵害だとして、土肥さんは記者会見などを通して撤回を訴えたが、都教委は定年後の非常勤教員採用試験の際に、土肥さんに最低評価を与えて不合格とした。この年の非常勤教員任用では申込者の97%が合格した。

 判決で古久保裁判長は、都教委の通知や指導について「評価権者の裁量権の範囲を超えた不合理な評価ということはできない」と述べるとともに、土肥さんに対する人事評価や非常勤教員不採用については、「校長の裁量権の侵害、教育の自由の侵害に当たらない」などと判断し、請求をいずれも退けた。

 判決後、土肥さんは「離任式で卒業生全員から卒業証書と色紙をもらった私が、なぜ都教委からオールCという最低評価をされるのでしょうか。学校に言論の自由がなくなるのは、子どもたちにとって最悪の事態です。今回の不当判決は納得できないのでただちに控訴します」と憤った。土肥さんの代理人の吉峯啓晴弁護士は、「土肥さんの教育実践は教え子や保護者から高く評価されている。判決は都教委の裁量や評価範囲を無限に広げて認めており、司法の役割を放棄した極めて不当な判決と言わざるを得ない」と批判した。

 

 東京・霞が関の司法記者クラブで、卒業生全員からもらった色紙を手にしながら、この日の判決を厳しく批判する都立三鷹高校の土肥信雄・元校長(左)と吉峯啓晴弁護士ら=写真。

 また、都立三鷹高校卒業生の男子大学生は、「生徒から遠い存在だった校長のイメージを土肥先生は覆した。言論の自由や民主主義の大切さを、先生は裁判でも実践していることを知りました。生徒はみんな土肥先生を応援しています」とエールを送った。

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 都教委だけでなく大阪の橋下徹市長も同じだと思われるが、彼らは「為政者の決定と命令に黙って従うのがいい教師だ」という信念と価値観に基づいて、すべてを判断しているのだろう。そして、そういう行政や政治の決定に、裁判所はただ追随するだけだ。司法が機能不全に陥っているとしか思えない。そんな現実に言葉を失ってしまう。

 生徒に何を伝えて、何を考えてもらうか。教師の役割はとても大きい。そういう意味では記者の役割も似ている。ただ、この土肥元校長のケースでも分かるように、このところ教師が自由にものが言えなくなってきているので、特に公立学校では生徒に「事実さえ」伝えることが難しくなりつつあるのが現状だ。教師に自由が失われれば、それはそのままストレートに生徒に影響する。戦前の大本営発表だらけの社会の再現を危惧している。

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【土肥元校長関連の大岡みなみ執筆記事】

※第1回口頭弁論(2009年7月23日付「身辺雑記」

※取材ノートの「立証」(2011年4月4日付「身辺雑記」

※「都立高校長の反乱」(雑誌「世界」2008年10月号)

※「元都立高校長が都教委を提訴」(月刊「創」2009年8月号)

など(雑誌記事は本名の池添徳明で掲載)。

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 東京・霞が関にある経済産業省の玄関脇にテントを張って、脱原発の署名集めなどをしている市民団体=写真(1月30日午後4時過ぎ)。この1時間ほど前には右翼団体が嫌がらせにやって来たため、警察官らがテントを守るような形になるなど周囲は一時騒然としたという。経産省側はテントの撤去を求めているが、外国メディアなどの注目を集めていることもあってか、現時点で強制排除には踏み切っていない。

【おことわり】土肥さんの裁判記事に関して、三鷹高校の卒業生のコメント以降の部分について、追記と加筆をしました。


1月31日(火曜日) 老舗書店のまさかの変貌

 東京・神保町の書泉グランデで、教育と社会科学の本が見当たらないので売り場を聞いたら、女性の店員さんが申し訳なさそうな顔で「本の棚そのものがなくなったんです」。ええっ。まさか聞き間違いではと思って「以前はワンフロア全部が売り場でしたよね」と確認したが、扱いをやめたのだそうだ。絶句。マジっすか…。

 系列の書泉ブックマートは、昔からコミックとマニア系の書籍に特化した書店経営をしているのは有名だけど、まさか老舗の書泉グランデが、いつの間にか教育や社会科学の本の棚を一掃してしまっていたなんて…。唖然呆然。世も末だ。出版業界はどうなってしまうんだろう。

 大好きなジュンク堂には最後まで頑張ってもらいたい。品揃えの充実ぶりはもちろん、店員の知識や接客姿勢も文句なしで一番好きな書店なので、経営危機による売り場の変貌や崩壊といった事態には、絶対になってほしくないと心から願う。

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 NHKの大河ドラマ「平清盛」は、画面が汚いとかどうとか以前に、話がつまらないと思う。一昨日に改めて少し見てみたが、やっぱり全く面白いと思えず退屈で仕方なかったので、途中で見るのを止めてしまった。画面が白っぽくて意味もなく猫が出てくるところは、「龍馬伝」の演出と似てるけど、だからどうしたという感じ。たぶんもう見ないだろう。


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