●ノートでチャット●「歴史的な人」●原発依存脱却のチャンス●ついつい観察●多様な見方●徹夜明けなのに●建国記念の日●愛車の将来●業務連絡2本立て●「金八先生」の再放送●中山可穂「天使の骨」●「国是」はどこへ…?●最高裁判事を取材●タイミング●睡魔●鼻炎薬●ガソリン高騰●チューリップ●手直し●総崩れ●●●ほか
2月1日(土曜日) 休養寝ている間に布団をはねのけてしまったらしく、起きたらベッドから半分以上が落ちていた。でもって頭が痛い。世間では風邪やインフルエンザが大流行しているが、ここでまた風邪をひいたら大変なので一日おとなしく休養する。
2月2日(日曜日) ノートでチャット米国のスペースシャトル「コロンビア」が、着陸寸前に空中分解したというニュース速報から、ずっとテレビ画面に見入ってしまった。発射直後に大爆発した86年1月の「チャレンジャー」の事故映像も衝撃的だったが、今回の空中分解シーンもまたかなりショッキングなものだ。世界貿易センタービルに航空機2機が突っ込んだ01年9月の同時多発テロのシーンは記憶に新しいけど、事件の瞬間を映し出す映像の力を、今さらながら実感する。しかしそうは言っても、背景分析したり隠された事実を掘り起こしたりして、問題提起するのは活字の方が向いていると思う。
ノートパソコンで初めてチャットをやってみた。ノートのOSはすっかり忘れていたが8.0である。いつも使っているデスクトップのPerformaは7.5.5。デスクトップに比べて、ノートの読み込み速度が断然速いので驚いてしまう。OSのバージョンの違いでこんなにも違いが出るとは…。これが最新のバージョンでしかも高速回線のADSLを使ったとしたら、どれほど快適な環境で通信できるんだろうと思わず想像してしまった。
2月3日(月曜日) 取材準備取材のための準備。これまでに読んだ資料を整理して、相手にどんなことを聞けばいいか個条書きにしてメモする。今回のテーマを記事にする上で最も重要な人物に会うので、実は少し緊張していたのだが、質問事項をメモしてまとめているうちに記事の組み立てが頭の中で出来上がってきた。
2月4日(火曜日) 「歴史的な人」きのう書いた「重要人物」に、東京・霞が関で会って話を聞く。司法関係者によると、まさに「歴史的な人」と形容されることが多いらしいが、僕もその形容には全く異論はない。とは言ってもご本人はとてもざっくばらんな方で、自身の立場を考えて言葉を選びながらではあるけれども、やさしくていねいに2時間も話していただいた。取材という枠を超えて、とても勉強になる話だった。
メガネの度数調整のために、レンズを取り寄せてもらっていた内幸町のメガネ店へ。加工作業が終わるのを文庫本を読みながら待っていたが、つい途中でうとうと寝てしまう。きのうは取材準備に時間がかかってしまって3時間しか寝ていなかったので、猛烈な睡魔が襲ってきたのだ。せっかくの読書タイムだったのになあ。もったいないことをしてしまった。
2月5日(水曜日) 原発依存脱却のチャンス東京電力が「節電」を呼びかけるテレビCMを流している。原子力発電所の運転を一時的に停止することで、発電量が足りなくなって停電するかもしれないから節電をお願いします、というのだ。ぬけぬけとよく言うよ。そもそも原発を停止せざるを得なくなったのは、トラブル隠しや検査データ改ざんが発覚したからじゃん。ちゃんとそういう事実をCMの中で告知しろよな。そういうことを抜かして、ただ単に「原発停止によって発電量が足りなくなる」なんて宣伝してたら、まるで「原発を稼働させないと停電しちゃうよ」と言って市民を脅迫しているみたいではないか。
「原発はクリーンで安全だ」などという事実に反する大うそを吹聴して、原発への依存率をじわじわと少しずつ高めながら、電力会社は隠蔽やごまかしを重ねてきた。原発にどっぷり漬かったところで「原発を止めたら停電しちゃうよ」と宣伝するとは、なんて卑劣で厚顔無恥なんだろう。
でもさあ、仮に東電のすべての原発が止まって支障がなければ、原発がなくても電力供給できるということになるよね。原発がなければ需要に見合った電力が供給できない、という電力会社の主張は覆えるわけだ。みんなで節電の努力をしよう。今こそ原発依存体質から脱却するチャンスだ。今ならまだ引き返せる。
2月6日(木曜日) ついつい観察元裁判官の大学教授から話を聞くために、朝から東京都下の大学へ。入試期間中だから学生の姿はまばらだったけど、みんな真面目そうで落ち着いた感じの学校だった。学食のランチも食べてみる。お世辞にもうまいとは言えないが値段はそこそこ安い。学生新聞もきちんと発行されているようだ。最近は大学へ出かける機会があると、施設や学生や雰囲気などをついつい観察してしまう。
2月7日(金曜日) 多様な見方「北朝鮮報道と日朝関係」を考える学習会を取材する。教職員組合が主催したもので、日本人拉致被害者の北朝鮮家族インタビューを掲載した「週刊金曜日」の編集長と、朝鮮総連の地方幹部がそれぞれの考え方を報告する形で学習会は進行した。百人近くの参加者のほとんどが組合員なのかと思ったら、約半数が一般市民だったという。会場周辺には公安関係者の目も光っていたらしいが、さすがに教職員組合の見事な運営で、特に混乱もなく両者の考えを聞くことができた。さまざまな立場の人の話や意見に耳を傾けることが大切なのであって、あとは一人一人が判断すればいい。一方的な情報や言い分だけを大量に仕入れても、まともに考えることはできないもんね。学習会の最後に司会者から突然、ジャーナリストとしての僕の感想を求められたので、そんなことを3分ほど話した。そもそもジャーナリズムの役割とは、多様な判断材料の提供にあるわけだし。基本的には「新・大岡みなみのコラム風速計/ネット版」に書いたのと、同じような内容を凝縮して話したんだけど。
2月8〜9日(土〜日曜日) 原稿執筆終日、原稿執筆。んなわけで、何とか徹夜で書き上げる。いつもいつもギリギリになるまで放っといて、どーしてもっと早くから書き始めないんかなあ!と自分でも思っているんだけど、締め切り直前にならないとエンジンがかからないんだよぉ。こりゃもう一種の病気かもしれません(爆)。
2月10日(月曜日) 徹夜明けなのに徹夜で書き上げた原稿を編集部へメールで送信。書く時は四苦八苦してたっぷり時間がかかるけど、送るのはあっという間に一瞬で終わってしまうのだ。午後から東京高裁へ。しょうもないちんけな刑事事件の控訴審を傍聴取材。わずか6分で終わる。こっちも一瞬の出来事だった。たぶん弁護側も検察側も裁判官も、みんなほとんどやる気がないのだろう。みんなして投げているのが、素人目にもありありとわかる審理だなあ。やれやれ。夕方から東京・大塚の出版社へ。取材の打ち合わせなど。池袋の書店やアニメショップをのぞく。新しいトトログッズが目に入ってしまい、そうなるとついつい散財してしまうのだった。お金がないとゆーのに…。
きのうから一睡もしていないので、かなりフラフラ状態だ。徹夜明けなのにかなりハードスケジュールだなあ。池袋から横浜まで湘南新宿ラインに乗って帰る。40分間ぐっすり爆睡したら、頭全体にかかっていた霧がうそみたいにすっきり晴れた。電車を降りたら雨がしとしと降っていてがっくり。傘なし。濡れて帰る。
2月11日(火曜日) 建国記念の日きょうは「建国記念の日」。天皇が神様だった戦前は「紀元節」と称していたものを、無理やり祝日に制定したものだから、かなり政治色が濃い日だと言えるだろう。そんな戦前の亡霊をひきずったような背景があるので、復古主義的な人たちにはとても愛されている祝日だが、実のところ僕は神話の世界が嫌いではない。小さいころから家の中に本があふれている環境で育って、いわゆる「くにづくりの物語」や「因幡の白うさぎ」などにも親しんできた。日本書紀や古事記などには夢やロマンがあると思う。注意しなければならないのは、古くから言い伝えられてきた「お話」と「事実」とを意図的に混同させて、特定のなにものかを「神聖不可侵な神様」としてまつりあげることにある。
そもそも日本という国では、八百万の神様をおまつりする習慣がずっと昔から続いている。この国では、草木の一本一本から道端の石ころにまで魂が宿っていて、そのすべてが神様として扱われるのだ。なんと素敵な考え方ではないか。お茶碗やお箸や鉛筆や消しゴムにだって神様はちゃんと宿っている。原稿が書けなくて四苦八苦していると、パソコンのキーボードに突然「文章の神様」が降りていらっしゃることを僕は何回も経験している。いたるところに神様が存在するからこそ、特定のなにものかを「神様」としてまつりあげる必要など全くないのである。ましてや「神話という物語=フィクション」と事実とをごっちゃにして、堂々と「歴史」として教えるなんて、時代錯誤の狂気としか言いようがない。
あるチャットルームで、次のような笑える会話が交されていた。Bさんはかなりとぼけた応答をしているけれども、なかなかどうしてシュールで本質を突いたボケだなあと思った。
A「きょうは祝日で休みなんだ〜!」
B「何の祝日?」
A「建国記念の日だよ」
B「どこの国の?」
A「日本の国の祝日だよぉ〜!」
B「大日本帝国?」
A「あはは(笑)」
2月12日(水曜日) 愛車の将来東京・新宿の居酒屋で、大学時代の友達の新聞記者やテレビ局員と飲む。テレビ局勤務のI氏が今春結婚することになって、その前祝いで久しぶりに集まったのだ。9歳年下というI氏の相手も同席し、4時間近く学生時代と全く変わらない馬鹿話で盛り上がる。
都内から横浜までハイヤーで帰宅。愛車を手放そうかどうしようかと迷っているのだが、首都高速から見える夜景は相変わらずきれいで、そんな景色を眺めていると車の売却を躊躇してしまう。ガソリン代だけじゃなくて、月々の駐車場代、税金、車検代、保険料などなど、車を維持するには結構なお金がかかる。週に1回乗るかどうかというドライバーとしては、かなり贅沢な所有物ではあることは確かだ。でもなあ…。午前1時半帰宅。
2月13日(木曜日) 業務連絡2本立てきのうの新宿の飲み会に、一人だけ急病で来られなかった友達がいたのでケータイに電話してみたら、プロ野球のキャンプ取材で宮崎にいた。取材記者の代役は立てられないし、3日ほど休養したら小康状態になったので無理して宮崎に飛んだそうだ。かなりきついみたいだけど、何とかごまかしながら取材しているという。とりあえず思ったより元気そうなので安心した。十日以上の長期出張とのこと。あまり無理しないで頑張るように伝えて電話を切った。というわけで、この欄を読んでいる関係者の皆さん、T君は大丈夫みたいです。また東京で集まりましょう(業務連絡でした)。
知り合いの女性編集者が「どこかで紹介してくれないか」と言って、「米国のイラク攻撃に反対する」という趣旨の小冊子を送ってくれたのだが、忙しくてまだ全然読んでいない。きょうその編集者から再び電話がかかってきて「身辺雑記を毎日チェックしているんだからね」とせっつかれた。こんなところで書いてそんなに影響力あるのかなあ。だけど「取り上げないと毎日電話するから」と言うのでとにかく話題にしました。読んでないんだからこれ以上は書けないよ。Yさん、これでいいの?(笑)。
2月14日(金曜日) 「金八先生」の再放送新聞の投書欄に大学生が「3年B組金八先生の再放送に見入っている」と書いていた。うんうん。僕もTBSテレビの夕方の再放送に見入っている一人だ。特に第2シリーズで、校内暴力に警察が介入して生徒が連行されて行く場面では、バックに中島みゆきの「世情」が流され、なかなかの盛り上がりと感動を見せた。また特別編で、自衛隊に就職を希望する生徒に対して、戦前の軍国教育への反省から教師になったという校長が(校長というところがミソだ)、「教え子を戦場に送らない」との思いをどう伝えればいいのかと考え込むシーンには、制作スタッフの熱さと覚悟が感じられた。
「金八」の脚本は説教クサイし、演出は過剰で、中学生の演技もやたらオーバーでわざとらしいので、ドラマとしては決して優れているとは思わない。それに「金八」みたいな思い込みの激しい先生も、実を言うとあまり好きではない。だけどそこで語られている教育の理念や理想には、本放送から二十年経った今でも(むしろ今だからこそ)うなずけるものがあると思うのだ。生徒管理や自分自身の保身にしか興味のない教師と、理想主義に走る教師との対立関係も根深い問題だろう。そんなことを考えながら見ている。
2月15日(土曜日) 中山可穂「天使の骨」中山可穂の「天使の骨」を読み終える。前作「猫背の王子」の続編にあたる作品。芝居という自分の人生そのものを失って、ボロボロになったその後のミチルの物語だ。ほとんど世捨て人そのもののミチルは、生きてはいるけれども死んでいるといった状態で日々を漫然と過ごす。芝居は見ないし戯曲も書かない。そもそも書こうという意欲がわいてくる以前なのだ。そんなミチルは、それまでの自分の生き方を何者かに許してもらおうとするかのように、あるいは過去の人生すべてを清算するかのようにして、ヨーロッパをさまよう旅に出発する。あまりにも痛々しいミチルの姿は、読んでいて心が痛む。彼女が背負う責念の思いに押しつぶされそうになるが、後半になると一転して明るい光が見え隠れするようになる。「この人と一緒にいたい」と思う存在に出会うからだ。結局はそこに行き着くのだなあと自然に納得させられるのは、これこそが人類の普遍的なテーマだからなのかもしれない。たぶんこれをきっかけにミチルは立ち直って、再び芝居の世界に復帰することになるのだろう。日本にいるトオルとも一緒に。さらに続きがあってもよさそうな展開だ。続編を望む。第6回朝日新人文学賞受賞作品。
2月16日(日曜日) サボり朝から降り続いていた冷たい雨も夜になると上がって、それでも相変わらず厳しい寒さに身が震える。夜道を歩きながらふと空を見上げると、真ん丸の月がこうこうと白く輝いていた。
とゆーわけで、午後から出かけようと思っていた都内の取材は自主的にサボってしまう。眠くて寒くてどうにも面倒になってしまったので、迷わず迅速に決断した(って、おいおい)。たまっていたメールの返事を書いて、だーっと送信してみたり(意味不明)。
どうして日本政府は、米国にあんなにもすり寄るのだろう。イラク攻撃を強硬に主張するブッシュ政権に対して、戦争は嫌だと反発する声が世界中に広がっているし、国連安保理の中でも、武力行使に反対する意見が圧倒的多数を占めているじゃないか。日本の国是は「国連中心の平和外交」ではなかったのか。日本が世界に誇れるのは「日本国憲法」と「アニメ」と「マンガ」だと思うが、その日本国憲法には「恒久平和を念願し…」と明記されている。それこそが日本の国家としての基本理念のはずなのに。
そもそも大量破壊兵器を世界で一番たくさん保有しているのは、米国自身ではないのか。自分はいくらでも武器を持っていて構わないけれども、よそが持つのは許さないし、言うことを聞かない奴は力ずくで懲らしめるというのでは、ガキ大将の行動そのまんまだ。説得力がまるでない。「お前こそ国連の査察を受け入れろよ」と言われても仕方ないだろう。どうして日本政府は、そんなに米国の肩を持つのだろう。煮え切らない態度を取り続けるのが「国益」なんだそうだが、ものすごくカッコ悪い「国益」だよな。
これでは少なくとも、日本国憲法で高らかにうたわれている「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」との宣言は完全無視の状態だし、言うまでもなく「国際社会において名誉ある地位を占めたい」などという希望は絶対にかなえられないだろう。ドイツやフランスみたいに、日本の政治家も理想と理念をもっと高く掲げてくれよ。情けなくて涙も出ない。ご褒美が欲しいのか。名誉ある地位やプライドよりも。
2月18日(火曜日) 最高裁判事を取材午前中は都内の病院で目の定期検診。視野検査、視力測定、眼底撮影のほか診察も受ける。特に問題なし。めちゃくちゃ混んでいて3時間以上ももかかってしまった。大急ぎで遅い昼食を取る。
午後から永田町の最高裁判所へ。最高裁判事を取材する。要塞のような法廷を取材したことは何回かあるが、現職の最高裁判事に面と向かうのは初めて。もちろん裁判官室に通されるのも初めての経験だ。法廷傍聴の時は南門から入るが、きょうは西門から中へ。迷路のような廊下が延々と続き、事務棟を過ぎて裁判官室のある建物に移った途端、廊下がふかふかのじゅうたんに変わった。十五人の判事に1部屋ずつ与えられている裁判官室は、100平方メートルくらいある(目測)。暖房が効きすぎてものすごく暑い。
取材に応じてくれた判事はさすが弁護士出身という感じで、ざっくばらんに1時間半も話をしてくれた。最高裁判事の仕事は恐ろしく多忙だそうで、とにかく事件の数が多すぎるとしきりにこぼしていたのが印象的だった。任官前は「当事者は止むに止まれず上告する(のだから訴訟制限するべきではない)」と思っていたが、実際に裁く側になってみると、それはもう膨大な記録の山との格闘に悲鳴を上げているという。それでもなお、いやだからこそ、人権と民主主義の砦である最高裁判事には、憲法の理念をしっかり生かした司法判断をしてほしいと願う。もちろんこの判事は、そんなことは十二分に理解しているだろうけど。
2月19日(水曜日) タイミング仕事の注文がいくつも重なってやってきた。やる気がなくなったりサボりたいなあなんて思ったりすると、いつもタイミングを見計らっていたかのように、なぜかいろんな編集者から原稿依頼や企画の提案などが舞い込んでくるのだ。そして結果としては鼓舞され叱咤激励されて、大いに労働意欲が刺激されることになる。今回もそのパターンなんだろうか。もともと僕は怠け者だから、興味や関心を強く感じる取材対象へのアタックは別にして、基本的には必要最小限の仕事しか抱え込まないんだけど、これって神様なるものがどこかで見ていて、もっと仕事をしなさいって言ってるのかなあ。都合のいい時以外は、神様の存在なんて信じてないんだけどね。
2月20〜21日(木〜金曜日) 原稿執筆原稿執筆。なんとか書き上げる。よしよし、今回は締め切りまで余裕をもって進行している。だがしか〜し。仕事や雑用はこれだけで終わることはなく、まだまだ怒涛のごとく次々に押し寄せてくるのだった。何も考えずに、ぼーっとしていたいのになあ。
2月22日(土曜日) 睡魔睡眠時間1時間ほどで、「日の丸・君が代」関係の全国集会取材のために、午後から東京・早稲田へ。最初のうちこそ基調講演などの話をしっかり聞いていたが、夕方の食事休憩が終わったころから猛烈な睡魔に襲われる。意識がもうろうとしてきてノートも取れない状態に。収穫はたくさんあったけど、もうふらふらだ。取材でいろいろお世話になりながらしばらくご無沙汰している人たちに、会場でたくさん会えて懐かしかった。
2月23日(日曜日) 収穫ありだけど眠いきのうに引き続き、「日の丸・君が代」関係の全国集会を取材するため東京・早稲田へ。しかも2日目は早朝からスタートときているので、睡眠時間は3時間ほど。議論が盛り上がって興味深い話が続出するので、幸いにも睡魔は襲ってこなかったけど、頭の中はかなりぼーっとした状態でテンパッている。そうは言いつつも収穫は豊富だった。午前中で集会は終わって、会場近くのファミレスで昼食を食べながら、参加者の教員や市民と2時間ほど雑談。池袋で買い物をしてから帰宅。そろそろ花粉が飛び始めたみたいで、くしゃみと鼻水が止まらない。ああ、また嫌な季節がやってきたよ。
2月24日(月曜日) 鼻炎薬鼻炎の薬を飲むと、効果てきめんで鼻水とくしゃみは止まるんだけど、頭がぼーっとしてきて眠くなってしまう。もともと少ない労働意欲も半減だ(っておいおい)。取材のアポ取り電話や雑用をひたすらこなす。昨晩は久々に8時間以上も寝たのにまだ眠い。
2月25日(火曜日) ガソリン高騰午前中は取材準備や雑用。午後から教職員組合でネタ集めのための取材。こういうのはあくまでも当たりを付けるためのもので、本当は取材のうちには入らないんだけど。きのうの凍えるような寒さとは打って変わって、きょうは日差しもやわらかく比較的暖かい一日。花粉症が大変かなと思いきや、日曜日ほど辛くなかった。久しぶりに愛車を運転する。世間では給料日らしくて銀行と道路が大混雑。ガソリンスタンドに立ち寄ってびっくりした。しばらくガソリンを入れていない間にリッター102円(ハイオクではなくてレギュラー)にも高騰しているではないか。少し前までは確か88円〜92円ほどだったのに。イラクや中東情勢の影響なのかなあ。
2月26日(水曜日) チューリップTBSテレビで「チューリップ」再結成30周年ライブなる1時間番組を放送していたので、ついつい見入ってしまった。さすがに声の張りなどの衰えは隠せないけど、中学や高校のころ耳にしていた懐かしいメロディーが次々と流れてくる。最近はドラマやCMでもチューリップの音楽をよく聞くし、福山雅治がヒット曲をカバーしたりしていて再び彼らのサウンドが注目されているらしい。公開録画の会場には、たぶん当時大学生だったと思われる年齢の女性がぎっしり詰めかけていて、こぶしを振り上げてノリにノッている姿が画面に何回も映し出されていた。番組のプロデューサーも、そのあたりの世代なのかもしれない。
朝から夕方まで、インタビュー原稿の手直しや追加原稿の執筆、編集者との取材打ち合わせなどに追われる。さらに、深夜まで情報収集の電話かけ。いっぱい仕事をしたような気分だけは味わった気がするが、やっぱり本当の充実感や達成感というのは、原稿を書き上げた時や現場取材でしか味わえないなあ。
2月27日(木曜日) 手直し電話をあちこちにかけて情報収集に専念する。そのほか、再びインタビュー原稿の手直し。たぶんこれで最終版となるはず。…っていうか、もうこれ以上の手直しは勘弁してほしい。本人から原稿が戻ってくる度に、どんどん字数が増えていくんだもん(汗)。
2月28日(金曜日) 総崩れ花粉症に加えて風邪の症状も出ているような気がする。咳はしないけど、喉と鼻と頭が痛くて、ふらふらする。だがしか〜し。それでも仕事は待ってくれない。午前中は電話で情報収集。午後から教職員組合へ。きょうはものすごく寒くて、電車を降りて組合本部まで歩いている間に、まじで体調が総崩れ状態になった。室内に入ると効きすぎかと思うほどの暖房のおかげで、鼻の奥や頭が痛いのは少し楽になる。でも組合書記局には古紙や書類が山積みになっているので、たぶん大量のほこりが舞っているのだろう。花粉症の症状は一向に改善されないのだった。午後十時帰宅。長い電話を1本かけ終えると後は何もする気にならず、シャワーも浴びずに爆睡…。