●お気に入りプレイリスト●「仕事」について●ADSLお預け●自炊●ADSL開通●速くて便利!●レポート採点●「セカンド」に記事追加●触れるのも疲れる●台所用品●読みやすい文章●古きよき米国●原因不明の接続不良●成績評価の転記●村山由佳「晴れときどき猫背」●買い物●山手線で爆睡●バージョンアップ●心の内面は書かない●昼時のデパート●傍若無人●言葉の大きさ●どこが事実と違うの?●デスクワーク●レポート談義●仕事の幅●●●ほか
6月1日(日曜日) お気に入りプレイリストeMacのiTunes(あいちゅーん)では、お気に入りの「プレイリスト」を編集することができます。とゆーわけで、このところ聴いている「オリジナル選曲集」をご紹介します。なお、曲目タイトルやアーチスト名はすべて出典アルバムの表記通りです。
1) I NEED TO BE IN LOVE .....(THE CARPENTERS) 2) WE'VE ONLY JUST BEGUN .....(THE CARPENTERS) 3) Imagine .....(John Lennon) 4) (Just Like)Starting Over .....(John Lennon) 5) Woman .....(John Lennon) 6) そよ風の誘惑 .....(Olivia Newton-John) 7) ザナドゥ .....(Olivia Newton-John) 8) 愛のデュエット .....(Olivia Newton-John) 9) 銀の指輪 .....(チューリップ) 10) 青春の影 .....(チューリップ) 11) サボテンの花 .....(チューリップ) 12) 最後の春休み .....(松任谷由実) 以上、全12曲(42分30秒、48.8MB)♪
6月2日(月曜日) まとめ買いペットボトルのお茶が安かったので、まとめ買いして家まで歩いて運んだ。前にもそんなことをしたような気がするが、きょうは2リットル入りのお茶を6本。スーパーから自宅までは約15分。普通に歩けば何ということもない距離だけど、水はやっぱり重いよ。レジ袋の手提げ部分が指に食い込んでくるもの…。よくよく考えたら12キロもあるんだよね。ずっしり。ほかにも買い物したし。
6月3日(火曜日) 「仕事」について自分が本当にやりたい仕事を見つけるのは案外難しい。幸運にもやりたいことが見つけられたとしても、そういう仕事に就くのはさらに大変だ。生活のために労働力を提供してその対価として収入を得ている、といった感じだけで仕事をしている人はかなり多数派のような気がする。誇りと情熱と志を持って仕事をしている人というのは、残念ながらそれほど多くはないのかもしれない。念願の仕事に就きながら初志を忘れてしまう人もいる。もちろん仕事がすべてではないから、趣味に生きるのも一つの生き方だろうけど。
しかし「仕事に誇りを持っている」と言われても、なかなか未知の仕事を理解するのは難しい。世の中にはいろんな仕事があって、そのすべての内容を知っているわけではないから、どうしても自分の価値基準に基づいて、関心のある対象やあこがれの対象のみに目が向きがちだ。例えば僕は、ジャーナリズムや司法や医療や教育や文芸などといった分野で、社会に深くかかわる仕事に就いている人が志を持って取り組んでいる姿を見ると、もうそれだけで感動と尊敬の念を深く抱いてしまう。
それなら、そういう分野以外の仕事はどうなのか。もちろんどんな仕事も大切で、それぞれ意味があることは頭では分かっているのだが、実はあまり深く考えることはなかった。でも、まるで知らない分野の仕事でも、誇りと情熱と志を持って取り組んでいる人は少なからずいる。誇りと情熱と志を持っていながら、さまざまな事情から、それが果たせずに悔しさを抱えている人もいる。そんな人たちの切ない思いを、恥ずかしながら僕はあまり考えていなかった。大切なことを教えてくれたRさん、本当にありがとう。
6月4日(水曜日) ADSLお預けきょう夕方には工事が完了して念願のADSL開通のはずだったのだが、プロバイダーのサービス変更手続きが遅れていて、残念ながらブロードバンドはまだ未体験だ。モデムやセットアップガイドなどといった小道具は、NTTから既に到着している。プロバイダーに問い合わせたところ「あと数日で必要な関係書類が届くはず」との返答だった。まあ、新しいパソコンを買うまで、ダイアルアップ接続で長いこと細々とやってきたわけだから、今さら数日の遅れくらい何ということもないだろう。のんびり気長に待ちましょう。友達が遊びに来るというので、いつもより少し念入りに掃除する。
6月5日(木曜日) 自炊友達から鍋や食器をもらった。結構オシャレでやや高めだというのは、素人目にも分かる(気がする)。前は自分でも料理を作っていたので台所用品は一通りあったのだが、今の住まいに引っ越す時に処分してからは、ほとんど外食ばかりの生活だ。でもせっかく台所用品をもらったのだから、また料理を始めてみようかなあ。
6月6日(金曜日) ADSL開通ADSLが開通した。ADSLモデムと電話やパソコンとの回線をつなぐ作業も、インターネット常時接続の設定も、あっけないほど簡単だった。確かに接続速度はそこそこ速いような気がする。しかしそれよりも、ネットをしていても電話がつながる環境になったのが大きい。これまでは、ネット接続を解除したとたん電話がかかってきて、「何回かけても話し中だったけど、メールしてたの?」などと聞かれ、チャットをしてたとも言えず(おいおい)、「うん、まあ…」などと答えることが何回かあった。だが、これからはそんな心配をしたり迷惑をかけたりすることもないだろう(笑)。それにテレホタイム(テレホーダイ)などに関係なく、電話料金を気にしないで、いつでもネットができるというのも助かるよなあ。なかなか快適な環境になったかも(でも、ほどほどにしないとね)。
6月7日(土曜日) 速くて便利!ADSLによる接続の速さと便利さを、データのやり取りで特に実感した。例えば3〜5分くらいの長さの音楽ファイルの送受信が、本当にあっという間に完了してしまうのだ。ADSLの利用者同士だと、わずか30秒〜1分程度の所要時間しかかからない。これが普通の電話回線だったら確実に十分以上を要していた。うーん、なんてすごいんだ。っつーか、今までが遅すぎたんだよな。なかなか使えるじゃん。あと、ネット上の画像データの読み込みも速かった。画像がしゃきしゃき表示されて、あまり待たされないのだ。イライラしなくていいから助かる。精神衛生上とてもいい。
さらにさらに、ネットにパソコンをつなぐ作業が瞬時に完了する事実にも感動させられた。これまでのダイヤルアップなら、接続を開こうとするとまず「ぷるるる…」とプロバイダーのアクセスポイントにコールして、それから例の「びーびーびー、くぇ〜」という怪音が高らかに鳴り響き、そしてようやくネットに接続するといった手順が必要だった。でも、ADSLだとそんな面倒なものは一切ない。ここでもイライラは解消されたのだった。
6月8日(日曜日) レポート採点梅雨入り前の害虫退治。とゆーわけで、締め切った自宅でバルサンをたいた。でもこれって結構、準備がいろいろと大変なんだよなあ。部屋が汚れないタイプの燻蒸(くんじょう)薬なんだけど、衣類や布団などは煙が直接かからないように、あらかじめ片付けておかなければならないし、パソコンや光学機器もビニールなどで覆っておいた方がいいらしい。もちろん、終わってからの後片付けもしなければならない。とっても面倒だ。
で、煙が充満している時間に駅前の喫茶店へ。大学の授業で学生たちに書かせたレポートの採点をする。前もってざっと目は通していたのだが、いざ真剣に読んで採点するとなると、かなりの労力を必要とすることを実感した。100人分の採点を終えるのに4時間近くかかってしまったよ。それにしても、レポートをよくよく読んでみると、かなりレベルの差が大きいことに驚かされる。そもそも講議内容をきちんと理解しているか、きちんとした日本語の文章が書けているか、といった段階のものから、自分の言葉で問題点を整理して具体的な事例まで提示しているものまで、まさに玉石混交の状態である。かなり甘く採点してA評価は全体の4分の1あった。B評価とC評価は同数くらいといったところだ。どうしようもないような内容でも、何か書いてあればC評価というのは、大サービスの配点だと思うんだけど。ちなみに未提出者はむろんD評価だ。
6月9日(月曜日) 「セカンド」に記事追加「セカンドインパクト」を更新。「ルポルタージュ」のページに記事を追加掲載しました。「社員はモノじゃない!/まかり通る企業の身勝手」という文章です。解雇ルールの明確化や裁量労働制の要件緩和など、労働法の「見直し」がなされようとしていますが、「それって本当はだれのための見直しなの?」という視点から、労働現場の実態を取材・報告しました。
6月10日(火曜日) 触れるのも疲れる個人情報保護法も有事関連法案も、あっけないほど簡単に国会で可決・成立してしまって、気が抜けたようになっているマスコミ関係者は実はかなりいるんじゃないかと思うけど、僕もその一人で、もうこの話題には触れるのも疲れちゃうよって感じだ。もちろんそんなんじゃだめだっていうのは、頭ではよく分かっているが、なんだかもう馬鹿馬鹿しくってという心境なのだ。ん〜、記者がそんな感じだと、戦争大好きおじさんたちを喜ばせるだけだよね。
6月11日(水曜日) 台所用品大きな鍋と皿とマグカップ、まな板をもらった。包丁は自分で買いなさいということなので、安くて使いやすそうなものを買ってくるかあ。あと足らないものっていうと何だろ。フライパンとフライ返しとおたま…といったところかな。
6月12日(木曜日) ちらっと青空どんよりした曇り空に覆われている。妙に蒸し暑かったり、夕立ちみたいにざっと雨が降ったする天気なのだが、夕方、梅雨空の向こうに青空が少しだけ顔を見せていた。何はともあれ、傘を持ち歩かなくてもいいのがうれしい。傘って荷物になって邪魔なんだよなあ。午後から教職員組合で月1回の編集の手伝い。
6月13日(金曜日) 読みやすい文章僕の書く文章は分かりやすくて読みやすい、というありがたいお言葉をもらうことがよくある。自慢するわけじゃないけど、そんなふうにほめられたらもちろん悪い気はしない。分かりやすくて読みやすい文章で読者に伝えるのは、この仕事の基本中の基本でもあるから、とてもうれしいというのが正直なところだ。でもって、その延長線上として「すらすら文章が書けていいですね、さすが記者さんだ」などと言われることもあったりする。
でもねー、残念ながらすらすらとは書けないんだなあ。いつもほとんど四苦八苦して、あっちこっちでつっかえながら書いているのだ。すらすらと書ける人がうらやましい。ドラえもんがいたら「すらすらボールペン」か「すらすらマウス」をもらいたいくらいである。でも、そうやって七転八倒して書いているからこそ、たぶん読みやすい文章になっているのかもしれないとも思う。「読みやすい文章というのは筆者が相当苦労して書いているものだ」というのを聞いたことがある。そうそう、まったくその通りなんだよ。
6月14日(土曜日) 古きよき米国原稿執筆。だがしか〜し。何だかだらだらしてしまって、原稿がまるで進まない。うーん、困ったものだ。
米国の俳優グレゴリー・ペックが死去。「ローマの休日」の新聞記者役や、ただひとり無実の黒人を弁護する弁護士役など、いわゆる「古きよき時代の米国の良心」を体現していた名優だ。本人自身もリベラルな主張を貫いていたらしい。「米国の自由と民主主義」なるものを、今ではとてもじゃないが素直には受け取れないけど、この人にはそういう信頼感やカッコよさがあった。
6月16日(月曜日) 脱稿そんなこんなで、なんとか原稿を書き上げて編集部に送信する。部屋の掃除も無事完了。そう言えば、このところ週に1回はちゃんと掃除しているなあ。うんうん、なかなか感心じゃないか(っていうか、掃除くらい毎日やれよな)。
6月17日(火曜日) 原因不明の接続不良ポルトガル製のポットをもらった。大きめなのに軽い。封を開けてなかった「桜の紅茶」を入れて飲んでみる。味は普通の紅茶だけど、桜の香りがふっと漂ってきて好評。少しずつ台所らしくなっていくじゃん。「復元」と言っていいのかもしれないけど(笑)。
昨夜遅くに突然ADSLの接続がおかしくなって、モデムのラインが点灯したリ消えたりを繰り返す。その都度、回線が切断されてしまう事態になった。NTT故障センターは24時間の受け付け体制だと言いながら、やっぱり深夜は録音受け付けだったりするので、あきらめて朝起きてから問い合わせる。NTT側で障害が発生したわけではないらしく、原因不明のまましばらく擦った揉んだを続けていたが、職員の指事に従ってモデムとパソコン本体と両方を再起動させたら、接続状態は正常に戻った。うーん、何だったんだろう。
6月18日(水曜日) 成績評価の転記風邪気味なのかなあ、ちょっとのどが痛い…。学生たちのレポート採点結果を教務に提出するため、履修者名簿の成績評価欄に転記清書する。写し間違えたりしないように注意しなければと、何回も確認しながらの作業なので、少しばかり緊張する。せっかくいい評価だったのに、不可なんて間違って転記されたら困っちゃうよね。その逆のケースが発生しても大変だし。いろいろ気を使うことが多くて大変だよなあ。あと手紙を一つ書く。あしたの午後にでも成績評価と一緒に郵便局に出せばいいか。
6月19日(木曜日) 村山由佳「晴れときどき猫背」村山由佳の「晴れときどき猫背」を読み終える。房総半島での田舎暮しのスタートを描いた「海風通信〜カモガワ開拓日記」の続編にあたるエッセイ集だ。村山家にやってきた動物たち(中でも猫たち!)を通して、「生き物や自然と気持ちよく生活できる暮らし」について考えさせてくれる。
子どもの時から大の猫嫌いだった夫が、次第に猫を受け入れるようになり、ついには自分の愛娘のように猫かわいがりするようになるまでの変化だとか、庭先に迷い込んできた野良猫が居着くようになって、生活のすべてが猫中心になっていくさまだとか、猫の子育てと「子別れ」に動物の世界のオキテを見てしまう場面だとか…。読みながら思わず苦笑したり微笑んだり、切ない気持ちにさせられて、心配のあまりハラハラドキドキしてしまう。そんな村山さんちの動物ドラマがたくさん詰まった一冊だ。
何よりも、猫たちの自由奔放でやんちゃでかわいらしい日常が、魅力たっぷりに描かれているのがたまらない。猫嫌いの人でも、読むにつれてきっと大好きになるだろう。庭で日なたぼっこしたり、ソファの上でお腹を出して昼寝したりと、村山家の猫たちの幸せそうな表情をとらえたカラー写真もふんだんに収録されていて、なかなかオススメのエッセイ集になっている。それにしても小説もそうなんだけど、この人の文章表現や描写は本当にうまいよなあと、読むたびに感心させられてしまう。
◇◆◇ 元同僚記者から電話がかかってきて、駅前の喫茶店で久しぶりに会って話をする。まるっきり完全に会社から制約を受けず、約1年にわたって自由に時間を使って好きな取材ができる…。そんな夢のようなポジションに異動になったので、長期連載に向けて準備をしている、と元同僚は言う。新聞記者としての身分を保障されて、フリーハンドで記事が書けるなんて、どこの新聞社の記者でもそうそう許されることではない。志を持った記者ならば、例外なくみんなそういう立場で取材したいと考えている。めったにないチャンスなのだから、全力でいい取材をしてほしいと思う。話を聞きながら僕もいい刺激を受け、頑張ろうという気持ちにさせられた。
6月20日(金曜日) 買い物横浜駅で友達と待ち合わせて、いろいろと買い物をする。本日のメインテーマの買い物(謎)は予定通りすんなり終えたのだが、台所用品で意外と手間取ってしまう。店によって力を入れている商品が相当異なっていて、値段や品揃えにかなりの格差があるのだ。しかもである。昨日は某スーパーで約2千円のフライパンを買ったのだが、それがなんと今日行った別の某スーパーでは、わずか数百円で売られていたりして…。あーあ、大損だよ。しかしまあ、そんなこんなで料理ができる体制が整ったので、家に帰ってミートソースを作って食べる。うん、うまいうまい。
6月21日(土曜日) 山手線で爆睡睡眠時間2時間ほど。めちゃめちゃ眠いけど、気分的にはそんなに疲れてはいない。久しぶりに入ったモ◯バーガーで朝食を取ってから東京へ。時間調整を兼ねて山手線を1周半ほどして、しばし爆睡(笑)。池袋の書店を物色してから、大塚の出版社の編集会議に顔を出す。なんだかよく分からないうちに、某大学の先生から別の出版社の仕事を依頼されたりする。なんじゃそりゃ。でも、面白そうな企画なので引き受ける方向で検討する。午後9時帰宅。さすがにかなり疲れました。それにしても、きょうは酷暑だったなあ。
6月22日(日曜日) バージョンアップeMacのソフトウェアアップデートを使って、MacOSXを10.2から10.2.6に、さらにiTunes(あいちゅーん)を3から4に、それぞれバージョンアップする。どこがどう変わったのか、ドシロートの僕にはさっぱり分からないんだけど、アップした方がよいと複数の友達から勧められていたので、きっとそのうち何かいいことがあるに違いない。あ、そうそう、あいちゅーんのアイコンのカラーがパープルからパステルグリーンに変わりました(♪)。
6月23日(月曜日) 心の内面は書かないプロ野球セリーグの「あの球団」が、相変わらず快進撃を続けている。2位以下のチームに大きく差をつけて、しかも追いすがる宿敵チームを完膚なきまでに叩きのめすカッコよさである。うーん、これは「勢いがいいのは最初だけ」といった去年までのパターンとは、かなり様子が違うのではないか。「ひょっとしたら今年は」などと期待してもいいのではないか。「あの球団」なんて書き方をしなくて、堂々と絶賛賞賛のメッセージを書き綴っても問題ないのではないだろうか…。いやいや、最後の最後まで安心してはいけないのが、やっぱり「あの球団」なのだ。絶対大丈夫という瞬間まで気を抜かせてもらえないところこそ、「あの球団」のファンに課されたお約束なのかもしれない(おいおい)。
とまあそんなこんなで「あの球団」のことはさておいて、書きたいことや思っていることが書けないというのは、どんなことについてでもあるわけで、この「身辺雑記」でも、僕自身の心の中身をいつもそのまま文字にしているわけではもちろんない。うれしかったことでも書かない事柄はいくらでもあるのだし、ましてや落ち込んだり、揺れ動いたり、打ちのめされたり、泣きそうになったり…といった心の内面は、たぶんここには絶対に書かないだろう。間接的な表現でほのめかすようなことは、ごくたまにあるかもしれないけど、それだってだれにでも分かるような書き方はしない。そこまでは自分をさらけ出せないよね。
6月24日(火曜日) 昼時のデパート昼休み時のデパートのレストラン街は、おばさんパワーにあふれかえっている。買い物やカルチャーセンターの帰りかどうかは分からないが、なんだか解放感に満ち満ちた感じで、午後の時間をお過ごしになっているといった雰囲気だ。大勢で夜の宴会のように大騒ぎしているのにはちょっと閉口するけど、楽しそうにやっているんだから、まあいっか。だけどきっと、みんなそれぞれの家庭に帰ると、人には話せないような問題や複雑な悩みを抱えているのかもしれないよなあ。人間の社会っていうのはいろいろあるからね。友達と食事をしながら、そんなことをぼーっと考えるのだった。
6月25日(水曜日) 傍若無人午後、髪の毛をやや短くカット。夕方から東京・神保町へ。友人記者の雑誌の受賞パーティーに顔を出す。お行儀が悪いというか傍若無人なマスコミライター(こういうのを僕はジャーナリストとは認めない)が多くて、正直言ってあきれる。主賓が話している最中だというのに、でかい声で携帯電話を延々とかけているのにはびっくりだ。主賓に対して失礼とかどうとかよりも、そもそもやかましくて迷惑なんだって。外に出て話せよ。こういうやつがどんなに立派な記事を書いたとしても、僕はまるっきり相手にしないね。このほか、押し付けがましい演説を絶叫調で始める連中もいて、隣にいた新聞記者と思わず顔を見合わせてしまう。思い込みが激しくて、自分の価値観を他人に平然と強要する人間は苦手です。
しかしそういうのばかりではなくて、前からぜひ一度会いたいと思っていたジャーナリストから声をかけられたり、元同僚記者と再会して久しぶりに話をしたりする機会などもあって、パーティーに顔を出したのはまったく無駄というわけでもなかった。終了後、旧知の編集者に誘われて近くのパブへ。飲みながら、原稿依頼と取材の打ち合わせなど。午前1時前帰宅。
6月26日(木曜日) 言葉の大きさ高校生の時からお世話になっているジャーナリストから、うれしい手紙をいただいた。「学校新聞と教育」をテーマにした雑誌の編集長を長年続けてきた方で、新聞部の部長だった僕も高校〜大学時代に、同誌で連載コラムを書かせてもらったことがある。しばらく休刊していた同誌が復刊するというので、「スクールジャーナリズムと学生自治の活発な活動こそが、質の高いメディアを育て、民主主義のすそ野を広げることにつながると思います」といった内容のメッセージをお送りしたところ、編集長から「君の手紙を読んで逆に勇気づけられた」とのお返事をいただいたのだ。
編集長の手紙は、こんな言葉で締めくくられていた。「元気をくれてありがとう。一人で一歩先を歩くのはマグマがいる。時としてそれが弱まった時に疲れる。そんな時、君の手紙を読み返して前に一歩進むことにする」…。はるかに先輩のジャーナリストが、若輩者の僕なんかの手紙に「元気をもらった」と言ってくれたことが、恐縮でもありうれしくもあるけれど、文字や文章というものはそういうふうにして人の心に響いていくんだなあと、改めて言葉の持つ意味と大きさについて考えさせられた。何気ない一言に勇気づけられ、なぐさめられ、背中を押され、励まされることって、たくさんあるもんなあ。そういう存在を大切にしたいと思う。
6月27日(金曜日) どこが事実と違うの?午後から東京・新宿の都庁へ。公立中学校教員処分に関する人事委員会の公開口頭審理を傍聴取材する。この日は申立人である教員の意見開陳と校長に対する証人尋問が行われたのだが、なんと証人尋問の中で校長は「週刊金曜日の記事には事実と違うことが書かれているので、学校で対応してほしいと保護者から要望があり…」などと繰り返し証言したのである。おいおい、それって僕の書いた記事のことじゃん…。「事実と違う」ってどういうことだよ。記事を発表してから1年半以上が経っているが、編集部にも僕のところにも抗議や申し入れなんて一切ないじゃないか。そもそも綿密な取材を積み重ねて執筆しているので、文句の言いようなんてないはずなんだけど、公の場所で公僕がそういうことを言うのなら、記事のどこの部分がどのように「事実と違う」のかはっきり示せよな。傍聴席や弁護士からも「大岡さん悪者にされちゃったね。これって名誉毀損じゃないの」と声がかかる。本当だよ。まったくもって失礼だな。次回の口頭審理で弁護士さんに徹底追及してもらわなきゃ。
せっかく新宿に来たので、京王百貨店へ。ここには関東で唯一の阪神タイガースショップがあるのだ。球団の快進撃を受けて売り上げも絶好調だとのことで、売り場を示す張り紙もあっちこっちにべたべたと掲示されているおかげで、迷うことなくショップにたどり着いた。でも、あまり買いたいと思うグッズはなかった。球団マークのピンバッジでもあれば買うつもりだったけど、ダサくてカッコ悪いのばっかり。まあ、グッズがなくても応援していますから。
6月28日(土曜日) デスクワークひたすらデスクワークの日。速達で届いたゲラをチェックして、短い原稿を1本書いて、来週末に頼まれている講演のレジュメをまとめる。なんだかたくさんお仕事をした気分だなあ(笑)。
6月29日(日曜日) レポート談義この前、元同僚記者の一人に「学生に書かせたレポートのうち、まともなのは1割くらいしかなかった」とこぼしたら、「それだけいれば立派じゃないか」と言われてしまった。記者いわく「新聞社の中にまともな記事を書けるやつがそんなにいるかよ」。だから、ちゃんとしたレポートが書ける学生が1割もいるのは、この国の将来を考えると期待できる素晴らしいことなのだ、というのである。なるほど。なんて前向きな考え方なんだろう。まったくその通りだなあと、僕は思わず深くうなずいてしまったのだった。うーん、しかしなあ、言論・報道機関の新聞社に「まともな記事を書ける記者が少ない」というのも、いかがなものかと思ってしまうわけで、それはそれで大変な状況なのではないだろうか…。
6月30日(月曜日) 仕事の幅僕の公式プロフィールはこんな感じだ。「196X年生まれ。新聞記者を経て、1999年からフリージャーナリスト。教育、人権、司法改革、メディアなどの問題に関心を持って取材している。大岡みなみのペンネームでも執筆。2003年から◯◯大学非常勤講師(現代ジャーナリズムなど)。著書に『日の丸がある風景』、編著書に『裁判官Who's Who/東京地裁・高裁編』など」…。ちなみに新聞や雑誌などの活字媒体に掲載する場合は、ここでは伏せ字にしてある部分もすべて実名表記である。
で、どちらかというと、これまでの取材の中心は教育問題で、その中でも「ナショナリズムと民主主義と教育の独立」に関するものが多かったのだが、最近は司法について取材する比重がぐっと増えてきた。こちらからの企画だけでなく、編集者から依頼される仕事も司法関係が結構多いのだ。やっぱり「裁判官もの」の本を出した影響が大きいのかな。もともと関心があった分野だからありがたいことではある。今後ますます、そっち方面の仕事が増えるのかもしれない。いずれにせよ仕事の幅が広がるのはいいことだよね。