身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2007年11月1日〜11月30日

●教師の「権力性」について●「調書引用」取材姿勢に疑問●居酒屋卓球●福田首相の逆転本塁打●有権者への裏切りだ●恥知らずな茶番劇でした●教員氏名収集で第1回審議会●勘違い記者の傲慢●勘違い記者の傲慢・その2●プログラム印刷●恥知らずな安倍前首相●記者クラブの役割●「東京大噴火!」●ファクス機種選定で迷う●格差社会と学校●視聴率調査●授業テーマ2本立て●NECのファクスに軍配●ファクス設置●ネット社会の光と影●ひたすら電話●●●ほか


11月1日(木曜日) 教師の「権力性」について

 教師の「権力性」について、10月22日付「身辺雑記」で少し触れましたが、これに関連していくつか感想のメールなどをいただいたので、補足の文章を掲載します。返信メールに書いたものをベースにしました。ご意見やご感想のメールには、僕自身いろいろと触発され自省することが多いです。ありがとうございます。

◇◇

 教師の「権力性」には、2つの側面があります。権力装置の末端として(権力の代弁者として)、生徒に強制して従わせ、影響を及ぼす側面が一つ。そしてもう一つは、教師が自分自身の思想や価値観を生徒に押し付ける側面です。

 国家(政府)の意思を具現化するための装置として、教師が権力機構の一端を担わされる立場にいるという現実は、「教育行政や管理職」と「教師」との対立関係を背景に、教職員組合がずっと闘争課題としてきたテーマでもあります。為政者に都合のいい人間を育てるために、学校教育を利用する。「管理と強制」を強めようとする教育行政(政治家)の思惑は、まさにそこにあるのでしょう。

 一方、「国家」対「教師」の関係とは別に、教師自身が持つ「権力性」も、それと同じように重大な問題だと言わざるを得ません。右翼であろうが左翼であろうが、あるいは宗教であっても、教師が生徒に対して、特定のイデオロギーや価値観を「一方的に」注入することの意味と問題性について、教師はしっかりと自覚しなければならないと思います。

 もちろん僕は、教師は自分の意見や考えを、生徒に対して語りかけても何ら問題はないと考えています。ただしその場合には、いろいろな学説や見方や考え方があることを、客観的事実とともに公正に示した上で、生徒が判断するための材料の一つとして、「自分はこう考える」と話すことが必要でしょう。これは、ジャーナリズムの基本とも重なります。都合の悪い情報はあえて示さず、一方的な情報や価値観だけを伝えるのは、「報道」ではなく洗脳でありプロパガンダです。

 自分の頭で考えて判断できる自立した社会人を育てるのが、教育のあるべき姿だと僕は信じています。そのためにも、さまざまな考え方やものの見方を知らせ、伝えていくのが教師の最も大切な役割だと思います。国家(特定の政党)の意思・価値観を伝える装置でもまずいし、教師自身の思想・価値観を押し付けるべきでもない。しかし果たして、どれだけの教師が(教育行政の役人も)そういうことを自覚しているか、または考えたことがあるか(考えたことがないか)。取材していてとても不安を感じるところです。


11月2日(金曜日) 「調書引用」取材姿勢に疑問

 奈良の医師宅放火殺人事件をめぐって、少年院に送致された17歳の長男の供述調書などを引用した単行本の著者に、調書や鑑定結果など職務上知り得た秘密を正当な理由なく漏らしたとして、奈良地検は長男の精神鑑定医を起訴した。著者は立件されず(不起訴処分)、情報提供者だけが起訴されるというのは、情報提供者を委縮させ、取材・報道・表現の自由を侵害し、知る権利の制約につながるおそれがある。公権力による介入は決して容認できない。

 しかしその一方で、この単行本の著者にはいくつも重大な問題がある。供述調書をそのまま引用したことで情報提供者が特定され、取材源を守れなかったのは論外だが、それとともに、調書をそのまま引用したという著者の「取材姿勢そのもの」に大いに疑問を感じる。情報提供者(取材源)への配慮が足りないだけでなく、少年本人に対する配慮が決定的に欠けているのではないか。供述調書はあくまで捜査機関の作成した資料であって、少年の言い分や真実がきちんと記載されているとは限らない。そういう認識を持っていたならば、捜査資料を無批判にそのまま引用するなどといった表現手法を取っただろうか。取材源と信頼関係を築いて情報を入手することは何ら問題はないが、入手した情報に対する問題意識と表現方法はあまりにもお粗末すぎると言わざるを得ない。著者は根本的な過ちを犯した。その結果、公権力の介入を招いてしまったことを、著者と出版社は猛省すべきだ。


11月3日(土曜日) 居酒屋卓球

 昼過ぎから都内。早稲田大と学習院大の大学祭へ。夕方から神奈川・藤沢で、県立高校の先生たちの自主研究会に参加。公立高校と私立の進学率、定員枠の変遷をテーマにレクチャーを受ける。終了後、茅ヶ崎に場所を移して、県立高校の元教師が経営する居酒屋で飲み会。自然食・憲法・平和・人権にこだわっているというなんとも(かなり)ユニークな店だ。四万十川の焼酎と沖縄・久米島の酒を振る舞われたが、久米島の泡盛は度数が高くて僕にはちょっと無理だった。店の3階には卓球台もあって、ものすごく久しぶりにラケットを握った。「温泉卓球」ではなくて「居酒屋卓球」である。10年以上ぶりだと思うが、酔っている割はまともに打ち返せた気がする(むしろ飲んでいる方が上手いかも)。


11月4日(日曜日) 福田首相の逆転本塁打

 民主党の小沢一郎代表が突然の辞任表明をした。福田康夫首相との党首会談で混乱を招いた責任を取るためと、自民党との連立政権構想が役員会で拒まれたのは不信任を受けたのと等しいから、辞めるのだという。安倍前首相が政権を突然放り出した無責任さやデタラメさと、なんだか通じるものがあるよなあ。そう感じた人は少なくないんじゃないか。しかし、このところの小沢代表の支離滅裂ぶりを考えれば、代表を辞めるのはむしろ当然だとも思う。民主党の被るダメージは量りしれないだろうけど。

 福田首相が民主党の小沢代表とのトップ会談の席で、民主党との連立政権を提案し、民主党側は党役員会に諮った上でこの提案を拒否した、というニュースにまず感じたのは、「この時期に連立政権なんてあり得ないだろう」「そもそもトップ会談でそんな提案を持ちかけられること自体が、民主党にとっては相当なイメージダウンだし、大変なダメージになるだろうな」ということだった。参院選で大勝して、防衛問題や年金問題でも自民党を追い詰め、解散総選挙をにらんでまさに政権交代を迫ろうとしている民主党が、このタイミングでわざわざ連立政権に乗るなんて常識では考えられない。もしそんなことになれば、「じゃあ参院選で示した民意はいったい何だったんだ」ということになるだろう。政権交代に少なからず期待して一票を投じた有権者にすれば、「馬鹿にするのもいい加減にしろよ」と思うのが普通ではないか。

 「密室談合はしない。国会で堂々と議論する」と言い続けていたはずなのに、そんな提案をされるようなトップ会談にのこのこと出かけて行ったことがそもそも理解しにくい。しかもその場で提案拒否を即答しなかった小沢代表の真意がさっぱりつかめず、小沢代表と民主党への強い疑念と不信感を抱かせただけだった。逆に自民党にしてみれば、民主党内を引っかき回して対外的にもダメージを与えただけで、自身には何もマイナス要素はない。さすがは老獪な福田首相、見事なお点前ですねと言うしかない手腕だ。

 そう思っていたら、小沢代表の突然の辞意表明だ。小沢代表は自民党との連立政権協議に乗る気でいっぱいだったという。驚くよりも呆れるばかりで、もうなんだかなあと言うしかない。もはや政権交代どころではなく、これでは総選挙そのものが民主党惨敗に終わるんじゃないか。ちゃぶ台がひっくり返されたどころではない。盛り上がっていた芝居の最中に、主役が舞台を突然めちゃめちゃにして勝手に去って行ったという感じだ。劇団員も観客も唖然呆然。窮地だった福田首相の逆転満塁ホームランである。敵を大混乱に陥れただけでなく、ひょっとしたら先方は自爆して崩壊までいくかもしれない。しかしもちろん一番のとばっちりを受けるのは有権者だ。政治への不信感と失望感は果てしなく広がるに違いない。


11月5日(月曜日) 有権者への裏切りだ

 民主党の小沢代表の辞任表明に、福田首相はしてやったりとほくそ笑んでいることだろう。党首会談に小沢代表が応じただけでも民主党にとっては大きなイメージダウンなのに、あろうことか連立政権の提案にまんまと乗ってきて、そればかりか敵の大将が辞任表明までしてくれたのだから、想定外の展開に福田首相は笑いが止まらないに違いない。民主党に予想以上のダメージを与えた福田首相の大金星といったところか。

 それにしても、辞任会見の場で「政権担当能力がない。総選挙には勝てない」とまで言い切った小沢代表を、民主党役員の面々が必死で慰留しているのは、ちょっと信じられない光景だ。「僕のことを構ってよ」と駄々をこねている幼児を、なだめすかしている母親みたいで滑稽でさえある。だが、総選挙で勝利して政権交代を目指し、国民の生活に根ざした政策を実現しようと訴えていたのに、それとまるで矛盾したことを公言する党首など本来あり得ない。政権担当能力がないのに政権交代を主張していたのかよ、ということになるではないか。ひど過ぎるにもほどがある。有権者にも民主党員に対しても裏切り行為だ。

 しかし、それでも小沢代表に頼らなければ党が持たない御家の事情があるそうで、なんとも哀れで涙を誘う。小沢氏を下手に刺激してつむじを曲げられたら、野放しになって何をするか分からない。離党して自民党と手を結ぶかもしれないからだが、そんな小沢代表に期待して参院選で民主党に投票した有権者が何よりも哀れだ。梯子を外されて行き場を失った格好の有権者に、次の総選挙で何を信じろと言うのだろう。「やっぱり自民党だよね。年金問題や薬害問題で国民に煮え湯を飲ませ続けても、閣僚たちがウソや暴言を吐き続けても、防衛省の事務次官が軍需商社と癒着を続けても、米国の言いなりに自衛隊を海外派兵し続けても、それでもやっぱり自民党だよね」と言うしかないのだろうか。


11月6日(火曜日) 資料収集

 裁判所と弁護士会と検察庁と図書館を回って資料集め。とりあえず必要としていた資料はすべて入手。


11月7日(水曜日) 恥知らずな茶番劇でした

 民主党の小沢代表が辞意を撤回し、続投することになった。みっともないにもほどがあるだろう。「恥をさらすようだが、もう一度頑張りたい」というより、むしろ「恥知らず」なだけではないか。ころころと態度を変えて支離滅裂な小沢氏本人も情けないが、それよりもっと情けないのは、小沢氏に「辞めないで」とすがりついた民主党の役員と国会議員たちだ。「もうあんたなんか要らないよ」と引導を渡すことができず、続投させるしか道がなかったんだろうけど、民主党の信用は地に落ちた感じである。

 「がっかりした」という声はかなり聞くから、民主党に期待していた人は結構いたと思うんだよね。せっかく参院選であれだけ勝って、安倍前首相の醜態を筆頭に自民党の腐臭が次々に噴き出して、どこからどう見てもほとんど王手がかかっていたのに、本当にもったいないよなあ。てゆーか、ここまでひどい自爆をするなんて大馬鹿者だとしか言いようがないよ。こんな状態で政権交代なんて、まず絶対に無理だよね。

 「ワケワカラン」「フザケンナ」「失望したヨ」というのが、世間一般のごく普通の感想だろう。そもそも「連立政権」なんてヨタ話に「引っ掛けられた」こと自体が問題だけど、そんな馬鹿げた話に「乗っかろうとした」ことも論外だし、その後のドタバタも噴飯ものだ。まったくもって有権者不在のとんでもない茶番劇でした。制作:劇団連立工房、座長:小沢一郎、ダイコン役者:小沢一郎と不愉快な仲間たち、作・演出・脚本:福田康夫、広報担当:渡辺恒雄。

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 午後から授業。きょうのテーマは「整理部記者って何?」。新聞社の中核的存在である整理部の記者の仕事を通して、ジャーナリズムの問題点とあるべき姿を理解させる。分かりやすくて面白い見出しや、読みやすい紙面レイアウトを考えるだけでなく、実はニュースの価値判断をすることこそが最大の仕事であることを説明した。まさに記者としての姿勢や視点が問われるのが、整理部記者のポジションなのだ。「きれいな紙面」と「問題意識を持った紙面」とは違うということは、とりあえず理解してくれたようだ。


11月8日(木曜日) 教員氏名収集で第1回審議会

 夕方から横浜・関内。神奈川県個人情報保護審議会の審議を傍聴取材する。審議会終了後、教職員有志や弁護士らの報告集会。その後、県立高校の先生たちに誘われて焼き鳥屋へ。「なかなか面白い審議会だった」と大いに盛り上がる。30分だけのはずがやっぱりそうは問屋がおろさず、終電近くまで飲み食いした。

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 卒業式や入学式の国歌斉唱の際に起立しなかった教職員の氏名などを、神奈川県教育委員会が校長に報告させていた問題10月29日付「身辺雑記」参照)について、同様情報を今後も継続して収集することが問題ないかどうかを検討する県個人情報保護審議会(会長=兼子仁・都立大学名誉教授、十五人)が八日夜、横浜市内で開かれた。

 県教委は、県個人情報保護審査会から「氏名情報は条例が取り扱いを禁止する個人の思想・信条に該当する」との答申を受け、条例の「例外規定」適用を求めて審議会に諮問していた。この日の審議会は、「全員で審議するのがふさわしい」(兼子会長)として出席した十二人の委員全員による全体会で審議。県教委による諮問理由の説明と委員から県教委への質疑が行われたが、結論は出ず、次回以降もさらに審議を続けることになった。

 氏名収集の理由について、県教委は「国歌斉唱時に教職員は起立して範を示すことが求められている。起立しなかった教職員を校長とともに指導するため、氏名情報を把握する必要がある」と審議会で述べ、引き続き情報収集できるよう求めた。これに対して、委員からは「斉唱まで命令しているのか」「教職員の処分はあるのか。なぜ氏名を集める必要があるのか」などの質問が出た。

 県教委は「斉唱までは求めていないが、教職員には範を示してほしい。これまで神奈川県では不起立教職員を処分したことはない。粘り強く指導を続けている。継続的に指導するために氏名の報告が必要だ」との説明を繰り返した。また、「式は混乱しているのか」との質問には、「混乱したとの報告は受けていない。形としてはきちっと整っている」と回答した。

 審議を傍聴した教職員組合の役員は、「指導するために氏名が必要だというが、それなら校長が把握していればいいわけで、県教委に氏名を報告する必要はない」と県教委の主張を批判した。審査会に異議申し立てをしていた教職員らは、「審議会委員から鋭い質問がたくさん出されて面白かった。答申に期待している」とこの日の審議会を評価した。

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 勘違い記者の傲慢 審議会には多数の報道陣が詰めかけたが、傍聴取材をめぐる一部マスコミの傲慢で傍若無人な振る舞いには、不快感を禁じ得なかった。カメラ撮影について審議会側は、「撮影は審議冒頭の頭撮りだけでお願いしたい」と要望し、これに対してNHKとtvkと東京新聞の記者が「それはおかしい。公開の審議会なのになぜ全部撮影できないのか。理由を説明しろ」と強硬に抗議。審議会側は「審議に集中したいから冒頭の撮影だけにしてほしい」と説明したが、NHKの女性記者と東京新聞の男性記者は居丈高な態度に終始して、担当職員との間で押し問答がしばらく続いたのだ。

 取材規制や取材制限に加担するつもりは毛頭ないが、裁判や多くの審議会などでは冒頭撮影だけというのはよくあることだし、「審議に集中したい」という審議会側の言い分は必ずしも不当な理由ではない。要するにテレビメディアとしては、「テレビ受けするいい映像」が必要なだけなのだ(現にNHKの女性記者は審議会の担当職員にそう説明していた)。それに、審議そのものの取材には何も制限はなかったのだから、審議を最初から最後まで撮影させろというのは説得力のある要求とは思えない。結局、NHKと東京新聞の記者が主張を押し通し、カメラ撮影は審議中盤まで続けられた。

 はっきり言ってテレビカメラは、傍聴者にとっても記者にとっても邪魔な存在でしかない。集中できないのは必ずしも審議会の委員だけではないのだ。危惧していた通り、NHKとtvkのテレビカメラは会場内を右往左往し続け、しかもガチャガチャと大きな音を立てて、ビデオテープを放り投げて音を立てるなど、委員の発言内容がよく聞き取れなくなるし気は散るし、実に迷惑だった。僕も含めて新聞記者は冒頭だけ撮影して静かに着席したが、テレビクルーにはそもそもなるべく静かにしようとする配慮のかけらさえ感じられない。定位置から複数のカメラで撮影するとか、できるだけ音を立てないように動く努力をするとか、そんな気配りをするならまだしも、なんとも度し難い傍若無人さだった。

 こんな調子の傲慢な振る舞いを平気で続けているから、マスコミは市民から嫌悪され、敵視される対象になってしまうのだ。「全部撮影させろ」「冒頭撮影だけしかさせない理由を説明しろ」と、審議会の担当職員に向かって居丈高な態度でねじこんだNHKの女性記者と東京新聞の男性記者は、それでも同じことを主張し続けるのだろうか。東京新聞の男性記者は県政記者クラブの幹事なんだそうだ。だったら、審議会が始まる直前にもめて開始時間を遅らせるようなことをせず、事前に撮影条件について審議会側と詰めておけばいいではないか。それが幹事の仕事だろう。審議会を傍聴した教師によると、この記者は授業時間中に電話をかけてきたそうだ。なるほど、そういう記者なんだ。


11月9日(金曜日) 勘違い記者の傲慢・その2

 きのうの11月8日付「身辺雑記」の後半で書いた記事の小見出し「傲慢記者の勘違い」を、「勘違い記者の傲慢」に修正しました。まあ別にどっちでもいいんだけど、なんとなく後者の方がしっくりくるので。ついでに、せっかくなので少し補足を。

 審議会側が審議そのものを取材させないとか、非公開にするなどと言ってきたのであれば、記者は厳重に抗議して抵抗すべきなのは言うまでもない。今回の審議対象となった「個人の思想・信条に関する情報の収集」は社会性のある問題であり、審議の過程を広く社会に速やかに伝えるのは公益性が極めて高いからだ。行政当局が正当な理由もなく一方的に審議過程を非公開にし、取材や傍聴を排除して密室で審議することになれば、国民の「知る権利」を著しく侵害することになる。もしもそんなことになれば、記者は一致団結して、命がけで「知る権利」「報道の自由」を守るために闘わなければならない。

 しかし、今回はそうではない。写真撮影やテレビカメラが審議会冒頭に制限されたからといって、取材活動そのものに支障が生じることはない。もちろん審議中もずっとカメラを回し続けて、「テレビ受けする映像」が得られた方がいいに決まっているが、「テレビ受けする映像」が欲しいというのはあくまでもテレビ局側の都合に過ぎない。それに、審議中の撮影によって「審議に集中できない」のは審議会の委員だけでなく、ほかの取材記者や一般傍聴者にしても「審議に集中できない」おそれは多分にある。審議会側が示した「集中できない」という理由には十分な説得力があった。少なくとも審議会冒頭での撮影の機会は確保されていた。国会の証人喚問ならいざ知らず、「居丈高に」食い下がる場面ではなかろう。

 東京新聞の男性記者は、「公開されているのになぜ撮影できないのか。理由を説明しろ」と県庁職員に詰問を続けて、「その回答も含めて記事にするから」などと強く迫った。その記者の言動をすぐそばで聞いていて、あまりに居丈高な態度に驚くとともに、「そんなものを記事にしてどうするんだろう」と心底呆れてしまった。記事にするなら、審議会の議論や本質的な内容の分析にこそたくさんの紙面を割くべきで、力の入れ方と方向がズレまくっていると思った。怒る対象やタイミングはそこじゃない。そんなところに力を注いで何がしたいのかまるで意味不明だ。

 「取材だ」「記者だ」と言えば、どんなことでも通ると思っているのかもしれないが、まさにこれこそ「勘違い記者」の典型的なパターンである。残念ながらこういう「勘違い記者」が少なからずいるから、「記者というのは傲慢で偉そうな連中だ」などと批判されて、本来なら手を携えるべき市民から反感を持たれ、敵視されてしまうんだよなあ。実際に審議会が始まってからのテレビカメラの傍若無人ぶりは、きのうの「身辺雑記」で紹介した通りだ。他者への配慮がなく、想像力も働かせず、自己都合だけを大声で要求しても説得力は全くない。一見すると権力に対峙しているようだが、そんなものはジャーナリズムの「権力監視」とは関係ないし、どんなに立派な記事を書いたとしても共感は得られない。

【追記】東京新聞の記者の態度には呆れたが、記事もひどかった。一方的な感情と思い込みが前面に出ていて、論理的にも文章の展開も乱暴で、記者の作文か週刊新潮の記事のようだった。僕がデスクなら書き直させます。(2007/11/13)


11月10日(土曜日) 同窓会欠席

 出身中学校の創立50周年同窓会が都内で開かれたが、雨が降っていたのでパスすることにした。悪天候はまあ半分冗談だけど、同期生の集まりがほかの期に比べてよくないとの情報があったのと、幹事の事務連絡がいい加減だったので、面倒くさくなって欠席したというのが理由だ。会費だって決して安くはないし、知らない人ばかりの同窓会に顔を出しても面白くないよなあ。


11月11日(日曜日) プログラム印刷

 午前中から東京・飯田橋。東京ボランティア・市民活動センターで、イベント「東京大噴火!/お笑い日本の裁判所」(11月15日午後7時、中野ゼロ小ホール)のプログラムなどを印刷。大学の授業で使うレジュメや資料と同じ要領で、新聞や雑誌記事、最高裁判所事務総局の裁判ガイドなどをミックスし、A4判8ページ(A3判2枚に両面印刷)のものを作った。バランスよくニュートラルな立場で作成したつもりなので、イベント関係のページを外せば、中学や高校の授業でも使えるんじゃないかと思う。余っても捨てたりしないで、社会科や総合学習(法教育)の教材などで活用してほしいなあ。午後から四谷で実行委員会。スタッフ全員で、プログラムにチラシなどを挟み込む作業。これでイベントの準備はとりあえずほぼ終わった。めちゃくちゃ眠い。夕方で退散する。


11月13日(火曜日) 恥知らずな安倍前首相

 安倍前首相が1カ月半ぶりに国会に登場。テロ対策特別措置法案採決のため衆院本会議に出席した。「今後も議員としての責任を果たしていきたい」のだそうだ。辞意を表明したり撤回したりと、態度をころころ変えて支離滅裂だった民主党の小沢代表もかなり恥知らずだと思ったけど、安倍前首相はそんなのとはまるで比較にならない恥知らずぶりだなあ。国家権力の最高責任者としての職責を投げ出しておいて、「議員としての責任」も何もないだろうに。よく恥ずかし気もなく公の場所に堂々と姿を現す気になったなあと驚かされる。真っ当な政治家だったら政治の世界からきれいに足を洗って、田舎にでも引っ込むのが筋ではないのか。さすが厚顔無恥な安倍前首相だ。真っ当な政治家なんかじゃなかったんですよね、これは大変失礼しました。ご自分の政治生命は既に終わっているということに、ひょっとしたらまだ気付いていないのかもしれない。だとしたらなんだかとても哀れで、かわいそうにも思えてくる。


11月14日(水曜日) 記者クラブの役割

 午後から授業。テーマは「記者クラブって何?」。これまでの授業でも「記者クラブ」については何回か触れてきたが、その功罪と指摘されているさまざまな問題点、本来あるべき記者クラブの役割を整理して説明する。記者クラブは、権力との癒着や談合のための閉鎖的な組織であってはならない。もちろんそれが大前提なんだけど、記者クラブそのものが悪いのではなく、本来あるべき姿から逸脱している実態にこそ問題がある、というのが僕のスタンスだ。記者が団結して、権力者に対して説明責任と情報公開を求めていくのが記者クラブの原点である。それを裏打ちする最大の根拠となるのは、市民(有権者・納税者)との信頼関係だろう。市民の「知る権利」の代弁者としてのジャーナリズム活動があってこそ、記者に与えられた「特権的な配慮」にも説得力が出てくるのである。

 とまあ、そんなことをあれこれ解説した上で、権力者による情報管理・統制とも考えられる具体的事例として、宮崎県の東国原英夫知事や長野県の田中康夫前知事、石原慎太郎都知事らの「記者クラブ改革」と称する言動のいくつかを紹介する。記者と権力との緊張関係を示しながら、記者クラブの役割について問題提起した。東国原知事の「定例会見は必要ですか」との発言と石原知事の強権的な記者対応には、学生たちの関心もとても強く反応がよかった。

 授業が終わってから講師控室で、出席カードを履修者名簿に転記する作業に専念。過去6回分の出欠チェックがたまっていたので、2時間もかかってしまった。ああ疲れた。授業で話をするだけならどんなに楽だろうといつも思う。


11月15日(木曜日) 「東京大噴火!」

 夕方から東京・中野。大川興業の芸人で裁判ウォッチャーの阿曽山大噴火さんを招いてのトークイベント「東京大噴火!/お笑い日本の裁判所」の本番。この日はほかに取材したい案件もあったんだけど、企画発案者としては顔を出さないわけにいかないので足を運ぶ。阿曽山さんのトークはとても面白かった。自作イラストのスライドをスクリーンに映しながら、法廷で繰り広げられる裁判官と被告人との間抜けなやり取りの数々を、面白おかしく紹介するトークは大爆笑。裁判に関心のなかった人たちにも、「裁判って面白そうじゃないか」と興味を持たせるような内容だった。

 今回のイベントは、こういうアピールのやり方もあることを原告教員らに知ってもらう「試み」でもあったのだが、果たしてどこまで理解してもらえただろうか。もしも理解できていれば、イベント後半のプログラムはかなり蛇足であることに気付いたはずだけど、残念ながらほとんど分かっていないような気がする。あれもこれもと詰め込んだら何も伝わらないばかりか、押し付けがましさや宣伝臭が強くなってむしろ逆効果になる。伝えたいことが100あっても10か5くらいに押さえるのが、宣伝活動の手法としては賢いやり方だ。言いたいことはとにかく全部言ってしまわないと気が済まないのだろうが、もっと「さり気なく」アピールすることを身に付けた方がいい。いつもと同じ顔ぶれを相手にした「金太郎飴」の集会で絶叫するのならいざ知らず、普通の市民に「あれもこれも」とまくしたてたら、確実にドン引きされると思うよ。

◇◇

【追記】イベントを楽しんでもらいながら、(日の丸・君が代の)裁判にも関心を持ってもらおうと、ストレートの球ではなく、わざと変化球を投げてみようと提案した企画でした。ただでさえ「日の丸・君が代」なんていう話題は、一般的には敬遠されがちなテーマなのですから、イベント全体の10分の1くらいの分量を、ソフトタッチに挿入するくらいでいいのです。自分たちの主張をこれでもかこれでもかと繰り返せば、これまであまり関心のなかった一般参加者は、違和感だけを感じて帰ることになります。まともなスポンサーは番組に出しゃばってきたりしませんし、製品の宣伝はCMの中で控えめに主張してこそ、視聴者の印象に残るのと同じです。それで十分に伝わるはずです。それでもこれまでの「集会」に比べれば、はるかに大きな「革命的な変化」があったと思います。しかしまだまだ意識改革が足りないんじゃないかという意味で、あえて苦言を書かせてもらいました(2007/11/18)。


11月16日(金曜日) ファクス機種選定で迷う

 ファクスの調子がよくないので、買い替えようと家電量販店やインターネットの商品比較サイトをのぞいているのだが、あまりにもたくさんの機種があって、どれにすればいいのか迷ってしまう。これまで使っていたのは感熱紙ファクス。今は普通紙ファクスが主流だという。ポイントは、給紙スペースが邪魔にならないか、プリント用のリボンなどランニングコストは安いか、サイズはコンパクトでデザインはいいか、そして本体価格は2万円以内か──といったところだ。その商品価格を大きく左右するのが、受信内容をプリントする前に画面で確認する機能の有無である。感熱紙と比べて普通紙プリントのコストはかなり高いので、できれば余計なファクスは印刷したくない。そういう点で画面確認できるのは魅力的なんだけど、その機能の有無によって1万円は違ってくる。うーん、どうしよう。あれこれ思案を続けている。


11月17日(土曜日) 格差社会と学校

 午後から横浜・関内。教育討論会「格差社会の中で高校はどうなるか」をのぞく。課題集中校などと呼ばれるいわゆる「受験難易度ランク下位の学校」や定時制高校で、授業料免除者率が増えている調査結果などをもとに、社会の経済的格差が学校現場を直撃している実態について、さまざまな角度から論じる集会だった。調査結果や話の内容は今年6月、神奈川県高等学校教職員組合の教育研究所の会議で出されたものとほぼ同じだが(6月30日付「身辺雑記」参照)、さらに問題点を整理し直すことができた。教員以外の多くの人にも聞いてもらいたいテーマである。

 参加者の議論を聞きながら改めて感じるのは、こうした格差社会の拡大を肯定しているのは、決して階層上位にいる「勝ち組」の人たちだけではないんだよなあということだ。明らかに階層下位に位置する人たちが、なぜか格差社会を積極的に肯定しているところにも注目すべきではないかと思う。貧困層や弱者とされている人たちが差別的な言動を好み、ナショナリズムに走る現象と同根だ。

 そうした問題も含めて、格差がさらに拡大再生産されている現実に対して学校現場にできるのは、生徒に主権者としての問題意識を持たせ、自立した社会人として生きていけるだけの知識を伝えて卒業させることだろう。経済格差そのものについて、学校が対処できることはほとんど何もないかもしれないが、問題意識と知識を持った生徒を育てることはできる。それこそが公教育の果たすべき基本的役割だ。現場教師だからこそできる仕事は、まだまだたくさんある。無力感に浸っている場合ではない。


11月19日(月曜日) 視聴率調査

 視聴率調査会社・ビデオリサーチの調査員が訪ねて来た。「20代の人を探しているのですが、あなた20代ですか」。いまだに20代に見られるとは複雑な気持ちだが(苦笑)、それはともかく、そんなふうに調査協力者にコンタクトを取ることもあるんだなあと、視聴率調査の秘密の一端に触れられたみたいで興味深かった。実際に視聴率調査の対象になった人なんてこれまでお目にかかったことがないし、いったいどうやって調査しているのかも謎が多い。全国でほんのわずかな調査協力者に選ばれるのは、宝くじに当たることよりまれなんじゃないか。そんな数少ない調査協力者によって、意外にも精度の高いデータをはじき出すのはかなりの驚きで、神秘的とさえ思える。もしかしたら調査協力者になって、面白い経験ができるチャンス(?)だったかもしれないのに、残念ながら今回はかすっただけで終わった。


11月21日(水曜日) 授業テーマ2本立て

 午後から授業。きょうのテーマは2本立て。はしか(麻疹)による臨時休講で1回分の授業時間がなくなったため、もとから予定していた「新聞社を去る記者たち」と、十回目の授業で話すはずだった「組織から離れてみたら」を一緒にして話をする。何人もの若手や中堅の記者が、会社の閉塞状況に絶望して退社していく背景を通して、メディアの抱える問題を考えてもらった。それに関連して、サラリーマンである組織内記者とフリーランスの組織外記者との違いを解説する。参考資料として、僕が過去に書いた連載企画やルポを抜粋して配った。感想を読む限りおおむね好評だった。


11月25日(日曜日) NECのファクスに軍配

 横浜市内の家電量販店で普通紙ファクスを購入。買い換えを決めてからあれこれ比較した結果、NECと松下のどちらの製品にするかで迷っていたのだが、値段とデザインの両面で優れていたNECに決める。受信内容を画面で確認できる機能は必要なさそうと判断して、販売価格2万円以内の機種から選んだ。ポイント還元やキャンペーン割引もあるので、実際にはさらにぐっと安い。これまで2代続けて使ってきた松下(おたっくす)とはこれでサラバだ。


11月26日(月曜日) ファクス設置

 買い替えた新しいファクスを設置。組み立てや取り付け自体は簡単なんだけど、説明書を読みながらファクスや留守電の基本設定などをあれこれやっていると、あっという間に時間が経過する。ついでに設置場所周辺を掃除したりして、数時間を費やしてしまった。そんな悠長なことをしてる場合じゃなく、さっさと原稿を書かなくちゃいけないのだが…。操作手順やパネル表示がこれまで使っていた機種と微妙に違うので、慣れるまで少し時間がかかりそうだ。


11月27日(火曜日) データ収集

 午後から東京高裁。夕方、東京・四谷の出版社へ。編集者に協力してもらって調べもの。すぐれもののデータベースと優秀な編集者のおかげで、大いに成果があった。感謝。


11月28日(水曜日) ネット社会の光と影

 午後から授業。「ネット社会の光と影」のテーマで、個人が世界中に情報発信できるインターネットの利便性や可能性と、その半面とんでもない人権侵害や個人情報の漏洩が広がっている負の側面について解説し問題提起する。身近な問題であるだけに、学生たちの反応はすこぶるよい。「加害者にも被害者にもなる可能性がある」「想像力の欠如と無知が人権侵害を引き起こす」という指摘は心に響いたようだ。授業後に書かせている感想も、いつもに増して具体的な書き込みがぎっしりと目立った。しかし相変わらず私語はうるさくて、注意したら静かになるが、またしばらくすると一部でざわつき始めるのにはいい加減うんざりだけど(苦笑)。


11月29日(木曜日) ひたすら電話

 これまでの取材ネットワークをあれこれたどって、ひたすら電話をかけ続ける。親身になって取材協力や情報提供をしてくれる人、別の協力者を紹介してくれる人もいれば、もう全く素っ気ない人もいて、それぞれの人柄が対応に反映されているのがなかなか興味深い。とりあえずきょうの収穫は、記事に使えそうないいコメントももらえたので、まあまあという感じだ。不在でつかまらなかった人や電話できなかった分は、またあす以降に頑張らなければ。


11月30日(金曜日) 前日と同様

 引き続き延々と電話取材。


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