身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2007年8月1日〜8月31日

●リメーク版「転校生」その2●自覚のない教員●全国新聞教育研究協議会●阪神好調●原爆投下を正当化させるな●解散総選挙まで安倍首相は辞めるな●リモコン不調は電池切れが原因●市民運動への問題提起●幼児的で病的な教育委員●「パパとムスメの7日間」●大川興業「お笑い公共事業」●酷暑●予備校講師たちと飲み会●「パパとムスメの7日間」最終回●残暑見舞い●おもろいやん野球●恥知らず3連発プラス1●ガラガラじゃん世界陸上●第2次お友達内閣●箱根湯本で合宿●●●ほか


8月1日(水曜日) リメーク版「転校生」その2

 インターネットを通じて知り合った大学の先生から、リメーク版の映画「転校生」(大林宣彦監督)についての感想メールをいただいた。「大林監督が今の年齢で青春映画を撮るなら、高齢の方を中心に据えて、若者との交流を軸にする手法で、老いた世代から今の世代へ受け継がせたい青春のメッセージを表現した方がよかった」という教授のご指摘には、なるほどと思わされた。確かに、大林監督も前作から25年の年齢を重ねているわけで、青春まっただ中の主人公たち中学生の目線に寄り添うだけの表現では、「ギャップ」が生じるのも無理からぬことかもしれない。監督自身が重ねた年齢を生かした作品にしてこそ、年齢相応の深みのあるものを作ることができるのだろう。

 リメーク版ではそれが「生と死」だったのかもしれないが、あまりにも唐突で、若い世代の目線だけで構成されていたため、話に説得力がなくて空回りした感じがしたのかなと思った。教授のご指摘で、リメーク版「転校生」に対する僕の見方に少し深みが出たような気がする。ありがとうございました。ちなみにこの教授は、ジェンダーの視点から「転校生」を教材に使った授業をされているとのことで、それもまたなかなか面白そうだ。

◇◇

 自覚のない教員 東京・四谷で教育裁判関連のイベントの実行委員会。「教育現場の厳しい実態」への世間一般の無理解と無関心に対して、教員たちの認識不足と危機感のなさには驚かされる。世論を味方につけなくて、どうやってこの危機的状況を乗り切ろうというのだろう。ましてや裁判に勝てるわけがないだろうに。

 裁判の原告となっている教員らとの議論を通じて、ぽろぽろと少しずつ漏れてくる言葉からは、外に向かって伝えよう、訴えようという意思の希薄さを強く感じてしまう。あれこれ理由や理屈をつけたり、特殊な事例を持ち出してみたりして、身近なところへ働きかけることさえしようとしない姿勢にはあきれるばかりだ。他者とのコミュニケーションを遮断してしまっているとしか思えない。「社会的に発言する」ということの意味を理解していないのではないかと思えてきた。

 もちろんそうじゃない先生たちも大勢いるのは、取材を通じてよく分かっているつもりだ。だけど何百人もいるこの集団では、教え子や卒業生はもちろん、保護者や地域ともしっかり結びついて、コミュニケーションできる関係性が成立している先生は、残念ながら少数派だということがよく分かった。しかもそのことを自覚していないというのが、これまた困ったものだと思う。いい加減うんざりしてきたんだけど、教員ではないほかの実行委員から「あなたが来てるから仕事を休んで参加しているんだ」と言われた。そんなことを言われたら、ちゃぶ台をひっくり返して逃げ出すわけにはいかないよなあ。もう少しだけ努力してみるか。

 会議終了後、この前に開拓した近くの居酒屋へ。相変わらずの安さだ。メニューに生ビールがないのが唯一の欠点だが、それはこの際は仕方なかろう。締めの焼きおにぎりが絶品だ。


8月3日(金曜日) 全国新聞教育研究協議会

 東京・葛飾で開かれた全国新聞教育研究協議会の全国大会を取材する。小中学校で学級新聞や学校新聞作りを指導している教師を主な対象とした講習会だ。どんな雰囲気か見ておこうと顔を出してみたのだが、「自治」や「言論」といった観点がどこにもなくて、残念ながら全然面白くなかった。義務教育である小中学生の新聞作りだから、そこに「自治」とか「言論」を求める方が無理だとは思うし、どちらかと言うと「教育」に重点が置かれるのも分かる。

 しかし少なくとも扱っている対象が「新聞」なんだから、「だれのために何のために新聞は存在するか」ということと「ジャーナリズムは民主主義を守る言論活動である」ということについて、児童や生徒にきちんと伝える姿勢は絶対に必要だ。新聞作りを指導する教師にそういう認識や問題意識が欠けていては、児童や生徒は「新聞という入れ物に情報を詰め込む作業」が上手になるだけで終わってしまうだろう。それでは単なる「新聞ごっこ」に過ぎない。

 この大会には全国紙2社がかかわっているのだが、せっかく新聞社が関与しているのに、「教育現場に新聞を教材として活用してもらおう」という趣旨の「NIE(教育に新聞を)」だけがやたらと目についた。新聞社の販路拡大戦略の側面もあるし、それはそれで大事だとは思うが、そんなものは一人一人の新聞記者がハイレベルのいい記事を書けばおのずと教室で活用されるわけで、それよりももっと大事な「理念」のようなものこそ新聞社は伝えていくべきではないのか。

 主体的に考えて判断することの重要性。自分の意見をしっかり表現できることの大切さ。新聞(ジャーナリズム)が存在することの社会的意味と役割──。そういうことを、新聞作りを通じて児童や生徒(と指導する教師たち)に身につけてもらうのが、何よりも必要であるはずだ。新聞離れやメディア不信が進んでいるなら、なおさら根本的かつ緊急の課題だろう。そうでなければ、「NIE(教育に新聞を)」とやらはただの販売の道具としか見られず、読者の新聞離れはさらに進むに違いない。

 ちなみに、この大会の舞台壇上の正面には「日の丸」が掲げられていた。日本政府や自民党の主催行事でもないのに、どうしてこの場に「日の丸」が必要なのかとても不思議な感じがした。文部科学大臣の代理として事務次官が登壇してあいさつするから気を使ったのか、東京都教育委員会の意向だったのか。いずれにしても、独立して権力監視するのが基本的役割であるジャーナリズム関係の行事には、およそ似つかわしくない場違いな舞台装置だった。


8月4日(土曜日) 阪神好調

 きのう広島に勝って3位に浮上した阪神タイガースが3連勝。2位の中日に2ゲーム差と迫った。一時はセ・リーグ最下位のどん底にまで沈んで、今期はもうアカンかなと思ったりもしたが、まだまだ期待できそうな感じになってきた。なんとか巨人を首位から引きずりおろしてほしい。勝負はこれからや。応援してまっせ。


8月6日(月曜日) 原爆投下を正当化させるな

 62回目の広島の「原爆の日」。日本人にとって原爆投下は、決して許されないし正当化などあり得ない野蛮な行為だが、米国や韓国など外国人の中には、「原爆投下で多くの米兵の命が救われた」「原爆投下は日本の軍国主義と侵略行為への罰だ」と正当化する考えも根強くある。負けるのが分かっているのにいつまでも降伏せずに、日本がずるずると戦争を引き延ばした結果、原爆投下されてしまったという側面もないことはないだろうが、しかし非戦闘員である一般市民の頭上に原爆を投下した事実はどんなことがあっても正当化などされるものではない。

 原爆投下は明らかに人種差別的な人体実験だった。しかも原爆は炸裂した瞬間に甚大な被害をもたらすだけでなく、被爆の後遺症はずっと後まで続く。そんな残虐で非人道的な兵器を平然と使ったのは大罪であって、その罪は原爆を投下した人間だけでなく、原爆を正当化する人間にもあると言わざるを得ない。「戦争を早く終わらせることができてよかった」「侵略戦争から解放されてよかった」といった評価や感情とは切り離して、原爆投下は絶対に許されないとの認識は地球規模で広く共有されなければならないのだ。

 日本人は過去の過ちは過ちとして深く反省し、その経験を生かしてこれからプラスに転じていく必要があるが、それとともに外国人に対して、原爆の残虐さ、非人道性、後遺症の怖さといった事実をしっかりと伝えていかなければならない。その上で、原爆投下は絶対に正当化できないのだということを、何回でも繰り返し訴えて理解してもらわなければならない。唯一の被爆国である日本人にはその義務と責任がある。そうでなければ、原爆で殺された人たちは死んでも死に切れないだろう。

◇◇

 広島市の秋葉忠利市長は平和祈念式の平和宣言で、「平和憲法をあるがままに順守し、米国の時代遅れで誤った政策にはっきりノーと言うべきだ」と政府に注文。これに対し、安倍首相は「今後とも憲法の規定を順守し、国際平和を誠実に希求し非核三原則を堅持する」とあいさつした。憲法改正を政権の最大課題に掲げる超タカ派の首相が、よくも恥ずかし気もなく…。そう感じた国民も少なくないのではないかと思うけど。ちなみに安倍内閣の支持率は急落し、毎日新聞の全国世論調査では22%。JNN(TBS系列)の調査だと26.9%、ANN(テレビ朝日系列)では24.3%だという。


8月7日(火曜日) 解散総選挙まで安倍首相は辞めるな

 安倍首相も出席した自民党の代議士会で、面と向かって首相の辞任を求める声が相次いだそうな。これに先立つ自民党の両院議員総会で、安倍首相は「改革を続けることで責任を果たさなければならない」といつもの屁理屈を述べて、改めて続投の意思を示したというが、もはやどこからどう見ても安倍内閣は「死に体」だね。「あんたには日本の国は任さんよ」という国民の審判を一切無視して、身勝手な「使命」やら「責任」やらを持ち出しながら、それでもなお「私の内閣」を維持しようと突っ走るなんて、さすがタカ派の国家主義者だ。参院選直後にも指摘したけど、安倍首相のファシストとしての姿勢は一貫していて全くブレがない。ぜひこのまま権力の座にしがみついて、安倍内閣として解散総選挙に突入してほしいなあ。それまで絶対に辞めないで安倍さん。


8月8日(水曜日) 打ち合わせや会議

 午後から東京・新宿。冤罪事件をテーマにした雑誌の記事執筆について、編集スタッフと打ち合わせなど。社会的にとても意味のあるテーマだと思うし、裁判員制度にも直結する大事な分野だ。協力できる範囲でなるべく協力したいと思う。原稿料のほかに取材経費をきちんと出してくれるということなので、それならばそれなりにクオリティーの高い記事が書けるような気はする。ちゃんとした取材をしないといい記事は書けないし、きちんと取材するためには時間とお金がかかるのだから。

 夕方から四谷。教育裁判関連のイベントの実行委員会。行きつ戻りつをしながらも、なんとかそれなりの形にはなってきたかな。基本的な方向とコンセプトはとりあえず合意する。呼び込み宣伝や先生方の意識といったところに課題と不安がかなりあるけど、まあいいか。それにしても暑くてたまらん。なんなんだよこの猛暑は。


8月9日(木曜日) リモコン不調は電池切れが原因

 エアコンのリモコンが正常に反応しなくなって困っているという話を1カ月前に書いたが(7月2日付「身辺雑記」参照)、あれからとりあえず何とか反応してくれる状態が続いたので、だましだましリモコンを使っていたら、今週になってとうとう指示通りに動かなくなってしまった。しかもわざわざ注文して取り寄せた同機種対応の純正リモコンまでもが、なぜかほとんどまともに反応してくれないのだ。買ったばかりの新品なのに、正常に稼動しないのはどう考えてもおかしい。うーん、これは困った。連日うだるような猛暑が続いている中、エアコンが言うことをきてくれないなんて、これはもう完全に死活問題である。風呂から出た時にエアコンがないのは耐えられない話だ。

 「電池は新品なのになあ」と思いつつ、ふと電池の表示を確認したら、な、なんと使用推奨期限が2年以上も前になっているではないか…。ビニールパックされていたのを開封したので新品だと思い込んでいたけど、実際にはえらく古い電池だったのだ。リモコン不調は電池切れが原因だったのである。使用期限から2年も経っていたら自然放電が進んで、使い物にならなくて当然だよなあ。ああ恥ずかしい。こんな単純なことに気付くまで1カ月も要したのか。確認しないで大騒ぎしていた自分が情けない。早速新しい電池を購入してリモコンに装着したら、ピピッと素早く反応してエアコンが動き出した。もちろん誤作動なんて全くない。4千円もした新品のリモコンはもったいないが、買っちゃったんだから仕方ないよなあ。もしもの時のために予備として保管しておこう。

 使用期限切れの電池には注意しなければ。ちゃんと確かめてから使わなければダメってことやね。写真フィルムと同じで、「電池はナマもの」だということを教えられた。


8月10日(金曜日) 市民運動への問題提起

 憲法9条を守る運動をしている市民グループの学習会で講演を頼まれ、千葉・市原市へ。横浜駅始発のアクアラインバスに初めて乗る。東京湾を突っ切って走る直行便である。外は息をするのも苦しいほどの猛暑で汗だらだらだったが、乗り換えなしの高速バスはすごく快適。これは便利だ。約1時間で現地に到着した。

 学習会は「マジョリティに届く言葉」がテーマ。市民運動や労働運動の集会はどれも参加者の顔ぶれが同じであることが多いが、仲間うちや支援者などいつもと同じメンバーに、いつもと同じような報告や主張を延々と繰り返していても、運動は決して外には広がらないし世論への影響もない。世間一般の多数派である無関心層に訴えかけてこそ世論喚起につながると思うのだが、そもそも「だれに向かって何を伝えるのか」という基本が抜け落ちているのではないか。そんな市民運動のあり方について話をした。まあ、これまでこの「身辺雑記」でもさんざん書いてきたような内容である(2005年5月31日付2007年6月26日付「身辺雑記」など参照)。

 主張している内容は正しいはずなんだけど、一般市民には広がっていないし共感も得られていない、それはどこに原因があるのだろう──。市原の市民グループは、そういう問題意識を前提に今回の学習会を企画したという。金太郎飴的な旧態依然とした「活動」に満足している団体が多い中で、「市民に広がっていない」ことを自覚して検証をしようとする市民グループの存在は貴重だ。「自分たちは多数派で世論の支持を得ている」と根拠のない勘違いを振りまく運動に未来はないが、きちんと自己分析して意識改革しようとする姿勢は今後に大いに期待できる。

 運動をしている人にしてみれば、かなり厳しい批判や耳の痛い指摘もさせてもらった。◯◯党の人からは「われわれの運動のやり方だけ批判するのはいかがなものか」、セクト系の活動家と思われる人からは「われわれの運動をマスコミが取り上げないのが悪い」といった声も上がったが、その辺は想定していたことで、参加者の多くは僕の問題提起を好意的に受け止めてくれたようだった。「ワンパターンな運動の進め方を反省させられた」「日ごろから人間関係を築くことの大切さが分かった」などの感想がたくさん聞けてほっとした。同じように話を聞いても、受け止め方が人によってさまざまなのは仕方がない。理解力のほかその人の生き方や価値観も影響するのだから。最終的には想像力を働かせて、現実をしっかり自覚できるかどうかの問題なんだろう。


8月11日(土曜日) 猛暑

 きょうも猛暑。水道の蛇口をひねると、水温設定を冷水にしてあるのにお湯が出てくる。それだけ暑いということだ。エアコンがないとどうにかなってしまいそう。外には出たくない。


8月12日(日曜日) 幼児的で病的な教育委員

 都立高校の管理職から話を聞く。教育現場の実態を無視した強権的な管理を一方的に進める教育委員会に、疑問を感じている管理職も少なからず存在するが、異論を差し挟む管理職には執拗な糾弾や嫌がらせが続けられるのだという。まさにファシズム体制下の言論弾圧そのものだが、そうした体制を裏で牛耳っているのが特定の某教育委員だ。自分の意に沿わない管理職や教育庁職員に対して、子どものような難くせをしつこく繰り返すというのである。とてもまともな大人のやることとは思えない。この教育委員の幼児的な言動には心の病気を強く疑わざるを得ないが、そんな人物が東京の教育現場を引っかき回しているのだ。教育庁の幹部職員も持て余して辟易しているのではないか。話を聞いていて思わず失笑してしまったが、しかし教育現場にとっては笑い事ではすまされない。


8月13日(月曜日) 「パパとムスメの7日間」

 TBS系のテレビドラマ「パパとムスメの7日間」(日曜夜9時から放送)が面白くて、毎週欠かさず見ている。ひょんなことからある日突然、サラリーマンの父親と女子高生の娘の心と体が入れ替わってしまう。戸惑い混乱し嘆いてケンカしながらも、父親と娘がそれぞれの生活をどうにか続けていくというコメディ・ドラマだ。「大嫌いなパパ」と「最愛の娘」という関係だった2人がお互いを体験することで、仕事の大変さや社会人の責任の重さ、勉強や友達関係の悩み、言うべきことをはっきり言うことの意味を知り、そして2人は絆を深めながら家族の大切さを理解していく。

 パパの川原恭一郎(舘ひろし)の中身はあくまでも女子高生で、娘の小梅(新垣結衣)の中身はパパとして演じる。そんな2人のチグハグな演技が面白い。最初は滑稽で気持ち悪く見えた舘ひろしの仕種も、その熱演ぶりに次第に凄みさえ感じてくる。

 物語の基本パターンは映画「転校生」と同じだが、入れ替わってしまうのが父親と娘で、会社と学校という場所を舞台にドタバタが進行する設定は実に斬新だ。年齢も生活も全く異なる環境に放り込まれた父娘が、断絶していた関係を回復して親子の絆を深めていく脚本もとてもよくできている。映画「転校生」のリメーク版(8月1日付「身辺雑記」など参照)が、この「パパとムスメの7日間」のような内容だったら違和感なく観れたかもしれない。ちなみに、小林聡美の奮闘が際立った「転校生」とは逆に、「パパとムスメの7日間」ではむしろ男性の舘ひろしの熱演が光っている。次回放送が最終回。どんな結末を迎えるのか、ワクワクドキドキだ。

【おことわり】8月10日付から8月13日付までの「身辺雑記」をまとめて更新しました。


8月15日(水曜日) 大川興業「お笑い公共事業」

 東京・下北沢の小劇場「ザ・スズナリ」で、お笑いトークショー「大川興業&清水宏のお笑い公共事業」を見る。行政主導の再開発計画が進む下北沢で、道路計画の見直しを訴える商店街や住人らと地元の劇場がタッグを組み、3日間にわたってシンポジウムやアートライブなどを展開するイベントの一環。きょうが最終日だ。「性急な計画によって下北沢の街並みと文化が大きく変貌しようとしている。無関心な人たちにも問題点を知ってもらおう」と企画されたという。声高に反対を訴える昔ながらの住民運動とは違って、下北沢らしいポップなイベントを楽しんでもらいつつ、街づくりについて考えさせる仕掛けになっている。

 大川興業のライブは、若い世代を中心に150人ほどの観客が詰めかけた。前座として6組の若手芸人が登場。こちらはかなりイタい芸も含めて玉石混交なのは仕方ないが、その後の中堅芸人と大川豊×阿曽山大噴火×清水宏は、さすが経験を積んだ人気芸人だけあって爆笑に次ぐ爆笑だった。話を無理やり下北沢の再開発計画と裁判ネタにこじつけて、茶化したり混ぜ返したりして笑わせる話芸は見事だ。再開発計画そのものについては結局、何がなんだかよく分からないまま終わるのだが、それでも「下北沢でそんな問題が起きているのか」と知らせることには成功したのではないか。クソ真面目に拳を振り上げて、だれも聞いていないシュプレヒコールを絶叫するような空しい「運動」よりも、はるかに意味があると思った。


8月16日(木曜日) 酷暑

 うだるような酷暑が続く。駅までほんの十数分ほど歩くだけで汗びっしょりとなる。本当に汗がどっと噴き出してくるので、ハンカチは必需品だ。埼玉・熊谷市と岐阜・多治見市では、国内最高の気温の40.9度を記録したというから、この暑さは尋常ではない。今年はエアコンをなるべく使わないようにしようと思っていたが、この暑さではエアコンなしの生活なんてどう考えても無理だ。海洋研究開発機構と宇宙航空研究開発機構によると、北極海の氷の面積が過去最少になったという。温暖化はさらに進む。


8月17日(金曜日) 夕立ち

 きょうも相変わらずの酷暑。夕方になって、雷が鳴って夕立ちがザッと降った。いかにも夏らしい光景のはずなんだけど、今年はなぜか盛夏につきものの夕立ちも非常に少ない。やはり今夏はいつもとどこかが大きく違う。しかも夕立ちのおかげで少しは涼しくなるかと期待したのに、もわ〜っとした湿った熱気がこもって、かえってべたべたして気持ち悪くなった。夕立ちの後というのは本来は爽快さがあるはずなんだけどなあ。


8月18日(土曜日) 予備校講師たちと飲み会

 きょうはちょっと涼しい。前線が南下した影響で、空は雲に覆われている。吹いてくる風も心地よい。きのうまでの気温より10度ほど低いので、大げさかもしれないが寒く感じるくらいだ。駅まで歩くだけで汗が噴き出すなんてこともない。

 夕方、横浜駅前の居酒屋で予備校の先生たちと飲み会。大学講師と予備校講師を兼任しているS先生の紹介で、大手予備校の先生たちの集まりがあるので来ないかと誘っていただいた。参加者はS先生以外は神奈川在住。予備校講師の契約は1年ごとで雇用形態は不安定だが、生徒の授業アンケート評価さえ問題なければ、何をどう教えようとすべて自由だという。政治・社会のネタから思想や生き方にかかわる主張まで、やろうと思えば何でもできる。そのかわりそれだけ、日ごろの努力や指導力が求められるというのである。

 これは当然のことながら、公立や私立の学校の教師についても同じことが言えるだろう。与えられたテキストや教材をそのまま使って何の工夫もなく教えるのではなく、自分自身で独自の教材を用意して準備をしっかりすれば、授業の中身は全然違ってくる。そういう積み重ねを日常的にやっている教師とやっていない教師の差は、歴然としている。なるほどそういう意味では、教科書や教材はすべて教師に自前で用意させるのもありかもしれない。知らないことが多かったので、予備校講師の実態や裏話はとても興味深かった。


8月19日(日曜日) 「パパとムスメの7日間」最終回

 TBS系のテレビドラマ「パパとムスメの7日間」が、きょうの放送で最終回を迎えた(8月13日付「身辺雑記」参照)。心と体が入れ替わってしまったサラリーマンの父親と娘がようやく元に戻れてメデタシメデタシ、という予定調和の話だけでは終わらず、2人が元に戻ってからのエピソードもしっかり描かれていた。父親のプロジェクトチームが手掛けていた新商品開発をめぐる騒動に触れながら、会社組織と社員とのあるべき関係についても一言もの申すところが、いかにもTBSのこの時間帯のドラマらしい。「父親と娘の絆を深めるための神様からのプレゼントみたいだ」などときれいに締めくくりつつ、しかし実はもう一度さらに入れ替わっていたりして…みたいなジャブも挿入して脚本・演出の芸が細かい。「心と体の入れ替わり」を題材にしたドラマの中ではかなり秀逸な出来だと思う。見終わった後に、ちょっとほのぼのした気分になれた。


8月20日(月曜日) 残暑見舞い

 残暑見舞いの挨拶状を作成。前にも書いたと思うが、残暑見舞いは年賀状とは違って、いただいた方だけ限定で返信している。まあそうは言っても、いつも元日に間に合ったことのない年賀状と同じように、決して「暑中見舞い」を出すことはなくて、決まって「残暑見舞い」になってしまうんだけど。

 海と入道雲のイラストが描かれた「かもめーる」の裏面に、パソコンで作った自前のメッセージを印刷するのは、いつものパターンだ。年賀状と比べて作成枚数は桁違いに少ないので、今のところ宛名はすべて手書きなのだが、しかし少しずつ増えつつあるような気がして、ちょっと不安材料だったりする。


8月21日(火曜日) まだまだ猛暑

 午後から横浜市内。きょうから2日間の日程で始まった独立系教職員組合の全国交流集会を取材。今年はどんな雰囲気なのかのぞくといった感じで、分科会にほんの少しだけ顔を出した。しばらくご無沙汰していた懐かしい顔に、何人も出会えたのが最大の収穫だったかも。今週もまたまた猛暑が再来。しばらくこの暑さは続くらしい。やや涼し気な強めの風が吹いているので救われる。


8月22日(水曜日) おもろいやん野球

 夏の甲子園の決勝戦はいい試合だった。広陵(広島)の好投の前に佐賀北は完全に沈黙して4−0となったので、このまま広陵の一方的な試合運びで終わるのかなと思って見ていたら、佐賀北は8回裏に一死満塁から四球で押し出し1点を返し、さらに続く満塁本塁打で奇跡の大逆転を演じたのだ。あきらめてなかったんだね。9回表で広陵は反撃できず、佐賀北が5−4で逆転勝ち。本当にマンガみたいな展開だな。両チームとも頑張った。面白くて感動した。

 プロ野球は、阪神タイガースが本塁打攻勢で12−2と大量得点してヤクルトに快勝。1位の中日と2位の巨人が潰し合いをやって同率で並んでいる間に、阪神は首位に1・5ゲーム差に迫る。こっちもあきらめずに猛攻撃や。


8月24日(金曜日) 恥知らず3連発プラス1

 恥知らず3連発。凝りもせず平然と飲酒運転して、事故を繰り返す福岡市職員。そしてその職員を、「偶然が重なってしまった」などとかばうような発言を堂々とする福岡市長。予定になかった会議に出席することになって飲み会に参加したからといって、飲酒運転する理由がどこにあるというのか。まるで意味不明じゃないか。ラストは、「海上自衛隊のイージス艦の情報持ち出し事件の責任を取りたい」として、内閣改造を前に退任の意向を表明した小池百合子防衛相。全く意味不明で支離滅裂だ。

 しかし何といってもダントツの恥知らずは、わざわざインドまで出かけて、東京裁判(極東国際軍事裁判)で判事を務めた故パール判事の長男と懇談し、「今も多くの日本人が尊敬している」などと語った安倍首相だよな。パール判事は決して、日本の侵略行為や戦争指導者を肯定したわけではない。あくまでも法律家として、事後法に基づいて被告を裁くことの是非を問うたのであって、戦勝国が戦争犯罪を裁く東京裁判自体は否定していない。ましてや「日本の戦争は正しかった」なんてことは、もちろん一切主張していない。都合のいいように他者の言動を解釈し、堂々と歴史をねじ曲げる安倍首相の厚顔さは相変わらずだ。そのうえ平然とパール判事の長男に会いに行くなんて、まともな感覚では考えられない行動力ではないか。図太さは抜きん出ている。すごいよ安倍ちゃん。


8月26日(日曜日) ガラガラじゃん世界陸上

 世界陸上大阪大会が始まったが、テレビに映し出される競技場はいつ見てもガラガラだねえ。メインキャスターを務める織田裕二と中井美穂の背後に広がる観客席の寂しい光景に、競技は別の場所でやっているのかと思ったくらいだ。TBSの番組宣伝スポットなどのフィーバーぶりに、どれほどすごいのかと思っていただけに拍子抜けした。お祭りとして盛り上がっていいはずの開会式でさえ、空席がかなり目立っていた。これはいくらなんでも相当みっともなくないか。世界三大スポーツ大会(五輪、サッカーW杯、世界陸上)の一つで、TBSがすべての国際映像を世界中に配信しているそうだが、どうしてこんなに閑古鳥が鳴いているんだろう。観客席がガラガラなのは画面を見れば一目瞭然なんだけど、そもそも新聞やテレビがそのことにあえて全く触れようとしないっていうのも、ものすごく不自然な感じがするなあ。


8月27日(月曜日) 第2次お友達内閣

 自民党新執行部と安倍改造内閣が発足した。「美しい国づくり、新しい国づくり、改革を再スタートさせる」ための内閣改造と新執行部体制なのだそうだ。「国民の厳しい声を受け止め」などと言いつつ、それでもまだ懲りずに「美しい国づくり」とやらにこだわっているのは、安倍新体制の布陣からも容易に見て取れる。安倍首相に真に批判的で路線や政策が全く違う人材は一人も登用されていないし、政治思想的にも極めて親しい「お友達」を集めた人選なのは明らかだからだ。安倍内閣のタカ派路線の本質は、選挙前と何ら変わっていない。


8月29日〜30日(水曜日〜木曜日) 箱根湯本で合宿

 箱根湯本のホテルへ。都立高校の教員と弁護団の裁判合宿に参加させてもらう。学校行事での「日の丸・君が代」をめぐる東京都教育委員会の処分に対して、いくつもの行政訴訟が審理中だが、それぞれの法廷の審理状況を分析・議論する非公開の合宿だ。約70人が参加した。「教育の自由」の解釈についての論争が、僕としては最も関心があった。そこの部分にもう少し時間を割いて突っ込んで議論してほしかったが、いろいろな考えがあることが分かったのは大きな収穫だった。久々に温泉で汗を流して日帰りするつもりが、なし崩し的に宿泊することに。朝方までどんちゃん騒ぎが続く。

 翌日は、運動の進め方や世論喚起をどうするかについて議論。僕も発言を求められたので、多くの市民は事実を知らないし無関心であること、そういう人たちにこそ訴えかける必要があることを説明し、その試みの一例として秋に予定しているイベントを紹介した。短時間の発言でどこまで理解してもらえたか疑問ではあるけど、現状を自覚して意識改革してくれる教員が、1人でも2人で増えたらそれでよしとしたい。それはともかく、めちゃめちゃ眠い。


8月31日(金曜日) 打ち合わせなど

 3カ月半ぶりに髪の毛をカット。夕方から東京・四谷。教育裁判関連の秋のイベント実行委員会。宣伝チラシの内容と印刷枚数、大学生へのPR戦略などを具体的に詰める。会議終了後、実行委メンバーと近くの居酒屋へ。いつもの飲み屋とは違う店を開拓。午前零時半ごろ帰宅。


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