身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2011年7月1日〜7月31日

●いつものように●ポケットラジオ●河北新報も特別縮刷版●締め切りギリギリ●松本復興相の発言から見えたもの●臭いを嗅ぐのも勘弁●猪瀬直樹氏の傲慢なつぶやき●もったいないなあ●梅雨明け●まずストレステストを実施せよ●土も水も空気もすべて汚染●久しぶりに書いた書評記事●福島まで格安チケット●セミが鳴かない●橋下知事が何を抜かす●リトマス試験紙の菅首相●友達リクエスト●大学生の文章教育●初めてのamazon●自民「原発維持を」●「ぴあ」最終号は保存版●やっとセミが鳴き始めた●春学期最後の文章講座●「47NEWS」と記者の資質●中国を笑えない●消費者こそ最大の被害者●学期末は面倒●生ビールに餃子は最高●深夜にアライグマ?●まずは部屋の片付け●帆布職人●●●ほか


7月1日(金曜日) いつものように

 学生の作文を添削。いつものように四苦八苦である。もちろん徹夜になってしまったのは言うまでもない。とほほ。


7月2日(土曜日) ポケットラジオ

 午後から授業。講義で配る資料が大量になってしまった。いつもならA3判とA4判の両面印刷がそれぞれ1枚ずつだが、きょうはA3判の両面印刷が1枚のほかに、A4判の両面印刷が4枚もあって、予想していた以上に印刷に手間取ってしまう。10分ほど授業開始が遅れてしまった。やっぱり多すぎるよな。配る側が大変であるだけでなく受け取る方も大変だ。来週は半分に絞ろう。

 トランジスタラジオの調子がイマイチなので、もう1台を予備として新しく買った。近くのヨド◯シカメラの売り場では、安価な製品が軒並み売り切れ。入荷準備状態になっている。仕方がないのでヤ◯ダ電機をのぞくと安売りをしていた。中国製のAM/FM対応のポケットラジオを購入。980円。


7月3日(日曜日) 河北新報も特別縮刷版

 東北地方のブロック紙である河北新報の特別縮刷版「3・11東日本大震災1カ月の記録」を購入。地震発生から1カ月間の主要紙面をカラー版で収録している。地震によって紙面制作システムが動かせなくなったため、当日の号外と翌3月12日付の朝刊紙面は、「緊急時新聞制作相互支援協定を締結している新潟日報社の全面協力」によって、「新潟日報社に紙面製作をしていただいて新聞を発行し続けることができた」という。1面に掲載された社告や巻末のそんな文章が涙を誘うとともに、新聞人の熱い志と連帯を感じる。223ページ。定価1200円(+税)。竹書房発行。

 【参考記事】読売新聞特別縮刷版「東日本大震災1カ月の記録」(4月27日付「身辺雑記」参照)、朝日新聞縮刷版「東日本大震災/特別紙面集成」(5月22日付「身辺雑記」参照)。


7月4日(月曜日) 締め切りギリギリ

 原稿用紙3枚ほどの原稿を書いて朝一番で送信する。締め切りギリギリになってしまった。本当はもっと早めに送るつもりだったのに、風邪でダウンしたり授業準備に手間取ったりして、すっかり予定が狂ってしまった。1週間前には出稿を終えるはずだったんだけどなあ。ギリギリで本当に申し訳ありません。


7月5日(火曜日) 松本復興相の発言から見えたもの

 東日本大震災の被災地視察で宮城県庁を訪問した松本龍・復興担当相が、村井嘉浩・宮城県知事と会談した際、知事室に後から入ってきた知事に不快感を示し、命令口調で叱責するシーンが地元の東北放送(TBS系)のニュースで、1分30秒にわたって放送された。会談の最後にはご丁寧にも報道陣に対し松本氏が、「最後の言葉はオフレコです。書いたらその社は終わりだから」と恫喝するおまけまでついたが、東北放送はこの場面もそのまま放送した。この映像がインターネットの動画サイトに流されたことで、松本復興相の言動に非難が集中し、松本氏は辞任に追い込まれた。

 「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないとわれわれ何もしないぞ。ちゃんとやれ」「お客さんが来る時は自分が入ってからお客さんを呼べ」「いいか、しっかりやれよ」「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか、みなさん。いいですか。書いたらもうその社は終わりだから」(放送から抜粋)

 確かにこれはひどい。論外だろう。宮城県知事の地元水産業者を無視した一方的な漁港集約化計画などに問題があって、それを松本復興相が快く思っていないことが背景にあるのかもしれないけど、ものには言い方がある。批判や指摘の内容そのものが仮に正しいとしても、場所柄をわきまえた言い方というものがあるはずだ。それを無視すると伝わることも伝わらなくなるからだ。どんな言い方をしてもいいわけではない。言葉を大事にすべき仕事をしている政治家であるなら、なおさらだろう(もちろんメディア関係者も同じ。表現には気をつけたい。自戒を込めて)。

 それにしても東北放送はよく放送した。もちろん放送するのが当たり前なんだけど、でもよくやった。あっぱれ。反骨精神のスイッチが入ったというか、報道するなと言われたら逆になんだこの野郎と反発する記者魂が健在だったか、問題意識が鮮明だったということだろう。ほかの放送局が沈黙しただけに独自の判断が光る。

 それでは活字メディアはどうか。毎日新聞は、「まずは宮城県内の意見集約を要請した」「これからは知恵合戦だと強調した」などと、穏やかな会談だったと思わせるような内容に終始。これはいかがなものかと思わざるを得ない記事だったが、これに対して朝日新聞は、「被災者の感情を逆なでしかねない発言を連発した」「『県でコンセンサスをとれよ。そうしないと我々は何もしないぞ』などと厳しい口調で注文をつけた」と、松本復興相の命令口調を再現して、それなりに緊張した会談の空気を伝えた。「オフレコだぞ」との脅しの台詞も書けば文句なしだったけど。

 また時事通信も、「『県の中でコンセンサス得ろよ。そうしないとわれわれ何もしないぞ』と述べ」「会談の場に知事が同相より遅れて入ったことについても、『お客さんが来る時は自分が入ってから呼べ』と話した」と書くなど、松本復興相の言動を分かりやすく表現した。書くべきことはしっかり書いていたと思う。

 毎日jp編集部のアカウントがツイッターで、こんなつぶやきを放ったのには思わず苦笑するしかなかった。「『最後の言葉はオフレコです、いいですか、みなさん。書いたらその社は終わりですからね』。書いちゃいました。松本復興担当相の発言の詳報です」。笑止千万。まる1日も経ってから「書いちゃいました」はないだろう。騒ぎになって、松本復興相に対する非難の声が大きくなったところで「書いちゃいました」って、尻馬に乗っただけではないか。発言の詳細を書くのはいいけど、恥ずかしげもなく勝ち誇るように発信するのは、みっともないだけだと思うけど。毅然として書くのならその日のうちに書いて、翌日の紙面に掲載すべきだった。

 もう一つ。テレビのワイドショーのコメンテーターとしても有名だったジャーナリストで、現在は参院議員によるツイッターのコメントにも疑問を感じた。「『オフレコだ』というのが恫喝だと騒ぐ人がいる。取材・被取材の『イロハ』さえ知らないのだから、困ったものだ」というのだが、今回の松本復興大臣の宮城県庁での発言の場合、あれだけ大勢の人がいる公の場所での発言に「オフレコ」は成立しない。それこそ取材のイロハではないか。しかも信頼関係に基づいた事前合意でもなく、一方的に宣言されたオフレコなんてあり得ない。にもかかわらず、「書いたらもうその社は終わりだから」と言い放つなんて、まさに恫喝としか言いようがない。かつて「朝日ジャーナル」に掲載されたこの人の統一教会・霊感商法のルポを、学生時代に興味深く読んでいただけに、こんな発言を平気ですることにはがっかりさせられた。

 そしてやっぱり出てきたのが、またしても事実確認もせず平気でデタラメを書く連中だ。今回の松本復興相の問題について、これもツイッターで、「発言は論外ですが、新聞に一行も記事がでていないことは構造的な問題ですね。なぜ一社も書かないのだ」などと訳知り顔で発信しているのである。新聞に1行も記事が出ていない、なぜ1社も書かないって…。批判するなら新聞くらい読んでから発言すればいいのに。そしてこういうデタラメ発言を、これまた平気で公式に引用して拡散する人たちがいる。インターネット(ツィッター)はバカ発見装置だとだれかが言ってたが、あながち間違いではないかもしれない。松本復興相の発言からいろいろなものが見えてきた。これは大きな収穫と言っていいだろう。


7月6日(水曜日) 臭いを嗅ぐのも勘弁

 某社の「食べるラー油」をご飯にかけて食べ、朝起きたらなんだか気持ちが悪くなってきた。お腹の調子も悪くなった。トイレに何回か足を運んで、どろどろに柔らかくなった排泄物をすべて出したら、ようやく落ち着いてすっかり快復した。「食べるラー油」はもう臭いを嗅ぐのも勘弁といった感じだ。ほかの会社の製品は大丈夫だったけど、たぶん某社の製品が僕には合わなかったのだろう。しかし「食べるラー油」は今後一切どれも食べないと思う。懲りた。


7月7日(木曜日) 猪瀬直樹氏の傲慢なつぶやき

 作家の猪瀬直樹・東京都副知事が、ツイッターでこんな発言をしているのを見かけた。「昨年の衆議院予算委員会で石破茂さんが菅首相に『昭和16年夏の敗戦』を読めと言った。それならと僕は親切のつもりで菅首相に送本した。石破さんがまた菅首相に『読みましたか』と問うた。曖昧な表情だった。菅さんは本を読まない人なんだね」

 いくらなんでもそれはないだろう。読めと言われて必ずしも読むとは限らないじゃないか。薦められたその本を読まなかったからといって、「本を読まない人」と断定するとは、ずいぶん乱暴で一方的だよなあ。そもそも何を読むか何を読まないかなんて、人それぞれで各人の勝手ではないか。

 さらに猪瀬氏はこうも続けた。「『猫に小判』というけれど、本を読まない人は本の価値がわからないんだね。人類には男と女以外に、『本を読む人』『本を読まない人』がいます。残念ながら菅直人氏は後者の代表でしょう」

 臆面もなくそこまで言うか。この『昭和16年夏の敗戦』って猪瀬氏の本なんだよな。「私の本を読まない人は私の本の価値がわからないんだね」「人類には男と女以外に『私の本を読む人』『私の本を読まない人』がいます」の間違いではないのか。自分の本を読まない人間を「本を読まない人」と決めつける。厚かましさと傲慢さに驚きあきれるばかりだ。しかも自分の本を堂々と「猫に小判」などと称してはばからないとは、謙虚さのかけらもない。

 猪瀬直樹という人は日ごろから、「猪瀬さんの本を読んで感動しました」だとか「猪瀬さんの本はこんなに素晴らしい」といった信者からのコメントを、恥ずかしげもなく嬉々として引用し、ツイッターで毎日のように大量に発信しているのだが、それはまあ著者の気持ちとしては分からないでもない(僕はうざいしカッコ悪いと思うけど)。しかし、自分の本を読んでいないからといって、「本を読まない人」「本を読まない人は本の価値がわからない」などと決めつける感覚は、厚顔無恥というよりもむしろ傲慢すぎるだろう。もっともあの石原慎太郎・東京都知事を支えるには、これくらいツラの皮が厚くなければ務まらないのかもしれないけど。

 【お知らせ】6月30日付から7月7日付までの「身辺雑記」をまとめて更新しました。


7月8日(金曜日) もったいないなあ

 そんなわけで今週もいつものように、学生の作文をひたすら添削する金曜日である。テーマをどんな視点で見てどうやって切り取って料理するか、何を伝えたいのかをまずしっかり考えるということについて、かなり分かってきた学生が増えてきたのを実感する。ありきたりな評論や言葉の説明なんかを並べるのではなく、自分自身の体験や具体的な事実に基づいて書けば、その人にしか書けない面白い内容になる。そして伝えたいことが相手に伝わるようになる。文章を書く上でとても大事なところだ。

 ただ、文章表現力を伴っていない学生が、残念ながらまだまだ少なくない。何回も指摘しているのに同じ誤りを繰り返すのだ。内容や視点は悪くはないんだから、もうちょっとだけ基本的なことを勉強して、少しでいいから文章力を磨けば、はるかに分かりやすくていい文章が書けるようになるのに、と感じる学生が結構いる。そういう努力はしたくないんだろうなあということは、なんとなく分かるけど、もったいなあと思う。もちろん目を見張るほど成長が著しい学生も中にはいるけど。まあ、あれもこれもと全部を求めるのは無理か。感性や視点といった部分が少しでも磨けただけ、よかったと考えるべきかもしれない。


7月9日(土曜日) 梅雨明け

 午後から授業。滑り込みセーフ(?)で、講義で配るレジュメや資料の印刷を終えて、5分遅れで教室に駆け込む。なんだよ結局は遅刻じゃん、などという突っ込みはナシということで。それにしても暑くてたまらん。関東甲信などで梅雨明け。今年は梅雨らしい時期がほとんどなかったなあ。やっぱり気候が変だ。


7月10日(日曜日) まずストレステストを実施せよ

 国内の全原発を対象にした安全性評価(ストレステスト)は当然やるべきで、むしろやらずに稼働させる方がどうかしてる。納得できるだけの何の根拠もなく、九州電力の玄海原発(佐賀県)の安全を経産相が宣言し、地元町長らが再稼働の了承を表明するといったことがそもそもおかしいだろう。原発の安全性を確認するためにやるべきことなど何もやっていないのだから、突然だろうが唐突であろうが、堂々と敢然とストレステストを実施すればいい。しかしあくまでもこれはハードルの一つであって、急いで原発を稼働させる必要はない。しつこいくらい慎重に安全性を確認すべきだ。稼働させるか稼働させないかの話はそれからだろう。

 「安全確保のストレステストの必要性はわかるが、数カ月もかかるテストをやっていたら、電力需要が急増する8月に玄海原発の運転再開は間に合わない。ほかの原発の再稼働も困難になる」「原発が停止すると大幅に電力供給が失われ、計画停電の可能性もある。目の前の電力供給の問題解決が先だろう」──。読売新聞は社説でそんなふうに主張している。つまり、原発の安全確保よりも目の前のエネルギー確保が大事なんだと。だからとにかくまず原発を動かせというのだ。読売の社説はいつもかなり乱暴だけど、これはいつもに輪をかけてひどい。思わず目を疑ってしまうひどい理屈だ。

 電力不足による停電よりも、原発事故による放射能汚染の方がはるかに問題は深刻だ。放射能汚染は取り返しがつかない事態を、広範囲に長期間にわたって引き起こす。安全性が確認できていないのに必要だから動かせって、「ブレーキが利かないかもしれない車に乗って高速道路を走れ」というのと同じじゃないか。そんな危ないものを動かしてどうする。まず十分に安全確認してから動かすのが当然だろう。本末転倒も甚だしい。頭は大丈夫か。原発が停止すると停電するという前提で、理屈を展開しているのも一方的だ。電力会社の説明の垂れ流しそのままではないか。

 地元の自治体が玄海原発の再稼働容認を表明した直後に、菅首相がストレステストの実施方針を打ち出したことに対し、玄海町町長と佐賀県知事が「国の対応がちぐはぐで信用できない」などと反発しているが、彼らは自分自身のボンクラぶりをまず猛省した方がいい。安全だという根拠などろくに示されてもいないのに、「安全です。国が責任を持ちます」などと言われて、「はいそうですか、分かりました」と原発の再稼働を了解したのだから。

 何の疑問も疑念も抱かなかったのだろうか。いまだに収拾のメドさえついていない福島第一原発の事故の惨状を、この人たちも目の当たりにしたのではないのか。それだけではない。「クリーンで安全な原子力」などとウソ八百を吹聴し、情報の隠蔽を繰り返してきた電力会社や原子力行政の欺瞞が、白日のもとにさらけ出されたのも知っているはずなのに。だます方はもちろん論外だが、唯々諾々と受け入れる方もどうかしている。よほどの利権があるのか、相当な見返りを期待しているのかもしれないが、いったん原発事故が起きれば、とてもそんなものには見合わないほど悲惨な結果になることは、福島の惨状を見れば分かりそうなものだけど。そんな想像力さえ働かないほどバカなんだろうか。


7月11日(月曜日) 土も水も空気もすべて汚染

 南相馬の畜産農家が出荷した牛から放射性セシウムが検出された問題。そもそも福島産の牛肉が出荷されていること自体に驚く。水とエサで内部被曝してることくらいシロウトでも想像がつく。自粛しようとは考えなかったのだろうか。口蹄疫に感染した宮崎牛は全頭殺処分された。福島産の牛が、平然と市場に出回っているのが信じられない。消費者を欺く背信行為である。そればかりか牛肉だけでなく、国内のすべての食品に対する信頼をなくすことになる。そんなことさえ想像できないのか。まさに自殺行為だ。

 被災地の食材を食べて応援しよう、といった安易なキャンペーンがCMで流されているが、こんなことはそもそもあり得ない。みんなで一緒に内部被爆しようとでもいうのか。被災地の生産者の方々の苦悩や苦労は察するにあまりある。しかしこれは消費者の命と健康に関わる問題なのだ。食材の安全性のチェックを万全にし、安全性に疑問がある食材は決して流通させてはならない。実際にはかなりの広範囲の地域が放射能汚染されていて、もしかしたら汚染食材はもうあっちこっちに出回っていて手遅れかもしれないが、この国の未来を少しでも考えるのであれば、それでもできる限りの対策はとっておくべきだろう。

 「消費者にも近隣にも迷惑をかけてしまった」「コメもダメ野菜もダメ。今度は牛もダメって一体どうすればいいんだ」。汚染牛を出荷した畜産農家の訴えに、「悪いのは東電だ」と仲間が声をかけて慰めたという(読売)。畜産農家の無責任さと思慮不足な行為は許されないが、原発と東電の対応に根本的な問題があるのは、まさにその通り。原発汚染はすべてをダメにする。土も水も空気もすべて。それでも全国各地の原発の再稼働に賛成するのか。もういい加減に目が覚めてもいいのではないか。農家や漁師ら生産者はもちろん消費者も、すべての日本国民が問われている。


7月12日(火曜日) 久しぶりに書いた書評記事

 12日の火曜発売の「サンデー毎日」に、編集部からご指名をいただいて書評を書いた。書評記事を書くのは久しぶり。取り上げた本は、「38人の沈黙する目撃者/キティ・ジェノヴィーズ事件の真相」(A・M・ローゼンタール著、田畑暁生・訳、青土社)。著者は47年前、米紙ニューヨーク・タイムズで首都圏版の編集主幹を務めていた時に、深夜のNY市内で若い女性が殺害された事件を知る。殺人を目撃しながら、助けることも通報もしなかった近隣住民たちの行動と心理を通じて、社会と市民とのかかわりを考察するといった内容だ。100ページちょっとしかないので、すぐに読めてしまうが、示唆に富む指摘がいくつかある。僕は書評記事の後半で、豊田商事会長刺殺事件と取材報道問題を比較して考えてみた。よろしければコンビニや書店でご一読を。


7月13日(水曜日) 福島まで格安チケット

 前にもちょこっとだけ書いた全国高校総合文化祭の福島大会だけど(5月19日付「身辺雑記」参照)、新聞部門に参加する高校新聞部員の動向が気になったので、地元の教育委員会や実行委員会事務局に電話で話を聞いてみた。それによると、参加する学校や生徒の数はほぼ例年通りで変わらないが、原発事故や被災地について取材するといった新聞部は、どうやら今のところは皆無のようだ。生徒たちも予定が目いっぱい詰まっているし、事務局も大震災の前から準備を進めてきたので、行事計画をそのまま進行するのが精いっぱいらしい。しかしいくらなんでも震災関係が何もないのもいかがなものかというので、地元の高校が震災後の活動状況について少し報告することにしたという。なんだやっぱりその程度なのか。予想はしていたけどがっかりだなあ。

 新幹線を利用して、横浜から福島まで12000円ほどで往復できる格安のチケットが利用できそうなので、せっかくだから来月の初めに日帰りで取材に行こうかなと考えている。全国の新聞部員たちの様子や雰囲気だけでも、とりあえず見て感じておいて損することはないだろう。まあ1万円くらいの出費だから、さほど成果や収穫がなくても勉強だと思えば納得できる(かも)。


7月14日(木曜日) セミが鳴かない

 まともじゃないうだるような暑さが続くが、夕方になって日が落ちてくると涼しげな風が吹いてきて、一気に過ごしやすくなる。その瞬間は気持ちいい。それはともかく今夏はセミがまったく鳴かないなあ。アブラゼミもニイニイゼミもヒグラシも、少なくとも横浜ではまだ一度も鳴き声を聞いていない。ほかの虫たちも沈黙を守っている。聞こえてくるのはウグイスの美しいさえずりと、カラスの耳障りな叫び声だけ。うーん。ソーラー&USB対応のミニ扇風機を購入。首からかけても卓上に置いても使える。1980円。


7月15日(金曜日) 橋下知事が何を抜かす

 橋下徹大阪府知事(弁護士)がテレビ番組で、光市の母子殺害事件の弁護団への懲戒請求を呼びかけた発言に対し、弁護団側が損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)は、橋下氏に賠償の支払いを命じた二審判決を破棄し、弁護団側の請求を棄却した。橋下氏側の逆転勝訴が確定した。

 橋下知事のコメントが笑わせる。「表現の自由にかかわることであり、こういう問題になると最後に頼れるのは最高裁だとつくづく感じた」だと。

 絶句。ばっかじゃねーの。弁護士の使命すら理解してない橋下知事が何を抜かす。最高裁は最後には憲法と人権を裏切るんだよ。そういう人間にとっては、確かに最高裁は頼りになる存在かもしれないけどな。それにしても酷い判断だな最高裁。刑事弁護の意義と刑事事件で果たす弁護士の役割を、最高裁は自ら否定したに等しい判断じゃないか。最近こんな判決と決定ばかり…。噴飯ものだ。

【関連記事】「橋下知事は法律家失格」(2008年10月2日付「身辺雑記」参照)


7月16日(土曜日) リトマス試験紙の菅首相

 菅首相の退陣を求める声が政界で強まっているのは、無能さや決断力のなさを批判してるんじゃない。脱原発に舵を切り始めた目障りな首相を引きずり下ろしたいってことなんだよね。「原発停止をさせまい」と必死な国会議員が圧倒的多数だから。菅首相が四面楚歌に近い状態であることが、ここに来てさらに鮮明になってきた感じだ。そんなに原発を動かしたいのか。

 民主党の若手国会議員ら11人が、菅首相の即時退陣を求める文書を仙谷由人官房副長官に提出した後、「安全性が確認された原発の早期再稼働を要求した」だってさ。結局はそこかよ。お里が知れる連中の行動パターンだ。菅首相は死ぬ気で踏ん張って、脱原発社会の実現に向けて奮闘してもらいたい。

 菅首相は記者会見で、「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った。将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」と述べ、「脱原発」の姿勢を明確に表明した。

 脱原発社会を望む人たちは、今こそ菅首相を全力を挙げて支持支援すべきだと思う。ポーズだけ、延命のため、本気じゃないといった批判があるが、国民の道具としてうまく使って本気で取り組ませればいい。おだてて応援して、脱原発を最後まで貫徹させる。そう仕向けるのは、われわれ主権者の役目だ。

 菅首相の脱原発会見が、与野党・経済界・自治体首長からボロクソ言われて集中砲火を浴びている。まさに四面楚歌、孤立無援に見える。しかしそうなればなるほど、菅首相の「延命狙い」というよりも、むしろ原発の延命を図ろうと必死な人々の姿が浮かび上がってくる気がする。

 原発が手に負えない代物だと明らかになったというのに、それでも懲りない面々。だれが無責任で、だれが売国奴(あまり好きな言葉じゃないけど実際はそういうこと)なのか、正体が鮮明になってきた。菅首相はリトマス試験紙のような役割を果たしている。

◇◇

 午後から授業。死ぬかと思うほどのうだるような暑さの中、学校へたどり着くと身体中が汗だくだ。今学期の「文章を書く」の講座も残すところあと来週の1回だけなので、まとめのような話をちょこっとだけした。反応はまあまあかな。あんまり真剣に聴いているようにも思えなかったけど、最近はその辺はよく分からん。

 暑い日射しが照りつけているにもかかわらず、近所の公園で小学生の女の子たちがサッカーに熱中していた。シュートやドリブルもなかなか上手い。歓声を上げながら実に楽しそうだ。なでしこジャパンの快進撃の影響か。男子の姿は見る影もなかった。


7月17日(日曜日) 友達リクエスト

 名前も知らないし会ったこともない人から、facebookの友達リクエストがたまにくる。うち1人だけは元同業者だというので承認したが、そのほかは対処に困ってそのまま放置している。おまけにメッセージも何もないので判断しようがない。知ってる人からのリクエストを断るなんてことは、少なくとも僕の場合はまずないが、知らない人の場合はどないせえって言うんや。ほとんどまともに使いこなせていない僕が言うのもどうかとは思うけど、facebookって知人同士でつながるメディアだよね?


7月18日(月曜日) 大学生の文章教育

 成績評価の準備をする必要があって、「文章を書く」講座でこれまで学生に書いてもらった作文をざっと見直した。新学期の最初のころは、「これはちょっとどうしたものか」と思うほど、内容も文章表現も添削しようのないひどい文章しか書けない学生が何人かいた。そんな頭を抱えるしかない状態の学生が、最近は感心するほど「まとも」「まし」な文章を書くようになっている。見違えるほどとまではいかないが、最初のころに比べると格段の進歩だなあと感じる。中には「見違えるほど」の成長を見せているのもいるし、1回目から注目するような文章を書いていた複数の学生たちは、さらに目を見張るほどぐんと伸びている。

 文章作法や技術やノウハウといった文章表現力については、まだまだこれからかもしれないが、視点やテーマの切り取り方やものの見方については、少なくともかなりしっかりしてきた。講座を担当する僕の教え方や講義の進め方がよかったというよりも(それもあるかもしれないけど=笑=って自分で言うな)、やはり文章力というのは実際に書くことが何よりも大事だということだ。適切なアドバイスを受けながら書けば書いただけ、確実に身に付いて成果に結びつくものなんだなあと実感する。もちろん当然のことながら、一人一人の作文を添削する作業は時間も労力も大変で、しかもだれにでもできるといった仕事ではないわけだけど、やっただけの成長はあるということだ。

 エッセイやレポート書くだけでなく、就職試験でも社会に出て会議やプレゼンの文書を作成する際も、自分の考えや思いを分かりやすく相手に伝えるための力(文章表現力)は、これからもずっと必要になる。そういうことを踏まえて、学生にどういう教育をするべきか、大学は長期的な展望をもとにしっかり考えた方がいい。学生にとってはもちろん、大学に対する社会的評価の面からも大いに意味がある。そのあたりが分かっている大学はもうとっくに、学生の文章力アップの取り組みを始めている。少人数クラス編成で全学必修の大学もあるという。人材や費用などの教育体制をこういうところでケチると、大差がついてあとで後悔することになるだろう。大学運営の姿勢と教育理念が問われていると言っていい。

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 【追記】「大学生の文章教育」の文章に関し、facebook(フェイスブック)やtwitter(ツイッター)のコメントに返信したものから。少し加筆・修正して転載します。=2011年07月19日

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 抽象的に観念的な文章を書く学生が多いんですよ。それだととても読めたものじゃありません。具体的に書く、情景が浮かんでくるように書く、自分の体験をもとに書く、自分にしか書けない話を書く、ということができないのです。まずそこからスタートします。それができれば50%以上達成したも同然。分かりやすく説得力のある文章やら、事実に基づいた文章やら、表現のノウハウ、なんてものは後からついてきます。いずれにしても、実際に書いてみないとなかなか身に付かないですよね。

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 小学校や中学校でちゃんと教えていないんじゃないかって、マジで思います。だから大学の授業でわざわざ作文を教えることになってしまうんですが、それくらい基本部分がどうしようもない状況ですね。でもやらないよりやった方がマシって感じです。

 小中学校の教師がよくないと思うんですよねえ。教師本人がロクな文章も書けないくせに、他人の文章について指導なんかできるんかいって…。僕も中学生の時に、国語の教師から「短冊にメモをする」っていう指導を受けて、なんじゃこりゃって不信感を抱きました。(そういう小手先のテクニックより前に、もっと指導すべき大切なことがあるはずなのに。その一方でどうでもいい言葉遣いや、漢字の止めや跳ねには、必要以上にこだわる教師でした)

 そうそう、原稿用紙の使い方がまず基本ですよね。実は唖然とするのですが、大学生にもなって、原稿用紙の使い方が理解できていない学生が2〜3割くらいいます。どこの大学でも似たような感じらしいですが、マス目をどうするか、「、」「。」「っ」はどうすべきかなんてことは、小学校できちんと教えてほしいです。

 よいところに気付かれました(笑)。確かにパソコンで横書きというのが主流ですよね。僕の担当する講座でも、15回のうち10回はパソコンで書かせて、残りは原稿用紙です。やっぱり鉛筆で書かなくっちゃね、なんて思いつつも、これからは全部パソコンで書くようになるのかなあ。


7月19日(火曜日) 初めてのamazon

 生まれて初めてamazonを利用して商品(DVD)を注文した。代金引換だと結構高い手数料を取られて馬鹿馬鹿しいので、意を決してクレジットによる支払いを選択したのだが、これまた実は初体験。個人情報の管理は大丈夫なんだろうかと一抹の不安が…。ドキドキ。いまどき、何を今さらと思われるかもしれないけど。

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 【お知らせ】きのう7月18日付「身辺雑記」の「大学生の文章教育」の文末に、「追記」を書き加えました。


7月20日(水曜日) 自民「原発維持を」

 自民党が、次の衆院選の公約のたたき台となる中長期的な政策をまとめた報告書を発表。「既存の原発は安全対策を強化したうえで稼働を維持」「消費税率を当面10%に引き上げる」「非核3原則について、核兵器を積んだ艦船などの寄港を認める『非核2.5原則』に転換する」──などが盛り込まれている。これについて自民党の谷垣総裁は、「自民党がどういう政党かを示すため、どのような日本を作っていくかといった視点でまとめた」だってさ(NHKニュースから)。

 この期に及んでも、それでもやっぱり何がなんでも原発を稼働させたいんだね。人間が制御できるものだと心から信じていて、動かし続ける限り大量に生まれてくる核廃棄物を、何万年も安全に管理できると本気で思っているんだ。それほどまで原発を維持したいのかあ。自民党がどういう政党か、日本をどうしたいのか、今さらながら改めてよく分かったよ。というか前から知ってたけどさ。目先のカネ(利益)さえ手に入れば、なんでもアリなのか。経団連の爺さま連中と見事に一致してる。

 経団連の爺たちは、「原発を維持しないと経済成長が落ちる。原発を止めると日本がつぶれてしまう」などと言ってるが、経済成長が落ちるより前に、日本人が絶滅しかねない可能性を考えるべきだろう。いったん原発で事故が起きたら、土も水も空気もすべて汚染されてしまうのだから。実際に福島第一原発の事故によって、今この瞬間も汚染され続けているわけで、長期的に広範囲に及ぶ被害は計りしれない。財界の爺さまはそれでいいかもしれないけど、子どもたちの未来はどうする?


7月21日(木曜日) 「ぴあ」最終号は保存版

 情報誌「ぴあ」の最終号が発売されたので、さっそく購入した。680円。分厚い。1センチちょっとある。発行された39年間のうち36年にわたって、「ぴあの顔」を描き続けてきたのがイラストレーターの及川正道氏で、約1300点の表紙がすべて紹介されている。懐かしいなあ。「チャイナ・シンドローム」のジェーン・フォンダもしっかり表紙になっている。映画館(ほとんど名画座)に入り浸っていた1978年から1985年のころが、個人的にはとりわけ感慨深い。1972年の創刊号の復刻版が付録に付いている。確かにこれは1冊まるごと永久保存版だな。(2011年4月22日付「身辺雑記」の「『ぴあ』7月で休刊に思う」参照)

 横浜市内の某書店での女子中学生2人の会話。「きょうは何の日か知ってるってツイッターで回ってきてさあ」「何?」「ゼロナナニイイチ0721…」「ゼロ?」「お、で始まるんだよ、おな…」「あっ!」。その後も大きな声で、さらにあからさまな会話が続いた。ちょっと書くのをはばかられるエロい内容も。おいおい。ごく普通のかわいい中学生だったけどすごいなあ。すぐ近くにいるこっちが赤面しちゃうよ。せめて小声でね(笑)。

 台風は過ぎ去ったのに青空が広がるわけでもなく、涼しいというよりもむしろ肌寒い一日。強く吹きつける北東からの風が冷たい。5月下旬の陽気だそうだ。


7月22日(金曜日) やっとセミが鳴き始めた

 やっとニイニイゼミとアブラゼミが鳴き始めた。きのう、きょうの涼しさに「夏が終わったのか」と驚いて、このままだと地上に出ないまま死んでしまうと焦って、慌てて動き出したのかも(笑)。まさにそんな感じのタイミングで一斉に共鳴している。

 しかしその鳴き声はあまりにも弱々しく、しばらく共鳴していたと思ったら1時間ほどでぱったりと止んでしまった。小中学校が夏休みに入ったこの時期は、やかましいほどのセミ時雨にうんざりしながら、汗を拭うというのが当たり前のはずなんだけどなあ。拍子抜けするほど変な夏に戸惑う。セミをはじめほかの生き物たちにしても、かなり困惑しているに違いない。

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 東電OL殺人事件で、第三者の可能性を示すDNA鑑定結果。受刑者の支援団体「無実のゴビンダさんを支える会」の事務局がある出版社の現代人文社には、マスコミからの問い合わせが殺到したという。「ゴビンダさんの趣味は何だ」とか、あまりにもくだらない質問が多くて辟易したとか。そんなしょうもない取材をしているから、メディアに対する風当たりがますます強くなってしまうんだよなあ…。もちろん一部の記者たちの取材だとは思うけど。


7月23日(土曜日) 春学期最後の文章講座

 午前中ギリギリまで学生の作文に目を通して赤ペンで添削し、大急ぎでシャワーを浴びてから学校へ。配布資料を印刷する。滑り込みセーフでなんとか間に合った。午後から授業。本年度の「文章を書く」の講座はきょうで最終回となる。締めくくりの作文を書かせて、残り時間で簡単に最後のメッセージを伝える。

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 「受講生のみんなはこの授業を受けて役に立っただろうか。楽しかっただろうか。作文を添削するのは正直言ってかなり大変だったけど、僕は毎週みんなの文章を読ませてもらうのは楽しかった。なによりも、みんなの文章力が着実に成長するのを目にするのはとても楽しかったし、うれしかった」

 「大学生にもなって作文なんて、と思った人も最初は多かったんじゃないかと思う。しかし大人になってもまともな文章が書けない人や、分かりにくい文章を平気で書く人は残念ながら大勢いる。自分の考えを相手に正しく伝え、思いが相手の心にしっかり響くように、分かりやすい文章を書くというのは、社会で生きる市民としてとても大切な能力の一つだ。大きな武器になる」

 「少なくともみんなの文章力は確実にアップしているので、自信を持ってほしい。ものの見方や視点の大切さといったことはかなり理解できたんじゃないだろうか。もちろん文章表現や細かい技術的なことはまだまだ足りないところはあるし、これからもっと勉強してほしいと思う。文章を書くための勉強は社会に出てからも、これからずっと死ぬまで続くことになるわけで、この授業で話したことやアドバイスを思い出して、今後も参考にしてください」

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 そんなことを10分ほど話したのだが、受講生の全員が、「とても分かりやすくて勉強になる講座だった」「楽しかった」「このクラスを受講してよかった」「文章を書くのが好きになった」などと感想を書いて寄越した。自画自賛するようで面映い気がしないでもないが、学生たちの反応を見ると、まずまずの出来の授業だったのではないかと思う。気分よく今期の講座を締めくくることができてよかった。

 いやあ、これで来年まで添削しなくて済むかと思うと、なにはともあれ解放感でいっぱいだ。そんな思いはほかの先生たちも同じとみえて、授業が終わってから駅前の居酒屋で軽く打ち上げ。よく冷えた生ビールが美味しいこと。お疲れさまでした。


7月24日(日曜日) 「47NEWS」と記者の資質

 共同通信と加盟地方紙などが運営するインターネットのニュースサイト「47NEWS」の編集スタッフが、ツイッターの公式アカウントで、「人殺しを自分の名誉と共に必死になって守らなければならないなんて、弁護士も因果な商売だニャー」「リンゼイさんのお父上、申し訳ないが日本で無期懲役とは事実上の無罪放免なのですにゃ…(市橋被告に無期判決)」などの発言(ツイート)を繰り返した。7月22日午後、これらの発言に対してネット上で批判や疑問視する声が相次いだ。

 公式アカウントのページには、「47NEWSは共同通信と全国の参加新聞社が運営しています。このツイッターは47NEWS編集部の記者とスタッフによるものですが、会社の公式な見解とは必ずしも一致するものではございませんのでご了承下さい」と説明されているが、だったら公式アカウントを使わずに、私的に発言すればいいじゃないか。公式アカウントでわざわざ発言させる意味が分からない。それにしてもひどい内容だけど、こういう暴言(放言)を野放しにしていいのだろうか。そもそも記者としての資質そのものを疑う。事実関係もデタラメで、刑事裁判に対する理解もまるでない。ほとんど小中学生レベルのお粗末さだ。念のために断っておくがこれは、言論の自由などといった次元の話では全くない。刑事裁判で果たす弁護士の役割と使命は、法治国家を支える基本であるのにもかかわらず、ツイッターの発言にはそうした認識が一切ないこと、「無期懲役とは事実上の無罪放免」などと事実ではないことを平然と吹聴していること。どこから見ても「言論の自由」が保障する対象にはなり得ない。

 「47NEWS」編集部の公式アカウントの主は、問題とされた発言(ツイート)を黙ってすべて削除し、何ごともなかったかのように平然としばらくツイートした後、その日のうちに、説明も謝罪もなくアカウントそのものを削除してしまった。つまり一方的にアカウントを消滅させたのである。大事なところだからもう一度書くが、説明も謝罪も一切なくである。これは呆れた。報道機関として不誠実すぎる対応には、驚いて開いた口がふさがらない。

 アカウントが削除された翌日の7月23日の午後10時半過ぎになってようやく、共同通信が「不適切な書き込みで閉鎖」という記事を配信し、「47NEWS」のサイトにも読者に向けて、「不適切な書き込みがあることが分かったので、ツイッター・サイトを閉鎖することにした」とする「おわび」が掲載された。どうしてこういうことが起きたのかきちんと調べて、詳細な検証記事をできるだけ速やかに公表すべきだと思うけどなあ。信頼を回復するにはそれしかないだろう。

 しかしなにより僕が違和感を覚えたのは、「記者クラスタ」(この言葉自体ものすごく気持ち悪くて嫌いなんだけど。アジェンダと同じくらい不快になる)と称される人々の反応だ。もちろんすべてではなく一部の反応だが、公式アカウントで羽目を外したとか、ゆるキャラの暴走だとか、そんなふうに話を矮小化して茶化してどうするよ。記者(共同の社員か外部の編集部員かは問題ではない。編集部記者を名乗っているのだから)の質の低下と、その影響を真剣に憂える事態じゃないのか。複数媒体の記事を読んで強く感じるけど、政治スタンスや思想が右やら左やらには関係なく、こんな論外の記者はたぶんいろんな社に多数生息している。そういう記者たちによって、メディアは今よりももっと信用をなくすことになるだろう。メディア全体に関わる深刻な話だ。


7月25日(月曜日) 中国を笑えない

 ノルウェー連続テロ事件の容疑者は、日本や韓国の排外主義を賞賛していたという。「日本と韓国について『多文化主義を拒否している国』と言及。日本などを反移民、非多文化社会の模範のようにたたえていた」(毎日新聞7月24日付)。なんだかなあ。情けないというか恥ずかしい。

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 中国浙江省で起きた高速鉄道の追突脱線事故。中国の高速鉄道技術の過剰な自信と杜撰さ、事故後の対応には驚く。事故原因を検証もせずに、現場に穴を掘って車両を埋めてしまういい加減さには呆れるしかない。でもこれは中国の国内問題だ。一方、日本の原発事故はどうか。対応がデタラメな上に、世界中に放射能汚染を振りまいて迷惑をかけ続けている。中国を笑うわけにはいかない。

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 アニメ制作会社「スタジオ・ライブ」の会長で、アニメーション監督・アニメーターの芦田豊雄さんが、7月23日に永眠された。関係者が明らかにした。67歳。3月11日の大震災で、芦田さんに協力していただいた原稿を出すタイミングを外してしまい、先延ばしになっていたのが悔やまれます。本当にごめんなさい。あくまでも保留中なので、近いうちに必ず日の目を見るように出稿するつもりです。芦田さんのご冥福を心からお祈りします。


7月26日(火曜日) 消費者こそ最大の被害者

 日本の食品が海外で輸入規制されているのを、NHKニュースが「風評被害」だと伝えていたが、それって「風評被害」なのか。実際いろんな食品から基準値を超えるセシウムが検出されているのだから、立派な「実害」じゃないのか。逆の立場で考えたら、そんな国の食品は輸入したくないと思うのが普通だろう。

 原発事故で甚大な打撃を受けた被災地の農家や漁業関係者ら生産者の方々は、本当にお気の毒だと思う。政府は十分な補償をすべきだと思う。しかし一番の被害者は消費者だ。汚染された食品を口にして体内被爆させられる消費者こそ、最大の被害者であることを忘れてはならない。食べて被災地を支援なんて冗談じゃない。あり得ない。「死なばもろとも」とでも言いたいのか。

 原発事故さえなければ、いや、原発さえなければ、とつくづく思う。大地震と大津波だけでも大変な被害だが、それだけならまだ復興にも希望が持てよう。しかし原発事故は取り返しがつかない。原発さえなければ…。多くの人は身に染みて、怒りと不安とやるせなさともに、心底からそう感じているのではないかと思う。

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 こちらでフォローしてなくてもRTされてくる元の発信者の発言(ツイート)をたどって眺めていると、ツイッターって本当に馬鹿発見器だなあとつくづく思う。政治思想的な立場や右とか左に関係なく。一方的な思い込みと決め付けと偏見だらけ。日本だけでなくほかの国も似たようなものなんだろうか。


7月27日(水曜日) 学期末は面倒

 大学は学期末なので、あれこれと面倒な作業に追われている。原稿の締め切りも重なって、まさに四苦八苦である。レポートを採点して成績評価をして、もう一つ別の科目の成績評価もしなくてはならない。決定した成績はマークシートと記述式の採点簿に転記し、何回も確認してから1枚ずつハンコを押す。うわっ、めんどくせえなあ(汗)。さらにエッセイ・コンテストの第1次審査のため作文に目を通す。なかなかよく書けているのが多くて、推薦作品を選ぶのにしばし悩む。クラスによって作品の完成度にかなり偏りがあるのには、ちょっと困ってしまったが、とにかく優劣をつけなければならない。コンビニに駆け込んでコピーを取り、ポストに投函して作業完了。さあ、これから本業の取材活動に専念だ。

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 「芦田さんは池添さんの記事にかなり期待していたと思う」。自分でもそれはもう十分すぎるほど分かっている。だからこそ、今の僕には一番きつい言葉だ。ご健在のうちに期待に応えられなかった責任の半分は、僕にあると悔やんでいるだけにつらい。メッセージをくださった方はもちろん激励と、そして今後への叱咤の意味を込めて伝えてくれたのは分かっている。だけど、しばらく立ち直れそうにない。こんなことを言っても仕方ないとは思うが、大地震さえ起きなかったら、せめて、原発事故さえなかったら…。そう考えてしまう。


7月28日(木曜日) 生ビールに餃子は最高

 中央図書館で調べものをしてから、横浜・野毛の中華料理店へ。横浜市立高校の教職員組合の先生たちと暑気払い。とってもよく冷えた生ビールとに餃子の組み合わせって、どうしてこんなに合うんだろう。くーっ幸せ。3時間ほど大いに飲んで食って語って笑ってから、いつものコースである沖縄スナックへ移動。それほど酒が強くない僕に、アルコール度数の高いそのままの泡盛はとても無理なので、たっぷりの水と氷で限りなくうすーくして、豚の角煮(ラフティ)やゴーヤーのサラダを肴に飲む。美味しい。


7月29日(金曜日) 深夜にアライグマ?

 ゴミを捨てようと深夜にマンションの外に出たら、どさっと音がした。ガサガサっとした方を見ると、駐車場との間を仕切るフェンスの上に黒い物体。仕草や大きさが猫とは違う。アライグマのようだった。暗がりで目を凝らしてじっと見ていると、向こうもこっちを凝視して微動だにしない。

 相手との距離は約5メートル。もう少し近付いてもっとよく見たいという思いは強くあったのだが、それ以上の間合いを詰めると飛びかかってくるんじゃないか、との恐怖感が払拭できない。アライグマなら鋭い爪でざっくりやられたら痛いだろうなあ。そんな想像が瞬時に頭を駆けめぐる。1分間ほどにらめっこが続いた。


7月30日(土曜日) まずは部屋の片付け

 やっぱり新しい本棚をもう一つ買わないとだめかなあ。リビングの本棚からは何冊もあふれて、仕事部屋に積み重ねてあるのも崩れそうになっている。思い切って捨てるか本棚を買うか、選択肢は2つしかない。処分してもいい本はまとめてあるが、あふれているのはどれも捨てられない本なので、やっぱり本棚を買うしかない。しかし問題なのは本棚をどこに置くかだ。いずれにしても不要なものは捨てて整理しろということか。部屋を片付けないとスペースが確保できないから、本棚はもちろんテレビも買えない。根本的なところから始めろと。これでも今年になって、結構いろいろと捨てたんだけどなあ。面倒くさいけど少しずつ片付けよう。


7月31日(日曜日) 帆布職人

 横浜そごうの特設会場の「日本の職人芸展」に行った。家具や染め物や刃物など、自慢の手作り商品を全国各地の職人が持ち寄って販売するという企画展の2日目だ。僕のお目当ては、折り込みチラシに小さく載っていた「尾道帆布の柿渋染めトートバッグ」。ショルダーにもリュックにもなる3ウェイで、使い込むほど味わいが出る、そんなうたい文句とデザインに惹かれたのだが、実物を見て宣伝に偽りなしだった。「ここがこんなに工夫されていてすごい」というポイントを、工房のご主人本人が説明してくれた。「自分自身こういうのが欲しいと思うものを作ったんだから」と言うだけのことはあって、なかなか使いやすそうだ。手間ひまかけた作業工程のほか、工房で作ったほかの商品との値段の違いの理由、それぞれの長所と短所についての解説も分かりやすい。

 「チラシには限定5点と書いてありましたけど」とたずねると、ご主人は「初日のきのう全部売れちゃったので、広島から10点を追加で送ってもらってきょう届いたんだ。だいたいいつも限定5点なんて少なめに言って宣伝するけど、3倍の15点くらいを販売するんだ」。あっけらかんとネタバレを披露すると豪快に笑った。これなら信用できそうだ。値段はちょっと高いけど文句はない。A4の書類が余裕で収納できるのもいい。即決購入した。


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