身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


2000年6月1日〜6月30日

●高い喫茶店●やけくそだから「万歳」?●フリーランスとして1年経過●「国体」を守るって?●横浜駅前は厳戒体制?●取材対象への共感性●勝手に鳴き出すラスカル●自分たちの卒業式●やぶうち優サイン会●「指南書」と権力癒着●分断国家、そして総選挙●いい加減なワタクシ…●日本の首相の程度の低さ●脱原発●福岡のホテルは狭かった●皇太后死去のタイミング●博多のとんこつラーメン●原稿を突っ込む●電車感覚で乗る飛行機●政党CMについて●ある「論理のすり替え」●ネットの世界の怖さと楽しさ●サードへのアクセス7万件●伝えるという作業の難しさ●高校の同窓会●絶対安定多数と盗聴法●弁護士の職業倫理●本の整理整頓●現実逃避…●最高裁の判断●情報公開●自業自得●●●ほか


6月1日(木曜日) 高い喫茶店

 再び暑〜い一日。きのうは雨が降って肌寒かったから寝冷えしたみたいで、少し頭が痛くて風邪気味なのだが、約束しているので我慢して取材に出撃する。東京・新宿で、都立高校を今春卒業したばかりの男子学生に話を聞いた。とても聡明で率直で問題意識もあって、ものごとの本質がどこにあるかがよく分かっていることに驚かされる。そこらへんの教師なんてたぶん太刀打ちできない洞察力なので、話を聞いていて実に気持ちがいい。最初は風邪気味で少々だるかったが、そんなのはどこかに飛んでいってしまった。だがしか〜し。入ったのが恐ろしく高い喫茶店で、メニューを見た瞬間にしばし絶句する。いくら何でもコーヒー1杯が千円ってのはないだろう。しかも美味しくない。当然、学生に払わせるわけにはいかないのだった。取材経費で請求できればいいんだけどなあ…。

 池袋まで足を延ばして、買い物をしていると夕立ちに降られる。ちょうど目の前にあったラーメン屋に飛び込んで食事をしている間に雨は止んだ。涼しい風も吹いてきて一気に過ごしやすくなった。


6月2日(金曜日) やけくそだから「万歳」?

 衆院が解散されて総選挙へ突入。ニュース番組だと映像が編集されているのでよく分からないだろうが、解散の瞬間を生放送で見ているとなかなか笑える。解散詔書を衆院議長が恭しく読み上げてから十秒以上も、議員たちはただただ黙って突っ立っているだけなのだ。どんなリアクションを起こしたらいいのか分からず、自席で右往左往しているさまが何ともおかしい。内閣不信任案の緊急動議が出され、それが議題とされた直後の解散宣言なので、議事進行の手順がたぶん飲み込めていなかったのだろう。それでしばらくするとやおら、あちこちから「万歳!万歳!」の叫び声が上がって、それがさざ波のように議場に広がっていくのがこれまた異様だったりする。ここからはニュースでおなじみのシーンだ。でもいくら考えても理解できないんだけど、国会議員を失職して「ただの人」になってしまった瞬間なのに、どうして「万歳!」って叫ぶのだろうか。う〜ん、不思議な光景だなあ。やけくそになっている心理状態をああいう形で表現するしかないのかな。で、今回の解散のネーミングはいろんな意味で「神隠し解散」というのがいいと思う。ちなみに「神」には仏様も入っています(笑)。


6月3日(土曜日) フリーランスとして1年経過

 会社員(サラリーマン)でなくなって、フリーランスのジャーナリストとしての新しい生活を始めてからちょうど1年経った。会社に三くだり半を叩き付けたのはもう少し前だが、正式に社員でなくなったのは1年前のこの日である。確定申告や経費の計算、健康保険の支払いなどといった面倒な事務作業を、自分自身の責任でやらなければならないのは苦痛で、こればかりはたぶんいつまでも慣れることはないだろう。しかし何と言っても一番大変なのは、ぐうたらしようと思ったら際限なくぐうたらできる生活を、自ら律しなければならないということがフリーランスの最大の課題だ。ん〜、フリーランスの課題と言うよりは僕自身の課題だな(汗)。もともとが怠け者でいい加減な人間なもんだから、規則正しい生活を自分の手でつくり上げるというのは苦手なんだよなあ…。もちろん、仕事そのものはいい加減にはしません(当たり前だっつーの)。

 まあ、組織の一員としての新聞記者を辞めてフリーランスで仕事をするようになって、よかったこともたくさんあるわけで、それはやはり取材時間が自由にたっぷり取れることである。経済的な保証はほとんどないに等しいけれども、時間だけはたっぷりあるのは強い。相手の都合とこちらの予定さえクリアすれば、好きなように動けるのだ。そしてあとは自分の責任で、自分にしか書けない記事を書いて発表すればいい。心底くだらないと思う仕事を、アホなデスクから強要されて貴重な取材時間をつぶされないだけでも、少なくともフリーランスになった意味はあると思う。

 会社組織の一員であることとそうでないことには、それぞれプラスとマイナスの両面があるが、プラスの割合を増やしていくのは結局は自分自身だ。そこのところを自覚しつつ、ぐうたら生活に陥らないように気を付けなければ(笑)。

 神奈川公会堂で開かれた「歴史教育を考える市民の会」の総会で記念講演をする。「強制と『内心の自由』」のテーマで、1)上司に言われた通りに動く「思考停止の生き方」が問われている、2)日の丸・君が代は民主主義社会の成熟度を計るモノサシだ、3)自分たちは発言すべき時に発言しているだろうか、4)問題の本質は「強制してみんなを同じ方向に向けること」にあるのではないか、といったことを具体的な事例を取り混ぜて1時間ほど話した。あんまりうまく整理して話せなかったように思えたし、参加者の反応もよくないように感じていたのだが、終わってからの質疑応答では言いたいことが予想以上に伝わっていたので安心した。大勢の前でまとまった話をすると、自分の考え方やストーリーを整理することになるのでとても勉強になる。それにしても、立て板に水のように上手に話せないのは毎度のことで自己嫌悪に陥ってしまう。


6月4日(日曜日) 「国体」を守るって?

 森首相が懲りずにまた問題発言をしたそうだ。今度は自民党奈良県連の演説会で「(民主党は共産党と連携して)どうやって日本の国体を守ることができるのか」と発言したという。「国体」とはもちろん「国民体育大会」のことではなくて、皇国史観に基づく「天皇統治による国家体制」という意味だ。これでこの前の「神の国」発言は自らの政治信条を本心から語ったことがはっきりしたわけだけど、ここまで明確に憲法違反の発言を平然と繰り返す首相というのは前代未聞だろう。そういう首相の存在が許されるとは、日本はなんて寛容な国なんだろうと驚くばかりである。それにしても総選挙に突入したばかりなのに堂々とこのような発言をするとは、森首相という人は「信念の人」なのか、それともただのお馬鹿さんなのか、まじで分からなくなってきたなあ。


6月5日(月曜日) 都内の書店

 午前中から都内で取材する。某都立高校の校長先生の話は、僕自身がこれまで考えてきたことが整理できるような内容でもあったので勉強になった。それにしても、午前中に横浜から都内に出撃するとなると、それなりに早起きしなければならないから大変だ。そんなわけでせっかく都内に来たので、いくつか大きな本屋さんに立ち寄って単行本や漫画などを物色する。横浜の書店事情はそれはそれは貧困なものがあって、ありきたりの本しか置いていないことが多い。横浜は都会のように思われるかもしれないが、実はとんでもない田舎なのである。それに文化的な街だと思われがちだけどそれも大きな勘違いで、実は文化的には決して豊かな地域ではない。特に本屋や映画館の貧困なことといったら…。それはどうでもいいのだが、なかなか店頭で見つからない「木村千歌」のコミックスを何点か発見したので速攻で購入した。この漫画家は今ひそかにお気に入り作家として注目している人なのである。

 夕方から東京・四谷の出版社で編集会議。予定よりも早く着いたので編集部員と雑談するほか、電話取材や漫画を読むなどして有意義に過ごす(笑)。編集会議は定刻より1時間半も遅れてスタートしたが、順調に3時間ほどで終了。編集委員の大学教授が持参したワシントン土産の高級ウイスキーをご馳走になる。みんなはオンザロックで飲んでいたが、いくら美味しいウイスキーでも僕としては残念ながら濃すぎてギブアップだ。こっそり水割りにして薄くして飲む。うん、やっぱり薄い水割りが一番だな(汗)。終電で桜木町に到着すると無性にそばが食べたくなったので、深夜まで営業している店でざるそばを食べる。味は普通。午前2時帰宅。


6月6日(火曜日) 横浜駅前は厳戒体制?

 夕方、たまたま横浜駅前を通りかかったら共産党の書記局長らが街頭演説をしていた。駅前広場も通路も黒山の人だかりである。動員された人もいるだろうし、駅前に人がたくさんいるのはうっとうしくてたまらないなあと思うだけの話なのだが、驚いたのは周囲を固める機動隊などの警備車両と警察官のあまりの多さだ。共産党幹部の乗った大型の街宣車を、遠くから取り囲むようにして赤色灯がくるくると回転しているのが異様な雰囲気を醸し出しているのだった。高島屋の横の道にもあふれんばかりの警察車両と赤色灯。さながら厳戒体制か戒厳令か治安維持法下のニッポンという感じで思わず寒気が走る。道行くサラリーマンたちも「すごいな、右翼の警戒かな」と関心を示していた。一昨日の日曜に都内で共産党委員長が街頭演説した時には、右翼車両が近付いてきて「君が代」などを大音量で流しながら徹底的に妨害したそうだから、そうした動きを警戒したのだろう。ベテランの新聞記者が「これまでの選挙取材でもこれほどの妨害は見たことがない」と驚いたくらいだから、さぞかしひどかったに違いない。僕は別に共産党の関係者でもなければ支持者でもないが、しかし何にしてもたかだか街頭演説にこんな警備をしなければならないというのは、どう考えても民主主義国には似合わない光景だと言わざるを得ないよなあ。今年2月に横浜で市民団体の演説会が右翼団体に妨害された事件(2月27日付「身辺雑記」参照)もそうだけど、日本は本当に自由で民主主義の国なのか疑問に思うようなことばかりだ。気が付いた時にはどうしようもなくなっていたりして。やはり日本は「神の国」なのでしょうか。

 今年の春に某都立高校を卒業したばかりの女子大生に、横浜市内で3時間近く話を聞いた。5日前に新宿で話を聞いた男子学生もそうだったが、とても利発で行動力があって知的好奇心いっぱいという感じの女の子だった。なかなか面白い取材ができたと思う。


6月7日(水曜日) 取材対象への共感性

 午前中から取材やアポ取りの電話をかけまくる。とにかく、ひたすらかけまくった。成果は半々といったところかな。ああ、来月の電話料金の請求が怖い…。

 それはさておき、取材の約束をしていたその時間に断りの電話があった。相手は「やっぱり応じられません」とまくしたてて、そうして一方的に電話は切られてしまった。おいおい。怒るというよりも落ち込んでしまうなあ。だったら最初から取材の約束なんかしないでほしい。せめて事前にキャンセルしてよ。こっちはその時間を空けて待っていたんだから。それに強引に取材の申し入れをして無理やり約束させたわけでは決してないのに、相手は「押し切られて約束してしまった」みたいなことを言っていた。う〜ん、取材対象を応援するようなルポルタージュになる予定なんだけどな。きょうはその中の一部分を描くための取材だったが、少なくともこの人物への共感性は一気になくなってしまった。記者にだって感情はもちろんあるから、この「相手への共感性」というものに記事は大きく左右されたりする。少なくとも執筆意欲には影響がある。


6月8日(木曜日) 雑用やら仕込み取材やら

 朝から電話やファクスが次々にかかってくる。その合間を縫ってきのうと同じように電話をかけまくった。3つの取材を同時進行しているので頭を瞬時に切り替えるのが大変だ。成果はやっぱり五分五分といったところかな。来週末は出張取材で福岡に出かけることになっているのだが、並行してそっちの打ち合わせもする。午前中はそんなこんなで雑用や仕込み取材で手いっぱいである。熱いシャワーを浴びてしゃきっとして、午後から都内へ。某都立高校を今春に卒業した男子学生を取材する。真摯で真面目な好青年だった。さらに別の都立高校を卒業した男子学生からも話を聞いたが、こちらも筋の通った語り口の聡明な好青年だ。そんなわけで何とかルポとして格好つくだけの材料が集められたと思う。一連のルポ取材はこれで8割ほどが完了。締め切りまでには間に合いそうかな…。


6月9日(金曜日) 勝手に鳴き出すラスカル

 関東地方も梅雨入り。ものすごい強風が吹き荒れて、うちの家なんか安っぽい造りなのでガタガタと揺さぶられる。どこかに吹き飛ばされてしまいそうだ。

 酒を飲んで比較的に早い時間帯に帰宅する時には、ついつい上大岡駅前のゲームセンターに寄り道して、UFOキャッチャーで遊んでしまうことが多い(そんなことしてないで早く帰って原稿を書けよという突っ込みは却下!)。この前は「あらいぐまラスカル」のぬいぐるみをゲットしたのだが、このぬいぐるみは揺れると内部の音声ユニットが反応して「ニャー、ニャー」と鳴くようになっている。ところが本体を動かしてもいないのに、時々勝手に鳴き出すのでうるさくて仕方がない。…って言うか、突然鳴かれるとびっくりする。とにかくやたらと敏感なのだが、いったい何に反応しているのだろう。強風が原因でないのは間違いないんだけど。


6月10日(土曜日) 自分たちの卒業式

 午後から東京・大塚。「『日の丸・君が代』強制への不服従」をテーマに、現役高校生や高校を卒業したばかりの学生らを集めて開かれたシンポジウムを取材する。パネリストとして出席していた6人の子どもたちのうち、2人の発言が心に響いた。その1人は既に何回か取材している都立高校の卒業生。「少数者の意見をどのように尊重するか」について理路整然と説明する聡明さには感心させられるばかりである。もう1人は13年前に小学校を卒業した25歳の女性。卒業式のためにみんなで描いた「ゲルニカ」の絵が取り外され、校長が代わりに「日の丸」を掲げたことに抗議して、彼女は小学生ながら「私は『君が代』は歌えません。校長先生のような大人にはなりません」と式場で宣言したのだった。この2人に共通するのは「『日の丸・君が代』に反対するための行動ではなくて、自分たちの卒業式を自分たちの手でつくろうとしただけなんだ」という思いだ。「大人たちの意思に左右されて踊らされるのは嫌だ」という意思がはっきり感じられる。それが体験に基づいた自分自身の生きた言葉として伝わってくるから、聞いていて強く心に訴えかけてくるものがあるのだろう。

 東大の高橋哲哉助教授がシンポジウムをまとめる形で、ナチスドイツのアイヒマンの裁判を扱ったドキュメンタリー映画を題材にしながら、上司の命令に従うだけの人間を厳しく批判していたが、これは僕も前にルポルタージュで触れたことがある。講演でも必ず指摘するようにしている話だけど、まさに人間としての「生き方」そのものが問われているテーマなのである。自分で判断しないで思考停止した校長だけでなく、記者も裁判官も教師も会社員もみんな一緒だ。われわれ全員に突きつけられている課題なのだ。


6月11日(日曜日) やぶうち優サイン会

 東京・錦糸町の書店で開かれた、やぶうち優(少女漫画家)のサイン会に行く。「今さら漫画家のサイン会でもないんじゃないか」と直前まで出かけることをためらっていたのだが、この日はちょうど都内の出版社で打ち合わせがあるので、ついでだから立ち寄ることにした。駅ビルの中にある書店は結構にぎわっていて、サイン会の参加者は百人ほど。中学・高校生の女の子やOLのほか、いかにもオタッキーな感じの男性ファンらとともに、サインを待つ行列に加わるのはとっても気恥ずかしくてカッコ悪いなあ。並んでから少し後悔した。それにしても漫画家のサイン会に並ぶなんて、高校生の時に手塚治虫先生にサインをいただいて以来だ。1時間ほど経ってもう帰ろうかなと思ったところで、ようやく順番が回ってくる。途中で15分間も休憩が入るからだよ…。サイン会ってそういうものなのか。単行本の最終ページにサインしてもらってから、速攻で神保町の岩波書店へ向かう。ブックレットの編集打ち合わせ。発行予定日が当初の8月から1カ月延びたため、原稿の締め切りが1週間ほど延びた。うれしい。予定よりも打ち合わせが早く終わったので、お茶の水の海鮮居酒屋で共著者の高校の先生とのどを潤す。


6月12日(月曜日) 「指南書」と権力癒着

 森首相が「神の国」発言の釈明会見を開いた前日に、内閣記者会(首相官邸記者クラブ)のコピー機のそばで1枚の書類が見つかった。会見では記者の質問をはぐらかしたり、予定時間がきたら会見を強引に打ち切らせたりするように、首相サイドに進言する内容が書かれていたという。西日本新聞の記者が落ちているのを拾ったことから発覚し、一部のテレビニュースなどで報じられた。いわゆる「指南書」問題である。このホームページを読んでくださっている方からも「ジャーナリズムの危機ではないか。ぜひ徹底追及してほしい」といったメールをいただいた。まったくその通りで、まさにどっちを向いて仕事をしているのかという記者としての姿勢の問題だと思うし、「権力監視」という記者の使命から考えるとこれは市民に対する背信行為である。そんなに指南役をやりたければ、記者を辞めて特別秘書官や政治コンサルタントにでもなればいいのだから。ただ僕としてはこの問題は、内閣記者会にこそ徹底追及する義務と責任と能力があると考えるので、メールをくださった方には次のような返事を書いて送った(抜粋)。

 >「指南書」問題は、僕も関心を持って見ています。けれどもいくつかのメディアは政府や財界とべったりですから、今回の「指南役」のようなことはこれまでも日常的に当然のようにあったはずです。たまたま今回は動かぬ証拠が出ただけのことで、もともと一部メディアは「権力批判の精神にあふれた言論報道機関」とは正反対のところにいるのですから、今回みたいなケースは何も今に始まったことではない。記者会見場に「日の丸」を設置するか否かで省庁側と記者クラブ側がもめた時に、「設置して当然」との方針を掲げ、「権力批判の精神にあふれた言論報道機関」の姿勢を自ら放棄した会社もありました。しかもそればかりでなく、あろうことか、(まだ少しはマシな姿勢の)他社をむしろ攻撃する側に回ったのは記憶に新しいところです。しかし実は一部メディアに限らず、今のジャーナリズムはかなり危機的状況にあります。権力に対して一致団結して抵抗するべきなのに、逆に権力と馴れ合っているのが記者クラブの実情だからです。ただそうは言っても記者クラブという組織は現に存在していて、情報を「排他的に独占」しているわけですから、そういう意味でも今回の問題は内閣記者会の中でしか、解決・解明・徹底追及はできないと思います。また、それこそが内閣記者会の責任であり義務でしょう。告発した西日本新聞は同記者会のメンバーですから、ぜひ継続して頑張ってもらいたいと思います。この問題は内閣記者会(と加盟各社)の責任で徹底取材をしてほしいし、やるべきだと考えます。<

 ところが、内閣記者会は「(指南書は)遺憾だが、だれが書いたか探し出すのは親睦団体である記者会の設置趣旨に反する」として追及しないことにしたそうだ。波風を立てないように「記者クラブの和」を最優先したのだろうが、さすがにこれには驚きあきれた。そりゃないだろう。だって一国の首相が現行憲法を否定するような問題発言をして、それを記者会見で追及しようとしている時にその会見の妨害を企図したのだから、記者会への背信行為としか言いようがないではないか。協定違反であれだけ大騒ぎするのならば、これこそ永久除名に匹敵する大問題だと思う。やはり自浄作用は機能しなかったということなのかなあ…。自殺行為だと思うよ。

 都内で取材。梅雨らしく、しとしと雨が降り続いて肌寒い。こういう季節なので、安物のビニール傘とは違ったまともな傘を1本くらい持っていてもいいだろうと物色する。でもデザインや値段を考慮して適当なものが見つからない。きょうのところは保留だ。


6月13日(火曜日) 分断国家、そして総選挙

 朝鮮半島で歴史的な南北首脳の会談が実現。お隣の民族のことだけど、いろんな意味で日本人にも大いに関係ある話だ。もちろん外交だからさまざまな駆け引きや思惑はあるだろうが、とにかく南北首脳が直接会って握手して会話を交わすだけで意味があるというところに、この問題の苦難と困難の歴史を示している。それにしてもテレビを見ていて一番印象に残ったのは、両首脳が通訳なしで笑顔で話をする場面だ。これには感動的なものを感じて思わず胸が熱くなった。もともと同じ民族なのだから互いに同じ言葉を話すのは当たり前なんだけど、両国が「分断国家」なんだなあということを思い知らされる瞬間だったからだ。それに首脳同士が同じ母国語で親しく会話するなどということは英語圏や仏語圏、スペイン語圏などの国ではよくある光景だろうが、日本人にしてみればまず考えられない光景なので、こういうシーンを僕はうらやましく感じた。本当は日本語と朝鮮語は親戚みたいなもので、民族としての関係も日本と韓国・朝鮮は兄弟のようなものなんだろうけどね…。

 一方、日本では総選挙が公示。立候補者の顔触れを見ていると、情けなさと物悲しさを感じる選挙戦のスタートだ。本当は棄権したいところなんだけど、今回は少なくとも「それはおかしい!」という意思表示だけはしておかないといけないと思う。よりマシな候補者と政党に一票を投じるしかないだろうなあ。


6月14日(水曜日) いい加減なワタクシ…

 ああ、やっぱりなあ。本当にぎりぎり直前になるまで書かないんだよなあ。とゆーわけで、担当編集者に催促されながら、ようやく裁判原稿を1本仕上げて電子メールで送信。さらに来週頼まれている「ネット社会と個人情報」をテーマにした市民講座のレジュメと資料をファクスで送る。自分でも情けなくなるいい加減さだな。しかしまあ、これで何とか来週にはルポ原稿の執筆に取りかかることができそうだ。さて、あすは福岡行きの飛行機のチケットを取らなければ…。それにしてもあさって出発なのにまだ取っていないなんて自分でも信じられないよ…(おいおい大丈夫なのか)。実を言えばホテルもきのう予約したばかりだったりする…(絶句)。


6月15日(木曜日) 日本の首相の程度の低さ

 南北首脳が「統一を目指す」ことで合意。それにしても首脳会談のニュースを見ていると、金大中大統領も金正日総書記もさすがに一流政治家なんだなあと感心させられる。イデオロギー的なことは別にして、外交能力も識見も包容力も力強さにしても、演説や立ち居振る舞いを見ていればとにかく国を代表する立場にいるだけのことはあると思わせる。もちろんこうした政治家としての「資質」というのは、この2人に限らずほとんどの国の首脳に共通するものだろう。ところが日本は…。歴史に名を残すような場面をリアルタイムで見てしまうと、だからこそ余計に日本の首相の程度の低さが際立ってしまうのが悲しくて仕方ない。

 実を言うと、教育勅語、神の国、国体…などと森首相がしつこく繰り返す発言の数々は、ひょっとしたら意図的に計算してやっているのではないかとさえ思っていた。皇国史観に裏打ちされた憲法違反の暴言を何度も何度も堂々と繰り返すことで、正常な感覚をまひさせてしまう効果があるのではないかと。しかし、どうやらこれは杞憂(きゆう)と言うよりは完全な買いかぶりだったようだ。はっきり断言してもいいけど、森首相という人は本物の馬鹿だった。南北首脳会談を評してこの人は、演説で何回も「2つの民族が一緒になって…」と繰り返したそうだから。おいおい「2つの民族」って何だよ。言い間違えたのではないのは1回だけの演説で話したのではないことからも分かる。まじなんだよ、このおっさん。同じ朝鮮民族が分断国家として半世紀を過ごし、それがようやく統一に向けて会話が始まったところに意義があるからこそ、世界が注目していたのだろう。朝鮮半島の2つの国家が同じ民族から成り立っているなんてことは中学生でも知っているっつーの。そもそも日本人ならば、当事者の責任として知っていなければならない事実だろう。

 ところが首相がそんなことも知らないなんて…。あまりにもお粗末な歴史認識と現状認識に絶句する。にもかかわらず森首相はこの歴史的交渉を今夏のサミットで取り上げて、各国首脳に支援を呼びかけるなどという大それたことを考えているのだそうだ。お願いだから恥ずかしい発言だけはやめてよね。悪いことは言わないから、とにかく余計なことはしないで黙っていてほしい。これほどまでの大馬鹿者を、どさくさに紛れて勝手に首相にしてしまった責任は与党首脳にもちろんあると思うけど、南北首脳会談の映像を見るたびに、彼我の格差に情けなさが募ってくるのは僕だけだろうか。

 脱原発 きょうはもう一つ。これだけは書いておかなければ。ドイツ政府と電力会社が、原発を段階的に廃棄していくことで合意したという。原発の寿命を32年として新規建設はせずに、代替エネルギーを開発して原発から切り替えていくというのである。将来は原発全廃を目指す。もともと世界の流れは「脱原発」で、いつまでも原発にしがみついているのは先進国では日本だけだ。ドイツのこの方針決定は、原発全廃に向けた世界の潮流に確実に弾みがつくだろう。もちろん現在のところ原発は「必要悪」として存在していて、日本では原発に電力を頼らなければならないのが現実だ。それは否定できない事実である。だけどそうは言ってもやっぱりあくまでも原発は「必要悪」なのであって、運営の在り方や安全性、廃棄物の処理のどれをとってみても全廃するのが正しい道筋だと思う。電力会社や科学技術庁が「安全でクリーンなエネルギーだ」などと主張しているのは大うそとしか言いようがない(1999年9月30日付「臨界事故の恐怖」、同年10月1日付「原発の本質を考える」参照=ともに「身辺雑記」)。

 茨城県東海村の核燃料工場の臨界事故で、被ばくして死亡した男性の闘病写真が、少し前の「週刊現代」にスクープとして掲載された。グラビアページに載った何枚もの写真は衝撃的だった。思わず目を覆いたくなるような被ばくの症状…。凄絶な闘病生活がうかがわれ、ぞっとする核の恐怖が心底理解できた。どんなに立派な文章や言葉よりも、たった1枚の写真に勝るものはないと思った。事件の本質を見事なまでに的確に見せてくれたからだ。掲載に対して科技庁が抗議したというが、公共の福祉とすべての「国民」の利益から考えて、この写真は広く公表されるべきである。

 航空券をゲット。羽田〜福岡って高いんだねえ。カセットテープや下着類などをいろいろと買い込む。あすから福岡へ出張取材。現地から原稿送信するためにノートパソコンを持参するので、「身辺雑記」も毎日更新する予定だ。


6月16日(金曜日) 福岡のホテルは狭かった

 午後の羽田発の便で福岡へ。福岡に来るのは初めて。空港から地下鉄で市心部まで直結していて、交通のアクセスがとても便利な街だ。宿はどこも満杯だったのだが、直前になって何とか確保できたのは、本当にもうただ寝るだけというシンプルなビジネスホテル。実際にその通りのシンプルさだった。できたばかりだからきれいだし最低限の設備は一応整っているんだけど、原稿を書くデスクもないんだよなあ。ベッドの上にパソコンや資料を広げなければならないのだ。う〜ん、次の取材からはちゃんと余裕をもって予約して、サービスの行き届いたホテルにしよう。福岡県庁や市役所に電話をかけて来週のアポ取りをして、夕方から周辺を探索。マンガやアニメ関係の専門店をいくつか発見したので入ってみたら、貴重な希少本や懐かしい作家のサイン、生原稿などが高額で展示販売されていた。もちろんそんなものは買わないが、博物館感覚で見物する。夜になって、大分の女子短大生殺人事件(みどり荘事件)の冤罪被害者から話を聞く。容疑者にでっちあげられて1審では無期懲役。合計で13年間の裁判の結果、警察捜査や鑑定のでたらめさを立証し、晴れて逆転無罪判決を勝ち取った事件である。いかに司法が非科学的な証拠に基づいて冤罪をつくりだしているかがよく分かった。【福岡で更新】


6月17日(土曜日) 皇太后死去のタイミング

 ホテルの電話からインターネットに接続。そのための設定変更作業に、夕べはかれこれ1時間も四苦八苦した。福岡市内のアクセスポイント(AP)を内線で設定するのはどうってこともない作業なんだけど、客室の電話回線がプリペイドカードの読み取り機械を通す仕組みになっているもんだから、ダイヤルする途中でひっかかってエラーを繰り返すのだ。ゼロ発信の後でさらにワンクッションを置く微妙な間がどうしても必要なのに、自動ダイヤルではその絶妙な間が取れない。試行錯誤した末にたどりついたのが「手動で電話をかける」という方法だった。これがうまくいかないと、メールのチェックやホームページの更新どころか、本来業務である原稿送信ができなくなるのだから、あきらめるわけにはいかない。その甲斐あってなんとか成功。ああ、疲れた…。眠い…。

 皇太后が死去。そう言えば新聞記者時代に、こうした事態を想定して大見出しの号外紙面を作らされたなあ。いつでも発行できるようにと事前に準備された予定原稿を使うのである。う〜ん、それにしても、もしもこれが2〜3日でも早かったらマスコミの扱いはどうなっていたのだろう。南北首脳会談や「統一を目指す」ことで合意したという歴史的ニュースは、もっと小さく扱われていたのだろうか。世界が注目する感動的な出来事に水を差すばかりか、しかも南北分断の原因をつくった忌まわしい歴史の事実を、朝鮮半島の人たちに思い出させることにもつながるわけで、それではほとんど嫌がらせみたいに朝鮮半島の人たちから受け取られても仕方ないじゃないか。思わずそんな余計な想像をしてしまう。そういう意味では死去の時期が微妙にずれていたことに正直ほっとする。朝のホテルのロビーで、法律雑誌の編集長とそんな話をした。

 死去に伴って、政府は歌舞楽曲の自粛を通知したというし、中央競馬会は競馬を中止し、福岡市中心部のデパートや銀行には半旗が掲げられていた。何だか日本国内だけが、世界のダイナミックな動きから取り残されているみたいだ。南北首脳会談でも、日本の政治家だけが完全に「蚊屋の外」だったしなあ。もちろん「死に体」の森首相に外交の極秘機密を耳打ちしてくれるような奇特な首脳は、世界中のどこを探してもいないだろうけどね。人間の死去そのものについてはご冥福をお祈りするが、少なくとも昭和天皇死去の時みたいな服喪の押し付けは繰り返してほしくない。

 博多のとんこつラーメン 午前中は西日本新聞会館の国際ホールで、政府の司法制度改革審議会主催の地方公聴会を取材する。大阪に続いて2回目の地方開催だ。審議会委員は相変わらず半分も出席していない。公述人の意見発表では、陪審制度復活を要望する女子高校生の冷静で的確な指摘と、医療過誤で高校生の娘を亡くした母親(医師)の訴えが特に印象に残った。一部の審議会委員のお粗末さが、女子高校生の真摯な発表によって見事に浮き彫りにされてしまったのが興味深かった。午後からは市民による司法改革公聴会を取材。さすがに眠くなってきた。夕方から市内のパブで懇親会。日弁連の前幹部氏によるお薦めの屋台で、とんこつ味の博多ラーメンを食べる。意外にあっさりした白いスープとこしのある細めの麺がなかなかうまい。脂がギトギトで味もくどい横浜のとんこつ醤油らーめんとは大違いである。【福岡で更新】


6月18日(日曜日) 原稿を突っ込む

 きのうの司法制度改革審議会の地方公聴会の原稿を、来月号の雑誌に突っ込むために大急ぎで書いて送信する。本来の校了はとっくに過ぎていて、この記事が入るページだけを空けて待っている状態である。ぎりぎりの時間に原稿を突っ込むなんて、新聞記者時代みたいだなあ。スリルと緊張感はあるけど精神的にはしんどい。しかも原稿の分量が中途半端なので、盛り込めるようでいて意外と盛り込めないのだ。それなりに手間取って苦労して送信したら、編集委員から記事内容について無理難題のアピールが…。ええ〜っ…。

 夜になって福岡市内のファミレスで、ゲルニカ事件(2000年6月10日付「身辺雑記」参照)の時の卒業生だった女性に、夕食を食べながら話を聞かせてもらう。問題意識や感性が僕とよく似ていて話が弾む。アニメやマンガや映画のファンだというし(^^)。小学5年生の時から現在まで、彼女の生き方にも関係してくる話を率直に語ってくれた。とても楽しくてしかも勉強になる取材だった。気が付いたら午前零時半。3時間半も話し込んでいたのかあ…。ホテルに戻ってから原稿の一部手直し作業。眠い。【福岡で更新】


6月19日(月曜日) 電車感覚で乗る飛行機

 原稿執筆や資料調べでどんなに夜遅くまで起きていても、ホテルだと必ず(仕方なく?)早起きしてシャワーを浴びて、きちんと朝食も食べてから取材に出かけている。福岡ではそんな一見すると健全な生活がもう4日も続いたのだが、おかげで睡眠不足でふらふらだ。そんな状態で歩き回って、おまけに客室内のエアコンの効きすぎで体調もイマイチだったりする…。

 午前中は県庁、午後は市役所を取材。もう1泊してほかのところも取材したいところがあったけど、そろそろ疲れてきて限界だと感じたので、当初の予定通りに帰ることにした。地下鉄で空港まで行くと、間もなく出発する羽田行きの便があったので即座に搭乗手続きをする。待ち時間なしで乗り込んだらすぐに出発。2時間半後にはもう横浜に着いた。まるで電車に乗っているみたいだ。飛行機という乗り物にはいつ落ちるか分からない不安があって、実はいつも緊張しながら乗っているのだが、きょうはあまり怖さを感じなかった。飛行機にも慣れてきたのかなあ。自宅に戻ると毎度のことながら手紙や新聞、留守電、電子メールがあふれていて、全部チェックしなければならないのかと思うとげっそりする。


6月20日(火曜日) 政党CMについて

 テレビの政党CMで、最もよく目にするのは自民党と自由党である。自民党は「もしも私が国会議員だったら」というやつで、自由党は小沢党首が顔を殴られながらも前進して「日本一新!」と訴える内容だ。どちらもかなり頻繁に流されていて、さすがにお金があるところは違うなあと妙に感心させられる。確かにこの2つはCMとしてもインパクトがあるので、大手広告会社がそれなりに力を入れて制作したに違いない。公明党と民主党のCMもたまに見かけるが、ほとんど印象に残らない影の薄い映像なんだよなあ。社民党のCMは土井党首がコギャルに「憲法9条は絶対に変えさせないよ」と宣言していて、個人的にはこのCMが一番好きなんだけど、残念ながら実際にCMとして流されたものを見たことがない。ニュースで紹介されたのを見ただけだ。せっかく面白い内容なのに放送するお金がないのだろう。

 完全休養日。たっぷり睡眠。…のはずだったけど、電話取材をいくつかするはめになる。夕方、元同僚記者2人が突然自宅に遊びに来た。近くのファミレスで夕食を食べながら雑談する。


6月21日(水曜日) ある「論理のすり替え」

 参加しているあるML(メーリングリスト)に、あまりにも非論理的で、詭弁を弄し、意図的に話をすり替える発言が、しつこく繰り返し送信されてくるので、我慢できなくなって反論する内容の投稿をした。ROM(読むだけのメンバー)のつもりでいたのだが、ここできちんと意見表明だけはしておかなければ自分の生き方や信条に著しく反すると思って、何日も悩んだ末の投稿である。

 かいつまんで説明すると、ある投稿者が別の投稿者に対して「こんな匿名で参加していて恥ずかしくないのか」といった暴言を吐いたのが発端だった。その名前は匿名ではなくて本名だった。もちろん匿名であろうが実名であろうが大事なのは発言の中身であって、発言者本人であることがきちんと認識できれば、ハンドルネームでもペンネームでもニックネームでも何ら問題がないことは言うまでもない。ところがその後、この暴言に対するさまざまな反論や異論に発言者は「言葉の揚げ足取りをするな」と詭弁を弄し、さらには「自分たちと価値観の異なる他者を排除するのはおかしい」などと主張し始める。そうして「開かれた議論の場」の必要性を訴える方向へと意図的に話をすり替えるのだった。

 もちろん、どんなに自分と意見や考え方の違う人であっても、排除したりしないで議論することが民主主義の基本だ。しかし、そのためには「人の発言をねじ曲げず、詭弁を弄さず、話をすり替えたりしないで論理的に発言する」のが大前提だろう。その大前提を無視したところにまともな議論が成立するわけがない。このような手合いは本当は相手にしないのが一番だとは思うし、そもそも相手にしている暇なんかないんだけど、あまりにも大量の発言が延々と続いて、しかもこの発言者の詭弁にごまかされてしまう善良な人々も出始めたので、黙って見ているのは卑怯だと判断したのだ。それにしてもこうした「論理のすり替え」は、石原都知事や森首相の言い訳にあまりにも酷似している。奇妙なほどに。


6月22日(木曜日) ネットの世界の怖さと楽しさ

 横浜市婦人会館が主催する市民講座の講師を頼まれ、「インターネット社会の落とし穴/ネットの世界の怖さと楽しさ」というテーマで2時間ほど話す。インターネットはだれもが世界に向けて情報発信できて、それなりに影響力もある便利で楽しいメディアだけど、個人情報は自分自身でしっかり守らなければならないし、人権侵害や嫌がらせが簡単に起きてしまうマイナス面もある…。そんなことを具体的に紹介した。「インターネットを語る」ということは「メディアを論じる」ことでもあると僕は考えている。だから当然のことながら、話は現在のマスメディア批判にまで展開した。「新聞やテレビをうのみにしない」「情報の真偽を見極める力を身に着けることが大切」「それは現実社会でもインターネット社会でも同じ」という視点から、情報化社会の問題点を訴えた。

 われながら、そこそこ分かりやすい講義になったのではないかと思う。会場の反応や質問を聞いていれば、そこらへんのことは把握できるからだ。受講生の書いた「感想カード」を主催者の方に見せていただいたのだが、その文面からも僕の言いたかったことをきちんと理解してもらえて好評だったのが分かってほっとした。

 だがしか〜し。世の中には本当にいろいろな人がいるもんだ。一人の女性がこんな感想を書いていた。「講師は新聞社に勤めながらホームページを作ったそうだが、勤務時間に私的ページを作るなんていけない。仕事の内容を少しでもホームページに載せたのだとしたら、新聞社に対する背信行為になるだろう。私の夫は新聞社の編集局の部長だが、新聞は誤った記事を載せたらきちんと訂正している。新聞の悪口を言わないでほしい」…。とまあ、要約するとそこにはそんな内容が書かれていた。

 う〜ん、あまりにも情けなくて涙が出てくるよなあ。僕は勤務時間内に私的ホームページを作ったことなんて一度もない。そんなことは一言も話していないし、どこにも書いていない。新聞社での仕事をホームページに載せることについても、それが公共の福祉と読者と会社にとって必要であると判断したならば、自身の責任で公表してきたことに僕は誇りを持っている(1998年9月14日付「身辺雑記」参照)(コラム風速計53「新聞社批判は公益にかなう」参照)。これを背信行為と言うならば、新聞記者は内部告発をもとに記事を書いてはいけないことになるのではないか。そして極め付きが「私の夫は新聞社の編集局の部長だ」という発想だろう。だからどうしたのですかとお聞きしたい。そもそも僕は「新聞の悪口」を言ったのではなくて「警察や行政の発表を垂れ流すことの多いマスコミをうのみにするのは止めよう」と忠告したに過ぎない。夫が新聞社の部長だからどうしたというのだろう。完全に思考停止している。想像力の欠如した貧しい精神の人だと思うとかわいそうになってしまった。「提言や問題提起を悪口と取るか、前向きに受け止めるかは人それぞれだから」と主催者。大半の受講生は前向きに受け止めてくれたわけだから、まあいっか。

 「サード」へのアクセス7万件 「サードインパクト」へのアクセス件数が7万件を超えた。ご訪問いただいたすべての皆様に感謝します。これからもよろしくお願いします。


6月23日(金曜日) 伝えるという作業の難しさ

 どんなに分かりやすく話したり書いたりしたつもりでも、話が通じない(伝わらない)人がいるのはなぜなのだろうと、ずっと考えてきたし今も考え続けているんだけど、ほんの少しだけ分かってきたことがある。僕の文章が分かりにくいとか話が下手だとかいったことも原因かもしれないとは思うが、どうもそれだけではないようだ。なかなか話が通じない人たちには、最低限持っていると思っていた基本的知識や問題意識、想像力、感性が著しく欠けてるんじゃないか。言うまでもないけれども、これは学力や学歴といったものとはまるで関係ないし、ましてや思想信条やイデオロギーなどとは無縁だ。まるで考え方が違っていても、そういう事実があるのか、そんな考え方もあるのかなどと、それなりに話の内容を理解することは可能だからである。つまり人の話をきちんと理解できるだけの基礎的土壌や素養があるかどうかではないかと思うのだ。

 じゃあ、そういう基礎的土壌の欠如している人たちには、絶対に話を理解してもらうことができないのかというと、決してそんなことはないと思う。何から何まで懇切丁寧に説明すれば、たぶんある程度のことは分かってもらえるのではないだろうか。だけどそのためには気の遠くなるような手間ひまと時間が必要になるだろう。例えば1時間の話をする時に3時間ぐらいかけるとか、2ページの記事を書く場合には6ページくらい書くとか…。議論するとか会話するとか伝えるなどといったコミュニケーションを成立させるためには、そもそもそういう労力を惜しんではいけないし、そういう労力が民主主義には不可欠なのだということは分かっている。ただ、時間やスペースが限られているメディアの世界でそんな伝え方ができるかというと、現実問題としては難しいと言わざるを得ない。

 結局は個人的に時間をかけてゆっくり話を積み重ねていくしかないのだろう。特にマスコミの世界では、それなりに伝われば上出来なんだと割り切るしかないのかもしれない。こんなことを悩んだり疑問を感じたりしなければ、たぶん何も考えずにのほほんと記者生活を送っていられるのだろう。「伝える」という作業に自信がなくなってしまうなあ。


6月24日(土曜日) 高校の同窓会

 きのう金曜日の夜は、日本テレビ系で「となりのトトロ」の放送があったんだなあ。すっかり忘れていたので僕は見なかったけど。そうか、だから昨日はアクセス数がやけに多かったのかな。

 母校の都立高校の同窓会総会&懇親会に出席する(2000年5月29日付「身辺雑記」参照)。母校の体育館で開かれた懇親会の出席者は500人ほど。これまでの卒業生の総数は2万人以上だというから5%にも満たない出席率だけど、雨の中これだけ集まれば上出来だろう。で、同期生は5〜6人もいればいい方かなと考えていたら30人近くも来ていた。◯◯年ぶりなので男女ともにみんな容姿がそれなりに変わっていて、声をかけられても最初は顔と名前が一致しなかったが、話しているうちにだんだん思い出してきて違和感が薄れてくる。だがしか〜し。向こうは僕のことを知っているのに僕の方は全然知らないというのが何人もいて困った。「それはお前が有名だったからだ」と言われたが、そんなに有名だったかなあ。う〜む…。おまけに「高校時代から全然変わっていないのですぐに分かった」とみんなから言われる。う、う〜む…。後輩からも「◯◯さん!」と何の迷いもなく声をかけられる…。懇親会の後は同期生だけで駅前の居酒屋で2次会。半数近くが参加して思い出話で大いに盛り上がる。さらに新宿で3次会。品川で電車がなくなってしまい、仕方ないので始発まで漫画喫茶で時間つぶしをする。漫画喫茶に入るのはこれが初めてだ。座席がリクライニングシートになっていたので仮眠しようと思ったんだけどなあ…。「ヒカルの碁」が面白くて読みふけってしまう。午前7時帰宅。

 ところで母校から駅に向かって歩いていくと、京王線の駅前には森首相、公明党の神崎代表、保守党の扇党首の3人が勢ぞろいしていた。「最後のお願い」演説をしている最中だった。テレビカメラが注視し、記者が一生懸命メモを取っている。急行が停車するとは言うものの、こんな小さな駅に与党3党首が…。この選挙区の与党候補者はかなり危ないのかな…。それはともかく、森首相の言うように「寝ている」わけにはいかない。よりましな候補者と政党に大切な一票を必ず投じなければ。


6月25日(日曜日) 絶対安定多数と盗聴法

 衆院総選挙の投開票日。投票締め切り時間ぎりぎりに近くの小学校へ投票に行く。駆け込み投票は僕だけではなく、年齢層に関係なく直前にやって来る人たちが結構いた。投票率は前回を上回ったものの、全国的に見るとそれほど高くなかったようだ。で、結果は与党が絶対安定多数を確保かあ…。あれだけ馬鹿にされてコケにされたというのに、なんておめでたい有権者なんだろう…。つーことは森首相がこのまま続投して、沖縄で開かれるサミットで各国首脳を仕切るのか…(ため息)。でもっていよいよ予定通り、盗聴法(通信傍受法)も今夏に施行されてしまうというわけである。そうなのだ。法律自体は1年前に可決成立したけれども、施行されるのは実はこれからなのである。この間のインターネット講座でも、講義の最後にそんな話をしたんだけどなあ。しかし今回のこうした選挙結果で、盗聴法廃案なんてことはぐっと遠のいてしまった。あのでたらめ続きの警察に、個人の会話が合法的に盗聴されてしまう社会がついに到来するのだ。ふう…。絶句…。そう言えば今回の選挙で、盗聴法を推進するために国会で懸命に旗を振っていたタレント大臣が辛くも当選したんだよな。選挙報道番組を見ながら返す返すも残念に思ったのが、この人物の当選確実の瞬間だった。

 相変わらずテレビ東京だけはマイペースで、独自路線をひた走っているのが微笑ましい。NHKも民放各局も地上波局はどこもすべて選挙報道一色になっているのに、ここだけはバラエティー番組などを流しているのだ。いやいや笑っているのでは決してない。大変素晴らしいことだと思っている。みんなが横一列で同じ方向を向いている時に、たった一人でも信念に基づいて独自の行動を取るなんて見上げたものだ。実に貴重な存在だと思う。昭和天皇の死去の時も確かテレビ東京は「ムーミン」を延々と放送して、全国の心ある人々やよい子の皆さんから絶大な支持を集めていたもんね。これからも期待しています。


6月26日(月曜日) 弁護士の職業倫理

 埼玉県和光市で、54期の司法修習生を対象にした刑事弁護セミナーを受講させてもらう。修習生有志の主催で、講師は「ミランダの会」の高野隆弁護士。弁護士の職業倫理とは何なのかという基本理念を具体的に説明するとともに、修習生に意見を言わせて考えさせる面白い講義だった。「弁護士は何のために存在しているか」という話を聞きながら、2年前にTBSで放送していた米国のテレビドラマ「弁護士ロージー・オニール」(1998年6月4日付「身辺雑記」参照)を思い出した。その後の懇親会にも参加させてもらい、何人かの司法修習生と話をする。午前1時半帰宅。


6月27日(火曜日) 本の整理整頓

 本棚にあふれ返っていた本やコミックスを、きのうから少し整理した。積み上げてあったのを整頓したり、位置をあっちこっち動かしてみたり、さらに不要な漫画類は古本屋に売ることにしてコンビニのビニール袋に投げ入れたりする。こうした作業をするといつも思うのだが、なんて無駄な買い物をしたんだろうと、中でもしょーもない漫画の本を見ながらつくづく反省するばかりだ。

 サードインパクトの「お薦め映画」のページを更新した。現在掲載している作品紹介は第1部の「絶対おすすめっ!厳選作品」としてそのまま残し、新しく第2部として「かなりおすすめっ!優秀作品」を立ち上げて計8本の紹介記事をアップした。過去の「身辺雑記」で書いた文章を加筆修正。これをベースに、比較的新しい映画からお薦め作品を紹介している。


6月28日(水曜日) 現実逃避…

 ん〜、まあしかしあれだ。本の整理やホームページの更新などといったことをやり始めるというのは、今さら言うまでもないんだけど「現実からの逃避」にほかならない。ほらよくあるでしょ、試験前になると突然のように、部屋の片付けを始めてみたり読書にいそしんでみたりとか…。まったく、何をやっているのか…。そんなわけで、終日原稿執筆とその準備。

 最高裁の判断 そう言えば、東電OL事件の被告として1審無罪判決を受けながら身柄拘束が続いているネパール人の男性に対して、最高裁が「無罪判決が出ていても裁判所の職権で被告の身柄拘束はできる」という判断を初めて示した。「犯人であることが疑わしい」からだそうだ。しかし、まだ控訴審の審理が始まってもいないのに一方的にそんな判断ができるのなら、1審での審理や判決なんて何の意味もなくなってしまうじゃないか…。そんな素朴な疑問が生じる。ちなみにこの判断には、5人の判事のうち2人が反対意見を付けた。最高裁にもまともな判事が2人もいたと喜ぶべきか、まともなのが2人しかいないから身柄拘束が正当化されてしまったと嘆くべきなのか。実態と影響を考えれば、後者のように思うしかないだろう。(2000年5月22日付「身辺雑記」参照、「セカンドインパクト」に来月中旬ごろ詳細記事を掲載予定)


6月29日(木曜日) 情報公開

 三宅島の地震の影響からか、横浜でもかなり頻繁に揺れる。体験していないから地震の本当の怖さは分からないけど、さすがにシャワーを浴びている時やトイレに入っている時に揺れると少し焦るなあ。シャンプーや石鹸だらけで水が止まったらどうしようとか、出られなくなったらどうしようとか…。普通はそんなことはあんまり心配したりしないか…。もっと別のことで心配するんだろうな。

 夕方から、情報公開を進める横浜の市民グループの集会に参加する。これまでの活動を本にまとめた記念のシンポと懇親会だ。新聞記者時代にお世話になって、しばらくご無沙汰している方々が何人も来ていたので近況報告する。情報公開の進み具合から言えば、横浜市は全国自治体の中でも最低レベルで有名だが、このほどようやく閲覧手数料が無料になるなど、少しだけ当たり前の水準に追い付いた。う〜ん、この事実だけを見てもやはり横浜市の行政はおかしい。閲覧するだけでお金を徴収していたというのが、そもそも市民をなめ切っている。傲慢で市民不在の態度だよな。よその市から転入して来た人たちはこのおかしさに気付いているのに、土着の横浜市民はなぜ平気でいられるのかなあ。不思議だ。


6月30日(金曜日) 自業自得

 原稿執筆の依頼をいくつか重なっていただいた。記者として評価してくださっての原稿発注だろうから、もちろん大変ありがたいことである。だがしか〜し。最近、いろんな原稿の執筆を先延ばしにして仕事をサボってきたつけもあって、スケジュールを見るとどうやらまた綱渡り状態になりそうだ。自業自得である。まあ何というか、余裕を持って取材執筆することは十分可能だったのに、なぜか立て込んで緊迫した状況にならないと動かない。この性格はどうにかならないものか。たぶん、どうにもならないだろう(汗)。

 横浜・紅葉坂で開かれた「日の丸・君が代」の強制に反対する市民集会を取材する。いつもながらの風景と発言だった。う〜ん。


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